六月の中旬、外は連日雨が降っている。俺の髪は湿気に弱いのか、あまり言うことを聞いてくれない。瀬爪に褒められたヘアセットだって、朝は調子が良いが午後から様子がおかしくなる。ノーセットが楽だが、それでも朝早く起きて髪をセットしてしまう。理由は明白で、最近俺の跳ねさせた髪に触れながら「今日はバニラの香りか」とヘアワックスの香りを朝から当てる瀬爪が可愛いから、という重症にも程があるもの理由だった。嗅覚が良い瀬爪は、正確に香りを当ててくる。「正解。凄いな」と褒めれば、若干だが頬を緩めて笑うのだ。可愛いにもほどがある。
 本日も髪の調子を気にしながら、教室の端で坂口、矢島と共に弁当を食べ、普段通りの昼休みを過ごしていると、以前隣の席だった長野に声を掛けられた。
「新山、大川先生が呼んでる」
「大川先生?」
 教室の入り口を長野が指さすため目で追えば、そこには大川先生がひらひらと控え目に手を振りながら立っていたため、俺も席を立ち、長野に礼と坂口達に断りを入れ先生の元へと向かった。
「大川先生、急にどうしたんスか」
 呼び出される心当たりも無かった。大川先生の授業はもう受けていないし、何か盛大にやらかした覚えもない。もし、とんでもない事をやらかしたのだとしたら、大川先生ではなく担任の和田から通達が来るだろう。
「ほら、まだ礼をしてなかったじゃろ」
 大川先生はにこにこと笑いながら、ポケットから二枚の紙を取り出した。差し出され受け取れば、映画のペアチケットだ。有効期限は来月までだが、全国展開されているシネマのチケットで、係員に渡せば席が空いている場合、どの映画をどの時間でも無料で観られるという優れモノ。
「礼って、もしかして地図の?」
「そうじゃ。遅くなってすまんかったな」
 一ヶ月ほど前の出来事で忘れかけていたが、大川先生に頼まれて資料室から世界地図を瀬爪と探したことを思い出す。あの資料室での出来事は、俺と瀬爪の距離を縮める良いきっかけになり、彼の新たな一面も知れたため、寧ろこっちが感謝したいくらいだった。本来なら、大した手伝いもしてないので、と断りを入れる場面かもしれないが、瀬爪を映画に誘い、休日に会う口実が出来るため二つ返事で有難く受け取ることにした。
「ありがとうございます。でも、俺に渡さずに瀬爪に渡してくれれば良かったのに。彼奴のクラスの授業、先生受け持ってますよね?」
 薄い紙を大事に両手で持ちながら尋ねれば、先生は笑いながら応える。
「勿論、その方が良いと思って先に瀬爪くんに渡したんじゃが。彼が新山くんに直接渡してほしいと言ってきてな」
「え、なんで」
「確か…『新山先輩は、俺以外の奴と行きたいかもしれないから先輩に渡してくれ。俺からチケットを二枚渡したら、先輩は優しいから無条件で俺を映画に誘うだろ。それに、地図を見つけたのは新山先輩だから、先輩が心から楽しめ相手と行った方が良い。俺には役不足だ』みたいなこと、言ってたのお」
「は…?」
 ぐっとチケットを持つ手に力が入る。皺が入っただろうが、今は気にしていられない。平生を保とうとするも、かなりショックで視線が定まらず揺らぐ。
 俺は、瀬爪と一緒に居る時が幸せだと感じているのに、彼には一ミリも伝わっていなかったのだろうか。楽しいと心から思っているというのに、優しさから面倒をみていると思われていたのだろうか。特別だと、心から彼に伝えたのに。
 虚しいな、と乾いた笑いがでるが、大川先生は変わらない佇まいで俺を見詰めている。その視線は何故かすごく温かく、孫を見据えるようだった。
「新山くん、君が瀬爪くんを誘いたければそうすればいい。君がこのチケットを私に戻し、瀬爪くんにやっぱり渡してほしい、と言うなら私はそれに従うぞい」
 強張っていた体の力を抜くように呼吸をし、貰ったチケットを制服のズボンのポケットへとしまう。大山先生の表情は、先ほどよりも柔らかく微笑んでいた。
「いいです。俺から誘います」
「そうかそうか。なにはともあれ、手伝ってくれて助かったわい。そこにいる坂口くんに、社会科の勉強はサボるんじゃないぞ、とついでに伝えておいてくれ」
「はい。ありがとうございました」
 先生は片手でひらりと手を振ると、そのまま去っていった。
 数秒その場に立ち尽くし、ポケットに入れたチケットの存在を確かめる様に布越しに掌で撫でる。少し皺が入ってしまったが、特に問題は無いだろう。
「悪い、ちょっと瀬爪のとこ行ってくる」
 教室の端に居る二人に声を張れば、了解と返事が返ってきたため、教室を出て一年の教室がある四階へと向かった。
 一年から「三年生が居る」と囁かれ、視線を感じながらも、三組の後ろ側の扉から中を見渡す。端から端まで生徒を見るも、瀬爪の姿は勿論、田中たちの姿も見えない。自販機か食堂にでも出かけている可能性もあるな、と踵を返そうとした時、柔らかな声が聞こえた。
「新山先輩?」
 振り返ると、探していた瀬爪の姿があり、その後ろには田中たちが居る。彼は手に缶コーヒーを持っていることから、自販機に行っていたのだろう。相変わらず、苦手なのに俺の真似をして缶コーヒーを買っているのだろうか。思わずほほが緩むが、気持ちを入れ替え冷静に身を引き締めた。
 察しのいい田中とその連れは、瀬爪を残して先に教室に入っていく。坂口とは大違いの気の利く態度に感心した。
一年の教室にわざわざ現れた俺の存在を、瀬爪は不思議そうに見つめている。
「これ」
 ポケットから先ほど大川先生に貰ったチケットを取り出し、瀬爪に見せつける。
「ああ、受け取ったのか」
「俺が受け取ったから、俺が好きなように使って良いんだよな」
 瀬爪はチケットに視線を向けると、「問題ない」と頷いた。
「だったら、俺はお前を誘う。映画、一緒に観に行こう」
 こうなったら己の好きにしてやると、半強制的に約束を取り付けることにした。大体、瀬爪は優しいのか遠慮がちなのか知らないが、俺が他の奴と一緒に居る方が楽しいだろうと解釈していたことに腹が立つ。一回怒鳴ってやろうかと息を吸ったが、俺を見詰める瀬爪の瞳が綺麗に揺れていたため、苛立ちも何もかもが一瞬で浄化されるように消えてゆく。
「いい、のか。俺で」
「お前が良い。だから誘いに来た」
 若干震える瀬爪の声。彼の中にも葛藤があったのだろうか、俺に気を使って沢山悩んだ結果が俺にチケットを託すことだったのかもしれない。そうであるなら、とんだ不器用で可愛い奴だと思う。
「此処まで来させて悪かった。本当は、俺が先輩に言えば良かったんだが」
「いいって。お前が不器用ってことくらい十分知ってるからさ」
 罪悪感もあるのだろうか、しおらしくする瀬爪の頭を数度、ぽんぽん、と優しく撫でる。柔らかい髪が掌に馴染み心地いいが、ずっと撫でるものでもないと思い、手を離して最後に肩を優しく叩いた。
「日程は後で連絡する。昼飯、ちゃんと食えよ」
「ありがとう、先輩」
「はいよ。じゃあな」
 軽く手を振りながら去ろうとすると、瀬爪はぎこちなく手を肩付近まで上げて、小さく手を振り返した。恥ずかしかったのか視線を逸らすのが微笑ましくて、俺は思わず笑ってしまう。愛しさを感じながら軽やかに階段を降りていると、周囲をちゃんと見ていなかった俺は、偶然だが山本にぶつかってしまい、彼女に謝っているところを、これまた偶然坂口に見つかって、煩いくらいに問いただされたことは言うまでもない。





 後日、互いに日程を確認し、折角なら放課後ではなく休日に遊びにこうと誘うことに成功した俺は、デートだと勝手に浮かれた結果、集合時間の二十分前に指定の駅に着く勢いだった。
大川先生から貰ったチケットが使える映画館が、なんと瀬爪が利用している最寄り駅付随のショッピングセンターの中にあるらしく、改札前に午後二時に待ち合わせることになった。このままでは早く付きすぎて落ち着かないだけだろうなと電車に揺られながら思う。
 窓に反射する己の姿を必要以上に何度も確認してしまう。母親には格好いいとお墨付きをもらったが、身内の評価など真に受けてはいけないだろう。調子に乗って前髪もセンター分けにしてみたが、何も反応が無い可能性もある。軽く前髪をかきあげてみるが、キザな男の様で格好悪い。正解がわからぬまま悩んでいると、いつの間にか目的地に到着していた。
 改札を抜けて右手側にパン屋がある。その付近で待ち合わせようと事前に決めていたため、近くに立っている太い柱に背を預け、落ち着きのないまま最低でも後十分は現れないだろう瀬爪を待つ。真っ黒なスマートフォンの画面に反射する己の髪型を今一度確認し、全体を見下ろす様に服装もチェックする。気に入っている柄シャツは、治安が悪い男のような厳つい雰囲気になるため断念し、万人受けする、ゆったりとした白いTシャツに淡い色のジーパン。首元が寂しかったため、シルバーのロングネックレスと右手にもシルバーのブレスレットを付けたが、果たして正解かが分からない。髪型や服装一つにこれほど悩むとは思わず、疲労感もあるが、それを超越するくらい楽しい時間でもあった。自分以外の誰かの事を考えながら着飾る事が幸せだと感じることを覚えてしまったせいで、これからは服にも更に金を投入することになりそうだ。
「あの、」
 まだ此処に来て二分も経っていないだろう。目の前には露出度の高い服を身にまとった女子二人組が立っていて、どうやら俺に声を掛けているようだ。
「どうしました?」
「待ち合わせですか?すごく格好いいなって思って」
「良かったら、一緒に何処か行きませんか?」
 どうやら逆ナンのようなものらしい。彼女たちは視線を合わせながら、俺の返答を待っているようだ。残念ながら、俺は彼女たちに時間を費やしている暇は無いため、やんわりと断る様に苦笑いを浮かべる。
「もうすぐ連れが来るんです。だから、ごめんなさい」
 しっかりと断ったつもりだが、彼女たちはこの場から立ち去ろうとはしなかった。しつこく連絡先だけでも、とぐいぐい迫って来る。待ち合わせ時間より早く来すぎた事で、これほどまで後悔するとは思わなかった。スマートフォンで時刻を確認しても、まだ十五分以上前である。面倒なのに捕まったな、と眉を下げた瞬間。
「新山、先輩」
 普段より少しボリュームを上げた瀬爪の声が聞こえ、反射的に声の方へと振り向けば、数歩離れた場所に瀬爪が居た。
 美しい海のようなブルーのTシャツに真っ白のズボンを紺色のベルトで縛っている。大きめの制服に身を包んだ姿しか見たことがなかったため、新鮮かつ大人っぽく見える休日の彼の姿に目が釘付けになった。
 横に居た彼女たちの存在など頭から消え、瀬爪の方へと駆け寄る。
「瀬爪、お前来るの早いな」
「新山先輩こそ、早すぎる」
「いや、俺はまあ…今来たところだし?」
 笑って見せれば瀬爪も表情を緩める。行こうぜ、と肩に手を回した時、完全に放置していた彼女たちの甲高い声が鼓膜を刺した。
「待ってよお兄さん!男の子と一緒ならいいじゃん!」
「その後輩くん?も可愛いし、四人でどう?」
 まだ懲りずに詰め寄ってこようとする女子二人組を軽く睨みつける。先ほど優しく断ったにも関わらず、まだしつこく関わって来るなら話は別だ。それに、今は横に瀬爪が居る。尚更、彼女たちに構う時間は無い。
「悪いけど、特別な子なんだ。引いてくれ」
 今度こそ瀬爪の肩を抱き、連れ去る様にこの場を離れた。流石に彼女たちも追ってくることは無く、安堵の息を漏らす。しかし、もっと普通に待ち合わせのやり取りを楽しみたかったこともあり、やるせなさが残った。
「ごめんな、変なのに捕まっちまって」
 ショッピングセンターの方へと移動しながら組んでいた肩を解き謝罪すると、瀬爪は首を横に振った。
「新山先輩は格好いいからな。ああいうことも多いんだろ」
「ん~…ぼちぼち、ってとこだな」
 否定するのも肯定するのも難しく、曖昧な返事になってしまったが、瀬爪は納得したかのように頷き、ピタリと足をとめる。
「瀬爪?」
 一拍遅れて足をとめた俺は、急に立ち止まった瀬爪を見詰める。彼は俺のセットした前髪に手を伸ばし軽く触れた。
「いつもと、全然違うな」
 優しく髪に触れた手は直ぐに離れてしまい、名残惜しく感じる。
「いつもの方がいい?」
「今日の髪型も格好いい。新山先輩はなんでも似合う」
「お前に褒められるのが一番うれしい」
「俺に?」
「そう。だって今日は、お前に格好いいって言われたいがためにセットしてるからな」
「…そうか。本当に、良く似合っている」
 瀬爪はそう告げるとまた足を進めだしたため、俺も同じペースで歩く。第一関門である格好いいを突破したはいいが、瀬爪の表情は少し硬い。
「瀬爪、なんか表情硬いぞ。嫌な事でもあったのか?」
 不安になり尋ねても、瀬爪は首を横に振る。表情の変化で彼の感情を読み取るのは不可能に近いため、言葉にしてくれるのを待つしかない。
 数秒の沈黙後、瀬爪は小さく息を吐くと、自分でもどんな顔をしていいか分からないのか、ぎこちなく笑い、不安げに瞳を揺らした。
「俺はどんな見た目の新山先輩も好きだが、格好良くなりすぎると、手が届かなくなりそうで、我儘だが少し怖い」
 あまりにも可愛いすぎる発言に、抱きしめたくて堪らない衝動に駆られる。彼は俺を喜ばせる天才なのかもしれない。
「お前はホント、可愛い奴だな全く」
寸のところで抱きしめたいという衝動を、頭を撫でるまでに押しとどめた。彼の髪を多少豪快にわしゃわしゃと撫ぜると、「先輩、くすぐったい」と彼が笑う。その顔が凶悪なほど可愛かった。狡い。


映画は、今話題のアクション映画を観ると決めていたため、上映時間までにポップコーンやドリンクを買う。ポップコーンの味は何が良いかと尋ねると、少し躊躇いながら「キャラメルがいい」と口にする瀬爪は最高に可愛かったし、飲み物も悩みながら「コーラにする」とメニュー表を指さす姿が可愛かった。その度、自分が重症であることを再確認し、同時に幸せだとも思う。勿論、ポップコーン代等は先輩の意地で俺が出し、大川先生から貰ったチケットを渡して中に入った。席は周りの視線が気にならない一番後ろを抑えたが、吉と出るか凶と出るか。
意外とアクションものが好きらしい瀬爪は、真っ黒で、まだ予告も流れていない画面を真っ直ぐ見詰めながら瞳を輝かせる。
映画を観るよりも瀬爪の表情を見ている方が楽しいだろう。予告が始まってからも、瀬爪は食い入るように画面を見ては、偶に小声で「先輩、コレも面白そうだな」と報告してくる。今日観る映画は公開から時間が経っていることもあり、客は少なく、俺たちの周りには誰も人がいないため、そこまでヒソヒソと話す必要も無いのだが、可愛いため特に指摘はしない。
本編が始まると、瀬爪はポップコーンを食べる手を完全に止め、映画を真剣に観ていた。
映画後半、主人公の乗るヘリコプターが急に爆発するシーンが壮大で、視覚は勿論、爆発音もかなり大音量で思わず驚く。瀬爪の様子が気になり、ちらりと左隣に座る彼を見れば、不安そうな瞳で主人公たちの行く末を見守っていた。なんだか可愛くて思わず小さく笑うと、俺の異変に気付いた瀬爪が此方を向いた。俺の表情を見て少し不貞腐れるように唇を尖らせ、「俺はビビってない」と告げて来る。意地を張っているのだろうか、そんな姿も俺にとっては可愛い要因になってしまうため、彼の頭を軽く撫ぜては直ぐに離し、映画に集中することにした。
二枚目俳優がビルからビルへと豪快に弾を避けながら飛び移るアクションシーンは圧巻だったが、それ以外のシーンは正直良くも悪くも無い王道展開だった。決して悪い酷評を受けるような作品ではないのだが、映画評論家がこぞって勧めたくなるような作品でもなかった。星評価でいうところの、星三が妥当だろう。
半分程度残っているポップコーンを抱きしめながら、エンドロールが終わって明かりがついた今でも、瀬爪は真っ直ぐ画面を見詰めている。
「面白かったな」
 嘘ではない。エンターテイメントとして成り立っていたし、王道だったが感動もした。ゆっくり立ち上がっても、瀬爪はまだ画面を見ている。
「映画館、初めて来たんだ」
 真っ直ぐな瞳が映す大きなスクリーン。確かに、初めて来たのなら巨大な液晶画面に臨場感のある大きな音、映画館特有の独特な雰囲気に気持ちが昂るのも分からなくはない。
「そっか、初めてか。どうだった?」
「凄いな、視覚と聴覚からの刺激が楽しかった」
 瀬爪は漸くゆっくりと立ち上がると、柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、先輩。連れてきてくれて」 
「礼は、先生に言ってくれよ。俺はただ、お前と一緒に居たかっただけだからさ」
 明かりがついているとはいえ、映画館の照明は薄暗い。彼の笑顔をもう少し目に焼き付けたかったが仕方がないだろう。きっと、またこの笑顔に触れるチャンスはある。
 夕食も一緒にと誘いはしいたが、彼の母親は極度の寂しがり屋らしく、夕食はいつも二人で食べているからと断られた。父親が亡くなり、瀬爪の母親には瀬爪しかいないのだろう。そんな大切な彼を半日借りてしまった事に罪悪感もあるが、貴重な彼の休日を俺に割いてくれたことが素直に嬉しかった。
「今度、家に来てくれ。母さんもきっと喜ぶ」
 まさかの誘いに驚きを隠せないが、家に誘われるほどに心を許してくれていると思うと、頬がだらしなく緩む。
「瀬爪のお母さんか、会ってみたいな。美人そうだ」
 彼の美しい瞳を見れば、母親の美しさも容易に想像できる。
「美人かどうかは分からないが、料理は上手い」
「マジか、最高だな。気に入られて家にしょっちゅう呼んでもらえるようにしねぇと」
「新山先輩が母さんに気に入られない、なんてことは絶対にないだろうな」
 いつの間にか改札前まで歩いてきてしまい、別れの時間が刻一刻と近づいている。気に入られないわけがない、と断言する瀬爪に笑いながら何故かと問えば、瀬爪は少し照れくさそうに微笑む。
「母さんは、俺の気持ちを一番に大切にしてくれる。だから、俺が好きな相手だと言えば、問答無用で母さんは新山先輩のことも自分の息子みたいに扱うだろう」
 好きな相手。突然落とされた爆弾言葉に動揺が隠せず、心臓がバクバクと鳴る。煩い。煩い。煩い。この高鳴りを止める方法が分からない。
「新山先輩、俺も先輩が特別だ」
 瀬爪は美しく微笑む。
「先輩がこの前言ってくれた様に。俺も、先輩が特別だ」
 伝わる。瀬爪の温かく真っ直ぐで、純粋な眩しい思いが俺を突き刺す。
 なのに、まだ欲しい。特別ってどういう特別なのか。先輩として、友人として、男として。一体、瀬爪が俺に抱く特別がどこに値するのか、どの程度の価値なのか。知りたいのに、知るのが怖い。
 抱きしめたい。今すぐ目の前にいる彼を抱きしめて好きだと叫びたい。なのに、あと一歩が物凄く遠い。先輩として誰よりも俺を慕ってくれているなら、その理想の格好いい新山彩季を壊したくはない。
 結局、決断力のない俺は、答え合わせを先延ばしにすることを選択してしまう。
「ありがとな、瀬爪。また二人で行こう」
「ああ、約束だ」
 約束は守るためにある。果たすためにある。そう言っていた瀬爪を思い出し、俺は自然と笑みがこぼれた。
 瀬爪と別れ、また電車に揺られながら、窓に反射する己の姿をぼんやりと見詰める。間抜けな面だ。瀬爪に抱く心中を彼に知られたら、幻滅されてしまうのではないかと怯える、不安げな顔は見るに堪えない。同じ車両に、ペアルックをしているカップルが席に座っており、彼女が彼氏の肩に頭を預け、気持ちよさそうに眠っているのが視界に入った。彼氏は時折、眠る彼女を愛おし気に見詰めながら、スマホを弄っている。
 瀬爪が安心して体重を乗せられるような人間になりたいと、そう思う。傍にいると落ち着いて、息がしやすいような存在に。そして、髪や頬を撫でながら、彼に好きだと伝えられたらそれ以上の幸せは無いだろう。