同じレシピを再現しようとしても、作り手が違えば同じ料理ができるわけではない。
こう話していたのは早織だったか。目の前の光景は、それと一緒なのかもしれない。
同じ態度でいても、人によっては結末の違う恋愛になる。
「門間先生といる人、梢さんが一緒に住んでるんですよね?」
「そうだよ」
「あれ見てどう思います?」
食堂に行くという後輩と休憩の時間がかぶり、ならお弁当をそこで食べて帰ろうとした時だった。
私と同じおかずのお弁当と、単品で頼んだであろう味噌汁を並べている早織が、離れた席にいると気がついたのだ。
ちょっと時間に余裕がある日なのかな。私もそうだから、声をかけていこうかなと立ちあがろうとした時。
本日のランチが乗ったお盆をもった医師が一人、早織に声をかけて向かいに座った。
門間先生。研修医の一人で、一定期間で指定の病棟科を回っている。つい最近まではうちの病棟にいたから、人となりはそれなりに知っている。
人当たりが良くていつも笑顔で素直な子犬みたいな人だ。ワンコ君と心の中で呼んでいた。
見た目も爽やかで、患者さんからも人気がある。
恋愛感情とまではいかずとも、私も好印象を抱いていた。
そうか、今は早織のいる病棟で研修しているのか。
ワンコ君はいつもより笑顔が深い気がする。しきりに早織へ話しかけ、楽しそうだ。
えーっと、まさかこれは。
「梢さん、浮気されてません?」
「!? ちがうよ。シェアハウスしてるだけで、私たちは付き合ってるわけじゃないよ」
「なーんだ。梢さんってカレシの話とかしない聞から、そっち系だったかって思ってたのに」
「そっち系って何」
「友達にもいるんですよ。女同士で付き合ってるコ。だから私、偏見ないですよ?」
なんとなく、カチンときた。
私、分かってますみたいに寛容に見せて、外野から石を投げるタイプ……は言いすぎか。
当事者のことを理解していると思いこんでいるのが厄介なタイプだなと思う。
「とにかく、早織……岸名さんが誰とどうなっても、私は別に驚かないから」
嘘だ。内心気になって仕方ないけれど見栄を張り、早織たちの方から目線を逸らして廊下を歩く。
***
早織は学生のころから周囲の関心を惹きつける人だった。
実際モテたし、子宝に恵まれなかった期間が長いだけで結婚も早かった。
バツイチの今だって、一人で歩いていればキレイなお姉さんだ。
さっぱりしてるし、気はきくし、親切だし。
だからワンコ君が懐いちゃうのも分かる。
――でも、でもさあ。
正直に言いましょう。
何年もここに勤めてきて、なんのイベントも起きなかった私です。
まあ病院なんて既婚者かクセの強い独身男性しかいないし、そもそも職場恋愛とか気まずいしね、と言い訳して生きていた私。
誰々が不倫しているらしいと噂を聞いて、巻き込まれなくて良かったと胸を撫で下ろすこともあったのに。
出会いって、どこにでもあるんだなと当たり前のことに感心してしまう。
場所のせいじゃない。だって私は早織よりも前にワンコ君と働いていた。
でも何もなかった。それがすべてだ。
――早織はどう思っているんだろう。
邪険にはしていなかった。するような人でもない。
ワンコ君は年下だけど、有望株だ。このまま縁がつながって、付き合ったりするんだろうか。
私たちはシェアハウスしてるだけ。恋愛感情で繋がっているわけじゃない。
だから頓着しなくていい、早織は結婚のチャンスがあれば遠慮しないでいいと言ってくれた。
一緒に住み始めるまでは、私も早織が再婚するならしたほうがいいと考えていた。
でも、いざそうなるかもしれない場面にでくわして、祝福できない心の狭い私がいる。
みぞおちのあたりが重く冷たくなっていくような気分になるのだ。こんなの予想外だった。
***
航希君を寝かしつけた後、ドラマを流し見しながら昼間のことを話題に出すと、早織は笑い飛ばした。
「ないない。年の差いつくだと思ってんの」
「6歳くらい?……でも男女逆なら珍しくもないじゃん。いまどきならありえるでしょ」
「私の方が後から配属されたから、話しかけやすいんだよ」
「それはそうかもしれないけど……」
ワンコ君の笑顔がいつも以上に輝いていたように気がするのは、私が卑屈になってるだけ?
「……離婚するまでけっこう泥沼だったからさ。恋愛はもうたくさん。航希のことで手一杯だよ」
なら、子育てに余裕が出てきたら、恋愛するの? そんな意地悪な考えが浮かぶ。
シェアハウスは解消ねって言われたりするんだろうか。
そうなっても止める資格が私にはない。
だって私は、世間的にはただの同居人なのだ。契約して国に認められた配偶者とは違う。
どちらかが病気で入院したとしても、身内とはみなしてくれない。
私たちの間に恋愛感情があったら、もう少しシンプルに権利を主張できたんだろうか。
――こうして考えると、一緒に住んで誰よりも互いに協力しあっているのに、中途半端な関係なんだと実感し、思考が暗く沈んでいく。
しかも、私はどう頑張っても男親がわりになれない。
航希君の成長とともに、その必要性は増すんだろう。
そもそも、航希君が私の存在を疑問視する日がいつかは来るはずだ。お母さんの友達が一緒に暮らしているなんて、本人は違和感なく育ったとしても、周囲の大人や子供たちが不審に思うかも可能性だってある。
今、私が周囲から向けられているような視線や言葉に航希君をさらしたくない。
そう考えると、そもそもこの同居は期限付きなんだと思い至る。
「……早織だって、いい人がいたら言ってね」
「だから懲り懲りだって」
「分かんないよ。この先信じられないような化学変化が起こるかも」
お菓子が化学変化だとよく例に出されるけれど、料理だって同じだ。
ちゃんと理屈に沿った手順を踏めば、同じ材料とは思えないくらい美味しくなる。
偶然にも黄金の配合ができあがっちゃうこともある。
恋愛にも似たような法則があると思う。それを引き当てる可能性は、早織のほう断然高い。
そんな態度がモロに出てしまったのか、早織の顔が歪んだ。
「私は梢とシェアハウス続けていきたいよ」
「ありがとう。……なんか卑屈になっちゃってごめん。寝るね」
「私も保育園の連絡帳書いてからにする。おやすみ」
明日の朝ごはんはパンと、卵があるから卵サンドにしようかな。バナナが傷みそうだからヨーグルトに添えて……ルチーンになりつつある三人分の食事づくり。これを面倒くさがるときがきたりするんだろうか。