「あー、やってられない!」

 更衣室(こういしつ)で思わず叫んでしまい、咲希(さき)は慌てて口を閉じた。
 (さいわ)い、残業していたのは自分だけだったようで、更衣室はしんと静まり返っている。

「ふう……」

 どうしても、あの嫌みな四十代の女子社員、津村(つむら)の一言が頭にこびりついて離れない。
 津村は古参の社員で、いわゆる『お(つぼね)』だ。

 もともと気分屋で自分の好き嫌いを職場に持ち込む、面倒な女性だ。
 そして、今日は『機嫌が悪い日』で、当たり散らされたのが自分だったというわけだ。
 挙げ句に、ため息をつかれてこう言われた。

「それくらい一人で解決できないの?」

 キャパオーバーな仕事を押しつけられ、残業しても間に合わず取引先に迷惑をかけてしまうと判断した。
 だから、仕方なく同僚にヘルプを頼んだのだ。

 咲希は同僚たちが困ったときはいつも助けていたので、皆(こころよ)く手伝ってくれた。
 だが、申し訳ないという()い目があったところに、この一撃を食らって想像以上にダメージを受けていた。
 咲希は引きちぎるように制服のボタンを(はず)した。

(ったく、先週は『映画の舞台挨拶が当たったの~』なんて上機嫌だったくせに……!)

 今朝は一転、不機嫌の(かたまり)で迷惑なことこの上ない。
 大人なのだから、自分の機嫌は自分で取れというのだ。

(もちろん、私はそれができる……!)

 嫌みを言われ憤懣(ふんまん)やるかたない咲希だったが、誰に愚痴ることもなく淡々と残業を終えた。
 懸案の仕事も無事に先方に送ることができた。
 あとは自分で自分の機嫌を取るだけだ。

(今晩はホラーパーティーナイト!!)

 心の中で雄叫(おたけ)びを上げながら、咲希は制服をハンガーにかけた。

 ホラーパーティーナイト、というと大げさに聞こえるかもしれない。
 ただ、家で気兼ねなく一人でとっておきのホラー映画を観ながら、ジャンクフードを食べるというだけの行事だ。

 なぜホラー映画かと言うと、一番心を動かすのが『恐怖』だと知ったからだ。

 以前、落ち込んでいたときにそのまま家に帰る気分になれず、ふらっと映画館に立ち寄った。
 すぐに観られる映画がホラーしかなく、あまり何も考えずにチケットを購入した。

 後から知ったのだが、『驚愕のラストに誰もが(だま)される!!』などという(あお)り文句のついた評判のホラー映画だった。
 息を呑むような緊張感のある展開、目を(おお)うような残虐な演出が続き、ハラハラドキドキの時間を過ごした。

 そして凄まじいドンデン返しのラストに呆然とし、何を悩んでいたのかすっかり忘れて映画館から出たときの興奮を今も(あざ)やかに思い出せる。

 以来、もやもやした気持ちが晴れそうにないときはホラー映画に頼るようになったのだ。

(最寄り駅のコンビニで好きなお菓子と飲み物を買い込もう!)

 咲希の心はもう、家の中へと飛んでいた。

(さっさと部屋着に着替えて食べ物と飲み物をずらっと並べたら、あとはテレビをつけるだけ!)

 こういうときのために、アマプラやネトフリでいくつかホラー映画をストックしてある。
 どれも怖くて面白いと定評のあるものばかりだ。

 ホラー映画はハズレ作品も多く、余計に落ち込むタイプのものもある。
 咲希は自分の好みにぴったりの――ちゃんと怖いのは当然として、謎解きやどんでん返し、サプライズのあるエンタメ性の高いものを選ぶようにしている。

 今日観る予定の映画はアメリカのデトロイトが舞台の話題作だ。
 近年、廃墟化が進むデトロイトはホラー映画の格好の舞台としてよく取り上げられている。
 (おの)ずと期待も高まるというものだ。

(なら、アメリカンパーティーにするべきよね。コーラとポップコーンはマスト! お腹すいたし、ピザも取っちゃおう!)

 私服に着替え、ウキウキした気分でロッカーを閉めたときだった。

 ピロン。

 バッグの中からラインの通知音がした。

「誰だろ、こんなときに……」

 スマホを取り出した咲希は目を見張った。

優奈(ゆうな):『あいつに裏切られた!!』

 いきなり物騒なメッセージが画面上に現れ、咲希は目を見張った。

「何これ……」

 メッセージを送ってきたのは、高校時代からの友達である優奈だ。
 同じく二十八歳で独身の優奈からの意味深(いみしん)なメッセージに、咲希は首を傾げた。

「あいつって誰よ……」

 ラインのグループ画面を開くと、五月雨(さみだれ)のようにメッセージが続く。

優奈:『むかつく!』
『もう男なんて信じない!』
『今日、咲希の家に飲みに行っていい!?』

「ええええー!?」

 突然のおねだりに思わず声が出てしまう。
 長い付き合いで気の置けない友人である優奈を自宅に招くのはやぶさかではない。

 だが、今日は――ホラーパーティーナイトなのである。
 正直、人の愚痴を聞く余裕のある精神状態ではない。

「ど、どうしよう……」
 
 迷っている間にも、優奈のメッセージは続く。

優奈:『もう死にそう』
『一人じゃとても耐えられない!』

 お願いをするキャラクターのスタンプが連打される。

(仕方ない……)

 咲希は女の友情を優先することにした。

『いいよ。今から帰るところだから、九時くらいに家においでよ』

 そうメッセージを打った瞬間だった。

 ピロン。

 またもや通知音とともにメッセージが出現した。

理香子(りかこ):『私も行きたい!』
『私もつらいことあった!』

「……」

 今度は理香子からだ。
 理香子も高校時代からの友人で、要は仲良し三人組だった。
 そして三人とも独身という気楽さから、社会人になってからも付き合いは続いている。

「一人も二人も一緒よね……」

 咲希はふう、とため息をついた。
 優奈が送ってきたのがグループのトーク画面だったので、理香子もメッセージを見たのだろう。

咲希:『いいよ、理香子もおいでよ』
理香子:『やったーーーー!!』

 理香子から歓喜のメッセージがずらっと送信される。

理香子:『ありがとう!!』
優奈:『理香子も来るの!? 三人で会うの久しぶりだね!』
『楽しみ!』

 ふたりから怒濤(どとう)のようにメッセージとスタンプが連打される。
 こんなに喜ばれては悪い気分はしない。

「仕方ない。今日は二人の聞き役になってやるか……」

 自分も愚痴を言いたいところだが、優奈は死にそうとまで言っているし、いつもは自分から誘ってこない理香子までメッセージを送ってきているのだ。

「お菓子を多めに買い込んで、ピザはLサイズを二枚にするか……」

 咲希は足早に会社を出た。

         *

「なんで優奈、来ないの!?」

 時刻はもう九時三十分になっている。
 咲希のワンルームの部屋にいるのは、くつろいで寝転がっている理香子だけだ。

 理香子は部屋に来るなり、まとめていた長い髪をほどき、コンタクトを外して眼鏡に替え、咲希に部屋着を所望し、すっかり家主並みに部屋に馴染(なじ)んでいる。
 まあ、それはいい。
 だが、肝心(かなめ)の優奈が来ないのはどういうことだ。

「あ、ラインが来たよ」

 理香子の言葉にスマホを見ると、

優奈:『ちょっとやらなきゃいけないことができたから、渋谷(しぶや)に向かってる!』

 などという、メッセージが書かれていた。

「はあ? なんで渋谷に?」

 ちなみに咲希のマンションは亀戸(かめいど)にある。
 優奈の勤めている会社は大手町(おおてまち)なので、いわば逆方向へと向かっていることになる。

「優奈、大丈夫かな……」
「いや、あの子って昔から思い立ったら即行動する子じゃん」

 理香子がぐびぐびと缶ビールを飲む。
 お酒に弱い咲希と違い、理香子はなかなかの酒豪だ。

「そうだけどさ! ったく、あの子の提案で宅飲みにしたのに!」
「自由きままだよね、優奈は。まあ、気にしてもしょうがない」
「……そうだけどさ」

 せっかくのホラーパーティーナイトを中止したというのに。

「って、あんた、それ最後のピザ!」
「あ、ごめん。食べたかった?」

 理香子がそう言いつつ、ピザをもりもり食べる。
 昔から細身だがよく食べる子だった。

「理香子ってすごく食べるし飲むのに太らないよねー。羨ましいわ」
「んー。エネルギー効率悪いタイプなのかも。めっちゃ寒がりだし」
「そういえば、九月からタイツ履いてたことあったよね」

 咲希がからかうように言うと、理香子はニヤリと笑った。

「もうこたつ出してるよ」
(はや)っ! まだ十月じゃん!」
「咲希の部屋、こたつないんだよねー。ちょっと寒い」

 おしゃれな部屋にしたかった咲希は、こたつとソファを天秤にかけ、ソファを選んだのだ。

「はいはい、ブランケットどうぞ」
「ありがと!」

 理香子が満足げにブランケットにくるまる。
 遠慮のない女、それが理香子。

 この胆力の強さを見込まれ、癖のある社長の秘書を務めているらしい。
 何を言われても堂々としてへこたれない理香子は、一目(いちもく)置かれているそうだ。

(羨ましい豪胆さだよなあ……。私なんかちょっと嫌み言われただけで、ずるずる引きずるのに)

「さて、ドーナツでも食べて私の話を聞いてよ!」

 理香子がミスドのボックスを出してきた。
 箱の中にぎっしりと並べられたドーナツに途端に気分が上がる。

「で、理香子のつらいことって何よ」

 もちっとしたドーナツにかぶりつくと、理香子がさっとウェットティッシュを差し出してくれる。
 さすが秘書。気が()く。

「これよ!」

 咲希は理香子が印籠(いんろう)のように(かか)げたスマホを覗き込んだ。

 ――竹宮(たけみや)真梨(まり)、体調不良でイベント急遽中止!

 そんなタイトルがついたネット記事だった。

「何これ。竹宮真梨って、確か料理研究家の人だよね……」

 レースがふりふりの可愛いエプロンをつけた、やたら目のでかい三十代の女性の顔が浮かぶ。

「今朝のトップニュース見てない? 鳥羽(とば)ロミオとかいう、変な名前のイケメン俳優が実は独身じゃなくて既婚者って判明して大騒ぎになったやつ」
「あー、なんかあったかも」

 咲希は映画もドラマも洋画派で、日本の役者には(うと)い。
 ただ、今朝ネットで大勢の女性たちが(なげ)き怒っていたのは知っている。

「ロミオって独身の振りをして、ファンだけじゃなくて恋人も何人も騙していたみたいで」
「えっ、不倫してたってこと!?」
「そう!」
「悪質だね~」
「そのなかに料理研究家の竹宮真梨がいたってわけ」
「へええ、そうなんだ……」

 ロミオは最悪な男で、その料理研究家は気の毒だが、理香子とどう関係するのかわからず咲希は戸惑いながら相づちを打った。

「竹宮真梨は結婚するつもりだったみたいで、ショックで彼女のイベントが中止になったのよ!!」
「ふーん……で?」

 咲希の反応に(ごう)を煮やしたのか、理香子がカッと目を見開く。

「そのイベント、私がずっと楽しみにしていたやつなの!!」
「あ、ああ、そうなの!」

 ようやく話が理香子に繋がった。
 要は俳優のスキャンダルのあおりを食らって、お目当てのイベントが中止になったというわけだ。

「抽選で当たったのに!! 試食付きのトークイベントでさ!!」
「わかった、落ち着いて。唾飛んでる」

 (なだ)めてみたものの、理香子の勢いは止まらない。

「ほんっとに楽しみにしてたのよ! イベントとパフェの試食をさ! それで仕事頑張ってたわけ! 社長のわがままとかさ、おっさん連中の嫌みとかをスルーして。私には二週間後のイベントがあるから、って心のお守りにしてたのに!!」

 理香子が自棄(やけ)になったようにドーナツにかぶりつく。

「一瞬で消え去ったのよ……その楽しみが!! この悲しみとやるせなさがわかる!?」
「う、うん……」

 もちろん、心の(ささ)えにしていたイベントがなくなってしまった悲しみは想像できる。
 だが、やけ酒を飲んでドーナツとピザをむさぼり食っている理香子の悲嘆(ひたん)にそこまで寄り添えるかというと微妙だった。

 理香子とのテンションの差に罪悪感を覚えながら、咲希はそっと皿を出した。

「まあ、食べな食べな。チキンもポップコーンもあるよ……」

 とりあえず食べ物を勧めることしかできない。

「ふう」

 ひとしきり愚痴って落ち着いたらしい理香子に、咲希はおもむろに声をかけてみた。

「ねえ、優奈も来ないしさ、ホラー映画見ない?」
「やだ。気持ち悪いし。嫌い!」
「全否定か!」

 ダメ元で提案したものの、予想通りバッサリ断られる。

「咲希も何かあったの?」
「え?」

 理香子がじっと咲希を見つめてくる。

「咲希がホラー映画を観たがるのって、嫌なことがあったときじゃん」
「あ、ああ、それがさあ……」

 言いかけて、咲希はハッとした。

(すっごいムカついてたけど……。他人からすると、ちょっと嫌みを言われただけなんだよね……)

 それなら、イベントが中止になってしまった理香子の方がよっぽど大事件だ。
 咲希は自分の愚痴を口に出すのが恥ずかしくなった。

「た、(たい)したことじゃないのよ……」
「何よ、言いなさいよ」

 理香子に(うなが)され、咲希は口を開いた。

「お(つぼね)に嫌み言われたのよ」

 咲希は理香子に事情を説明した。
 急遽(きゅうきょ)、取引先に資料を提示する必要があり、タイトな締めきりと確認作業の物量の多さに仕方なく同僚の協力を(あお)いだこと。
 それを見た機嫌の悪いお局に嫌みを言われたこと。

「それくらい一人で解決しなさいよ、って言われてさ……。わかってるだけに悔しくて!」
「へええ。その津村ってお(つぼね)、自分の仕事はさりげなく人に振ってくるって言ってなかった?」

 理香子は以前、咲希が愚痴ったことを覚えてくれていたらしい。

「そうなの! 自分はやってくるくせに! って余計にむかついて!」

 理香子がくぴっと缶ビールを口にする。

「じゃあさ、『それってご自分のことですよね? どの面下(つらさ)げて言ってやがるんですか?』って言ってやればよかったじゃん!」
「言えるか!」

「じゃあ、『あらあら、まだ寝てはるんですか? ここは会社どすえ』とか」
「なんで急に京都(ふう)になってんの!!」

「びっくりした顔を作って、『ゴミがしゃべったああああああ!!』とか」
「会社に行けなくなるわ!」

 突拍子(とっぴょうし)もない返しの連続に、咲希はツッコミを入れながら思わずふきだしてしまった。
 とても相手に直接言える言葉ではない。それは理香子もわかって敢えて言っているのだろう。

 だが、そう言い返す自分を想像すると気分爽快になった。
 いつも大人しく頷いているだけの自分が反撃したら、津村はさぞびっくりするだろう。

 咲希は酔いもあって、涙が出るほど笑ってしまった。
 何が解決したわけでもないが、すっかり気分は良くなっていた。

(もやもやって聞いてもらうだけで、晴れるもんなんだなー)

 大きな悩みはある意味相談しやすい。
 だが、日常の些細(ささい)な、それこそすれ違いざまに肩をぶつけられたり、舌打ちされたようなことは、わざわざ友達を呼び出してまで言いにくい。

(ありがたいな……小さなトゲみたいなことを聞いてくれる相手がいるって……)

 気づくと十時になっていた。
 咲希はスマホを再確認したが、まったく通知がない。

「優奈、来ないね~。ラインの返事もないし」
「あいつ、本当にマイペースだよね。ウチらじゃないと付き合えないよ」

 理香子の言葉に笑ってしまう。
 確かに、優奈は集団行動が苦手であまり友達がいない。
 ただ、あっけらかんとして憎めないタイプなので、気軽に付き合える。

「ところでさ、優奈って彼氏いたっけ?」

 理香子の問いに、咲希は首を傾げた。

「最近、付き合い悪いからいたんじゃない?」

 たまに休日にご飯に誘ったが、ここ半年ほど『予定がある』と断られている。
 これまでの経験から、そういうときは恋人がいることが多かった。

「確かに優奈からの連絡は久しぶりかも……」
「あの子、惚れっぽいからね」

 理香子の言葉に、咲希は大きく頷いた。

「そうそう高校の時も、大恋愛して――」
「あっ……!!」

 理香子の顔が引きつる。

「どうしたの?」
「優奈、まさか……」

 不穏(ふおん)な理香子の様子に咲希は慌てた。

「まさか何よ?」

 理香子がおもむろに口を開く。

「彼氏を……殺しに行ったんじゃ……」
「もう! 何言ってるのよ!」

 咲希は思わず笑ってしまった。

「だって裏切られたってことは、浮気とかでしょ? 覚えてない? あの二股(ふたまた)事件!!」
「あ……」

 高校時代、優奈が付き合っていた男の子の二股が発覚した事件があった。
 激高した優奈は近くにあったバケツを男子生徒にブン投げた。

 だが、バケツは男子生徒ではなく彼の背後の棚に当たり、棚の上に載せられていた段ボールが振ってきて男子生徒は頭部に軽いケガをした。

「あれって当たり所が悪かったら殺人未遂事件……」
「いや、あれ、ピタゴラスイッチ的事故だから!」
「殺意はあったのかも……」

 理香子がとろんとした目でこっちを見てくる。

「あんた、酔いすぎでしょ!」

 咲希は理香子の手から缶ビールを奪い取った。
 気づくと、三缶を(から)にしてしまっている。

「何よう……咲希はホラー映画好きなくせに……」
「映画だからいいの! 実際に殺人事件とかごめんだから!」

 ピンポーン。

 いきなり鳴ったインターホンに、咲希は硬直した。

「はい!」
「私~、優奈だよ~。開けて~」

 インターホン越しに明らかに酔った声がする。
 咲希は慌ててドアを開けた。

「優奈! あんた、遅かったけど、どうしたの――」

 言いかけて咲希は顔をしかめた。

「何あんた、その匂い!!」

 頬をほんのり上気させた優奈から、もわっと油臭い匂いが(ただよ)っている。

燻製(くんせい)された肉みたいになってるけど!?」
「へへ……渋谷に集結してたの」
「は?」

 優奈が興奮冷めやらぬ様子で、充血した目を輝かせる。

「鳥羽ロミオに裏切られた女たちがSNSで集まったの~」
「ロミオって、もしかして実は既婚者だったあいつ!?」
「そうそう! ここ半年くらいハマっててさー。休日はイベント三昧(ざんまい)で。あ、お邪魔しまーす」

 よろけながら部屋に入った優奈が、酒瓶を握って寝転がっている理香子につまずきそうになる。

「うわっ、理香子もうできあがってるじゃん!」
「うるせー、おまえもだろ。この燻製肉女! で、鳥羽ロミオがどうしたって~!?」

 優奈が酔いどれた理香子をじっと見つめる。

「もしかして……理香子も鳥羽ロミオのファンだったの!?」
「ファンなわけないでしょ、あんなアホ男!! こっちはその余波(よは)でイベントがダメになったんだよ!!」

 まだ苛立ちが収まらない理香子が優奈に食ってかかる。

「優奈は男を見る目がなさすぎなんだよ!!」
「ひどい! 傷ついてるのに!!」

 酔っ払った女同士の(いさか)いを(おさ)めようと、咲希はそっとミスドのボックスを差し出した。

「とりあえずドーナツ食えばいいよ、ドーナツ!!」
「オールドファッションがない!!」
「遅れてきたくせに文句言うな!!」

 なんとか三人でローテーブルを囲むことができたので、咲希は改めて優奈に問いただした。

「ったく……で、渋谷で何をしてきたのよ」
「あいつの名前、『鳥羽』でしょ? だからさ、鳥羽ロミオを鶏肉に見立てて食ってやろうってSNSで盛り上がったのよ。それで唐揚げ専門店に集まって、ファンたちと唐揚げをむさぼり食う会をしてきた」
「それってもう、ホラーじゃん!!」

 理香子が大笑いしている。

「いや、人肉じゃなくて鶏肉だから!! って、どうしたの咲希、ぷるぷるして」
「いいなあ! そんなホラー会なら私も参加したかった!」

 咲希はあまりの羨ましさに身悶えした。

「女たちが呪詛(じゅそ)をまき散らしながら、肉を食いちぎる――まるでホラー映画みたいで最高じゃん!」
「だから人肉じゃないって言ってるでしょ! 唐揚げ会だよ!」
「私も行きたかった……」

 理香子がぎりっと歯を食いしばった。

「私もロミオを呪いながら唐揚げを食べたかった……!」

 理香子がキッと優奈を見つめる。

「誘ってよ!! そんな会があるならさ!」
「いや、だって、ふたりがロミオのファンなんて知らなくて……」
「ファンじゃねえから!!」

 そこはハッキリさせておきたい咲希と理香子は同時に叫んだ。
 まさかそんな反応が返ってくると思わなかったのか、優奈がオロオロする。

「ごめんね、私だけ楽しんじゃって……」
「で、何人くらい集まったの?」

 咲希は興味津々(しんしん)で尋ねた。

「結構いたよー。入れ替わり立ち替わり、三十人くらい」

 理香子も身を乗り出す。

「やっぱり若い女の子が多かった?」
「ううん、どっちかというと年上の人が多かった! 四、五十代の人とか」

 『鳥羽ロミオ、もとい唐揚げを食う会』はとても楽しかったらしく、咲希は夢中になって優奈の話を聞いた。
 咲希の脳裏からはお(つぼね)の津村から言われた言葉など、すっかり消え去っていた。

        *

 翌日――ずきずきと痛む頭に顔をしかめ、咲希は出社した。

(楽しすぎて飲みすぎた……)

 エレベーターホールに行くと、()の悪いことにお(つぼね)の津村がやってきた。

(あー、最悪。コンディション悪いときに顔を合わせるとか……挨拶したくないなー)

 咲希は軽く会釈(えしゃく)だけして、エレベーターに乗り込んだ。

 エレベーター内は咲希と津村の二人きり。沈黙が流れた。

(んん!?)

 津村からほんのり香るのは、昨日の優奈と同じ肉の匂いだった。
 よく見ると、津村は昨日と同じ服を着ている。
 しかも目は充血し、顔もむくんでいる。

(まさか……まさか)

「あのっ! 昨日、渋谷に行きました!?」

 津村の肩がびくっと上がる。
 決して目を合わせない津村の様子に、咲希は確信を深めた。

「もしかして、唐揚げでオールナイトですか!?」

 エレベーターが開くや(いな)や、津村が早足で逃げるように去っていく。
 その後ろ姿を見て、咲希は合点(がてん)がいった。

「あー、そっか。昨日機嫌が悪かったのは、()しが既婚者だってわかったからか……」

 鳥羽ロミオは想像以上に様々な女の心を(もてあそ)んでいたらしい。

「それで唐揚げパーティーナイトに参加したのか……」

 誰しも一人では乗り切れない夜もある。
 そんなつらい夜、ひとときでも寄り添ってくれる誰かがいるなんて、どんなに幸せなことか。

「あはは! いてて……」

 声を出して笑うと二日酔いの頭に響いた。
 だが、不思議と気持ちは爽快だった。