すると、トモカちゃんは急に引っ越したという。
 ほんとうに突然で、担任も行き先がわからないらしい。
 夜逃げだった。

 親が離婚したとか、借金がふくれあがっていたとか、父親が警察につかまったとか、なにが真実かわからないような話を、女子たちは楽しそうに私に聞かせた。

 トモカちゃんの明るさからは想像もつかない、家庭の事情に触れた。
 どんな両親だったのだろう。
 つらい思いをたくさんしていたのかもしれない。
 なのに、彼女はいつだって明るかった。
 笑っていた。
 私の味方でいてくれた。
 自分の悩みをひとことも口にせず、私のことを考えてくれた。

 私は自分が彼女に甘えるだけで、感謝の気持ちを伝えられなかったことに、やっと気づいた。
 どんなに私をかばってくれても、ありがとうのひとことも言えなかったのだ。
 
 もう一度会いたいと願っても、トモカちゃんの消息はわからなかった。
 あの元気いっぱいのとびきりの笑顔が、頭の中にはっきりと浮かぶのに。


 私は彼女の面影をさがすように、小学校を卒業するまでスイミングに通った。
 おかげでクロールも背泳ぎもできるようになった。

 いつかもらった種は、土の中に埋めるのが惜しくて蒔けなかった。
 今でも実家の学習机の引き出しに、マッチの空き箱に入れて保存している。
 やがて時が経ち、それが風船かずらであると、偶然見たテレビで知った。


 
 今、目の前の風船かずらは、自由につるを伸ばしている。
 横へ上へと伸びるつるの奔放ぶりは、そのまま彼女のイメージと重なった。

 私は風船かずらに手を伸ばした。
 茶色の、かささかした実に。
 あのトモカちゃんなら、やりかねないだろう。
 
 知らないお宅の風船の実を、ひとつ、ふたつ、みっつ。
 
 両手で盗って、いちもくさんで逃げだした。
 あてずっぽうに走って走って、公園のベンチにたどりついた。
 
 街灯の下、ひとつの実を剥いてみれば、いつかもらったものと同じ、黒い小さな玉が三粒現れた。
 かわいらしい白のハート模様を見ているうちに、トモカちゃんに、やっと会えたような気になった。
 
 春になったら、この種を蒔こう。
 うまくいかない日々の中でも、風船かずらは実を結んで、命をつないでいく。
 あのころのトモカちゃんみたいに、私も笑っていられたら。
 
 この先も裏切られたり捨てられたりすることがあるかもしれない。
 だけどそれでも、私は私。自分は自分を裏切らない。

 欠けていく月を見あげた。
「ありがとう」
 伝えられなかった言葉をつぶやいてみる。
 そうして願う。トモカちゃんが、今も笑っていますように。
 
 私は今でも、あの友情に支えられて生きているのだ。

 月はなんにも言わないけれど、なんだかあしたがほんのすこしだけ、待ち遠しくなった。

                                       了