眠い。眠すぎる。
昨日あれから色々考えていたら全然寝付けなくて完全に寝不足だ。無事に起きれたのはいいものの、学校で寝ないように気をつけないと。
そんなことを思いながら制服に袖を通しながら未だにベッドでスヤスヤと眠る男の顔をじっと見つめた。
……いや、起こすとかないけど。つーか、昨日散々寝たのによくこんなに眠れるな。でも俺が起こさなかったらコイツ絶対遅刻するだろ。
「おい」
無視すればよかったのに何故か放っておけなくて俺は心地よさそうに眠る間宮の肩を叩いた。
なんで俺が朝からこんなことしなきゃならねえんだよ。
「んー……」
モゾモゾと動いただけで起きる気配のない間宮。
ほんとに起きられないんだな、こいつ。
「2日連続遅刻とかシャレになんないぞ」
「んー……ねむ。おはよ、水瀬」
間宮はそう言うと眠そうに目を擦りながらやっと上半身を起こした。
「早くしないとまた遅刻だぞ」
「え、今何時?」
「8時」
「やっば!」
俺が時間を伝えるとベッドから飛び出してクローゼットの中の制服に手をかけた。
たぶん、間に合うとは思うけどかなりギリギリだろうな。まあ、俺には関係ないけど。
「じゃ、俺は先に行くから」
「ちょ……!待って!俺学校の場所覚えてねえんだって!」
「は?なんで覚えてないんだよ」
自分が入学する学校の場所を知らないなんてどうかしてる。やっぱり俺は間宮みたいなやつとは合わない。
朝から盛大なため息をつきたい気持ちをなんとか堪えて急いで着替えている間宮を見た。すると、タンクトップから伸びた腕に思わず視線が釘付けになってしまった。
うわ~~……めっちゃ鍛えてそうな腕してる。意外と筋肉あるんだなって……今の俺めちゃくちゃきもいじゃん。やめよ。
「だって俺、昨日学校行こうと思ったらこの寮に辿り着いて、自分の名前が書いてた部屋に入ったんだけど気づいたら寝てた」
「はあ……アホすぎる」
「そんな呆れんなってー。寝癖は学校行ってからなおすわ」
ぴょんぴょんとあちこちに跳ねた寝癖はちょっとだけ可愛く見える。
いや、ちょっとだけだから。こんな綺麗な顔のやつでも寝癖つくんだなとか思ってしまった。
「早くしろよ。俺まで遅れる」
「あと1分だけ待って」
「はー……60.59.58……」
「いやそれ余計に焦るからやめれる……!?」
「文句言うな」
誰のためにこんなギリギリまで待ってやってると思ってるんだ。とんでもないやつと同じ部屋になってしまった俺はまじでツイてない。まさかこれが毎朝とかじゃないよな?さすがに無理なんだけど。
「おけ。これで準備完了」
間宮が着替え始めたときから俺は壁にもたれかかって違う方向をみていた俺はその声が耳に届き、視線を間宮に向けた。とても寝起きとは思えないそのビジュアルに違う意味でため息が出そうになる。
顔だけは、良いんだよなあ~。顔だけは、な!中身は最悪だけど。
「お前のせいで遅刻になったら1年間、お前が風呂掃除担当な」
靴を履きながら俺がそう言うと、間宮はわかりやすく顔をしかめた。
「お前、悪魔すぎんだろ」
「寝坊するやつが悪い」
「まあ、間に合えばいいんだろ。早く行こうぜ」
「あ、ちょ、待てよ!引っ張んな!」
間宮は先程まであくびをしていたとは思えないほど満面の笑みで俺の腕を引いて走り出した。
いや、遅刻寸前なのは事実だけど何もここまで全力ダッシュしなくてもいいだろ……!第一、俺はそんなに運動が得意じゃないし体力だって間宮ほどないんだからこのペースで学校まで走られると俺の肺が死ぬ。遅刻云々の前に俺の命の方が危ない気がする。
「これどっち曲がんの?」
「み、みぎ……っ」
「りょーかい。ってか、水瀬もうバテてんの?」
「うるせぇ……バテてねえし」
口ではそう言ったけれど、結構限界だし、間宮は俺の腕を掴んでいる手もなかなか離そうとしないし、もうすでにキャパオーバーかも。好きでもない男だけど、触れられるとなぜかドキドキしてしまう。それもこれも間宮の顔面が強すぎるからだ。
「はは、意地っ張りだねー」
「ほんとだし……っ!」
「まあ俺も疲れてきたし、たぶんこの辺まで来たらもう遅刻しないでしょ」
周りに俺たち以外の生徒がチラホラ現れたことを確認した間宮がスピードを緩めてゆっくりと歩き出した。
「ハアハア……」
俺は大きく肩を上下に揺らして乱れた息を整えた。
まじで最悪。朝からこんなに走るなんてありえない。
「朝から俺たち頑張ったな」
なーにが俺たち頑張ったな、だよ。
「こっちはお前のせいで朝から最悪だっつーの」
「ごめんってー」
ヘラヘラとしながら謝られても逆にウザいだけなんだけど。学校では極力関わりたくないな。
「明日からはもう起こさないから」
「そこをなんとか頼むよ、水瀬! あ、水飲む?」
いつの間にカバンに入れたのか冷えたペットボトルを取り出して、カチッとキャップを外してから俺に渡してくれた。
なんなんだよ、コイツ……。
さらっとこんなことしてんじゃねえよ。まあ、でもこういうやつだからきっと女子からモテるんだろうな。
さっきも俺が体力の限界だって気づいてスピード落としてくれたし。
「いや、心配しなくてもさすがに新品です」
なかなか受け取らない俺に疑問を抱いた間宮が続けてそう言った。
「わかってるし……さんきゅ」
そう言いながらペットボトルを受け取ってゴクリゴクリと喉を鳴らしながら流し込んだ。
ひんやりとした水が乾いた喉を通って潤い、一気に生き返ったような気分になる。
「生き返った?」
「まあ……」
そもそもお前のせいだけど。そう思ったことは水をくれたから言わないでやろう。
間宮と適当に会話しているといつの間にか学校に着いて、そのままの流れで二人一緒に教室に入った。
でも、すぐに後悔した。だって、クラスみんなの視線が一気に間宮に向けられたから。そうなると必然的に隣にいる俺にも痛いほどの視線が突き刺さるのだ。
「え、ウチのクラスにこんなイケメンいた?」
「まじで芸能人レベルじゃん」
「名前なんて言うの!?」
男女関係なく、間宮を視界に入れた誰もが宝石でも見ているかのようにキラキラと瞳を輝かせてこちらに向かってきた。
「え、なになに。みんな揃ってどうしたわけ」
「じゃ、俺はここで退散させてもらうわ」
みんなの反応に困惑している間宮を放っておいてそう言い、俺はクラスメイトをかき分けて自分の席に腰を下ろした。
はあ……朝からめちゃくちゃ疲れた。でもそれも今日だけだから。明日から間宮は別の人と登校するだろ。アイツ社交的だし。
「おはよう、みなっち」
俺に挨拶をしてくれた彼は俺の隣の席に腰を下ろした。
「おはよ、ふっきー」
「朝から巻き込まれて不機嫌って顔してて笑う」
「笑い事じゃない」
俺の様子をみてケラケラと腹をかかえて笑っているのは昨日友達になったばかりの吹本。通称、ふっきー。
高校ではあまり人とか関わらずに過ごそうと思っていたけどふっきーのコミュ力の高さにやられてすぐに打ち解けてこうして話せるようになった。
「それにしても間宮、人気だなー」
教室の入口にできた小さな集団の真ん中に間宮がいるのだ。ここからじゃ、見えないけど。
「まあ、あのルックスとあのコミュ力だったら人気にもなるでしょ」
「そういえば、みなっちは間宮と同部屋になったんだっけ?」
「そうなんだよ~~~まじで勘弁」
ため息交じりにそう言いながらヘナヘナと顔を机に伏せた。
「みなっちもツイてないな。せっかく一人部屋のはずだったのに」
「はあ……俺の努力が水の泡だよ。もうこんなの中学の俺が泣いてるわ」
起こってしまったことに今更何を言っても無駄だってわかってるけどさ。
「ドンマイっす、みなっち」
「他人事だと思いやがって~~」
俺は伏せていた顔を上げてふっきーをキッと睨みつけた。
ふっきーは実家から通っているらしいから寮生活の方が楽しそうで羨ましいらしい。全然そんなことないのに。
「ちょ、水瀬、お前置いていくなよ」
頭上から聞きたくない声がしてゆっくりとそちらに視線を向けると間宮がいて俺の席の前に座った。
「いや、置いていくも何も俺は関係ないし」
「一人だけ逃げるなんてズルいだろ」
「ズルくねえよ。てか、そういえば俺の前の席って……」
「え、俺だけど」
きょとんした表情を浮かべながら当たり前かのように言い放った間宮。
「はー……席まで前後ってまじでなんのイタズラなんだよ」
信じられない。昨日はとくに意識していなかったけれどマミヤとミナセだと確かに出席番号が前後になる。
「俺は水瀬と前後でうれしーけどな」
「お前、簡単にそんなこと言うなよ」
嬉しいとかそんな思ってもないことを言わないでほしい。
「思ったこと言っただけじゃん。な?」
そう言いながらふっきーに向かって首を傾げた間宮。
こ、コイツ……。
「おい、ふっきーを巻き込むな」
「ふっきーっていうのね、OK。覚えた」
「お前な、俺の話を……」
「なあ、水瀬。俺のこともあだ名で呼んでよ」
俺の机に頬付を突きながらにこりと微笑んだ間宮。そのあまりにも優しく甘い笑顔に鼓動が早鐘を打ち始める。
こんなの、ズルい。このドキドキはただコイツの顔が良すぎるからで、それ以上の理由なんてあるわけない。
「俺はお前と仲良くなるつもりなんてないし」
ふっきー以外のクラスメイトとはちょうどいい距離感でいたいんだ。もちろんふっきーを恋愛対象に入れているかと聞かれたら答えはノーだ。ふっきーは優しい友達だからそんな目で見てたらバチが当たりそう。
「俺決めたんだー。水瀬と仲良くなるって。てことで俺らもうマブダチな」
「何がマブダチだよ。ただのクラスメイト兼ルームメイトだろ」
「はーあ、水瀬ってほんとツンデレだよな」
「俺のどこにデレ要素があんだよ」
コイツときたら自分勝手のマイペースで困る。なんでこんなに俺に絡んでくるんだよ。
「あはは!」
俺が間宮と言い争っていると隣に座っていたふっきーが声を出して笑った。
「ちょ、ふっきー!なんで笑ってんの!」
どこに笑う要素があったのか俺にはさっぱりわからない。
でも、ふっきーはまだ白い歯を見せて笑っている。
「いやー二人の会話、なんか面白くてツボだわ」
お、面白い……?
この会話のどこが面白かったんだ?
「おー、ふっきーには俺たちの良さがわかっちゃった?」
「うん。間宮とみなっちいいコンビだと思うよ」
「どこが!?」
「なんとなく。間宮がみなっちの良さを引き出してるって感じ」
間宮が俺の良さを引き出してる……?ふっきーまでおかしくなってしまったのか……?
「さすが、ふっきー!わかってるねえ」
「だろ~~?」
「ふっきーが間宮に洗脳された……」
「おいおい、言い方ひどくね」
俺の前で間宮が眉を下げているけど俺には関係ない。この男のせいで俺の平和な高校ライフがどんどん崩れていってる気がする。
どうか、これからは平和に過ごせますように。
そう願いながら俺は授業に臨んだ。
◇◆◇
すべての授業を終えて部屋に戻るとそこに間宮はいなかった。
俺より先に帰ってたはずだけど……。あ、そうか。他の人と遊びに行ってるんだな。休み時間になるたびに間宮の席までクラスの誰かしらが話しかけに来てたし。まあ、俺は当然ふっきーと話してたけどね。
間宮の人気ぶりは予想通りでしまいには他のクラスの奴らまで教室に来ていたくらい。俺にはアイツの良さはわかんないけど、きっと人を惹きつける何かを持っているんだろうな。天性のもんってやつ。遊びに行ってるならしばらく帰ってこないだろうし……。
そう思って机の引き出しにしまってあった小さなアクセサリーケースを開いた。
そこからシルバーのリングピアスを取り出して耳に髪をかけた。
そしていつもは髪の毛で隠れている耳が露になり、耳朶にあいた穴にピアスを差し込んだ。
俺の耳にピアスの穴が開いていることは誰も知らない。開けたのは中学3年の冬、受験を終えてからだ。自分の恋愛対象が同性だと知ったとき、これから俺はそれを偽って生きていくことになるのがわかっていたから”何か”が欲しかった。これを付けているときだけは本当の自分に戻ってもいい、と自分で決めた。いわゆる願掛けみたいなもの。
本当の自分といっても性格が変わるとかそういうことじゃない。ただ、自分で同性が好きであることを受け入れて認めるというだけ。それだけのことに思えるかもしれないけど、俺にとっては結構大きいものだ。
「だから一人部屋がよかったのに……」
一人だと部屋に戻ったらこのピアスをつけて願掛けに頼ることができるのに誰かと同部屋だったらそれができない。俺みたいなやつが校則違反であるピアスをつけているなんてバレたら絶対理由を聞かれるだろうし。なんて、嘆いてないで勉強しよっと。
そう思ってカバンからもらったばかりのテキストを取り出して、問題を解き始めた。
――コンコンッ!コンコンコンッ!
ぼんやりとした意識の中で窓を叩く音が聞こえてきて徐々に瞼を持ち上げた。数回瞬きをしたあと、自分の状況を脳が理解して急いで机に伏せていた身体を起こした。
「やばっ……!寝落ちしてた」
勉強していたはずなのにいつの間にか椅子に座ったまま寝落ちしてしまっていたらしい。
――ミナセ!おい!水瀬ってば!
窓の外から俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきてそちらまで向かい、カーテンを開けるとどうやって入ってきたのか窓の前に間宮が立っていた。
え、なにしてんの……?
普通に門から入ってきたらいいのにと思いながらスマホで時間を確認してようやくなぜ間宮が窓の外に立っていたのかを理解した。
「なるほど。門限を破ったってことね」
そう、現在の時刻は22時10分。寮で決められている外出可能時間は22時まで。それ以降は出入りできなくなり、門番のおじさんに事情を説明した後、後日反省文とお叱りを受けるらしい。
――水瀬!頼む!開けて!
そう言いながら俺に両手を合わせてお願いしてくる間宮。
自業自得だろ。こんな時間まで遊んでたんだから。それにここで間宮を入れたら俺まで共犯になってしまうじゃないか。そんなのごめんだ。いや、でもここで間宮を入れなかったら絶対あとからやいやい言われてうるさいよな。
そう思った俺は渋々カギを外して窓を開けてやった。
「とっくに門限の時間、過ぎてるけど」
「ごめんってー。勉強してたの?さすが優等生は違うなー」
平謝りしながら間宮は窓の縁に手をかけ、ひょいっと身体を動かして窓の外から部屋の中に入ってきた。
俺たちの部屋が一階じゃなかったらどうするつもりだったんだよ。
「お前がアホなだけだ」
「俺は一夜漬けタイプなだけだし。てか、ピアスあけてんだ」
そう言われて、はっ、とした。
しまった……。ピアス外すの忘れてた。
もう遅いとは思いながらも急いで手で隠した。
「こ、これは……!」
なんて言い訳しよう!?よりにもよって、間宮に見られるなんて。
だけど、間宮は俺の心配を他所に耳を隠している俺の手をそっと退かすとピアスに触れながら、
「いいんじゃね?似合ってる」
と、サラリと言い放った。
お前は俺がピアスつけるタイプじゃねえのにとか言わないの?なんでそんなに当たり前に受け入れてくれんの?
「……冷やかすなよ」
「俺、嘘つけないタイプ」
そう言って優しく目を細めて微笑む間宮に俺の鼓動はばくんばくん、と大きく高鳴っていく。
なんで……俺、間宮なんかにドキドキしてんだよ。
昨日あれから色々考えていたら全然寝付けなくて完全に寝不足だ。無事に起きれたのはいいものの、学校で寝ないように気をつけないと。
そんなことを思いながら制服に袖を通しながら未だにベッドでスヤスヤと眠る男の顔をじっと見つめた。
……いや、起こすとかないけど。つーか、昨日散々寝たのによくこんなに眠れるな。でも俺が起こさなかったらコイツ絶対遅刻するだろ。
「おい」
無視すればよかったのに何故か放っておけなくて俺は心地よさそうに眠る間宮の肩を叩いた。
なんで俺が朝からこんなことしなきゃならねえんだよ。
「んー……」
モゾモゾと動いただけで起きる気配のない間宮。
ほんとに起きられないんだな、こいつ。
「2日連続遅刻とかシャレになんないぞ」
「んー……ねむ。おはよ、水瀬」
間宮はそう言うと眠そうに目を擦りながらやっと上半身を起こした。
「早くしないとまた遅刻だぞ」
「え、今何時?」
「8時」
「やっば!」
俺が時間を伝えるとベッドから飛び出してクローゼットの中の制服に手をかけた。
たぶん、間に合うとは思うけどかなりギリギリだろうな。まあ、俺には関係ないけど。
「じゃ、俺は先に行くから」
「ちょ……!待って!俺学校の場所覚えてねえんだって!」
「は?なんで覚えてないんだよ」
自分が入学する学校の場所を知らないなんてどうかしてる。やっぱり俺は間宮みたいなやつとは合わない。
朝から盛大なため息をつきたい気持ちをなんとか堪えて急いで着替えている間宮を見た。すると、タンクトップから伸びた腕に思わず視線が釘付けになってしまった。
うわ~~……めっちゃ鍛えてそうな腕してる。意外と筋肉あるんだなって……今の俺めちゃくちゃきもいじゃん。やめよ。
「だって俺、昨日学校行こうと思ったらこの寮に辿り着いて、自分の名前が書いてた部屋に入ったんだけど気づいたら寝てた」
「はあ……アホすぎる」
「そんな呆れんなってー。寝癖は学校行ってからなおすわ」
ぴょんぴょんとあちこちに跳ねた寝癖はちょっとだけ可愛く見える。
いや、ちょっとだけだから。こんな綺麗な顔のやつでも寝癖つくんだなとか思ってしまった。
「早くしろよ。俺まで遅れる」
「あと1分だけ待って」
「はー……60.59.58……」
「いやそれ余計に焦るからやめれる……!?」
「文句言うな」
誰のためにこんなギリギリまで待ってやってると思ってるんだ。とんでもないやつと同じ部屋になってしまった俺はまじでツイてない。まさかこれが毎朝とかじゃないよな?さすがに無理なんだけど。
「おけ。これで準備完了」
間宮が着替え始めたときから俺は壁にもたれかかって違う方向をみていた俺はその声が耳に届き、視線を間宮に向けた。とても寝起きとは思えないそのビジュアルに違う意味でため息が出そうになる。
顔だけは、良いんだよなあ~。顔だけは、な!中身は最悪だけど。
「お前のせいで遅刻になったら1年間、お前が風呂掃除担当な」
靴を履きながら俺がそう言うと、間宮はわかりやすく顔をしかめた。
「お前、悪魔すぎんだろ」
「寝坊するやつが悪い」
「まあ、間に合えばいいんだろ。早く行こうぜ」
「あ、ちょ、待てよ!引っ張んな!」
間宮は先程まであくびをしていたとは思えないほど満面の笑みで俺の腕を引いて走り出した。
いや、遅刻寸前なのは事実だけど何もここまで全力ダッシュしなくてもいいだろ……!第一、俺はそんなに運動が得意じゃないし体力だって間宮ほどないんだからこのペースで学校まで走られると俺の肺が死ぬ。遅刻云々の前に俺の命の方が危ない気がする。
「これどっち曲がんの?」
「み、みぎ……っ」
「りょーかい。ってか、水瀬もうバテてんの?」
「うるせぇ……バテてねえし」
口ではそう言ったけれど、結構限界だし、間宮は俺の腕を掴んでいる手もなかなか離そうとしないし、もうすでにキャパオーバーかも。好きでもない男だけど、触れられるとなぜかドキドキしてしまう。それもこれも間宮の顔面が強すぎるからだ。
「はは、意地っ張りだねー」
「ほんとだし……っ!」
「まあ俺も疲れてきたし、たぶんこの辺まで来たらもう遅刻しないでしょ」
周りに俺たち以外の生徒がチラホラ現れたことを確認した間宮がスピードを緩めてゆっくりと歩き出した。
「ハアハア……」
俺は大きく肩を上下に揺らして乱れた息を整えた。
まじで最悪。朝からこんなに走るなんてありえない。
「朝から俺たち頑張ったな」
なーにが俺たち頑張ったな、だよ。
「こっちはお前のせいで朝から最悪だっつーの」
「ごめんってー」
ヘラヘラとしながら謝られても逆にウザいだけなんだけど。学校では極力関わりたくないな。
「明日からはもう起こさないから」
「そこをなんとか頼むよ、水瀬! あ、水飲む?」
いつの間にカバンに入れたのか冷えたペットボトルを取り出して、カチッとキャップを外してから俺に渡してくれた。
なんなんだよ、コイツ……。
さらっとこんなことしてんじゃねえよ。まあ、でもこういうやつだからきっと女子からモテるんだろうな。
さっきも俺が体力の限界だって気づいてスピード落としてくれたし。
「いや、心配しなくてもさすがに新品です」
なかなか受け取らない俺に疑問を抱いた間宮が続けてそう言った。
「わかってるし……さんきゅ」
そう言いながらペットボトルを受け取ってゴクリゴクリと喉を鳴らしながら流し込んだ。
ひんやりとした水が乾いた喉を通って潤い、一気に生き返ったような気分になる。
「生き返った?」
「まあ……」
そもそもお前のせいだけど。そう思ったことは水をくれたから言わないでやろう。
間宮と適当に会話しているといつの間にか学校に着いて、そのままの流れで二人一緒に教室に入った。
でも、すぐに後悔した。だって、クラスみんなの視線が一気に間宮に向けられたから。そうなると必然的に隣にいる俺にも痛いほどの視線が突き刺さるのだ。
「え、ウチのクラスにこんなイケメンいた?」
「まじで芸能人レベルじゃん」
「名前なんて言うの!?」
男女関係なく、間宮を視界に入れた誰もが宝石でも見ているかのようにキラキラと瞳を輝かせてこちらに向かってきた。
「え、なになに。みんな揃ってどうしたわけ」
「じゃ、俺はここで退散させてもらうわ」
みんなの反応に困惑している間宮を放っておいてそう言い、俺はクラスメイトをかき分けて自分の席に腰を下ろした。
はあ……朝からめちゃくちゃ疲れた。でもそれも今日だけだから。明日から間宮は別の人と登校するだろ。アイツ社交的だし。
「おはよう、みなっち」
俺に挨拶をしてくれた彼は俺の隣の席に腰を下ろした。
「おはよ、ふっきー」
「朝から巻き込まれて不機嫌って顔してて笑う」
「笑い事じゃない」
俺の様子をみてケラケラと腹をかかえて笑っているのは昨日友達になったばかりの吹本。通称、ふっきー。
高校ではあまり人とか関わらずに過ごそうと思っていたけどふっきーのコミュ力の高さにやられてすぐに打ち解けてこうして話せるようになった。
「それにしても間宮、人気だなー」
教室の入口にできた小さな集団の真ん中に間宮がいるのだ。ここからじゃ、見えないけど。
「まあ、あのルックスとあのコミュ力だったら人気にもなるでしょ」
「そういえば、みなっちは間宮と同部屋になったんだっけ?」
「そうなんだよ~~~まじで勘弁」
ため息交じりにそう言いながらヘナヘナと顔を机に伏せた。
「みなっちもツイてないな。せっかく一人部屋のはずだったのに」
「はあ……俺の努力が水の泡だよ。もうこんなの中学の俺が泣いてるわ」
起こってしまったことに今更何を言っても無駄だってわかってるけどさ。
「ドンマイっす、みなっち」
「他人事だと思いやがって~~」
俺は伏せていた顔を上げてふっきーをキッと睨みつけた。
ふっきーは実家から通っているらしいから寮生活の方が楽しそうで羨ましいらしい。全然そんなことないのに。
「ちょ、水瀬、お前置いていくなよ」
頭上から聞きたくない声がしてゆっくりとそちらに視線を向けると間宮がいて俺の席の前に座った。
「いや、置いていくも何も俺は関係ないし」
「一人だけ逃げるなんてズルいだろ」
「ズルくねえよ。てか、そういえば俺の前の席って……」
「え、俺だけど」
きょとんした表情を浮かべながら当たり前かのように言い放った間宮。
「はー……席まで前後ってまじでなんのイタズラなんだよ」
信じられない。昨日はとくに意識していなかったけれどマミヤとミナセだと確かに出席番号が前後になる。
「俺は水瀬と前後でうれしーけどな」
「お前、簡単にそんなこと言うなよ」
嬉しいとかそんな思ってもないことを言わないでほしい。
「思ったこと言っただけじゃん。な?」
そう言いながらふっきーに向かって首を傾げた間宮。
こ、コイツ……。
「おい、ふっきーを巻き込むな」
「ふっきーっていうのね、OK。覚えた」
「お前な、俺の話を……」
「なあ、水瀬。俺のこともあだ名で呼んでよ」
俺の机に頬付を突きながらにこりと微笑んだ間宮。そのあまりにも優しく甘い笑顔に鼓動が早鐘を打ち始める。
こんなの、ズルい。このドキドキはただコイツの顔が良すぎるからで、それ以上の理由なんてあるわけない。
「俺はお前と仲良くなるつもりなんてないし」
ふっきー以外のクラスメイトとはちょうどいい距離感でいたいんだ。もちろんふっきーを恋愛対象に入れているかと聞かれたら答えはノーだ。ふっきーは優しい友達だからそんな目で見てたらバチが当たりそう。
「俺決めたんだー。水瀬と仲良くなるって。てことで俺らもうマブダチな」
「何がマブダチだよ。ただのクラスメイト兼ルームメイトだろ」
「はーあ、水瀬ってほんとツンデレだよな」
「俺のどこにデレ要素があんだよ」
コイツときたら自分勝手のマイペースで困る。なんでこんなに俺に絡んでくるんだよ。
「あはは!」
俺が間宮と言い争っていると隣に座っていたふっきーが声を出して笑った。
「ちょ、ふっきー!なんで笑ってんの!」
どこに笑う要素があったのか俺にはさっぱりわからない。
でも、ふっきーはまだ白い歯を見せて笑っている。
「いやー二人の会話、なんか面白くてツボだわ」
お、面白い……?
この会話のどこが面白かったんだ?
「おー、ふっきーには俺たちの良さがわかっちゃった?」
「うん。間宮とみなっちいいコンビだと思うよ」
「どこが!?」
「なんとなく。間宮がみなっちの良さを引き出してるって感じ」
間宮が俺の良さを引き出してる……?ふっきーまでおかしくなってしまったのか……?
「さすが、ふっきー!わかってるねえ」
「だろ~~?」
「ふっきーが間宮に洗脳された……」
「おいおい、言い方ひどくね」
俺の前で間宮が眉を下げているけど俺には関係ない。この男のせいで俺の平和な高校ライフがどんどん崩れていってる気がする。
どうか、これからは平和に過ごせますように。
そう願いながら俺は授業に臨んだ。
◇◆◇
すべての授業を終えて部屋に戻るとそこに間宮はいなかった。
俺より先に帰ってたはずだけど……。あ、そうか。他の人と遊びに行ってるんだな。休み時間になるたびに間宮の席までクラスの誰かしらが話しかけに来てたし。まあ、俺は当然ふっきーと話してたけどね。
間宮の人気ぶりは予想通りでしまいには他のクラスの奴らまで教室に来ていたくらい。俺にはアイツの良さはわかんないけど、きっと人を惹きつける何かを持っているんだろうな。天性のもんってやつ。遊びに行ってるならしばらく帰ってこないだろうし……。
そう思って机の引き出しにしまってあった小さなアクセサリーケースを開いた。
そこからシルバーのリングピアスを取り出して耳に髪をかけた。
そしていつもは髪の毛で隠れている耳が露になり、耳朶にあいた穴にピアスを差し込んだ。
俺の耳にピアスの穴が開いていることは誰も知らない。開けたのは中学3年の冬、受験を終えてからだ。自分の恋愛対象が同性だと知ったとき、これから俺はそれを偽って生きていくことになるのがわかっていたから”何か”が欲しかった。これを付けているときだけは本当の自分に戻ってもいい、と自分で決めた。いわゆる願掛けみたいなもの。
本当の自分といっても性格が変わるとかそういうことじゃない。ただ、自分で同性が好きであることを受け入れて認めるというだけ。それだけのことに思えるかもしれないけど、俺にとっては結構大きいものだ。
「だから一人部屋がよかったのに……」
一人だと部屋に戻ったらこのピアスをつけて願掛けに頼ることができるのに誰かと同部屋だったらそれができない。俺みたいなやつが校則違反であるピアスをつけているなんてバレたら絶対理由を聞かれるだろうし。なんて、嘆いてないで勉強しよっと。
そう思ってカバンからもらったばかりのテキストを取り出して、問題を解き始めた。
――コンコンッ!コンコンコンッ!
ぼんやりとした意識の中で窓を叩く音が聞こえてきて徐々に瞼を持ち上げた。数回瞬きをしたあと、自分の状況を脳が理解して急いで机に伏せていた身体を起こした。
「やばっ……!寝落ちしてた」
勉強していたはずなのにいつの間にか椅子に座ったまま寝落ちしてしまっていたらしい。
――ミナセ!おい!水瀬ってば!
窓の外から俺の名前を呼ぶ声が聞こえてきてそちらまで向かい、カーテンを開けるとどうやって入ってきたのか窓の前に間宮が立っていた。
え、なにしてんの……?
普通に門から入ってきたらいいのにと思いながらスマホで時間を確認してようやくなぜ間宮が窓の外に立っていたのかを理解した。
「なるほど。門限を破ったってことね」
そう、現在の時刻は22時10分。寮で決められている外出可能時間は22時まで。それ以降は出入りできなくなり、門番のおじさんに事情を説明した後、後日反省文とお叱りを受けるらしい。
――水瀬!頼む!開けて!
そう言いながら俺に両手を合わせてお願いしてくる間宮。
自業自得だろ。こんな時間まで遊んでたんだから。それにここで間宮を入れたら俺まで共犯になってしまうじゃないか。そんなのごめんだ。いや、でもここで間宮を入れなかったら絶対あとからやいやい言われてうるさいよな。
そう思った俺は渋々カギを外して窓を開けてやった。
「とっくに門限の時間、過ぎてるけど」
「ごめんってー。勉強してたの?さすが優等生は違うなー」
平謝りしながら間宮は窓の縁に手をかけ、ひょいっと身体を動かして窓の外から部屋の中に入ってきた。
俺たちの部屋が一階じゃなかったらどうするつもりだったんだよ。
「お前がアホなだけだ」
「俺は一夜漬けタイプなだけだし。てか、ピアスあけてんだ」
そう言われて、はっ、とした。
しまった……。ピアス外すの忘れてた。
もう遅いとは思いながらも急いで手で隠した。
「こ、これは……!」
なんて言い訳しよう!?よりにもよって、間宮に見られるなんて。
だけど、間宮は俺の心配を他所に耳を隠している俺の手をそっと退かすとピアスに触れながら、
「いいんじゃね?似合ってる」
と、サラリと言い放った。
お前は俺がピアスつけるタイプじゃねえのにとか言わないの?なんでそんなに当たり前に受け入れてくれんの?
「……冷やかすなよ」
「俺、嘘つけないタイプ」
そう言って優しく目を細めて微笑む間宮に俺の鼓動はばくんばくん、と大きく高鳴っていく。
なんで……俺、間宮なんかにドキドキしてんだよ。