翌日から、船堂さんは何事もなかったかのように前と変わらない態度で私と接してくれている。
ゲームのことでからかってくるだろうと覚悟していたのに、一切その話題にも触れない。
やっぱりあれは酔っていたからで、本人も記憶にないんだろうなと思う。
私としても忘れてくれていた方が好都合だから、何も言わず今まで通りに振る舞っている。
「今月から美浜台支店担当になりました舵浦です。よろしくお願いします」
一月半ばを過ぎたある日、業後の勉強会に来てくれたのは、いつもの川瀬さんではなく舵浦さんという男性だった。
「舵浦?」
男性が名乗った瞬間、一緒に勉強会に参加していた清水さんが信じられないと言う表情でつぶやいた。
「……清水?」
舵浦さんも驚いたように清水さんを見ている。
「あれ、もしかしてお二人って知り合いですか?」
水野さんがそう尋ねると、
「新人の時に同じ支店だったの」
清水さんが答えた。
「それはすごい偶然だね」
うん、ホントにすごい偶然。
世界は狭いんだなぁ……。
「いつの間に異動してたの?」
「ああ、今年の春から海南エリアに異動になったんだよ」
「そうなんだ? 言ってくれれば良かったのに」
「まさか清水が美浜台支店にいるなんて知らなかったから」
ひとしきりふたりが盛り上がったあと、保険の勉強会が始まった。
「今日はありがとうございました」
勉強会終了後、片付けをしている舵浦さんに声をかけると、
「こちらこそ、ありがとうございました。何か聞きたいことがあったらいつでも連絡して下さい」
そう言いながら名刺を渡されて、私も慌てて自分の名刺を渡した。
「汐里さんって、素敵な名前ですね」
「え、あ、ありがとうございます」
名前を褒められることなんて滅多にないから、嬉しいけど恥ずかしい。
「ちょっと、舵浦! 仕事中にナンパしないでよ~」
後ろから聞こえて来た言葉に振り返ると水野さんが立っていて、いつの間にか会議室には
私と清水さんと舵浦さん、三人だけになっていた。
「別にナンパじゃないって」
「どうだか。可愛い後輩に手出したら許さないからね」
そう言いながら私の前に立って、まるで私を守るように舵原さんの前に立つ清水さん。
ふたりのやり取りが面白くて、思わず笑ってしまう。
そう言えば、さっきふたりは新人時代の同期って言ってたっけ。
だからこんな風に気さくに話せるんだ。
「おふたりって、新人時代の同期なんですよね」
「うん、そうだよ。それから、漣もね」
ちょっと恥ずかしそうに清水さんがつけたした。
そっか、旦那さんも新人時代の同期だったんだ。
「清水さんって新人の頃どんな感じだったんですか?」
「え、ちょっと、それ訊いちゃう!?」
「清水はこんな感じでいつもうるさかったな」
「舵浦、うるさいとか言うな!そこはせめていつも元気って言ってよ!」
「でも、漣の前では人が変わったみたいにおとなしくなってたけど」
「へぇ~清水さんって漣さんの前ではおとなしいんですか」
「ちょ…も~恥ずかしいからそういうこと言わないでよ~!」
照れて頬を赤らめている清水さんを、先輩だけど可愛いと思う。
きっと清水さんは新人時代も明るい支店のムードメーカーだったんだろうな。
「まぁ、こんなヤツだけど、これからも面倒見てやって」
「あ、こちらこそ清水さんにはいつもお世話になっているので。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げると、「いい後輩でよかったな、清水」舵浦さんが笑顔でそう言ってくれて。
その笑顔を見た瞬間、見覚えのある人物の顔が浮かんだ。
舵浦さんって誰かに似ていると思ったら、ときめきデイズの拓海くんに似てるんだ。
特に笑うとよく似てる。
サラサラな黒髪も、透き通るような綺麗な瞳も、落ち着いていて優しそうな雰囲気も。
「俺の顔に何かついてる?」
思わず凝視してしまっていたらしく、視線を感じたらしい舵浦さんが不思議そうな顔で言った。
「あ、いえいえ!なんでもないです!」
ゲームのキャラに似ていて見惚れてました、
なんて口が裂けても言えない。
と思っていたら。
「まさか、舵浦に見惚れてたとか?」
清水さんから鋭すぎる一言が。
「舵浦って顔はイケメンの部類だから、結構女子に人気あるんだよね。そのわりにどうしてか彼女できないけど」
「清水、余計なこと言うなよ」
あ、舵浦さん、照れてる。
そっか、舵浦さんって彼女いないのか。……って、何ちゃっかり気にしてるんだ私。
「まぁ、こんなヤツでも汐里ちゃんが良ければどうぞ」
「えぇ!?」
どうぞってなんですか!?
「清水、言ってること矛盾してるだろ。さっきは手を出すなとか言ってたくせに」
「あはは、そうだっけ?」
「そうだっけじゃねぇよ」
ふたりの絶妙な掛け合いは見ていて本当に面白い。
新人時代もこんな感じで、清水さんの旦那さん、漣さんも一緒に楽しく過ごしていたのかな。
「ま、それは冗談として。これからはガンガン舵浦に頼っていいからね」
「だからなんでそんな上から目線なんだよ」
なんて清水さんと言い合いながらも、舵浦さんは「美浜台支店がエリア一位になれるように一緒に頑張りましょう」と言ってくれた。
そしてその後、課長や支店長に挨拶をして帰っていった。
「まさか舵浦がエリア担当になるとは思わなかったなぁ……」
そうつぶやいた清水さんは、懐かしむような少し戸惑っているような表情で。
この時私は、清水さんの気持ちも舵浦さんの気持ちも、ふたりの関係も、まだ何もわかっていなかった。
* * *
「今月の保険成約件数トップは水野さんでした。おめでとう」
月最終営業日の夕礼中、課長に発表されて周りから拍手が起きた。
舵浦さんの勉強会で今までにないくらい保険の商品提案に力を入れて、それがこうして結果に結びついたんだ。
正直なところ、前までは心のどこかで“数字のために仕方なく”と思っていた部分があったけれど、舵浦さんの勉強会後は、お客様のために自信を持って提案できるようになった。
それで「ずっと考えなくちゃと思ってたことだから今回教えてもらえて本当に良かった」と本当に嬉しそうな笑顔で言ってくれたお客様もいて。
こんな私でも役に立てたのかなって、私の方が嬉しくなった。
ほんの少し考え方や見方を変えるだけで、こんなにも状況って変わるんだなぁってつくづく思う。
きっかけをくれた舵浦さんには本当に感謝してるから、今度うちのお店に来てくれたらお礼を言わなくちゃ。
そしてあっという間に二月に入った。
厳しい寒さで、外回り組は本当に大変そうだ。
基本的に一日支店内にいる私は、暖房の効いた温かい営業場で仕事が出来るからいいけれど。
「マジで凍え死ぬぞ、この寒さ」
外訪を終えて戻ってきた船堂さんは本当に寒そうだ。
「お疲れ様です」
「おう。喜べ水野、このクソ寒い中往訪したおかげで保険成約三件決まりだ」
「え、ホントですか!?」
「ああ。なんとしてでもエリア最下位は阻止したいしな」
「ですよね」
もう二度とエリア長に“店として営業してる意味がない”なんて言われたくない。
「そういえば、今日エリア担当の保険コンサルが来る日だっけ」
「あ、そうですね」
そう、今日は舵浦さんがうちの支店に来てくれることになっているんだ。
と言っても、今日は勉強会じゃなくて近況報告と今後のスケジュールの確認だけみたいだけど。
「お疲れ様です」
船堂さんと話していたら、今まさに話題にしていた舵浦さんが営業場に入ってきた。
「先日は勉強会ありがとうございました。おかげで私、先月の保険成約数が支店でトップでした!」
舵浦さんの姿を見るなり勢い込んで言うと、
「それは良かった。今後もぜひ頑張って下さい」
私の勢いに面食らいつつも、笑顔でそう言ってくれた。
「お、舵浦くんお疲れ」
そこへ接客を終えた課長が席に戻ってきた。
「この前の勉強会のおかげで、みんな士気が上がって成果が出始めてるよ」
「お役に立てたなら嬉しいです」
課長の言葉に、舵浦さんは少し照れたような笑顔を浮かべている。
やっぱり拓海くんに似てるなぁ。
「次の勉強会は二月二十一日で大丈夫かな?」
「はい、よろしくお願いします」
その後、課長と少し話をして、
「じゃあ、また勉強会で」
私に笑顔でそう声をかけて、舵浦さんは慌ただしく営業場を出て行った。
次回の勉強会、楽しみだな。
ふとそんなことを思った自分に自分で驚いた。
勉強会なんて面倒くさいだけなのに。
もしかして私、舵浦さんに会えることを楽しみだと思ってる……?