ここが男子寮で。
メンバーは俺と東郷で。
二人の関係は、ルームメンバー程度だったりする。

淡白な、浅い関係の二人が。
どうして今、揉みあっているのだろう。

「何やってんの、東郷?」
「君こそ。今まで何を勘違いしてたの、舞原」

夜の七時。
期末試験に向けた勉強もひと段落ついた頃。
スマホを触っていると、東郷に話しかけられた。
確か食堂の水道管が壊れたから、明日の朝食は各自っていう伝達事項だったと思う。

俺は「はいよー」って返事して。
いつもクールな東郷も、それきりで。
会話は、それで終わっていたはずなんだ。

それが、なぜ……。

「いい加減、俺の上から降りてくんない?」
「殴られるのが怖いの?」

「俺を殴ろうとしてるの!?」
「いい加減、目を覚ましてやろうかと思って」

目は白黒。
口はあんぐり。
頭はまっしろ。

容姿端麗で寡黙でクール。そんな東郷から「目を覚ましてやろうかと」なんて物騒な言葉に、思わず縮こまる。

「俺、なんか怒らせることした?したなら謝るけど」
「謝らなくていい。君は何も誤ってない。
ただ一つ、改めて欲しいことはあるよ」

茶色の髪を、ふわりと揺らして。
東郷は、俺からあっけなく身を引いた。

互いに姿勢を正して、小さなローテーブルを囲む。男二人に見下ろされたテーブルが怯えたように、いつもより小さく見える。

「それで、俺は何を改めればいいわけ?」
「人との距離感、の詰め方」
「つまり〝馴れ馴れしい〟ってこと?」

相部屋になって、三ヶ月。
同じ部屋で過ごす者同士、仲良しに越したことはない――なんて思って、気策に話しかけていたが。それが凶と転じたか?

「今度から気をつける。悪いな、気づかなくて」
「っ、それ!」

「悪いな」の時に、東郷の肩を軽く叩いた。
瞬間、お叱りが降ってくる。

人生で「当たり前」になっている部分は、なかなか自分で気づきにくい。それが例え、相手を不快にしている行為だとしても。

「あー、こういうのが馴れ馴れしいんだな。悪い、気をつける」
「いや、大きな声を出してごめん。そこに関しては、謝らなくていいんだよ」
「そうなの?」

俺の中の「当たり前」を否定されたのでは無いと知り、少しだけ胸がすく。自分の基盤を改めろ、と言われたら、修正に時間がかかりそうだったから。直さなくていいなら御の字だ。

「じゃあ俺は、何を改めればいいの?」
「その前に聞いていい?
どうして舞原は、スキンシップが多いの?」
「そりゃ、マスクしてるから」

俺は〝とある事件〟をきっかけに、マスクをつけている。事件といっても、第三者が聞けば「ふーん」で終わりそうな、本当に些細なことだ。

当時、付き合っていた元カノに言われた言葉がある。
『舞原くんがもう少し顔が良かったら完璧なんだけどなぁ』
この一言を浴びた日。
俺は、鏡の前から動けなくなった。

自分の顔の、どこを直せば完璧になる?
目の大きさ?
鼻の高さ?
輪郭?

彼女の冗談めいた一言で。
それだけの言葉で。
俺は自分の顔を、人前でさらせなくなった。

「何か欠陥があるって分かってるのに、人様に見せるのは気が引ける。でも顔って、すぐに直せないだろ?」

「整形でもしない限りさ」とカラカラ笑う俺を、顔色一つ変えず、東郷が見る。見つめられすぎて、マスクの中がしっとり汗ばんできた。

「直せないなら、隠すしかないって思ったんだよ。でも、ずっとマスクしてる奴って変じゃん。だからせめて、明るい自分でありたいと思ったんだよね」

マスクをつけている分、壁が発生し、人と距離ができる。その距離を感じさせないほどの明るいキャラクターが、生きていく上で必要なんだ。

「手っ取り早い距離のつめ方って、スキンシップなんだよね。触られたら〝お〟って思うじゃん?こんな時代だからこそ、気軽に触れてくれるのって特別感あるし」

初対面の人にもスキンシップを行った結果。マスクのハンデを感じさせないくらい、たくさんの友達が出来た。

話しかけられる度に安心した。マスクをつける俺を、こんなにたくさんの人が受け入れてくれるんだって。

「舞原は賢いよね。
でも、早計だ」

東郷は、やっぱり真っすぐ俺を見つめた。見つめられすぎて、いい加減、体に穴が開きそうだ。

なんとか、この空気感から脱却したくて。苦し紛れに「何を改めればいい?」と、率直に尋ねる。

「俺たちの関係をね、改めて欲しいんだ」
「俺たちの、関係?」

そっくりそのまま反復すると、東郷は静かに頷いた。その間も俺は、頭の中で「東郷との関係」と復唱する。

東郷と俺は去年ちがうクラスで、顔見知り程度の関係だった。でも今年になって同クラになるばかりか、男子寮の部屋まで一緒になった。

そんな俺たちの仲って、
クラスメイト・ルームメンバー・友達……くらい?

「あ、まだ友達じゃないのに、友達みたいに馴れ馴れしくするなってことね」
「ううん、違うよ」

そうじゃなくて、と東郷。
煮え切らない言い方に加え、言葉を飲み込む表情――カッコイイと女子から人気の東郷の、新たなアンニュイな一面。こういう顔も、モテそうだ。イケメンは何でも似合ってズルいな。

「東郷って、今まで何人の人に告られたの?」
「人生で?それとも入学してから?」
「……いいや。分けて答えられるくらい告られてる、ってのが分かったから」

やっぱ東郷って、モテるんだ。端正な顔立ちっていうの?上品な雰囲気もあるし、成績もいいんだっけ?そりゃ女子が放っておかないよね。

「いいなぁ、俺も告られてみたいよ」
「元カノとか、いないの?」

「いたよ。でも俺から告ったからなぁ。そして向こうからフラれるっていう」
「勿体ないね。何が原因だったか、聞いてもいいの?」

今、「勿体ない」って聞こえたけど、どういう意味だ?あ、せっかく彼女と付き合ったのに、別れて勿体ないってことか。

「理由は、まぁ性格の不一致っていうか。顔の不一致?」
「顔?」

「性格いいから付き合ってみたけど、やっぱ顔が気に入らなかったんだと」
「……」

まいっちゃうよなー、って笑う俺と、水を打ったように静かになった東郷。

なんだよ。
茶化してくれないと、いたたまれないって。

っていうか、そもそも何の話をしていたっけ――と記憶を呼び覚ましている間。どこか覚悟を決めた東郷が、俺へ手を伸ばす。

「もしかして別れた原因。
今、舞原がマスクしてる事と関係ある?」
「っ!」

大いに、関係している――と言わんばかりに。
大いに、反応してしまった。
肩が跳ねただけじゃなく、眉も跳ね上がり、体も強張った。効果音がつけるとするなら、まさに「ギクッ」だ。

ここまであからさまに反応しといて、今さら誤魔化すのも変だし。今まで誰にも打ち明けなかった秘密を、ルームメイトのよしみで教えることにした。

「元カノとマスク、関係あるある。大あり。
女々しいよね、俺って。
あ、笑ってくれて大丈夫だから」

変な空気感になるのも嫌だし、持ち前の明るさで暴露する。精一杯の演技だ。

というのに、この東郷ったら。全く意に介していない。俺のカラ元気なんて、はなから興味ないと言わんばかりに。たった一度の瞬きで、笑いを静寂に変えた。
途端、気まずい空気が部屋を満たす。

「こんな空気になるのが嫌で笑ったんだから、東郷も笑えよ」
「いや、笑わないよ」
「なんでだよ」

強情な奴。

「笑って済むことなら、とっくに舞原はマスクをとってる。ずっとつけてるってことは……マスクを外せないってことは、それだけ舞原が本気で向き合ってるからだよ。
その本気を前にして、俺は絶対、笑わない」
「東郷……」

普通の友達なら、俺のテンションにつられて笑い話にしてるところを。東郷は丁寧にキャッチして、再び俺に投げ返した。カラ元気の中から、わざわざ悲しい気持ちを取り出した。

それが俺にとっていい事なのか、悪いことなのか。それは分からなかったけど……。初めて気持ちを話した相手が東郷で良かったって、どこか安心してる。

「舞原、聞くんだけど。
寮にいる時くらいマスクを取るのは、嫌?」
「!」

マスクの紐に、東郷の細長い指が添えられる。まるで弦楽器を奏でるように、耳の当たりからスーと、紐を伝って口元まで滑り降りる。

「……やめろ」
「なんで?」

口元から、新鮮な空気が入る。
東郷の指が、マスクの中に、入って来たんだ。

「やめろよ!」

パンッと、勢いあまって、東郷の指をはたき落す。はたき落された東郷よりも、実際にはたいた俺の方が、ビックリした。

「……叩いてごめん。でも、マジでやめて。
マスクは、とりたくない」
「同じ部屋になって三か月経つけど、舞原の顔を見たことないんだよね」

壁にかけられたカレンダーを見る東郷。定まらない視線は、適当にカレンダー上を浮遊した後。俺へと移った瞬間、狙いが定まったかのように瞳が細くなる。

「俺は、いつか見るよ。舞原の顔をね」
「なんでこだわるの。俺の顔なんか興味ないでしょ」

興味有無の前に、見たい理由が「からかいたいだけ」ってことなら、さっきの揉みあいの続きをしてもいい。あれだって、急に東郷が近寄ってきたから、反射的によけようとして……。でも体格差のせいで、逆に組み敷かれたんだっけ。

「東郷って、変。俺に近づいたり、マスクの下を見ようとしたり。よっぽど楽しいことないのかよ。スマホ見ないの?」

半分冗談、半分本気。
少し攻撃性を持った俺の言葉。
それは向きを変えて、俺に向かってくることになる。

「むしろ、この部屋になって楽しいことしかないよ。舞原みてると飽きないし」
「……へ?」

「俺は好きな人を観察したいし、近づきたいし、顔も見たいんだよ」
「?、??」

突然、恋愛論を語られた。
でも前後の文を繋ぐと〝その対象〟はどう考えても、俺だ。

「え、まさか東郷って……俺のこと好きなの?」
「そうだよ」

すごい事を言ったつもりだったけど、東郷の顔色は変わらない。眉一つ動かない。

むしろ、張りつめた何かが弛緩するような。俺に気づいてもらえてホッとしたような、柔らかい雰囲気に包まれる。

「だから、さっきから言ってるでしょ。
俺たちの関係を改めようって」

いつの間にか正座した俺にならい、東郷も長い足を折りたたむ。高校生二人の体格に負け押しやられたテーブルが、フロントの上を音を立てて移動した。

「もう俺は友達を超えた目で舞原を見てるわけだけど。
それについて、ずっと許可をもらいたかったんだ」
「友達を、超えた?」

いやいや、なに言っちゃってんの。
東郷が、俺のことを好き?
でも俺は男だよ?

「もしかして東郷、実は男装した女の子だったりして」
「……」
「え、っと」

東郷から漂ったのは、いつものクールでもない、さっきの柔らさもない――どこか寂しさを纏った、肌を刺すような冷気。

「あの、さ。
えっと、つまりさ」

それって、つまり……。
いや、つまりってなんだ?
むしろ手詰まり感しかない。

形勢逆転。
さっきまで東郷を責めていた俺が、逆に責められる立場になった。東郷に責められていると感じたわけじゃない。自分でそう思ったんだ。
さっきの俺の発言は、確実に東郷を攻撃した。
今の東郷の雰囲気が、それを物語っている。

「……ということで、これからもよろしくね」
「あ、東郷!」

バタン。
話し合いは、ここで強制終了。
東郷は「飲み物かってくる」と呟いた後、魂が抜け駆けた俺を、部屋に一人置き去りにした。

「本当に、手詰まりになった……」

衝撃な告白。
本気の目をした東郷。

『え、まさか東郷って……俺のこと、好きなの?』
『そうだよ』

ねぇ東郷。
あの時、俺は。
なんて言ったらよかったんだ?