――最悪だ。

 俺、水瀬碧依(みなせあおい)は目の前にいる先生の言葉を聞いて心の中でそう呟いた。
 高校生活が始まる今日は特別な気持ちになるはずだったのに正反対。入学式が終わってすぐに職員室に呼び出されて今に至る。

「本当にすまない。手続きが上手くいっていなかったみたいで一年間は同室になってしまう」
「あ、いえ。大丈夫です。気にしないでください」

 なんていうのは建前だ。
 本当はため息をつきたいくらい最悪。だって、寮で誰かと同室になりたくないから首席で入学できるように頑張ったのに。
 これじゃあ、なんの意味もない。
 この学校で寮生活をする人は大体一つの部屋を二人で使用するという決まりがあるけど、入学時に首席で合格した人のみ、一人一部屋で過ごせるというルールがあった。だから俺は県外からこの学校に入学して一人で優雅に自分の時間を過ごそうと思っていたのに、こんなことになるなんて。

「ありがとう、水瀬。じゃあ部屋は105号室でルームメイトは間宮だ」
「わかりました。では、失礼します」

 俺はそう言って、職員室をあとにした。

 ――よりにもよって間宮だなんて最悪中の最悪だ。

 心では不満を爆発させながらも表情を変えることなく、足早に寮へと急ぐ。
 間宮とは同じクラスで出席番号が前のやつ。確か名前は間宮翠(まみやみどり)だった気がする。顔は知らないし、どんなやつかも知らない。なぜなら、間宮は入学早々欠席だったから。そんなやつ、どうせろくでもないやつに決まってる。
 入学早々、ついてない。なんか疫病神でもついてんじゃね?って思うくらいには不幸だ。
 先生の話ではすでに荷物は運んでくれているらしいから悶々とした気持ちを抱えたまま、部屋に向かった俺は扉を開けた瞬間、思わず「はあ……」と呆れた声が洩れた。

「……なんで寝てんだよ」

 そう、俺のルームメイトである間宮がベッドでスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていたから。ていうか、入学式にも来てないのに制服着てるし、意味わかんねえ。そもそも入学式に来てないのにどうやって部屋の番号知ったんだよ。まじで不愉快。

「はあ……」

 無意識のうちに出ていた2回目のため息。靴を脱いですぐに俺はまだ慣れていないネクタイをしゅるる、と緩めた。
 苦労して首席で入った高校でまさかこんなことになるなんて。入学早々、先が思いやられるわ。ま、極力関わらずに過ごそう。
 そう思い、衣類の入ったダンボールからパーカーとスウェットを取り出して制服からラフな服装に着替えて早速荷解きに取り掛かった。
 俺のダンボールは2つでおそらく間宮は机の上に無造作に置かれている1つだけ。
 意外と荷物は少ないんだ。
 俺でも必要最低限の物だけにして少なくしてきたつもりなのに1つ分なんて逆に何を持ってきたんだろう。
 いや、どうでもいい。俺には関係ないし。
 しばらく黙々と作業をしていると急に「ふわぁ~~!」という気の抜けた声が聞こえてきた。
 きっと、間宮が目を覚ましたんだ。
 普通の人ならすぐに間宮の方を向いて挨拶するんだろうけど俺は違う。
 俺から話しかけたら親しくしたいみたいじゃん。

 「めちゃくちゃ久しぶりに快眠。最高~~……って誰?」

 視界の端でぐーっと思い切り伸びをしたと思ったら俺の存在に気付いたのかそう言った。
 やっぱり、苦手だ。呑気だし、髪の毛は校則違反の薄いピンク色だし。

「起きたんだ。今日から同じ部屋らしいからよろしく」

 間宮に視線を向けることもせず、俺はそれだけ言った。
 めちゃくちゃ感じ悪いやつみたいになってるけど、これでいい。仲のいい友達なんていらないから。

「あ、そうなんだ。よろしくー」

 そんな俺の態度なんて気にすることもなく、間宮はベッドから降りると俺の方まで来て手を差し出した。

 は……? なんだこれ。

「いや、今日からルームメイトだろ?こういう時って握手すんのがマストじゃん?」

 差し出された手を取らずに俺がじっと凝視していたからか間宮が続けてそう言った。
 握手するのがマストってなんだよ。馴れ馴れしいな。

「別にそんなことないだろ」
「まあまあ、そう言わずにさ」

 そう言うと間宮は笑顔を浮かべながら俺の手を無理矢理取って握った。

「や、やめろ……!」

 俺は慌ててその手を振り払って間宮を睨んだ。
 だから、こういうやつは嫌なんだ。人のパーソナルスペースにもズカズカ土足で踏み込んでくるようなやつ。

「ごめんって。そうだ、名前なんていうの?」
「……水瀬碧依」
「おー、綺麗な名前だな」
「どうも」

 綺麗な名前、なんて初めて言われた。どうせ、お世辞だろうけど。

「てか、俺、ミドリだから俺たち二人合わせたら青と緑でなんかいい感じだな」
「勝手に合わせるな!」

 なんでわざわざお前と合わされなきゃいけないんだよ!しかもいい感じってなんなんだよそれ……!たまたま色が名前に入ってるだけだろ!

「えー、なんで。碧依はケチだな」
「あと気安く名前で呼ばないでくれる?」

 まだ言葉を交わしてちょっとしか経ってないのになんでサラッと名前で呼ばれなきゃいけないんだ。やっぱり、間宮は俺とは合わないタイプだと思う。

「え、ダメ?」
「ダメだ」
「なんで」
「なんでも」
「えー、俺たちルームメイトなのに。ま、いっか」

 俺の態度に嫌な顔をするわけでもなく、そう言うと机の上に置いてあった自分の段ボールを開け始めた。

「クラスの奴らどんな感じだった?」
「……別に。お前だったら馴染めそうだったけど」

 間宮だったらたぶんというか、確実に馴染めると思う。
 まだ初日だからクラスの雰囲気もわからないけど、嫌な感じのやつは一人もいなかったし、何より間宮のような誰にでもフレンドリーでコミュ力のあるやつはきっとクラスの中心になるだろうし。

「ふーん。水瀬は馴染めそうだった?」
「俺のことは関係ないだろ」
「いや、気になるじゃん。つーか、俺ら何組だっけ」
「……1年B組」
「俺の血液型と一緒だわ」

 間宮はそう言って段ボールから荷物を出しながら楽しそうに笑っている。
 お前の血液型とか知らねえよ。だからなんだっていうんだ。
 もういい。こんなやつ放っておこう。

「……」
「水瀬は何型?」
「……」
「おーい」
「A」

 しばらく無視していたのにあまりのしつこさに答えてしまった。最悪だ。大体、なんで俺の血液型なんて知ったところで何にもないだろ。

「うわー、几帳面なA型か。俺も部屋汚くしないように頑張るわ」

 確かに俺は綺麗好きではあるけど、他人のテリトリーに口を出すつもりはない。
 ただ、共有スペースが汚いと嫌だけど。こういうのが嫌だから俺は首席になれるように頑張ったのに……。
 はあ、と思わず肩を落としそうになりながら段ボールから取り出した本を本棚に並べていく。

「うん」
「明日は寝坊しないようにしねえとやばいな」

 今日は寝坊だったのか。
 まあ、そんなところだろうとは思っていたけど。

「頑張って」
「起こしてくれるとかいうサービスはない?」
「ない」
「即答ね」
「自分で起きるっていう努力はないわけ?」

 人に起こしてもらおうなんて図々しいにもほどがある。
 それにいくらルームメイトになるからって俺たち初対面だからな!?

「まーじで俺起きれねえんだって」
「起きようとしてないからだろ」
「水瀬ってば、厳しいなー」

 クローゼットに持ってきた服をハンガーにかけながら言う間宮はまた笑っていたように見えた。
 何がそんなに楽しいんだか。こっちは最悪だっていうのに。

「そんなこと言ってないでいい加減、制服から着替えたら?」

 いつまで制服で過ごす気なんだよ。
 俺がそう言うと間宮は「あ、忘れてたわ」と言いながらブレザーを脱いでカッターシャツのボタンに手をかけた。俺はその瞬間に視線を自分の手元へと戻した。
 間宮の着替えているところなんて視界に映したくない。別に見たからといって何かがあるわけじゃないけど、後ろめたい気持ちはあるから見ない。
 そう、俺は同性愛者だから。恋愛対象は女性ではなく、男性。
 自分が他の男友達と違うのだと気づいたのは中2の時だった。
 周りが女子を見てワーワー騒ぎ立てているのに俺は全く興味がなく、自分は無欲でそういうものなのだと思っていた。
 他の男子たちが好きな人の話をしている内容を聞いていると近くにいるとドキドキするとか特別な存在になりたいとか触れたいとか言っていて、それが恋というものだと知ったくらい。
 でも、俺がその”恋”をした相手は女の子ではなく、男の子だった。
 それから自分は人と違うのだ思い知った。だから知り合いのいない県外の学校で一人で隔離された空間で過ごそうと思っていたのに。
 間宮を好きになることなんてないけれど、もし間宮が俺が普通でないと知られたら軽蔑されるだろうし、同じ部屋なんて嫌だろうな。
 俺には淡い青春も、うつつを抜かすほどの幸せな恋も、できない。そんな日々は待っていないんだ。もう、恋なんてしない。そう決めたから。

「みーなーせー!」
「うわ!?」

 目の前に影が映ったと思った瞬間、ドアップで間宮の顔があって思わず驚きの声をあげた。

「水瀬がデカい声出してんのなんか新鮮で笑う」

 そう言いながらケラケラとお腹を抱えて笑っている間宮はいつの間にか制服姿から黒のロンTにグレーのスウェット姿になっていた。

「何が新鮮だよ、意味わかんねえし」
「だってお前クールって感じじゃん。なのに意外と可愛いな」

 そう言いながらニヤニヤしている間宮。
 可愛いってなんなんだよ。バカにしてるだけだろ。だからコイツと同じ部屋なんて嫌だったんだ。これから一年間同じ部屋だなんて先が思いやられる。

「男に可愛いとかおかしいだろ」
「そう?別にいいと思うけど」
「……っ」

 あまりにもサラッと間宮が言うから錯覚しそうになる。
 みんな最初はそういうことを言うんだ。でも、結局俺が同性が好きだと知ると軽蔑した目で見る。わかってる。だから期待なんてしない。俺はこの秘密を誰にもバレないように生きていく。

「これからお前と仲良くなるために俺頑張るわ」
「仲良くならねえよ」
「はいはい、仲良くなるから俺とお前は」

 間宮はそれだけ言うと荷解きが終わったのかベッドに寝転がった。
 もう一回、いや何度でも言おう。

 ―――最悪だ。

 俺はこれからの生活を思って心の中で深い深いため息をついた。