確かに、私たちはいつでも、いつまでも助け合いながらやっていけるわけじゃない。言うのなら、私たち二人だけじゃなく、誰だってそう。
 今の社会で仕事と生活をしようと思うなら、どうしたって、女一人、自分だけで切り抜けないといけない、そんな時はどこかで必ずやってくる。
「それでも、ね」
 ケイティはもう一度両腕を伸ばした。
「私は、本当の、本当の意味で『一人』になることはないと信じたい。物理的には今ここにいなくても、自分が知ってるところで、必ず、同じようにやっていこうとしてる友達がいるって。……あなたとか」
 腕や肩にかすかな痺れを感じた。
 振り返って、考えて、思う。そうすると、その内容が小さな感動を呼び起こす。それが今ここにあるんだとわかった。
「同じく、よ。それしか言えない」
 私も両手を空に向かって伸ばしてみる。開放的な気分。そして伸びた腕をケイティのほうに振って、今度は離してみる。
 物理的には離れても、関係は変わらず。
 仲間で、状況次第ではライバルで、同志。
 そして、日本にずっととどまり続けていたら会うことさえなかった、かけがえのない友達。
 私たちはこの世界や今の社会の中では、いらぬ努力や苦労をしている不思議な人に見えているのかもしれない。私たちが価値ありだと感じるものを、周囲は今もこの先も理解しないかもしれない。
 だけど、直近で来る「成果」とか、家族や他人との「めでたい」関係の変化とか、そういう世間一般が称賛する幸福の度合いにも限度がある。
 そういうものでは満たせない身や心の足りなさは確かに存在していて、この関係とここまでの時間にしか宿らない価値も、きっとあるのだ。