何かが急に胸の奥から溢れてきて急いで肩からかけていた鞄の中から携帯を取り出した。
 一晟に連絡しようと恵介が画面を見ると、何件もの着信とメッセージが見える。
 全部、一晟からのものだ。

 
〈やっぱりこのまま帰れない〉
〈駅の改札で待ってる〉
〈恵介、もしかして野々宮の告白を受け入れる気か?〉
〈恵介、彼女なんてつくらないでくれ。頼む〉
〈恵介、とにかくこれ見たらすぐに連絡くれ〉

 
 数分おきの着信とメッセージに目を瞬く。
 すぐに返信を打とうと思ったけれど、文章がうまくまとまらない。

 会って話した方が早い! と携帯を握りしめ、いつもの駅のホームにつきドアが開いた途端、恵介は走りだした。


 
 改札口に見慣れた姿を見つけて大きく手を振る。
 小さな頃からずっと隣にいた幼馴染は、いつの間にかあっという間に成長し、高校生になっていた。
 幼稚園の頃は自分とさほど変わらない身長だったのに今では見上げる高さだ。
 キリッとした太い眉とちょっと強面の顔はあまり変わらないけれど、体つきはがっしりし、声はずいぶんと低くなった。
 
 恵介を呼ぶ声が、急に知らない男のように思えてきて一瞬戸惑い、立ち止まる。
 
   
「……恵介!」
  
 
 周りにいる人間が怯えた顔をして一晟から距離をとる。
 大きな体といかつい顔のせいで一晟は周りから勘違いされやすい。……本当はめちゃくちゃ優しいのに。
 剣道の練習で培ったよく通る声がもう一度恵介の名を呼ぶ。
 
「恵介!」
 
 幼稚園から小学校。そして中学校。
 そしてやっと今の高校生の一晟へとリンクする。 
 ……ずいぶん大きく成長したよな。
 でもずっと変わらない。
 大好きだ。
 
 立ち止まっていた足を恵介は前へ動かした。
 
「……一晟、ごめん。返事打とうと思ったんだけど、話したほうが早いと思って」
 
 鞄から財布を取り出して定期券をタッチし、改札の扉が開いた途端、大きな腕にからめとられた。
 ぎゅうぎゅうと強く抱きしめられ、うまく息が出来ない。
 
「恵介。おまえに言いたいことがある。ずっと言いたかったけれど我慢してたんだ。……まだ、まだもし手遅れじゃなかったら」
「一晟、」  
 
 何かを言いかけている一晟の口を慌てて両手で塞いだ。
 
「俺も言いたいことがあるけど。……注目浴び過ぎだから、場所を移して話そう」



 

 通いなれた家までの道を二人、黙って歩いた。
 一晟はなぜか恵介が逃げ出すとでも思ったのか恵介の手を強く握って離さなかった。
 途中で自転車や会社帰りのOLとすれ違って一瞬焦ったが、誰も気に留めていなさそうでホッとした。
 
 いつもの角に着くと「どっちの家にいく?」と一晟に訊かれ「じゃあ、俺んちにしよう」と提案した。一晟の家だと日菜ちゃんや塁くんがいるから、きっとその方がゆっくり話しが出来る。
 一晟は頷くとやっと手の力を緩めてくれた。
 
 ちょうど恵介の母親はスーパーへ買い物にでも行っているのか家の中に気配がない。
 
「とりあえず、俺の部屋へ行ってて。お茶とオレンジジュース、どっちがいい?」
 
 玄関で靴を脱いでから恵介が振り返ると一晟が怖い顔をしている。
 
「そんなのいらない」
「……ああ、うん」
 
 早く話をしようと無言で圧をかけられて頷く。
 母親が帰ってきて話を聞かれたら嫌なので部屋に入ると念のため鍵を閉めた。
 恵介の部屋の中央で肩にかけていた鞄をおろし、正座になった一晟をドキドキしながら眺める。
 今にも心臓が爆発しそうなくらい高鳴っていく。
 
 一晟を見ると、まるで剣道の決勝戦にでも挑むつもりかというようなおっかない顔をしている。
 
「……野々宮とはどうなった?」
 
 あ、そこからか。
 一晟の前に同じように正座をして恵介は視線を逸らさずに「断った」と答えた。
 
 ほっと表情をゆるめた一晟が、慌てて頬を引き締め座りなおす。
 
「どうしてだ。……おまえの好きな条件にぴったりだったんだろ」
「条件? ああ、あれか。あれは別にあってないようなものっていうか……そんなかんじだから」
 
 戸田に訊かれたから答えたが、大きな意味はないと一晟に伝えると一晟は神妙な面持ちになった。
 
「……ていうか、一晟は女子に告白された時はなんて言って断ってたんだよ」
 
 なんとなく、今なら答えてくれそうな気がした。
 ぐっと口を引き結んだ一晟がさらに怖い顔になり、「……た」とボソリと呟く。
 
「え? なんて?」
 
 あまりに小さな声で聞きとれずに恵介が聞き返すと、一晟が急に大きな声を出した。

「俺には一生大事にしたいひとがいて、そいつとの人生設計を立て毎日生きているから無理だと断った」
「……」
 
 初耳だ。
 っていうか、高校生の告白に対する答えに「一生」とか「人生設計」とか出てくるのはすごい……ていうかかなり重い。
 これじゃあもう一晟に告白しようなどと思う女子はきっと現れないだろう。ふつうにドン引きだ。
 
 ……そう思うのに、痛いくらい一晟の真剣な眼差しに、恵介の胸はおかしなくらいドキドキしていく。
 
「……一晟、」
「恵介。俺は実は第一志望だった高校、わざと落ちた。解けた問題の答えも何箇所か書かなかったんだ」
「はあ? う、うそだろ、なんでそんなこと……!」
  
 衝撃の事実を知らされて思わず立ち上がった。
 一晟が強い眼差しをそのままに続ける。
 
「おまえと同じ高校に行くことのほうが大事だと思ったんだ。もしおまえが別の高校で誰かを好きになって、付き合い始めたらと思うと気が気じゃなかった」
「……一晟、お、おまえ」
「恵介、好きだ。ずっと小さな頃からおまえだけを見てた。おまえと毎日過ごすことが俺の幸せで、これから先もずっとおまえと一緒に生きていきたい」
 
 告白どころかいきなりプロポーズまでされてしまい、唖然となる。
 無言になった恵介に、一晟が不安そうにその眼差しの力を緩め覗き込んできた。
 
「恵介……?」
「……一晟はずっとそんなことを考えていたのか。男相手にそういう気持ちになるなんて、とか、そういうことを悩んだりはしなかった……?」
「ないな。俺にとっての恋愛対象は恵介だけだ」
 
 すごい。
 まっすぐすぎるくらいの強い気持ちを向けられて、じわじわと耳の端まで赤くなる。
 
「恵介、おまえの気持ちを聞かせてくれ」
「……す、きだよ」
 
 思わず声がかすれた。
 
「……それは幼馴染としてとか親友としてとかの好きか」
「違う!」
「……ということは」
「俺の方がずっとお前のことが好きだった! お前のことしか見てなかったし、今もこれからもずっとずっと好きだ!」
 
 なんだかめちゃくちゃ大きな声が出て、まるで怒っているかのように恵介が叫ぶと、一晟が立ち上がった。
 さっきの改札口での抱擁よりもさらに強い力で抱き締められて呼吸が止まる。
 
「恵介、恵介!」
 
 うめくように何度も名前を呼ばれ、涙がじわっと湧いてきた。
 一晟に泣いていることがバレないといいなと思ったが、顔を埋めた一晟のシャツが濡れてしまっているから、きっとすぐに気づかれてしまうだろう。
 それでもいい。
 まさかこんな日がくるなんて、思わなかった。
 
「恵介」
 
 名前を呼ばれて顔を上げるとじっと一晟に顔を見られているのがわかる。
 
 そっと目を閉じた。
 映画やドラマなどで何度も見たシーン。
 ここはきっと目を閉じる大事な場面だ。
 
 けれど、なぜかいつまでたってもその瞬間はやってこなくて、焦れた恵介が薄く目を開くと、一晟がぎゅっと眉間に皺を寄せ怖い顔をしていた。
 
「……一晟?」
「恵介。そういうのはもっと先にとっておこう。その前に、おれたちにはやることがある」
 
 え?
 腕を離されてなぜかまた正座に戻される。
 そして一晟から放たれた言葉に、恵介は目の前がクラリとした。
  
「高校はおまえに合わせたが、おまえとずっと一緒に幸せに生きて行くためには将来出来るだけいいところに就職したい。日本はやはり学歴社会だから、そのためにもなるべくいい大学へ行っておきたい。だから、大学はおまえが俺に合わせろ」
「へ?」 
「目標はW大だ」
「W大⁉ む、無理に決まってるだろ! 俺の偏差値いくつだと思ってるんだよ!」
「今回の試験でやれば出来るってわかっただろう。もう少し頑張ればきっと狙える、恵介ならいける」
「一晟〜~っ!」
「それまでは接触は極力控えよう」
「なんでだよっ、今どき高校生のお付き合いなら色々やってるだろ!」
「今どきとかそういうのは関係ない」
 
 俺たち二人の将来のためだ。
 
 一晟が一度言い出したこと、目標を立てたことは必ずやり通す男だということを誰よりもよく知っている恵介は「うわあ」と思わず頭を抱えた。

 なんでそうなるんだ!