「……いつか、春夜くんに飽きたり、別の推しを見つける日が来るかもしれない」
「仁湖さん……?」
「人の気持ちは、推しとの時間は永遠じゃないから。それでも……春夜くんを推してたことを後悔はしないし、その時間も思い出もかけがえのない宝物だよね」
わたしは春夜くんのアクスタを指先で撫でる。
確かに彼の言う通り、これはただのプラスチックの板だ。あんなに怒った理由も、きっと彼には一生わかって貰えないだろう。
手のひらサイズのアクリルのつるつるとした表面をなぞると、同じ次元に居てもこれだけ想っていても、決して交わらない現実を突きつけられる気持ちになる。
けれど、それでもよかった。理屈じゃなく、合理的でもないこの気持ちは、確かに愛なのだ。
「この先年老いて独り身になって、もし寂しい思いしたとしても……彼を振ったことを推しのせいにも絶対しない。これは、わたしの選択。……春夜くんを好きになって、今のわたしが居る。春夜くんを好きな今、こんなに楽しい時間を送れて、こんなに素敵な友達とも出会えて、わたしは幸せ」
「仁湖……」
二次元は、連載終了やサービス終了すれば過去のものとなって、消え去ってしまうかもしれない。2.5次元も三次元も、生きている人間な以上スキャンダルや不祥事で姿を消すこともあるし、事故や病気で命を落とすことだってある。
推しは推せる時に推せ、なんて格言もあるくらいだ。ならば余計なしがらみも過去も振り返らずに、一瞬一瞬全力で、わたしは春夜くんを推すまでだ。
「先の不安とかはひとまず置いといて、なーんて楽観的過ぎるけど……今はそれでもいいかなって思えたんだ。二人とも、本当にありがとうね!」
わたしの言葉に、二人は笑って頷いてくれる。けれど不意に、愛沙さんが真剣な面持ちで正面のわたしを見つめた。
「……仁湖。彼のことを吹っ切れたのはいいし、安心したけど……将来への不安は正直あたしもあるわ。何ならあたしが一番先に棺桶に片足突っ込んでるし」
「愛沙さんまだお若いですよ!?」
「まあ聞いて。今は全力で推し活楽しんでる。でもその内、現場に行く気力も体力もなくなってくるわ……」
「う……それは、そうだけど……でもまだ先のことで……」
「ええ。だからこれは予約。その時は、一緒にアパート借りて、隣の部屋で暮らさない?」
「え……?」
「暇な時にはどっちかの部屋に集まって、推しの配信やら円盤鑑賞会をやるの。グッズは通販して開封式とかしながら盛り上がって、体力的に無理のない推し活を一緒に楽しまない?」
「えっ、え?」
「そうしたら寂しくなんてないし、怪我とか病気とかいざという時の保険にもなるし……どう? シェアハウスよりプライベートの確保も出来てるし、近すぎると何かと揉めたりするかもだから、そのくらいの距離感が現実的だと思うんだけど」
「いや……愛沙さん天才か……? いいですね、お隣住みたいです!」
「いいな~、私もそのお隣に住みたいです!」
愛沙さんの夢のような提案に、わたしたちは嬉々として挙手した。漠然とした不安も、不確定な未来も、一気に明るくなったよう。
「虹夢ちゃんは、これから彼氏とか出来るかもじゃない? まだ二十二だっけ。結婚とか考えるには早い歳だろうし」
「それを言うならお二人にもありますよね!? でも、うーん、私正直二次元至上主義なんで、三次元の男興味なくて……」
「あー、ね。推しという世界一の男を知ってる以上、どうしても理想が高くなりがち……」
「ですです。でもまあ、もう少し歳を重ねたらまた変わるかもなので、その時はその時ですけど……でも、お二人と過ごすそんな老後も楽しそうだなって、今は本気で思ってます! なので私も予約で!」
「あはは、いいよ。この先どうなるかなんて、誰にもわかんないもんね」
「ええ。だから、そんな未来もありかもって、考えておいて。仮予約ってことで」
先のことはわからない。だからこそ、自分の決断が正しいのか、不安になることもある。それでも今、あの日将来を悲観してどん底みたいな気持ちだったのが、嘘みたいだ。
「春にはピンクの服着せたぬいちゃんを桜と撮影して、夏には浮き輪に乗せたぬいちゃんを海辺に連れていきます」
「秋にはアクスタ越しの紅葉と秋の味覚……」
「冬にはクリスマスケーキの周りにグッズ並べて、ペンラ片手に年越しライブね」
「ふふっ、いいなぁ、そんなの絶対楽しすぎる!」
「それじゃあ、そんな楽しい未来のお隣生活を祝して? かんぱーい」
「ふふ、かんぱーい!」
「いえーい!」
プラスチックグラスの当たる軽い音と、笑い声。それぞれの推しグッズに見守られながら交わした約束は、果たされるかもわからない。
それでも幾つもの四季を越えた先、今より歳を重ねた推しや、みんなで変わらず過ごす楽しい未来を想像して、心が満たされるのを感じた。