「水野さん、教育資金贈与口座の成約取れたんだって?」
自分の席で記入書類の点検をしていると、誰かに声をかけられた。
顔を上げると、目の前にはイケメン……じゃなくてフツメンのスーツ姿の男性。
「船堂さん、いたんですか?」
「いちゃ悪いのかよ」
「いや、そういうことじゃなくて」
フィナンシャルコンサルタントである船堂さんは、業務時間中は外訪していることが多くて、店内にいることはほとんどない。
今もてっきり外訪中でいないと思っていたから、いきなり声をかけられて驚いただけだ。
「一千万の大口契約、なかなかやるじゃん」
「ありがとうございます」
かなり上から目線発言な気がするけど、きっと誉められているのだろうと前向きに受け止めることにして、とりあえずお礼を返す。
「まぁ、川村さんは昔から取引深淵先で有名だからね。優しいし、契約しやすいよね」
「……そうですか」
なんか今の発言、棘がある気がする。
「でも、俺らの地区はこれで今月の目標百パーセント達成だな」
「そうですね」
私と船堂さんは同じ地区である美浜台一丁目を担当している。
営業担当として外訪中心に契約を取るフィナンシャルコンサルタントと、来店誘致をして支店で接客をして契約を取るマネーライフアドバイザーは、ペアになって同じ地区を担当することになっている。
いわゆる営業担当の私達は毎月収益目標があり、何パーセント達成したか担当者ごとに数字を出されてしまうのだ。
数字で自分の価値が評価される。
それは正直なところ精神的にとても大きなプレッシャーだ。
だけど、目標を達成出来た時は嬉しいし、何よりお客様に喜んでもらえた時には自分でも誰かの役に立てているんだと実感できる。
生きる上で必要不可欠なお金の相談に乗りアドバイスをするということは、とても責任の重い仕事だけれど、その分やりがいもあると思う。
「先月の目標達成者は船堂さん、清水さん、水野さんでした。船堂さんは目標百二十パーセント達成でエリア内でも一位です」
業後の支店会議で、井波課長が手元の資料を見ながら発表した。
「達成した三名にはプレゼントがあるので、前にどうぞ」
課長に促されて前に出ると、支店長からひとりずつ順番に白波銀行のデザインが施されている小さな封筒が手渡された。
封筒を開けると、中に入っていたのは数千円分の商品券。
モチベーションをあげるための、ささやかなご褒美だ。
「水野さん、目標達成おめでとう! 良かったね」
会議終了後、山崎さんが笑顔で声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
ひとりで今の地区を担当するようになってから、目標を達成したのは実は今回が初めてだったりする。
「それにしても船堂さん、エリアでも収益トップなんてすごいよね~。これで長身イケメンだったらなぁ…」
と山崎さんがさも残念そうにつぶやいたその時、
「俺がなんだって?」
後ろから船堂さんの声が聞こえた。
「「なんでもないです!」」
私と山崎さんの声が見事にキレイにハモッた瞬間、ふたりで思わず顔を見合わせて笑ってしまった。
「なんなんだよ、ふたりして。さては俺の悪口言ってただろ?」
「言ってないですよ」
そう、決して悪口ではない。
山崎さんはただ、願望を口にしただけだ。
「ふ~ん。ならいいけど」
まだ少し疑いの眼差しを向けながらも、船堂さんは自分の席へと戻って行った。
「さ、今日はこのあと新年会だから早く仕事片付けよう!」
「はい!」
山崎さんの言葉に頷いて、私は残っていた仕事に取りかかった。
今日は支店全体で行う毎年恒例の新年会がある。
要するにただの飲み会なのだけど、支店全体の結束をより強くする大事なイベントだ。
「それでは、支店表彰を目指して美浜台支店一丸となって今期も頑張りましょう、乾杯!」
「乾杯!」
支店長の挨拶で、新年会が始まった。
支店から徒歩約十分のところにあるホテルの宴会場を貸し切りにして行うビュッフェ形式の立食パーティースタイル。
乾杯が終わると、みんなが一斉に料理を取りに中央のテーブルへ集まる。
お寿司、パスタ、サラダ、ケーキ。
とりあえず少しずつお皿に乗せて最初に乾杯したテーブルへ戻る。
「美味しい!」
さすがホテルの宴会場で出す料理だけあって、しっかりした味付けだ。
仕事で疲れてお腹が空いていたから、どんどん食べたくなる。
「相変わらず色気より食い気だな、水野は」
ひとり黙々と料理を食べていたら、後ろから声をかけられた。
「船堂さん、“相変わらず”は余計なんですけど!」
「いや、ホントのことだろ」
私の場合、色気より食い気より乙ゲーなんですけどね~とはさすがに言えないけど。
「早く食い気より色気になれるように頑張れよ」
「なんですか、その絶対彼氏いないだろ発言」
「え、もしかしているのか?」
「もしかしなくてもいませんけど」
「やっぱりな」
「うわ、超失礼!」
「なんなら俺とつきあう?」
「え!?」
「なんてな」
そうだよね、冗談だよね。
今一瞬ドキッとした自分が恥ずかしい。
「今ちょっと本気にした?」
「どうみてもフツメンの船堂さんに言われても、ちっともときめきませんから~!」
「残念!」
「なにふたりで夫婦漫才してんの?」
隣から、山崎さんの冷静な突っ込みが入った。
「「夫婦じゃない!」」
綺麗に重なった声に、三人で顔を見合わせて笑い合う。
なんだかんだで、美浜台支店のメンバーは仲が良い。
「このあと二次会でカラオケだって。凪沙ちゃん、行く?」
「山崎さんは行くんですか?」
「うん、行くよ」
「じゃあ私も行きます」
たまには思い切り歌ってスッキリしたいし。
「じゃあ俺も」
「船堂さんは来なくていいです」
「うわ、ひでぇ」
と言いつつも、結局船堂さんも含めたメンバーでカラオケへ。
ちなみに船堂さんは、支店長とデュエットなう。
いつの間に覚えたのか、支店長が大好きな歌謡曲を熱唱している。
「汐里ちゃん、何歌う?」
曲を探しながら山崎さんが言う。
「山崎さん、お先にどうぞ」
「そう?じゃあお言葉に甘えて」
山崎さんが早速曲を入れた。
支店長と船堂さんの曲が終わり、山崎さんが選曲した歌は、彼女が大好きなNeo Moonの曲で私が知らないものだった。
「この曲、大好きなんだ」
山崎さんが笑顔でそう言いながら歌い出した。
画面を見つめて歌う久澄さんの表情は真剣そのもので、完全に歌の世界に入り込んでいるのがわかる。
他の人達も、山崎さんの感情のこもった歌に自然と聴き入っていた。
「ありがとうございました」
曲が終わると、山崎さんは恥ずかしそうにマイクをテーブルに置いた。
「いい曲ですね」
初めて聴いた曲だけど、歌詞も曲も切なくて私も好きなタイプの曲だった。
「気に入ったなら公式動画に上がってるから聴いてみて」
「あ、じゃああとで検索してみます」
山崎さんとふたりで話していると、
「なにふたりで盛り上がってんだよ~」
突然私たちの間の席に船堂さんが割り込んできた。
「ちょ、船堂さん邪魔なんですけど」
「冷てぇな、水野は~」
あ~ダメだ、完全に酔っちゃってるよ、この人。
「ほら、おまえも歌えよ~」
「もう曲入れてますから!」
と言うと同時に、私が入れた曲のイントロが流れてきた。
「お、琴吹 愛歌キター!」
お酒のせいでヘンなテンションの船堂さんを無視して、私は十八番ソングを歌い始めた。
琴吹 愛歌ちゃんの“SECRET MOON”。
年間ランキング上位に入るほど大ヒットした曲だ。
何度も聴いて何度も歌っている大好きな歌。
完全に自分の世界に入り込んで歌い終えると、
「愛歌サイコー!水野サイコー!」
船堂さんがはしゃいだ声を上げて拍手してきた。
誰かこの酔っ払いなんとかして下さい!
その後もみんなで盛り上がって一時間以上が過ぎた頃。
支店長と船堂さんのマイク合戦が始まった。
ふたりとも大のカラオケ好きで、歌い出すとマイクを離さなくなるタイプなんだ。
しばらく私は歌えなさそうだなと思いながら、スマホを出してアプリを起動。
ちょっとだけ、ゲーム進めてよう。
エンディングまであともう少しなんだよね。
「――なにしてんの?」
突然横から声をかけられて顔を上げると、いつのまにか歌い終えた船堂さんが私のスマホを覗きこんでいた。
「な、なんでもないです!」
反射的にスマホの画面をスリープ状態にする。
今の、見られてなかったよね?
「ん? なんかあやしいな~」
「べつになにもないですって……あっ!」
船堂さんが、私の手からスマホを取り上げた。
ダメだ、バレる!
「“ときめきデイズ”?」
……あぁ、ついにこの時が来てしまったのね。
「あ、あの、なんか友達が最近このゲームにすごくハマってるらしくて、ちょっとどんな感じなのかな~って見てみたくて…」
それでも往生際悪く、私はしどろもどろになりながら必死に言い訳をした。
「水野、必死過ぎ。別に俺何も言ってねぇじゃん」
私の動揺ぶりを見て、船堂さんが笑い出した。
墓穴掘ってどうする私!
「へぇ、でもそっか、水野さんはこういうのが好きなのか~」
そう言いながら不敵な笑みを浮かべた船堂さん。
よりにもよって船堂さんにバレるなんて、最悪。
「ちょっとお手洗い行ってきます」
船堂さんからスマホを返してもらって、私は逃げるように部屋を出た。
明日から船堂さんにネタにされたらイヤだな。
やっぱり電車に乗るまで我慢すれば良かった。
化粧室の鏡に映る自分の姿を見ながら、思わず大きなため息をひとつ。
お酒のせいで明日には記憶がなくなることを願おう。
軽く化粧直しをしてみんながいる部屋へ戻ろうとドアを開けると、誰かにぶつかりそうになった。
「すみませ……」
「水野?」
謝りかけたところで名前を呼ばれて顔を上げると、目の前にいたのは船堂さんだった。
無言のまま部屋に戻ろうとすると、
「ちょっと待って」
突然、腕を掴まれて引き留められた。
「なんですか?」
振り返った私に、「水野って、好きな男いるの?」突然船堂さんが尋ねた。
「え?」
それって、今ここで訊くこと?
っていうか、なんで船堂さんがそんなこと訊くの?
怪訝な表情になった私に、
「まさか、あのゲームの彼が好きとか?」
私の顔を覗き込むようにして、船堂さんが意地悪な笑みを浮かべて言った。
「……!」
「あれ、もしかして図星?」
船堂さん、酔うと急にSになるんだよね。
「ふ~ん。だから彼氏いないんだ?」
「そうですよ、どうせ彼氏いたことありませんよ!それがなにか!」
からかうように言われて、恥ずかしさでヤケになって思わず勢いでそう返すと、
「え、水野って今まで男いたことないんだ?」
驚いたように訊き返された。
また墓穴掘った私、逝ってよし。
「じゃあ、俺がなろうか?」
「え?」
なにになるの?ゲームのキャラに?いやいや、そんなわけないでしょうが!
と動揺のあまりひとりで心の中でノリ突っ込みをしていると。
「――俺が初めての相手になろうか?」
突然真剣な声で言われた言葉。
――は!?い、今、なんて?
数秒考えて、熱くなる頬と速度を増していく鼓動。
「あれ? フツメンの俺にはときめかないんじゃなかったっけ?」
船堂さんが意地悪な笑みを浮かべて言う。
「と、ときめいてません!!」
急にヘンなこと言うからビックリしただけで、船堂さんにときめくとかありえません!
「俺はいつでも大歓迎だから、その気になったらどうぞ」
その気になんてならないし!
「全力で遠慮します!!」
船堂さん、どうみても酔ってます、本当にありがとうございました!
「――汐里ちゃん、遅かったね? 大丈夫?」
部屋に戻ると、山崎さんに心配そうな表情で訊かれてしまった。
「大丈夫です」
「ホント? なんか顔赤いよ?」
「ちょっと、飲みすぎちゃったかも」
あはは、と笑ってごまかしたけど、頭の中ではさっきの船堂さんの言葉がぐるぐる回っている。
あれは酔った勢いで言った言葉なんだから、本気にしたらダメだ。
どうせ明日になったら覚えてないんだから。
そう自分に言い聞かせながら、二次会は終了した。