「オレ、ちょっと返事しに行ってくるから」
放課後になって顔を合わせた千蔵は、開口一番に俺にそう告げてきた。
一瞬なんの話かわからなかったのだが、その手には今朝渡したあの封筒があったので、告白の返事をしに行くのかと理解する。
「……おう、行ってこい」
呼び出し場所らしい方角へと向かっていく千蔵を見送ると、俺は大きく溜め息を吐き出してその場にしゃがみ込む。
事情を知らないクラスメイトがどうしたのかと俺を見ているが、今はそちらを気に掛けている余裕もないのが笑えてしまう。
(付き合うってなったら、俺邪魔だよな)
彼女は同じ路線の利用者だったようだから、これからはきっと千蔵と一緒に登下校をすることもなくなる。
王子だからと始めは距離を置いていたけれど、今なら女子たちが千蔵を見て騒ぐ理由もわかると思った。むしろ見る目がありすぎる。今まで特定の相手がいない方が不思議だったのだ。
(……帰るか)
別に待っていろと言われた覚えはないし、恋人になるなら今日から一緒に帰りたいだろう。変に気を使わせるのも嫌だと思った俺は、千蔵を待たずに足早に学校を後にした。
(おめでとうとか、言うべきだよな。一応)
友達として祝いの言葉を述べるのは別に不自然なことじゃない。二人並んで電車に乗る姿を想像すると、お似合いだとすら思う。
俺だって高校生活の中で彼女を作って青春を謳歌するんだと、人並みに考えたことだってある。その青春が、千蔵に一足先に訪れたというだけだ。
だというのに、最低な自分も胸の内に存在しているのは事実だった。
(……千蔵なら、断るんじゃないかって……なんで思ったりしたんだろうな)
他人に興味関心が無いと言っていた千蔵。まるで隣にいる自分だけが特別扱いを受けているような、自分勝手な錯覚を起こしていたのかもしれない。
慣れた道のりが長く感じられたが、ようやくたどり着いた駅のホームで電車を待つ。
やがて滑り込んできた電車のドアが開かれると、そこに踏み込もうとした瞬間、俺は覚えのある息苦しさを感じて足を止める。
(っ……なんで、だよ)
指先が冷たくなって震えるのを感じた時には、俺はすでに過呼吸を起こし始めていることに気がついた。
慌てたところで自分を守るためのヘッドホンは首元にも鞄の中にも無い。落ち着いたと思っていたのに、千蔵が隣にいないだけでこれなのか。
(情けねえな、俺)
今日までのことはすべて千蔵の厚意で成り立っていたものだ。アイツが他を望むなら、いつでもこの関係性は解消されるものだった。
千蔵に甘え続けてはいられないと思うのに、どうしてここにいないんだとも思ってしまう。
(ダチって、こんな風だったかな……)
息苦しいし頭の中もぐちゃぐちゃで、とにかく早く家に帰らなければ。その思いだけで俺は震える脚で無理矢理にでも電車の中に乗り込もうとする。
「橙ッ……!!」
その瞬間、俺の身体は力強い腕によって後方へと引き戻される。
何が起こったのかわからなくて振り返った先には、らしくないほどに大きく息を切らした千蔵の姿があった。
「え、千蔵……なんで……?」
「ここ、邪魔になる」
なんだか怒っているようにも見える千蔵は、短く告げると俺の腕を引くのでホームの隅へと移動を余儀なくされる。
「なんで一人で帰ったの?」
「な、なんでって……手紙の子に返事しに行っただろ」
「そうだよ。断りに行っただけなのに、なんで待っててくれなかったの」
「え……断ったのか……?」
千蔵がどうして怒っているのか理解はできなかったが、まさかの言葉に俺はそちらに食いついてしまう。
「当然でしょ、好きでもない子とどうして付き合うの?」
「いや……だって……」
あまりにも正論を向けられると言葉を続けられなくなってしまうが、そういえば手を握られたままだったことに気がついて、俺は腕を引こうとする。
けれど千蔵が逆に力を込めてくるので、手を離すことは叶わなくなってしまった。
「……あのさ、橙はオレと一緒にいるの嫌?」
「え、嫌じゃねえけど」
「……そう。それならさ、ちゃんと聞いてほしいんだけど」
「ああ……?」
いつになく真剣な表情で俺を見る千蔵に、なんとなく背筋が伸びてしまう。
「オレにとって、家族以外でいま一番大事なものを決めるとするなら、橙なんだ」
「え……俺……?」
「そう。だから変な気遣いとかしないで、嫌じゃないならそばにいて」
まるで愛の告白でも受けているのかと錯覚するほど、千蔵はまっすぐに想いを伝えてくる。
(まだ……一緒にいてもいいのか、俺)
彼のためだと思っての行動だったけれど、結果的に余計な世話を焼いただけになってしまったらしい。
「…………わかった」
そのことを反省するにしても、どうしたって消しきれない感情がそこに残る。
(……嬉しい、とか……最低だな、俺)
見知らぬ彼女の想いは無下にしてしまったけれど、まだ千蔵と離れる必要はないらしい。
そう思うだけで、握られていた指先はいつの間にか温もりを取り戻していて、俺は気持ちが一気に軽くなっていくのを感じていた。