「恵介~、無事だったか! 今のなんだった? やっぱり告白か? なんかすごい顔してたけど」
 
「ああ……そうなのかな。うん。たぶん、そう」
 
 屋上の階段で「とりあえずこれ、読んでくれればいいから! 返事は帰りに!」と言われ、一方的に渡された手紙をじっと眺める。
 勢いのある字で「葉山恵介くんへ」と書かれた封筒をひっくり返して裏を見ると「野々宮奏」と書いてある。
 
 ……なんだか見たことのある名前だ。
 野々宮奏。
 野々宮。野々宮……。
 
「あッ! それ! 一晟のこといつも負かしている学年一位の子じゃん! ええっ、女子だったんだ! てっきり男子かと思ってた。そうか、どっちにもつける名前だ!」
 
 ののみやかなで。
 それがその手紙の女子の名前だった。
 
「葉山、付き合うのか? ついに初カノジョ誕生か⁉」
「……」
 
 少しシベリアンハスキーに似た、とてもかしこい女子。
 強がっていたけれど、とても一生懸命なのは伝わってきた。
 すぐに手紙を開けて読もうかと思ったけれど、思いがけない厚みだったので後でゆっくり読むことにして、恵介は黙ってそれを尻ポケットに入れた。

 

 
   
 学年一位の野々宮奏から恵介がラブレターを渡されてしまった話は、瞬く間に広まってしまった。
 屋上の階段で恵介に手紙を渡した後、真っ赤になって立ち去る野々宮の姿を、目撃した生徒がいたらしい。
 授業が終わり、下駄箱の前で待つ恵介にちらちらと視線を送ってくる人たちがいる。かと思えば、こそこそと話しながら遠巻きに見ている女子のグループもあって、恵介はため息をつきそうになった。
 
 手紙の中で野々宮に待ち合わせとして指定されていたのは、あまりにも目立つ場所だった。
 
「戸田。一晟。先に帰っててくれる?」
「……ここで待ってちゃだめか?」
「うん」
 
 みんなのいる前であの子と話すのはなんだか嫌だった。
 何枚にもわたって手紙で一生懸命自分の気持ちを伝えてくれた野々宮を、見世物みたいにしたくない。
 
「……恵介」
「一晟。あとでメールする」
 
 一晟が何か言いたそうだっけれど「悪い」と謝ると、ぎゅっと唇を引き結び、一晟は黙って帰っていった。

 


「葉山くん。ごめん、ちょっとホームルームが長引いちゃって」
 
 息を切らせて下駄箱にやってきた野々宮が、くしゃくしゃの髪のまま謝ってくれた。
 どうやら恵介をあまり待たせたらいけないと、走って階段を下りてきたらしい。
 
「大丈夫だよ。それより髪、すごいことになってるけど」
 
 苦笑いしてあちこち跳ねた髪に触れようとすると、キャーと奇妙な悲鳴が聞こえてきた。
 近くで見ている女子たちのものだ。
 
「あ、悪い。あんまり女子にこういうのしちゃだめなんだよな」
 
 慌てて恵介が手を引っ込めると野々宮がぶんぶんと首を横に振る。
 
「私、もともとすごいくせっ毛で。……ごめん、そんなひどい?」
「わりと」
 
 真っ赤になって髪を手でなおしている野々宮に「帰りながら話さない?」と恵介は訊ねた。
 
 きょとんとする野々宮に「ちょっとここは……ひとが多すぎるから」と説明をすると、周りをぐるりと見回した野々宮が少し怒った顔になる。
 
「野々宮は電車通学? 何線使ってる?」
 
 訊ねると、ちょうど恵介の使っている路線で方向も一緒だった。
 野々宮が靴に履き変えるのを待ち、二人で並んで歩き始める。
 
「あの……手紙は読んでくれた?」
 
 おずおずと切り出した野々宮にこくりと頷いた。
 
「うん、読んだ。野々宮さん、さすが頭いいね。けっこう難しいこと書いてあるからびっくりした」
 
 どこかの国の詩人が書いたらしい美しい詩がいくつも並んでいたり、かと思えば哲学書の引用みたいな文章もあったり。
 読み解くのに少し時間がかかったけど、と素直に恵介がそう伝えると、恥ずかしそうに野々宮が笑う。
 
 でもその内容より恵介が感動したのはその手紙に何回も消しゴムで消した跡があったことだ。
 きっととても悩みながら、一生懸命書いてくれたのだろう。
 
「……それで俺の返事なんだけど」
「ごめん、でしょ?」
「え?」
「葉山くんに断られた私があまり恥ずかしくならないように気をつかって、あそこで言うのをやめてくれたんじゃない?」
 
 その通りだったけれど、全部野々宮にあてられてしまってびっくりする。 
先に言われてしまってけれど、一応自分の言葉でもちゃんと言う。
 
「ごめん。それと、あの……ありがとう」
「ううん。いいの。きっとそうだろうなってわかってたし。……でもやっぱり告白してよかった」
 
「噂、本当だったなあ」と目の縁を赤くしながら、晴れ晴れとした顔で野々宮が笑った。
 
「……野々宮、いつから俺のこと好きでいてくれたの」
「あれ、それは手紙で書いてなかったっけ」
「書いてなかった」
「ああ~、私ってば肝心なこと書き忘れてる! 葉山くんが軽音に入部する前。ちょうど入部届けを出すところをたまたま見てて。出す時はすました顔してたのに、その後、廊下でジャンプしてるから可愛いなって思ったんだよね」
 
 まさかあれを見られていたのか。
 真っ赤になってしまいながら、恵介は頭を掻いた。
 
「あれ、ってことは……?」
「私は吹奏楽部の方に出しに行ってた。入部届け出すの、ちょうど同じ教室だったでしょ?」
 
 そうだった。新入部員が軽音部か吹奏楽部のどちらを選ぶのか、同じ教室で先輩部員たちがじっと見守るという不思議なあの光景を恵介は思い出した。
 
「あれって、元々吹奏楽部にいた人たちが軽音部を立ち上げて、分裂してライバルみたいになっちゃったから、あの高校の伝統になってるんだって」
「へえ」
 
 思わぬ軽音部と吹奏楽部の歴史を知りびっくりだ。
 
 駅について電車に乗ってからも野々宮と色々話をした。
 野々宮は今まで恵介が出会った女子の中で一番話しやすく、話していて楽しかった。
 
「それからずっと私、葉山くんが気になっちゃって。本当は告白なんてするつもりはなかったんだけど。……がんばっちゃった」
 
 へへ、と笑う野々宮は最初に見た時とまるで印象が違う。きっとあの時は相当の覚悟で、気迫がみなぎっていたのだろう。
 
「どうしてするつもりじゃなかったのに、告白してくれたの」
 
「……もし明日、地球に隕石が落ちたとしたら」
 
「え?」
「ううん。隕石じゃなくてもいい。……もし突然何かが起きて、自分の中のこの気持ちを伝えないまま葉山くんに会えなくなったとしたら、とても後悔しちゃいそうで急に怖くなったの」
 

 もし明日、地球に隕石が落ちたとしたら。
 

 それは突拍子もない発想だったけれど、恵介の頭は強く殴られたようにショックを受けた。
 

 もし明日、地球に隕石が落ちたとしたら。
 もし、明日一晟に突然会えなくなったとしたら。
 いつも当たり前に続いて行くと思った毎日が、突然続かなくなってしまったら。
 
 ……どうしよう。
 
 隕石じゃなくとも、あり得なくはないその可能性を、今までもひとかけらも考えていなかった自分に愕然とする。
 地震だって。事故だって。なんだって。変わらない明日が絶対にくる約束なんて、これっぽっちもないのに。

 
「……だから、葉山くんも絶対に後悔しないように頑張ってね」
「えっ?」
 
 野々宮が下りる駅についてしまい、慌てて恵介がその意味を野々宮に聞き返そうとするとふふっと笑った。
 
「だって葉山くんがぜ~んぶ告白を断ってるのって、もう心に決めてるひとがいるからでしょ? 葉山くんが好きで好きでたまらないって、そういうひとが、実はもうとっくにいるんでしょ?」
 
 電車のドアがギーと音を立てて閉まる。
 野々宮ともう少し話したかったけれど、もう時間切れだった。
 でもそれでよかったのかもしれない。
口パクで『ばんばって!』と恵介を励ましてくれたあと、遠ざかっていくホームにうずくまって泣いている野々宮の姿が見えた。