「ちょっとお姉ちゃん、蒼葉(あおば)のこと見てて」

 一番下の妹が産まれたのは、私が小学校に入学して2ヶ月が過ぎた頃。「彩葉・双葉・蒼葉」語呂のいい名前をつけられた私たち三姉妹は、40歳で未亡人になった母に育てられた。
 いつから「お姉ちゃん」と呼ばれるようになったんだろう。「彩葉」と名前で呼んでくれた父を何度も懐かしく思った。

 「お姉ちゃん洋服貸して〜」
 「お姉ちゃん宿題教えて〜」
 「お姉ちゃん今日の夕食頼んでもいい?」

 「いいよ」
 「いいよ」
 「いいよ」


 そう返しているうちに、しっかりしていて頼れるお姉ちゃんになっていた。親戚の集まりでも、ご飯の準備をしていると、「さすがお姉ちゃんね」と褒められた。先生から返ってきた日記帳にも、「彩葉さんが長女で妹さんも嬉しいね」と書いてあった。
 小学校の頃、欲しいおもちゃがあって母に相談すると、

 「お姉ちゃんなんだから、我慢しなさい」

 そう言われた事があった。でも次の日お母さんと買い物に出掛けていた妹は、ぬいぐるみを買って貰っていた。

 長女はしっかりしている。我慢強い。面倒見がいい。優しい。

 中学の頃に流行していた「兄弟姉妹の説明書」と言う一覧には、そう書かれていた。

 相性のいい人は、末っ子。つい面倒が見たくなる、母性本能が働く、可愛がりたくなる。

 うちの学校ではそれがひどく流行っていて、「お前長女だっけ?」と聞かれる事が多く、好きなタイプは?と聞かれて、「長女・長男」「真ん中」「末っ子」とそれだけで答えている人もいたくらいだ。

 幼少期から「甘える」とは正反対な生活をしていたからか、私はいつからか「末っ子」に憧れるようになった。好きな人には、頼られるんじゃなくて、頼りたい。好きな人には、甘えられるんじゃなくて、甘えたい。一番下の妹の立ち回りを見ては、羨んでいた。


 そんな私の願いを叶えたのは、高校生になって偶然知り合った、朝倉冬磨先輩だった。2年も上の先輩と関わるタイミングなんてほとんどないけれど、私たちの出会いは、自動販売機の前だった。



 「美羽、私飲み物買ってから行くわ!」
 「はーい」

 美羽とは高校に入学してすぐに仲良くなった。席が隣だったからだ。美羽から話しかけてくれて、好きな音楽が一緒ですぐに意気投合した。部活に入っていなかった私たちは放課後も毎日一緒に過ごしている。

 「やば、あと3分だ」

 いつものいちごミルクを買って、急いで移動教室へと行こうとした時、勢いよく振り返ってしまった私は、並んでいた人と肩がぶつかった。
 私はいちごミルクを落としてしまって、その人はコーヒー牛乳といちごミルクを落とした。

 「すいません!」

 自分のいちごミルクを拾うと、

 「いや、こっちこそ!」

 そう言って、その人は持っていた二つの紙パックを拾った。そして立ち上がった時、私たちは初めて目が合った。頭1個分くらい離れている身長の違いに、心臓が鳴った。

 「あ、これ俺が全部飲むんじゃないよ?友達の!」
 「へ?」
 「あれ、この人こんなに飲むの?!の顔じゃなかった?」
 「いや、別にそんな事思ってない…です」

  制服についているバッチの色を見て、瞬時に敬語に切り替えた。2個上の先輩と関わったのはその時が初めてだった。

 「そ?ならよかった。いやー買い忘れてさ、レモンティー」

 先輩がレモンティーのボタンを押すと、ガコンッと音を立ててペットボトルが出てきた。先輩が取り出そうとした時、チャイムが校内に響いた。

  
 「やっべ」
 「やば」

 2人して廊下を駆け足で進む。「どうして知らない人と、一緒に走っているんだろう」とおかしくて笑いそうになった。

 「じゃ、俺こっちだから!」
 「あ、はい」

 手が離せない先輩は、進行方向に頭をコテンと傾け、そのまま走って行った。最後に、名札を見ようとしたのに、先輩の制服には名札がついていなかった。校則なのに…と少し残念に思ったのを覚えている。
 1分遅れで教室には入ると、どうやらまだ先生が来ていないみたいで、命拾いをした。席に座り小さいため息を吐いた時、持っているいちごミルクに何か書いてあることに気がついた。

 [最後の夏!!頑張れ!!]

 …いやいやいや、絶対あの人のじゃん、とさっきぶつかった時の事をよーく思い出してみると、間違えて落ちたいちごミルクを拾ったのは私だった。

 「うーん、飲めない」

 休み時間の時、飲むか飲まないかを迷っていると、美羽が肩をポンッと叩いてきた。

 「何してんの?」
 「ん?別に何も」
 「じゃあさ、ちょっと来て」


 私はいちごミルクを机の上に置いて、美羽に着いて行った。
 運動場が丁度見える多目的ルーム。そこにはたくさんの女の子が居た。

 「げ、何これ」
 「いいから来てって」
 
 美羽に腕を引っ張られながら窓を覗くと、3年生の男子が体育の準備をしていた。

 「ほれ、どうよ」
 「どうって?」
 「かっこよくない?!3年生!!」
 「うん?」
 「これ、みんな3年の相澤先輩たちの事見に来てるんだよ」
 「すご…」

 横にいる女の子たちを見てみると、学年がバラバラだ。こんなに人気があるって誰よと、再び窓の外に視線を向けてみる。

 「あ…」
 「ん?何」
 「あの人…」
 「誰!」
 「あの、ジャージ腰に巻いてる人」
 「あー朝倉先輩ね〜、そうかー、彩葉はそっち派か〜」
 「そっち派って?」
 「相澤先輩か、朝倉先輩か!なんでもあの2人、幼馴染なんだってさ!幼馴染でイケメン…そりゃ比べられるよね〜」
 「なんだそりゃ」
 「私は断然相澤先輩派だな〜」

 美羽はそう言って顎に手をつけながら運動場を眺めた。どうやらもう既に惚れているみたい。
 朝倉って言うんだ…。私は、朝倉先輩派だな…。ケラケラ笑いながらボールを蹴っている先輩を見ながらそんな事を思った。
 

 「あ、昨日の!」

 次の日、いつものようにまたいちごミルクを買いに自動販売機の前にいた。いちごミルクを取り出した時に聞こえた大きな声に振り向くと、朝倉先輩が後ろに立っていた。

 「あ…」
 「昨日授業間に合った?」
 「はい、先生が丁度来てなくてギリギリ」
 「いーなー、俺しっかり注意された、しかも珠センだったから運悪かった〜」
 
 珠センとは珠紀先生の略称。女性なのにものすごく怖いとこの学校では有名だ。

 「大丈夫だったんですか」
 「大丈夫大丈夫、俺仲良いから!」
 「…ならよかったです」
 「いちごミルク好きなの?」

 私の持っているいちごミルクを見たのか、先輩はレモンティーのボタンを押しながら質問をしてきた。

 「え?はい…って、あ!昨日の!!」
 「ん?」
 「あの…メッセージ!」
 「ああ!あれね!」
 「すいません、私が拾った時に間違えちゃったみたいで」
 「いや、いいいい!また書いて渡したし!」
 「あ…」
 「え、何、もしかして飲めなかった?気まずくて」
 「…はい」
 「うっわ、ごめんそれは!弁償する!って、もう買ってんのか…」
 「大丈夫です!勝手に飲まなかっただけなんで」
 「いやいやー、じゃあうーん…来週の月曜日この時間にここ来てよ!そん時に俺がいちごミルク買う!」
 「え…いいんですか…?」
 「もちろん、ちゃんと来ないと買わないけど〜」
 「じゃあ、ありがとうございます」 
 「おう!じゃあ来週な」
 「はい」

 朝倉先輩はそのまま私に背中を向けて帰っていった。と、思いきや、途中でクルッとUターンをしてまた私の目の前までやってきた。
 
 「名前は?」
 「…夏目彩葉」
 「おー、これからの季節にぴったりの名前だね」
 「夏ですもんね」
 「おう、俺は朝倉冬磨!」
 「…冬磨って、冬の?」
 「そう!俺ら正反対の名前してるな」
 「っふ、ですね」
 「じゃあ、てことで、はい!」
 
 朝倉先輩は大きな手を自分の胸あたりで広げた。

 「ん?」
 「ハイタッチ」
 「え、なんの」
 「来週の約束のハイタッチ、みたいな?」
 
 私は小っ恥ずかしいこの状況から早く抜け出したくて、強めにハイタッチを返した。

 「いたっ!あはは、じゃーな」

 レモンティーを片手にぶら下げ、もう片方の手をポケットに突っ込んで歩く後ろ姿を見ながら、「レモンティーが好きなんだ…」と小さい声で呟いた。


 その日、どうしてだか何をしていても朝倉先輩のことが気になった。昼休みに美羽の付き添いで多目的ルームに行った時も、もはや付き添いなのか分からなくなるほど、朝倉先輩ばかり見てしまう。

 「やば、朝倉くんほんとかっこいい…」
 「聞いた?朝倉くんの志望大学…東京医療総合大学だって!」
 「え?!?!そこってめっちゃ頭いいところじゃん」
 「そうなの、でもまあ朝倉くん頭いいし、いけるっしょ!お父さん医者だし!」
 「すごいなー、やっぱ噂通り彼女いるのかな」
 「いそう〜人懐っこいし年上の彼女いそう」
 「わかるー、ザ!末っ子!って感じだし、犬っぽいよね」
 「それで頭いいのが、ギャップだよね〜」
 「そうそう」

 
 隣にいる3年生の会話に耳を傾けてしまうくらいには、私は朝倉先輩に興味があるみたい。
 なんでだろう。かっこいいから?いちごミルク奢ってくれるって約束してくれたから?目が合った時に、吸い込まれそうになったから?人懐っこいから?私が、長女だから…?日曜日の夜、次の日の約束のことを思うと、月曜日と言う憂鬱な日が、楽しみで仕方がなくなった。



 よし、行こう!と席を立った時、先生に声を掛けられた。

 「夏目、これ運んでくれないか、数学係だったよな」
 「はい…わかりました」
 
 職員室にノートを運んで終わりだと思ったら、ただでさえ遅れているのに、先生の話が長いと言う不運に見舞われた。どうやって切り出したらいいか分からず、それでも無言で帰るわけにもいかずで、結局約束の時間に自動販売機の所へ行けなかった。職員室からの帰り、2階から自動販売機の場所を覗いてみたけれど、もう先輩はいなくて、ため息が出た。

 「はあ…」
 「どうしたの彩葉」
 
 授業が先生の都合で自由学習なり、真面目に勉強していたけれど、流石にため息がでる。

 「いや…さっきの休み時間に約束してたんだけど、先生のながーーい話のせいで間に合わなくて」
 「約束って?」
 「実は…」


 朝倉先輩との会話を美羽に話すと、

 「やばーーーーい!」

 と大きな声で言うもんだから、

 「しっ!うるさい!」

 と少し強く叩いた。


 「いつの間にそんなことになってるの」
 「別につい最近、ていうか先週ちょっとそんな感じで話したくらいだから、なんもないよ」
 「いやいや、あるね、てか彩葉がなんもなくても、外野があるのよ!だって相手はあの朝倉冬磨だよ?!」
 「うん」
 「いやー、強運だね、偶然にも自販機の前でぶつかるって…ドラマか!!」
 「ほんと、偶然だった。あの時はそんなすごい人?人気な人って知らなかったし」
 「いいな〜私も何かの間違いで相澤先輩と知り合えないかな〜」
 「美羽、それまじなの?」
 「それって?」
 「相澤先輩…好きなの?」
 「好きだよ!」
 「ち、が、う!恋愛として!」
 「うーん、恋愛というか憧れ?眼福〜!みたいな」
 「そう…」 
 「好きになったところで敵は多いからね〜」
 「うん、まあ、そうだよね?」
 「何、朝倉先輩が気になるの?」
 「いや?そんなことはないけど…」
 「ふ〜ん」
 「ほんとにないからね」
 「はいはーい」


 
 授業が終わり、昼休みになった。そういえば、今日はいちごミルクを飲んでいない。あの時、あそこに行けなかったからだ。

 「美羽、ちょっといちごミルク買ってくる〜」
 「はーい」

 鞄から財布を取り出そうとした時、教室がザワっとうるさくなった。

 「彩葉、彩葉」
 「ん?」
 「来てる」
 「え?」

 教室の前の扉に、背の高い3年生が2人。相澤先輩と、…朝倉先輩だ。流石に1年生でも存在を知っているからか、クラスの女子たちの目を釘付けにしている。

 「あ!いた」
 
 朝倉先輩は私に向かって手招きをした。クラスの視線を全身で感じながらも、恐る恐る近づく。もしかして、さっき行かなかったこと、怒ってる…とか?

 「あの、すいませんさっき…」
 「ほい!」

 目の前に現れたのは約束をしていたいちごミルク。わざわざ教室まで持ってきてくれたんだ。いや、有難いけど…、目立ち過ぎて迷惑みたいなところあるな。

 「あ、ありがとうございます。なんですけど、わざわざ教室まで来なくても…」
 「なんで?約束じゃん」
 「そうなんですけど、目立ちます…」
 「え?そうか?」
 「……とりあえず、行けなくてすみません、先生に捕まってて」
 「いーよいーよ、んじゃ、またな!」
 「はい、ありがとうございました…」

 先輩たちはものすごく目立ちながら帰っていった。その後というもの、クラスの女の子から質問攻めをくらい、落ち着いてお昼ご飯が食べられなかった。
 そして、飲みそびれたいちごミルクを帰り道に飲もうとした時、「今度はちゃんと飲めよ!」と書いてある事に気がついた。私はそっとストローをさして、少しずつ飲んだ。
 今日も相変わらずのいちごミルクだけど、いつもの味よりも美味しく思う。柄にもなく、次は私がレモンティーを買ってあげようと思った。