うだるような暑さが連日続いている中、俺たちは夏休みに入っていた。
 あれから間宮とは特に何かあったわけでもなく、これまで通りの関係が続いている。あんな意味不明なことを言っておいて何もないってことはあれはただの冷やかしだったのだ。ドキドキしていたのも意識していたのも俺だけ。このまま間宮に俺の心を持っていかれる前に気づけてよかったんだ。俺はそう思うことにした。

「みなっち~~~」
「ん?」
「今日夏祭りなんだよ!一緒に行こ~~俺りんご飴食べたい」
「当日に誘うやつがどこにいるんだよ」
「え、ここにいる」

 寮に遊びに来ているふっきーがベッドでコロコロと寝転がりながら言う。
 間宮はバイトらしい。夏休みに入ってからというものほぼ毎日のように働いているっぽい。まあ、うるさいやつがいなくて俺的には嬉しいけど。

「はあ、ほんとふっきーらしいっていうか何というか……」
「無理?」
「行けるけど」
「まじ!じゃあ間宮も誘ってみるわー」
「え、アイツは……」

 そこまで言いかけてやめた。危ない。
 ”バイトだから無理だと思う”って言いそうだった。
 ふっきーは俺のことなんて気にすることもなく、スマホを持って素早く指を動かしている。

「あー、なんか間宮は原田たちから先に誘われてたらしくてそっちと行くんだってさ」

 ふっきーの言葉を聞いて、胸が小さな針で刺されたようにチクリと痛んだ。てっきりバイトだと思っていたからまさか他の人と行くとは思ってなかった。でも考えてみたら間宮はクラスの人気者で誘われないわけがない。
 第一、間宮が来なくても俺が傷つく必要なんてどこにもないのに胸にぽつぽつと湧いてくるこの悲しみはなんなんだよ。

「ふーん。ま、俺たち二人で行こうよ」
「そうだなー!りんご飴楽しみ!」
「ふっきー、さっきからそればっか」

 夏祭りが始まる時間までふっきーとゲームしたり、夏休みの宿題をしたりして過ごした。だけどその間もずっと頭の片隅に間宮がチラついていたのは言うまでもない。

 ◇◆◇

「うわー、やっぱ結構人多いな」
「ほんとだな。迷ったらすぐはぐれそう」

 午後6時。
 俺たちは約束通り街で行われるお祭りにやってきた。
 街に流れる祭り特有の愉快なメロディの中に蝉の鳴き声が紛れ込み、辺りにはベビーカステラにフルーツ飴、焼きそばにたこ焼き、スーパーボールすくい、射的……様々な屋台がずらりと立ち並んでいる。

「みなっち迷子にならないでよ」
「ならないよ」

 ふっきーは俺の事なんだと思ってんの?そりゃあ確かに身長はふっきーや間宮より低い170cmだけど一応男だし。

「まあまあ、そんな怒んなって。あれ?あそこにいるの間宮たちじゃね?おーい!間宮ー!」
「ちょ、ふっきー別に会わなくていいじゃん」

 ふっきーが少し先にいるピンクの頭に満面の笑みで手を振っている。
 こんなところで間宮に会うなんて。しかも他の奴らといるときに。
 俺は無駄な抵抗だってわかっているけれどふっきーの後ろに身を隠した。

「え、ふっきーじゃん。後ろにいんのは水瀬?」

 間宮の声がどんどん近づいてきて俺はあっさりと見つかった。

「そう、みなっちだよ……ってなんで隠れてんの」
「……なんとなく」

 別に隠れなくてもよかったんだけど、今は会いたくなかったのだ。

「おー、吹本と水瀬も来てたんだ」
「うーっす」

 間宮が仲良くしているクラスメイトの原田と内村が後ろからやってきた。
 正直、俺はあんまりこういう感じに慣れていないからどうリアクションすればいいのかわからない。だからとりあえず場の空気を壊さないように口角を上げて笑顔を向けた。

「水瀬もこういうところ来るんだ」
「え? あ、うん」

 間宮がいきなり俺に話を振ってきて戸惑いながらも答えたら「ふーん。なら、俺も誘えばよかった」と独り言に近いような声でそう言った。いつもなら嫌というほど俺の目をみて話す間宮が今日は全然目を合わそうとしない。

 俺、なんかしたっけ……?

「じゃあ、俺ら行くわ。二人も楽しんで」

 俺が言葉を返す前に間宮はそう言うと、原田と内村がまだふっきーと話しているにも関わらず、一人で先にスタスタと歩き出してしまった。
 今日の間宮はどこか俺に冷たくて胸が鋭利な刃物で引き裂かれるみたいにズキズキして痛む。
 なんだよ……いつもは犬みたいに嬉しそうに駆け寄ってくるくせに。
 追いかけることのできない間宮の大きな背中を俺は黙ってじっと見つめていることしかできず、その姿が妙に頭の中にこびりついて離れなかった。

「みなっち、どうかした?」
「いや、なんでもない。俺、ベビーカステラ食べたいな」
「あ、それならあっち側にあったから行ってみよー」

 今はとにかく早く間宮から離れたくて、とくに食べたいとも思っていないベビーカステラの名前を出してわざと間宮たちとは反対側を歩くようにした。俺は本当にどうかしている。そんなことをしたって何にもならないのに。間宮の気を引くこともできないってわかってるのに。
 ベビーカステラを買って食べてみても口の中に甘さが広がるだけで虚しさしかない。俺が欲しい甘さはこんなんじゃない……なんてな。

「あ!みてみて!みなっち!りんご飴が俺を呼んでる!」

 隣を歩いていたふっきーがフルーツ飴のお店を見つけるなり、目を輝かせながらそう言って走り出した。まるで小学生のようなリアクションをするふきーに笑みをこぼしながら俺も追いかけようとしたとき、タイミング悪く人の波が押し寄せてきて前に進めず、そのまましばらく流されてしまい、ふっきーを完全に見失ってしまった。

「いない、か」

 人ごみから抜け出したあと、フルーツ飴の店の前まで戻ってきたけどそこにふっきーの姿はなかった。
 どうしよう。連絡しようにも人が多すぎて電波が悪くて繋がらない。
 俺、完全に迷子みたいなもんじゃん。
 歩き回ったら余計に合流できなくなるんじゃないかと思った俺はフルーツ飴の屋台の近くにあった石の段差に膝を抱えるように座ってそのまま顔を伏せた。
 ふっきーにも迷惑かけてなにやってんだろう。せっかくできた友達なのに嫌われたかな?もう話してくれなくなるかな?間宮にも嫌われちまったし。
 負の感情が一気に心に押し寄せてきて目に涙の膜が張る。

「ま、みやぁ……っ」

 ぽつり、と口からこぼれ落ちた名前。
 なぜ間宮だったのかはわからないけれど、無性に間宮に会いたかった。
 あのピンクの髪に、太陽のように眩しい笑顔に、会いたかった。

「ハアハア……呼んだ?」

 聞き覚えのある声がしてハッと弾けたように顔を上げるとそこには頭の横に人気のキャラクターのお面をつけた間宮が息を切らしながら立っていた。

「な、んで……」

 これは、俺の都合のいい夢だろうか。目の前にいる男は本物の間宮なんだろうか。
 そう、疑ってしまいたくなるほど俺はこの状況を飲み込めずにいた。
 だってお前は原田たちと一緒にいたんじゃないの?それなのになんで今俺の目の前で汗だくになって肩を揺らして息を整えてんだよ。

「お前とはぐれたってふっきー、から聞いて……俺、居ても立っても居られなくてさ」
「え……」

 わざわざ俺を探すためだけに走り回ってくれたの?こんなに暑い中?
 お前、バカじゃないの?俺のこと嫌いになったんだろ?

「まじで見つかってよかった」

 さっきまで抱いていた俺の心の不安を取っ払うように安堵の笑みを浮かべる間宮。
 何も言わない俺を見て間宮が急に俺の腕を掴んで自分の方に引き寄せた。

「うわ!」
「ちょっと来て」

 俺のおでこが間宮の胸にコツンと当たって数秒後、間宮は俺の手を掴んだまま勢いよく歩き出した。 
 俺たちを不思議そうに見る人たちの視線なんて気にせず、ただひたすらに歩みを続ける。
 今、間宮が何を考えているのかさっぱりわからない。俺はついていくことしかできず、俺の腕を掴んでいる手が大きいなとかTシャツがたくさんの汗で色が変わってしまうくらい必死で探してくれたんだろうなとか考えてしまって胸がじんわりと熱くなった。
 しばらく歩いて間宮が足を止めたのは祭り会場より少し離れた公園だった。
 公園に着くと間宮は俺の手を離して、ブランコに座った。離れた手を見て寂しいと思ったのは気づかなかったことにする。

「あっつー」

 そう言いながらTシャツの首元を持ってパタパタと顔に風を送っている。その姿すらなぜだか様になっていて悔しい。俺はブランコには座らず立ったまま、視線を落として自分の靴と睨めっこをしていた。
 なんで間宮は俺をこんなところに連れてきたんだろう。もうお前がわからないよ。嫌いになったならどうしてこんなに優しくするんだ。

「水瀬もこっち来なよ」
「……やだ」
「なんで?」
「なんではこっちのセリフだろ……なんで、なんでお前は俺に優しくすんの?さっきまで冷たかったくせに。嫌いになったくせに優しくすんなよ……!これ以上お前に優しくされたら俺……俺、おかしくなりそう」

 こんなこと言うなんて小学生みたいで情けないのはわかってるけど、もう抑えられそうになかった。お前の優しさが辛いよ。お前は俺のことなんて何とも思ってないのに、俺はどんどんお前の優しさが忘れられなくなる。ほしくなってしまう。

 ――ガチャン!

 鉄と鉄がぶつかり合う音が耳に届き、徐々に足音が近づいてきているのが音でわかる。こちらに向かって歩いてきている間宮が一体どんな顔をしているんだろう。呆れた顔してんのかな。
 俺の前で間宮が止まった証拠に間宮の靴が視界に映っている。
 何を言われるんだろうと身構えていると俺の両頬に間宮の手が添えられ、地面に向けていた顔をそっと持ち上げた。

「……おかしくなっていーよ。俺なんてもうとっくにおかしくなってんだから」

 見上げた視線の先で月明かりに照らされた間宮が見たことないくらい苦しそうな表情を浮かべてそう言った。でもその双眸は溶けてしまいそうなほど熱が籠っていて、このままずっと見つめられていたらその瞳の奥に秘められた欲にどこまでも溺れてしまいそうだ。

「それにさ、好きなひとには優しくしたいって思うのは普通じゃね?」
「っ、」

 今なんて言った……? 好きな人って言わなかったか?
 いや、嘘だ。あの間宮が俺のことが好きなんてありえない。

「まあ、お前がふっきーと二人で祭り来てんの見て妬いて冷たくしちまったけど。ガキみてぇでダサいな俺」

 ふ、と唇を緩めて呆れたように笑った間宮。
 だけど俺はそれどころじゃなかった。頭の中は先程の間宮の言葉でいっぱいだった。
 好きっていつから? 遊ばれてるだけ?
 聞きたいことは山ほどあるのにどれも声にならない。それにさっきから自分の鼓動の音がうるさすぎて間宮に聞こえていないか心配になってくる。

「俺、水瀬のこと――――」

 間宮が覚悟を決めたようにゆっくりと口を開いて何か言いかけた瞬間、「ヒュ~~~ドン!ドン!」とけたたましい音とともに大きな火花が夜に咲いた。
 そこで俺はハッと我に返り、空を見上げていた間宮の手を振り払ってそのまま力いっぱいに地面を蹴ってその場から逃げ出した。

 俺の鼓動はまるで夏の魔法にかけられているかのようになかなか鎮まらなかった。