三十二歳独身、いちおう一昨年から正社員。傍から見ればそれなりに人生謳歌しているように見えるだろうか。高橋美桜は定時退社ダッシュを決めていた。

 ちなみに友人の結婚式ピークが去年で落ち着き、両親からの無言アピールも減った。これで諦めてくれたら嬉しい。

「はあ、はあ、間に合った」

 入ったのはホビーショップ。本屋併設の場所なので、成人女性が一人で入っても自然だ。目当ての女児御用達アニメの最新フィギュアを手に取る。

 本当は予約しておくべきだったのだが、あまりのクオリティに予約販売がものの数日で完売してしまっていた。きっと、本来の購買層である女児の母たちも今日の発売日をドキドキしながら待っていたことだろう。

 美桜に子どもはいない。一度も結婚したことのないぴかぴかの未婚女性である。しかし、このフィギュアは欲しかった。自分がファンだからである。

 今回は急ぎだったため、会社からほど近い店で購入した。ただ、会社の人間には絶対会いたくない。会社ではできる女を演じているからだ。二十代の社員たちからしたらいい大人なので。

 本音を言えば、何歳になったって好きなものは好きでいいと思うし、公言したいくらいだ。しかし、それをよく思わない人間もいることを知っている。だから、静かに生きる。

 それが少し窮屈になることもあるけれど、それが大人なのだと自分に言い聞かせる。

 とにかく、ここをさっさと脱出しなければならない。誰かに袋の中身を知られたら、明日から出社拒否になってしまう。今の職場は気に入っているし、せっかく正社員になれたのだからできる限り長く勤めたい。

「あ」
「えと」

 そんな美桜の気持ちとは裏腹に、店を出た瞬間同僚に出くわした。

──終わった。

 目の前でこちらを見ている女性は一つ後輩の山田茉奈。営業部なので、管理部の美桜とは部屋が違ってほとんど会わない。たまに経費申請書を持ってくるときに会話をするくらいだ。

 美桜は一刻も早くここから逃げ出すことだけを考えた。万が一女児アニメオタクだとバレたら会社を辞めることになるだろう。

──いや、今日は本屋さんのビニール袋だからセーフ!

 オタク御用達の袋ではないことに気が付いて安堵する。下を向いたところで見えた袋は白く、フィギュアの顔も形もくっきりと透けて見えていた。

──終わった!!!

 美桜の脳内はどうやって穏便に、そして茉奈以外にバレず退職をしようかフル回転していた。

「えーと、お疲れ様。今帰り?」
「はい。欲しい本があったので」

──だよね。本屋さんだもんね。私みたいに女児フィギュアじゃないよね。

 そう汗を垂らしながら茉奈の袋をそっと見下ろすと、そこには「筋肉大全」と透けた本が美桜を見つめ返していた。

「あ」
「あ」

 お互いに自分のものが透けていると気が付いた十八時半。





「ちょっと整理してみようか」
「はい」

 美桜たちは個室有りの居酒屋に来ていた。個室なのはこれ以上傷を作らないための自衛だ。
 向かい合わせに座ったはいいものの、二人に会話は無い。そこへ店員がやってきた。

「いらっしゃいませ。ご注文はタブレットにどうぞ」

 水を渡され、タブレットの説明をされる。美桜がコップに手をかけたところで、茉奈がついに口を開けた。

「あの、その袋ってあれ、ですか?」

 言われて思わず袋を掴む。何をしたところでもうバレているのに。美桜は諦めて袋をテーブルに載せた。

「うん。プリッスのフィギュア」
「やっぱり。知ってます、それ」
「山田ちゃんのそれは」
「あはは……筋肉隆々の男性集めた写真集です」

 お互いに見つめつつ、控えめに笑う。救いはバレたのが同時ということだ。お互いに話さなければ今日という日も無くなる。

「お待たせしました~」

ドアが開いた瞬間、袋を光の速さで背中に隠す。

「有難う御座います」
「ごゆっくりどうぞ」

 テーブルに並べられた皿を見つめ、サワーの入ったグラスに手をかけた。

「とりあえずまあ、乾杯」

 グラスを一気に半分ほど飲み込む。バレてしまったなら仕方がない。しかも、相手からしてもバレている状態。状況は平等だ。それならいっそ、自分の秘密を話してしまった方がいい。

「ねえ、このことはお互い秘密ってことで、とりあえず好きなもの暴露大会しない?」

 そう提案すると、茉奈も前のめりに頷いた。

「しますします。会社で言えないから地味にストレス溜まってて」
「私も。だって、独身なのに女児アニメ観てますって言ったら、なんでって思われるもん」
「私もありとあらゆるマッチョ番組観るの好きですなんてとても言えません。次の日から全社員に避けられます」
「きっと社会人だからあからさまに避けられることはないと思うけど、心の中では引かれるかもしれないからね」

 百パーセント信用している人間以外に秘密を打ち明けるのは困難だ。許してもらえるかというより、どう反応するか分からないのがまず怖い。

 しかし、秘密を共有している人間なら別である。二人は終電ギリギリまで好きなものをについて語り合った。

「ああ、楽しかった。こういうの定期的に開催しない?」
「ぜひぜひ、毎日でも。美桜さんが近くに住んでいればいいのになぁ。今度引っ越す予定だから、できることならなるべく近くに引っ越したいです」

「あはは。ちょうど私の横の部屋引っ越したばっかで空き家だよ。そこにしたら? なーんちゃっ」
「します!」
「へ? ほんと?」

 こうして、何気ない運命の出会いにより、美桜の未来が大きく変わった。