中学三年の夏。
オレは、クラスメイトのタキと付き合うことになった。
タキとは、三年になって初めて同じクラスになった。
クラスの中で目立つ存在ではないけれど、誰に対してもふわりと優しい笑顔を向けるタキ。初めて知ったその笑顔を、オレはいつの間にか目で追うようになっていた。
気づいた時にはタキを好きになっていた。
自分でもおかしいとは思ったけど、タキのことを考えるだけでバクバクする心臓は、どうしても止められず……
オレはこの想いを、一生、隠し続けると決めた。
しかしある日。
偶然に偶然が重なり、タキもオレのことが好き……両想いだってことがわかった。
オレは空に舞い上がってどこまでも飛んでいけそうだった。
数センチ先、恋人の距離に、タキの笑顔がある。見ているこっちまでも心がふわりと暖かくなるタキの笑顔。でも、みんなに見せてるそれとは少し違う、オレだけに見せる笑顔が何よりも嬉しかった。
ここから始まった、オレたちの秘密の恋。
名字じゃなくて下の名前で呼び合おうと決めたとき、タキがオレの名前を呼ぶたび、呼ばれる名前に乗っている感情が嬉しかった。
少し早く登校して誰もいない教室で二人でしゃべったり、こっそりシャーペンを交換したり、学校から離れた所で待ち合わせして一緒に帰ったり……
タキと一緒なら、なんだって楽しかった。
この先も、ずっとこうしていられると信じて疑わなかった。
しかし、この恋は長くは続かなかった。
色づいた木の葉が散り、何もない枝を見せ始める頃。
「タキ!県外の高校受けるって、本当か!?」
「うん」
推薦で自分はほぼ決まっていたし、タキも同じ高校に行くと聞いていたオレには、寝耳に水だった。
「なん、で…………」
朝早くに誰もいない教室で会ったり、ネクタイを交換したり、席からこっそりタキの背中を眺めたり……
来年も、そんな関係をずっと続けたいって思ってた。
「言ってたじゃん、ずっと……一緒の高校に、行くって」
でもそう思ってたのはオレだけで……………
タキは、それを望んでいないんだ。
「ごめ……」
「もういい。県外でもなんでも好きな所へ行けよっ!」
「京介っ!!」
オレの肩をタキが掴む。けど、オレはそれを振り切って走り出した。
オレたちはこの日から、夏前の関係……ただのクラスメイトに戻った。
オレは無事希望の高校に入学し、タキを忘れるかのように勉強に部活にと励んでいた。
けれど、誰もいない教室を見ると……浮かんでくる、タキとの日々。あの、ふわふわして甘酸っぱくて夢の中にいるような時間……それは、大切だったぶんだけ、胸の奥がずしんと重くなる。
それが耐えられなくて、オレはできるだけ遠くまで走った
オレは学校帰りに寄った図書館の前で、スマホとにらめっこしながらバスを待っていた。
地面をカサカサと転がっていく落ち葉。急な冷たい風に身震いしたオレの耳から、イヤホンが転がり落ちた。
「あ……」
自分以外は誰もいないバス停。誰かに踏まれてしまう心配は無いが、片方だけ無くすのは勘弁!と、オレは素早く手を伸ばす。
しかしオレの気持ちを知ってか知らずか、手に弾かれたイヤホンは、より遠くへ行ってしまう。
「……クッソ」
オレは渋々ながら、ベンチから腰を上げた。
「あ……」
イヤホンを拾い立ち上がると……図書館から出てくる人物と目が合う。
同じく学校帰りだろう、制服姿のタキだ。
タキ、県外の高校、受かってたんだ……
こうして正面から顔を合わせるのは、あの日以来だ。タキのことは耳と目に入れないよう、意図的に避けていたから。
一年振りに見るタキ。オレの中に、あの大切な時間が、蘇ってくる。
「京介」
しかしそこにあるのは、ふわりと優しい顔を無理に作ろうとした笑顔。
オレが欲しいのは、そんな笑顔じゃなくて……………
胸がギュッと苦しくなって、オレは我に返った。
オレは何を望んでいるんだ。オレとタキはもう、恋人じゃないのに。
「……」
オレは聞こえないフリをして顔を反らした。ベンチに戻ると、急いでる風を装って時刻表を確認する。バスの時間はわかっているけれど。
「京介っ!」
オレの名前を呼ぶ声と同時に、段々と大きくなる足音。
オレはたまらず走り出した。
「っ!」
しかし一歩遅かったのか、ぐっと掴まれる肩。オレは振り払おうとしたけれど、それくらいじゃびくともしない。
去年は、背ばっかり高くてヒョロヒョロで運動のうの字も感じられなかったタキ。しかし今オレの肩をつかむその手は、日に焼けてガッシリしてて……
あの頃とは違うタキに、一年という月日の長さを感じた。
「京介」
…………けれど、オレを呼ぶ声は変わらなくて。
掴まれた肩が熱くなる。そこから熱が段々と全身に広がっていく。
「なにすんだよタキ!!」
それを知られたくなくて、オレはタキの手を乱暴に払った。けれど、逃がすもんかとタキはオレのリュックの端をつかむ。
「ごめん……久しぶりに会えたから、話したいな、って、思って」
タキの緊張が、背後から伝わってくる。
「京介」
オレを呼ぶ声は、まだオレが好きだって言ってて。
「……離せよ、逃げないから」
オレはずしんと重くなる胸と共に振り返った。
少しだけ見上げたところにある、タキの日焼けした顔。その顔には、ふわりと優しい顔を無理に作った笑顔。
「京介、ひ、久しぶり……」
「……」
見た目は変わってしまったけど、オレを呼ぶ声は変わらない。
「……きょ、京介、あの、な」
「……」
でも、このオレを呼ぶ声も、きっと変わって行くのだろう。
……変わっていかないと、いけないんだ。
「…………京介、まだ、怒ってる?……同じ高校に、行かなかったこと」
「怒ってない」
「本当?」
「怒ってないよ」
「………じゃあ」
「ってかオレは!……同じ学校に行かなかったことは、もともと怒ってないんだよ!!!」
呆気に取られた顔になるタキ。そして、その顔は段々と怒りに変わっていく。
「……だったら、なんであの時」
「約束を破られたからだよっ!ずっと同じ高校に行くって聞いてたからさ……オレに相談も無しに、県外の高校受けるって聞いて」
「……それは、ごめん」
すぐにしゅんとした顔になって謝るタキ。そんなところが好きだった。
「京介、でもさ」
オレは、でもさに続く言葉を知っている。
「違う高校でも付き合うことはできるよ?でもオレは、同じ高校で、タキとあーしたいこーしたいって考えてた……タキとオレの、思い描く来年が、違うんだなって、思ったんだ」
そこが……オレとタキが、別れた理由なんだ。
「俺は今でも、京介のことが……」
「オレもだよっ!!」
オレは続きが聞きたくなくて、タキの言葉を遮った。
タキの気持ちが嬉しい。…………でも、それが、苦しい。
「でもさ………タキとオレが思い描く未来が、来年も再来年もこの先も、きっと違うから」
どちらかのために、どちらかが我慢をする……そんなことを続けていたら、きっといつか、大きなわだかまりになってしまう。それでも、きっと我慢して側にい続けるだろう。
オレは、タキと、そんな風になりたくない。
「京介」
「だから……オレのことは、忘れて」
「京介っ!」
プシューと音を立て、バスが止まった。オレはタキから逃げるようにバス停へ向かう。
「京介……」
ポツリと呼ばれたオレの名前。
目に溜まったものを知られたくなくて、オレは振り返らず言った。
「またどこかでバッタリ会ったらさ。その時は、笑顔で……な」
乗り込むとすぐに、バスは発進した。