翌日もその翌日も、俺は電車の時間を変更して瀬爪との交流を深めた。連絡先を知らずに後悔した次の日には彼の連絡先をゲットしたし、移動教室の際、廊下で彼の姿を見つけたら積極的に声を掛けた。あの日以来、瀬爪は田中とその友人の三人で行動を共にしていることが多く、話しかけやすいのもあるが、何より俺のセンサーが瀬爪に良く反応する。かなり離れた場所に居ても、あそこにいるな、と分かることが増えた。遠くの瀬爪を俺が見つける度に、矢島に「相当気に入ってるねぇ」と揶揄われるが、仕方ない。
 昨夜、坂口たちとのゲームが想像以上に盛り上がってしまい、本日は寝不足だ。いつもの時間の電車に間に合わず、瀬爪には会えていない。授業中、何度か船をこぐも、注意されることは無かった。しかし、とにかく眠い。授業と授業の十分休憩は机に伏せて眠ろうとしたが、坂口に無理矢理叩き起こされ、中庭の自販機について来いと強請られた。何度か首を横に振るも、奢ってやるから!一人じゃ寂しい!と小学生の様に駄々をこねる坂口が、煩く鬱陶しくて仕方がなかったため、重い腰を持ち上げる。大体、坂口も同じように夜更かしをしていて寝不足のはずなのに可笑しいだろ。
一方、矢島は俺と坂口よりもゲームに夢中で、一睡もせず時間を費やした結果、学校に来たのは良いものの、HRで直ぐに限界に達し、二限まで保健室でサボると教室から出て行った。相変わらずちゃっかりした奴だ。
 何度も欠伸しながら中庭まで向かっていると、坂口が急に「あ!」と大きな声を出すため、眠たい目を擦りながら「なんだよ」と彼を睨みつける。
「瀬爪と田中じゃん!」
 坂口が口にした名前を聞いて、目が覚める様に瞳孔が開いた。坂口は俺を置いて、後輩二人のところに駆け寄っていく。いつの間にか、田中は俺より坂口に懐いているようで「坂口先輩!新山先輩も!」と嬉しそうに笑って此方に手を振っていた。俺はおまけかよ、と苦笑するも、田中の横にいる瀬爪は坂口ではなく、しっかりと俺を見据えているようで、目が合う度に嬉しくなり、つい頬が緩む。教室でふて寝をしていたら彼には会えなかっただろう。坂口、ナイス。と心の中で礼を言った。決して口にはしない。
 坂口が自販機の前で田中と喋っているのを確認し、俺は自然と瀬爪の横へと行って、足をとめた。
「坂口と田中、いつの間にかすっげぇ仲良くなってんな」
「ああ。坂口先輩は、明るくて話しやすいからな」
「俺は、田中があんなに坂口に懐くなんて思ってなかったんだけど」
「同感だ」
 瀬爪は、ちらりと二人が楽しそうに話をしている姿を見て微笑んだ。俺はそんな彼の笑みをみて可愛いと思ってしまうため、大分重症らしい。
「今日は休みかと思っていた」
 瀬爪は二人の事を見ながら口にした。
「俺が?」
「朝、来なかっただろ」
 瀬爪の登校時間に俺が毎日合わせていただけで、一緒に行く約束をしているわけではなかった。だから、別の時間の電車に乗ることも連絡しなかったのだが、もしや。
「寂しかったか?」
 思い切って瀬爪の方を覗き込み尋ねる。俺にとって、彼の存在は大きなものだが、彼自身は俺をどう思っているか分からない節が多かった。嫌われていない自覚はあるが、とてもじゃないが心底好かれている気もしない。
 瀬爪は俺に視線を合わせると困ったように眉を若干下げた。
「言わせるなんて、先輩は狡いな」
 瀬爪はそう言うと、俺から視線を逸らして田中と坂口の方をまた見詰める。二人はどんな話をしているか分からないが、坂口がゲラゲラと笑い、田中が少し照れくさそうにしている様子から、坂口が田中を揶揄ったのかもしれない。平和な光景だ。
「まあ、瀬爪は俺が居なくてもなんとも思わなそうだけどさ」
「そう思うのか」
「うーん、そうじゃなきゃ良いとは思うけど」
 瀬爪が俺に会えなくて寂しいと思う様子が想像できない。一人になっても生きていけそうな彼は、何を考えながら人と関わっているのだろう。表情も乏しいため、思考が全く読めない。
「無意識的に、先輩の姿を探すくらいには寂しかったぞ」
 想像が出来ないと思った矢先の言葉に、思わず耳を疑う。
「え、」
「俺も人の事は言えないな。言葉を借りるなら、どうやら相当懐いているらしい」
 表情に出ない代わりに、彼が口にする言葉は驚くほど真っ直ぐだ。
あまりの愛おしく可愛らしい発言に、わしゃわしゃと頭を撫でてやりたい衝動に駆られたが、なんとか制御し笑顔をつくる。
「まさか、瀬爪にそんなこと言われるなんて思わなかったな。照れちまう」
 はは、と己の髪に触れながらはぐらかす様に伝えると、瀬爪は「照れているようには見えないぞ」と小さく笑った。
 正直に言えば、嬉しさで可笑しくなりそうだったが、先輩の威厳を保つためにも極力大袈裟にリアクションしないように努める。効果があるかは微妙だが、やらないよりはいいだろう。
 でも、そうか。瀬爪も少しは俺に情を覚えてくれたか。
胸をくすぐる感情に表情もつられて緩む。ポーカーフェイスを保つことは難しい。時折、瀬爪が羨ましく感じる。
「新山、ほい。コーヒーで良いよな?」
 いつの間にかこちらに近づいてきた坂口が、缶コーヒーを軽く投げてくる。そういえば、自販機についてきてくれたら奢るだの言っていたな、と思い出し、缶コーヒーをキャッチしてありがたく受け取った。
「サンキュ」
「いーえ。あれ、瀬爪もコーヒー飲む感じ?」
 坂口は俺にコーヒーを渡した後、瀬爪に向かって問いかけた。俺も気がつかなかったが、瀬爪は右手に缶コーヒーを握っている。ずっと腕は降ろされていたため、俺の視界には入らなかった。俺が良く飲む缶コーヒー。瀬爪も同じものが好きなのか、と頬がまた緩む。
「瀬爪くん、最近ソレばっかりだよね」
 田中がにこにこと笑みを浮かべながら、瀬爪の横へと立った。
 瀬爪は手に持っていた缶コーヒーを少し持ち上げ、胸の高さくらいの位置で見詰めると、小さく笑って俺の方を見た。
「格好いいと思った男が、いつもこれを飲んでると聞いた。ただの真似事だ」
 じわじわと体温が上昇しいていくのが分かる。
「まだ、俺には少し苦い。いつか美味いと感じられるといいなと思っている」
「ですってよ、先輩」
 田中が得意気な顔をして此方を見たかと思えば「あ、授業始まっちゃう。瀬爪くん行こう!先輩たちも、また!」と瀬爪を連れて駆け足で校舎へ向かってしまった。
 取り残された俺は溜息を吐き、坂口はそんな俺をニヤニヤとした気持ち悪い笑みで見詰めてくる。
「新山センパイ、格好いいってさ」
「あ~、もう。お前、マジ煩い」
 最近は瀬爪に感情を容赦なくぐちゃぐちゃにされることが多い。落ち着いたかと思えば爆弾を落とされるため、少しは手加減してほしいものだ。退屈だと窓の外を眺める暇があれば、瀬爪の事を考える様になってしまった。間違いなく重症だ。医者に尋ねたい。この病の原因は一体なんですか、と。
 俺たちもそろそろ教室に戻ろうと足を進めた時、坂口が「自販機、ついてきて良かっただろ?」と自信満々に笑う。そのせいで、心の中に留めておこうと決めていた礼を結局口にすることになった。