「お前ら優勝しか許さねえからな!」
「おー!!!」

 体育館にクラスメイトの盛り上がる声が響き渡っている。
 入学して1ヵ月くらいが経った今日は俺たちにとって初めてのクラス行事でもあり、初めての球技大会だからなのかクラスメイトもすごく気合いが入っているのだ。
 ただ、俺は絶賛体調不良。
 頭はずっと鈍器で殴られているみたいに痛いし、たぶんこの体のダルさは熱もあると思う。
 だけど、俺が不参加になるわけにはいかない。
 俺たちの高校の球技大会はバスケ、バレー、ソフトボールの3種目に分かれており、俺が参加するバレーは参加人数がギリギリなのだ。 
 もし、俺が休んでしまえばチームのみんなに迷惑をかけてしまうことになる。
 それだけは嫌なんだ。せっかく放課後も練習していたのに。
 ちなみにバレーはバスケのあとに行われることになっていてふっきーはソフトボール、間宮はバスケだ。

「みなっち、顔色悪いけど大丈夫?」

 体育館の壁にもたれながら座り込んでいた俺を見つけてふっきーが心配そうに眉を下げながら言った。

「うん、全然大丈夫」
「しんどかったら保健室行けよ?」
「ありがと」
「絶対だからな」

 強い口調でそう言いながらふっきーは俺の隣に腰を下ろした。

「「キャー!翠くんかっこいいー!!」」

 近くにいた女子たちが目の前で繰り広げられているバスケの試合でシュート決めた間宮に黄色い声を上げて騒いでいる。
 いまその高い声は頭に響くから正直やめてほしい。
 心の中で文句を言いながらぼんやりとバスケの試合を見ていると、何を思ったのか間宮がコートからVサインをしてきた。
 いや、お前なにやってんの。試合に集中しろよ。
 そう思いながらも自然と頬が緩んでいて俺はそれに笑みを返した。
 ていうか、間宮ってやっぱり運動神経よかったんだ。
 いつもはバカっぽく見える間宮も今日は心なしかかっこよく見える。
 クラスのみんなとハイタッチをしているところが目に入った途端、胸がぎゅっと締め付けられたことに俺は気づかないフリをした。

「間宮、やっぱすげー人気だな」
「ほんとにな」
「それなのに本人は何にも興味ないっていう」
「非リアに恨まれる存在だな」

 間宮はあれだけモテているのに女の子との浮いた話が一つもない。いや、他の人たちの中では他校に彼女がいるという噂が濃厚になっているけど、実際はバイトに明け暮れているだけだし。

「あんなけモテたら選びたい放題なのになー」
「ふっきーだってモテてるじゃん」
「いや、なんの嫌味なんだよ。モテてるのはみなっちでしょ」
「俺、あんま女子と話してないからモテないよ」
「はあー……これだからみなっちは。みなっちは自分で気づいてないかもだけど顔めっちゃ整ってるからな!?」

 興奮気味に話してくるけど正直俺はなんとも思わない。
 だって、別に女子にモテたところで意味無いし。なんて言えないけど。

「気のせいだって」
「気のせいなわけあるか……!」

 ふっきーのモテるモテない論争に付き合っていたら知らぬ間にバスケの試合が終わっていたようだ。

「水瀬!俺のプレイ見てた!?あの華麗なシュート!」

 バスケが終わるなり、すぐ白い歯を見せながら嬉しそうに俺の元へと駆け寄ってきた間宮。もし、彼が犬なら絶対尻尾を振ってるだろうってくらい今の間宮は無邪気で楽しそうだ。
 この1ヵ月くらいの間に俺もかなり間宮に絆されてしまって間宮のことをちょっと可愛いなとか思ったり思わなかったりの日々を過ごしている。
 俺は間宮がバイトしている理由を知ってから間宮に対して抱いていた嫌悪感みたいなのが自分の勘違いだったことに気づいて反省して態度を改めたのだ。
 いや、まあ今でも塩対応なのは変わんないと思うけど。

「見てたよ。すごいじゃん」
「だろ〜〜!まあ俺の手にかかればこんなの余裕よ」

 俺が素直に褒めてやれば、わかりやすく胸を張ってドヤ顔をしている間宮。前髪を上にあげてピンでとめているからかいつもより幼く見える。
 本人曰く、前髪が汗で額にへばりつくのが嫌なんだとか。朝から一生懸命鏡と向き合って何度もピンの位置を調整していたのを俺だけが知っている。
 そのことでちょっとだけ優越感に浸っていたのは内緒。

「勉強もそれくらい頑張ったら成績よくなんじゃね」
「お前な〜〜!って、水瀬。顔色悪くね?」

 ゲッ……絶対に気づかれたくない人に気づかれてしまって俺は顔をしかめた。間宮は長男だからなのか意外と世話焼き気質らしい。熱があることがバレたらきっと俺が折れるまで保健室に行けとうるさく言ってくるに違いない。

「やっぱ間宮もそう思う?」

 すかさずふっきーも隣からそう言ってくる。

「気のせいだって。大丈夫。じゃあもう集合だから行くわ」

 俺はそんな二人に大丈夫だと言い聞かせてダルくて重い身体を動かしてゆっくりと立ち上がった。
 病は気からって言うし、なんとかなるだろ。
 なんて俺は自分のことを過信しすぎてしまっていたらしい。
 バレーが始まって約5分。
 やっば……めちゃくちゃしんどい。
 ただでさえ、身体が熱いのに体育館の中は風通しもあまり良くないうえに生徒たちの熱気で蒸されるように暑い。
 ボールが飛んでくるたびに何とか腕を前に出して相手に返しているけれどじわりじわりと身体が熱に侵されてきているのか段々と焦点が合わなくなってきて、身体も思うように動かなくなってきた。
 あー……本気でやばいかも。
 そう思ったと同時にぐらりと視界が傾き、踏ん張っていたはずの力が抜けていく。

 ――バタン!

 次の瞬間、俺は体育館の床に横向きになって倒れていた。
 咄嗟に手を突いたから頭を打つことは免れたけど、全身を支えた手のひらがジンジンとしていて痛いし、腕の力では支えきれなくなり、コツンと床に頭をつけた。
 何やってんだよ、俺。
 ゆっくりと重い瞼を動かすけれど、それすらままならない。
 あー、なんか意識まで朦朧としてきた。自分ではいけると思っていたけれど身体は限界を迎えていたようだ。

「水瀬!」
「みなっち!」

 遠くから俺の名前を呼ぶ声たちがする。
 うっすらとした意識の中で誰かに抱きかかえられたところで俺の意識は途切れた。

 ◇◆◇
 
「んんっ……」

 目を覚ますとすぐになんの面白味もない白い天井がみえた。
 ここはどこだ……? 俺、倒れたんだよな?……?
 きょろきょろ、と辺りを見渡すと真っ先にピンクの頭が目に入って声が出そうになった。
 なんで間宮が……?
 間宮は椅子に座って俺が寝ているベッドに顔を伏せ、スヤスヤと心地よさそうに眠っていた。
 消毒薬が籠った独特の匂いがするこの部屋はどうやら保健室みたいだ。
 そう思ったと同時にシャーと音がして閉められていたカーテンがゆっくりと開けられ、そこに立っていたのは少し困ったような表情をした保健室の先生だった。

「水瀬くん、目が覚めた?熱があるのに無理しちゃダメでしょ」
「……すみません」
「間宮くんがここまで運んできてくれて、そのあとすぐにあなたの代わりにバレーをして試合が終わったらすぐにまたここに戻ってきたのよ」
「え……」

 保健室の先生の言葉を聞いて俺の口から今度こそ本当に驚きの声が洩れた。
 間宮が……?
 確かに遠のいていく意識の中で俺の名前を呼ぶ間宮の声が聞こえていた気がする。

「あなたのことがよっぽど心配だったのね」

 保健室の先生は優しく微笑んでいるけれど、俺の心は動揺と疑問でいっぱいだった。
 なんでわざわざ間宮が俺のためにそこまでしてくれんだよ。
 友達だからか?ルームメイトだからか?
 どうして間宮が俺なんかのためにそこまで必死になってくれるかわからなかったけど、その事実が嬉しいと思っている自分がいる。

「……」
「彼が起きたらちゃんとお礼を言うのよ。私はこれから用があるから部屋から出ていくけれど、戻れそうだったら寮に戻って休みなさい」
「わかりました。ありがとうございます」

 俺の言葉を聞くと、先生は優しくにっこりと微笑んで保健室から出て行った。
 初めて会った時からずっと思ってたけど間宮ってほんと綺麗な顔してるんだよな。
 俺は無意識のうちにまだ寝息を立てて眠っている間宮の頭の上に手を置いてまるで春に咲く桜のような淡いピンクの髪の毛をそっと撫でた。
 俺の代わりに出てくれるなんて。どうせお前のことだからバレーが棄権になったら俺が責任を感じてしまうことをわかってたんだろ……優しいのはお前だよ、間宮。
 つい1ヶ月前までは苦手で嫌いな存在だったのにたった1ヶ月で俺はすっかり間宮に絆されて心を許してしまっている。
 でもそれは俺が悪態をつこうが何を言おうが間宮が全部優しく受け入れてくれるからだ。俺は、それに甘えている自覚がある。
 そんなことをまだズキズキと痛む頭で考えていたらいきなり撫でていた手をパシッ掴まれた。

 ――!?

 お、起きてたのか……!?
 間宮がゆっくりと顔を上げ、硝子玉のように澄んだ瞳と視線が絡み合う。
 まさか起きているとは思っていなかった俺はわかりやすく狼狽えるしかなかった。

「お前、いつから起きてたの!?」
「そんなに見られたら嫌でも起きるわ」
「っ、」
「熱あんのに無理しやがって。心配しただろ」

 少し怒りを含んだ口調に俺は何も言えず、視線を左右に彷徨わせた。

「……誰も心配してくれなんて頼んでない」

 やっと出た言葉がこれなんて自分でも呆れてしまう。
 なんでもっと素直にお礼くらい言えないのかね、俺の口は。ほんと、自分が嫌になる。

「ほんとに素直じゃねぇな」

 そう言いながら呆れたように、でもホッとしたように間宮は口許を緩めた。
 いつもそうだ。間宮はこんな俺でも文句ひとつ言わずに笑って受け止めてくれる。他の人なら絶対俺みたいなやつは嫌いになるのに。

「……でもありがと」

 自分の口からぽつり、と小さな音がこぼれ落ちた。
 素直になってもこんなちっさい声でしかお礼が言えないなんて自分でも情けないと思う。おまけに恥ずかしくて間宮の顔を見れずに視線はシーツに向けたまま。

「……」

 あまりにもリアクションがないから心配になってちらりと間宮を盗み見ると彼は驚いたように目を大きく見開いて椅子から立ち上がり、こちらにずいっと近寄ってきた。そしてあろうことか間宮は自分の額を俺の額にこつんと重ね合わせた。

 テレビでみるような芸能人みたいに整った顔が視界いっぱいに映っている。途端にドッドッドッと鼓動が早鐘を打ち始め、その音がまるでドラムを鳴らしてるかのようにうるさく鼓膜を揺らす。

「っ!なにやってんだよ!」

 そう言って俺は急いで間宮の肩を力いっぱい押して引き離した。
 そうでもしないと俺の理性とか心臓とか色々危なかったのだ。

「いや、素直にお礼言うなんて珍しすぎて熱上がったのかと思ってついつい兄弟たちにやるみたいに熱の確認しちまったわ。ごめん」

 けろっとした様子で言う間宮に少しだけ怒りがこみ上げてくる。
 なんだよ、ドキドキしてたのは俺だけかよ!俺は弟と一緒ってか!?
 いや、当たり前だ。間宮が俺みたいなやつ相手にドキドキするわけがない。それなのになんで俺はイライラしてんの。熱でおかしくなってるのかもしれない。

「お礼くらい言えるし。バカにすんな」

 ムカついて間宮をキッ、と鋭く睨む。だけど間宮はそんなこと気にも留めていないのか「あー、その顔やめれる?逆効果だし。こっちも結構理性スレスレなんだよなー」なんてほとほと困り果てた様子で再び椅子に腰を下ろした。

「……意味わかんねえし」
「さっきの嘘だから」
「は?何が?」
「熱、確認したの。水瀬に触れたいがための言い訳。兄妹にもあんな確認の仕方はしねえよ」

 ベッドに頬杖をついてコテン、と首を傾けた間宮の表情はほんのりと赤みを帯びているような気がする。

「っ、」

 愛おしいもんでも見るような目で今そんなこと言うのズルいだろ。それじゃあ、間宮が俺に触れたかったって言ってるようなものじゃん。変な勘違いをしそうになる。

「やっぱ、お前かわいーから我慢できない」

 また意味不明なことを言いながら間宮が俺の頭を優しく撫でてくる。口許はだらしないほど緩みっぱなしで見ているこっちが恥ずかしくなってくるほどだ。

「は!?可愛くねえし!」

 今の俺はこうやって強がることしかできそうにない。
 だって、もう心臓が爆発してしまいそうなくらい激しく音を立てていて間宮に抱いてはいけない感情を持ってしまいそうだから。

「それだけ元気あったらもう大丈夫そうだな。貸しイチだからなー」
「貸しっていつも起こしてやってるだろ!」
「え?そうだっけ?」
「とぼけんな、まじ」
「まあ、とりあえず寮まで戻ろ。立てる?」

 ほんとに不甲斐ないけどフラフラな俺は間宮にしっかりと支えてもらいながら寮まで戻った。

 今日、間宮のことをかっこいいと思ったのも間宮になら触れられてもいい、触れたいと思ったのも、全部、全部――この熱のせいだ。