「仕事、無くなった...」
「...は?」
深夜0時。
私【佐野 楓(さの かえで)】の目の前には、幼なじみの【倉田 紅葉(くらた もみじ)】が玄関を挟んで突っ立っていた。
◇◆◇◆◇◆
「...で?しばらく泊めて欲しいって?」
「はい......」
深夜ということもあり、とりあえず紅葉を家に上がらせリビングへ移動した。
「諸々の金は?」
「出せる分は...出します......」
「ふは...っ歯切れわっっる」
紅葉が言うには、数日前に会社が倒産したらしい。
「こっちは真剣なんだよ〜!楓保育士やってるじゃん!うちを子供だと思って匿ってくれよ〜!」
「うっわ...私ら27だろ?ガキじゃねぇんだから......って抱きつくな!べたべたすんな!」
横に座っていた紅葉は大人気なく私に縋り付いてきた。
「このままじゃ死んじゃう〜人助けすると思ってさーー......_」
伸びた声がデクレッシェンドして千切れる。
声がなくなった瞬間、抱きつかれていた体がバッと離され、紅葉の顔が目の前に現れた。
「男か?!?!」
「あ?」
一度離された身体に再び抱きついてくる。
「そんな渋るなんて男がいるに決まっ『ちげーよバカ』
一方的に抱きつかれて行き場の失った手で後頭部を軽く叩く。
「いてっ」
と言う割に離してくれない。
「てか、私彼氏いたことないだろ。だるくて作ってねぇし」
「...!じゃあ!」
子供みたいな屈託のない瞳に見つめられ、出かけていた文句が喉に引っかかる。
「.........ま、ちゃんと就活すんなら良いよ」
「ほんと?!やっぱ楓だわ〜!」
さっきから抱きついてきては離れを繰り返される。
「最っ高〜!」
「だー!苦しい!痛い!!締めすぎ!!!」
今回は一段と強く抱き締められた。
◇◆◇◆◇◆
__プシュッ
「久々に酒飲むわ」
「っぱ友達と熱い夜を過ごすには酒だよね〜」
紅葉はプルタブを開けた瞬間に唇を付けた。
5回ほど喉から音がして、プハーッ!と酒のCMに出れるレベルの良い飲みっぷりで飲み出す。
「うお...そんな一気に飲むんだ」
「楓ん家、度数弱いやつばっかだったから」
「強いの無くて悪かったな」
「んーん!たまには甘いのも良いし!てか楓って酒弱かったっけ?」
「いや、飲めるっちゃ飲めるけど強いやつ飲んだら喉イカれんだよ」
「ほえー」
適当な返事と共に、何かを思い出した顔をする。
「...それはそうと〜〜...」
紅葉の口角はみるみる上がり、にやけヅラで枝豆をマイクのように持つ。
そしてビシッと私の口の前に構えられた。
「実のところ、男居るんじゃないんですかっ!?」
無駄に腹の立つ動作と顔とスタッカートの効いた声で聞いてくる。
「はー?だから居ねぇって」
「嘘だぁ!さっき玄関であきらかにサイズデカい靴あったし!」
「あ〜...あれは『うちの目を誤魔化さないでほしいね!まったく〜!』
「だからあれはお『楓ってば恥ずかしがり屋さんなのかな〜?っつって!たは〜っ!』
(こいつ...酔ったら...いや、酔ってもハチャメチャにうぜぇ......)
「で?どこまで進んだの?!」
興味津々の目でズンッと近づいてくる。
1つ溜息をつき、中身の少なくなった缶を紅葉の額にコツン...と当てる。
「あのなぁ...あの靴、弟の忘れもんだから」
「ぁえ?」
間抜けな声が漏れ、興味津々だった顔が固まる。そして表情筋が溶けるように眉と口角が下がった。
(ふっ...分かりやすっ)
「そっか...楓弟くんいるじゃん...!やっと楓の恋バナ聞けると思ったのにー...」
勝手に話を進めておいて勝手に盛り上がって勝手に落ち込む様子が面白くて、つい笑ってしまう。
「ふっ...おまっ...表情筋やば...顔の筋肉だけ発達してんじゃね?」
「は〜?他にも筋肉ついてますけどー」
少し頬を膨らませ、缶ビールに手を伸ばした紅葉の二の腕を揉む。
「わ"」
「...だッはっ!全然筋肉ねぇじゃん!」
「あー!ちょっと触んないでよ!筋肉無いのバレるじゃん!てかバレたじゃん!」
「バレても別に良いだろ。今更つけてもじゃん?」
「んーーー......まぁそれもそうだけどー」
紅葉は伸びをし、もたれかかっていたソファにそのまま頭を乗っけた。
「......」
『んーッ』という伸びの声が聞こえてから一向に紅葉の体が戻って来ない。
(...コイツいつまで伸びてんだ)
適当につけたテレビから笑い声が湧き、目線を画面に移す。
枝豆とスルメを交互に食べながらバラエティ番組を眺めた。
◇◆◇◆◇◆
「紅葉?あれ、寝たー?」
5分くらい伸びから帰って来ない紅葉に、テレビを見ながら聞く。
だが、体も返事も帰ってこなかった。
(こりゃ寝たな)と思い、缶酎ハイに口をつけた瞬間、
「__楓はさ、結婚すんの?」
紅葉からは滅多に出ない静かな音声が鳴った。
思わず缶を置く。
「え?」
「...」
反射的にソファの方に目をやる。
紅葉は天井の照明を見つめたまま涙を垂らしていた。
「え?!は、なん...ぇ?なんで泣いて...んだよ」
涙が目尻を伝って灰色のソファにシミを作る。
「ぃや、なんかー...っ」
自分の服の袖を伸ばして、再び零れ落ちそうな涙を受け止める。
「ずっとこのままが良いなー...って」
「......」
「......暇じゃない時間って良いな...って」
紅葉は泣いているにも関わらず、私と目が合うとヘラっと笑った。
◇◆◇◆◇◆
「彼氏、いたんだけどさ」
紅葉は両手で缶ビールを持ちながら話し始める。
「うち...絶対子供欲しい!って訳じゃなくて別にいらないなーって思ってて」
「うん」
「それ...伝えたらぁー...」
ちびちびと飲んでいた缶ビールを急に机にドンッ!と置き、水滴が散らばる。
「なんて言ったと思う!?!?」
不安定な強弱の付いた声が部屋中に響く。
(だいぶ酒回ってんな...)
「...なんて言われたん?」
「...『は?俺、子供欲しいんだけど。作んないの?えー...まじー?』って今までゲロ甘な態度だったのが急にゲロみたいな態度取ってきてさ!」
紅葉はイケメンがするであろう、首に片手を添えるポーズをしながら下手な男声で再現してきた。
「うーーわ。そいつ絶対クズだよ」
「でーしょー?!ほんまにありえん!!」
ついさっき置いた缶ビールを一気に飲み干す。
「うちは子作り製造機じゃねーの!!アイツの生殖機能全部潰してやろうかと思った!!!」
「んはっ!結構えぐいこと言うな〜」
「そりゃそうでしょ〜!」
ギュッと潰すジェスチャーを数回繰り返している。いつか本当にやりそうだ。
「んで?別れた?」
「うん!...でも何もしないで別れるのはなんか気に食わなかったからー」
紅葉は空になった缶ビールを下に向けた。
「股間に酒ぶちまけて別れた」
「...は?!それ店とかじゃないよな?」
「流石に彼氏の家だよ〜」
「良かった...」
「だから彼氏の最後の姿、お漏らし(酒のシミ)した成人男性なんだよね」
一連の流れを想像する。
「...ッだは!無理...っ...紅葉最高...」
「でしょ〜?出来る限り人間の尊厳ハチャメチャにして別れた!」
「やってやったぜ〜」と顔の前で元気にピースしている。
だが、伸びきっていた関節がすぐにふにゃりと萎れていった。
「...でも...別れたら別れたでやること無くて暇だったんだよね」
「そういや何年続いてたんだっけ?」
「んー...2、3年かなー」
「それでよくそのクズっぷり隠せてたな」
「ね。急に態度変わったからびっくりだよ」
右肩に紅葉の頭がコツン...と乗る。
「......だから、楓と会って...久々に楽しくて、」
「...」
「寂しくないって良いなって」
「うん」
「なんか...泣いちゃった......ごめ」
「なーんで謝んだよ」
「だって、...楓が彼氏とか...結婚しちゃったらまた寂しくなる...」
紅葉の頭を撫でる。
「今は彼氏も結婚願望もねぇって」
「うん...はぁ〜...こんなんうち自己中すぎるじゃんー......」
「自己中くらいがちょーど良んじゃね?...まぁ、色々あったんだしゆっくり泊まりな」
「んーーー...楓優しい...好き...養って...」
「おい最後願望入っただろ。養いはしねぇからな」
胸元に紅葉が倒れ込む。
「ん...わかった〜...」
気の抜けたくぐもった声が聞こえる。
部屋には規則正しい呼吸音と窓からの澄んだ空気が混ざりあった。
◇◆◇◆◇◆
カチッ____
あのまま寝てしまった紅葉に毛布をかけ、タバコに火をつける。
(あ、外出た方がいっか)
しばらく座っていたせいで痺れた足に思わず息を呑む。
足裏の感覚を失い、おぼつかない足取りでベランダへ向かう。
錆び付いた音を不規則に鳴らしながら網戸を開けた。
「...涼し」
澄んだ空気に、纏わりつくような夏が終わったのだと実感する。
呑気に蠢くタバコの煙を目で追う。
「...紅葉、あんな泣き方するんだ......」
寂しそうな眉、安心したような口元、愛おしそうに細められた目。
先程の光景がポツリポツリとフラッシュバックする。
「はぁ...」
溜息をつき、煙を肺の中で充満させる。
「...溜め込みすぎだっての」
◇◆◇◆◇◆
灰皿にタバコを擦り付ける。
ジュッ...という音と共に、背後から声がした。
「どこ行ったんかと思った〜」
頭だけ振り向くと、紅葉と目が合う。
伸びをしながらニコっと微笑んでベランダまで近づいてくる。
「ん。おはよ」
「おは〜...よっ」
背中に体重がズシリと乗る。
「おも...」
「失礼すぎー」
「てかタバコ吸ってたから匂い付くぞ」
「んー?それならだいじょぶだいじょぶ」
背中が軽くなり、紅葉が横に並ぶ。
カチッ...__
「うちも吸うから」
見慣れていない光景に驚く。
「紅葉、タバコ吸う人だっけ?」
「割と最近...かな。吸い始めたんだよね」
(...やっぱストレスで吸い始めた...とか?)
紅葉の口から漏れる煙をボーッと見ていると、そのまま長い時間煙を口に含み始めた。
「おい、吐き出さねぇ...と......_」
○...○......○
目の前に煙の輪っかが現れる。
「は、?」
口内の煙を3つの輪に変え吐き出した紅葉は満足気な顔を見せつけてきた。
「これやりたくてタバコ吸い始めた!」
「...スモークリング?」
「そう!」
「...」
...
(なーーにが「ストレスで吸い始めた」だよ。まじでしょーもねぇ理由じゃねぇか...)
「私の心配を返せ」
「んぇ?なんか言った?」
目を瞑り、安堵と呆れが混合した溜息をつく。
「...ぃや、...うん。...紅葉らしいわ...」
紅葉の耳に視線を移す。
「......」
以前。2か月前に会った時よりも明らかにピアスが増えている。
(どうせピアスもしょうもない理ゆ「これはね〜」
まじまじ見すぎたせいか、耳に手を添えながら紅葉は口を開いた。
「「ノリと勢いで開けたんだよね〜」」
2人の声が重なる。
顔を見合せ、笑い声までも重なった。
「ふは!どーせそんなこったろと思った」
「んふっ...!うちの真似全然似てないし〜!」
月の光が紅葉のピアスを上から順々に反射させていく。
◇◆◇◆◇◆
「...ねぇ、楓ってギター弾けるの?」
ベランダから部屋に戻る途中、紅葉の足音が消える。
振り向くと、紅葉は部屋の隅にあるギターを興味ありげに見つめていた。
「んー...ちょっとだけなら」
紅葉はギターから私に目線を移し、元から幼い顔つきを更に幼くして近づいてくる。
「まーじー?!聴きたい!聴かせろ〜!」
「あーあー分かったから...じゃあギター持ってきて」
「りょーかいっ!」
威勢よく返事した割には中々持って来ない。
見ると、『うげ〜...壊しそう...』『どこ持つの正解なんだ〜...?』と、ぎこちなくギターを抱き抱えていた。
「そう簡単に壊れねぇよ」
「だって今壊しちゃったら弁償出来ないし...!」
「...いや、弁償できる金あっても壊すなよ?」
「当たり前じゃん!ちょっと言葉足んなかっただけだよ〜」
「だいぶ足りてなかったけどな」
やっと私の所まで到着し、抱きついていたギターを身体ごと「ん!」と差し出してきた。
「あんがとー」
ギターを受け取り、2人してソファに腰掛ける。
「んー...有名なやつしか弾けないけど..._」
「......_〜♪」
適当に誰でも知ってるJPOPを弾く。
最初は『おぉ...!』『すごっ!』と騒いでいた紅葉だが、いつの間にかその声は歌声に変化していた。
「...__♪...♩_」
(酒飲んでんのになんでそんな美声出せんだよ...)
紅葉の歌声に感化され、音量が上がる。
(たーのしー...)
曲が終わりに近づく程、満足感と寂しさが募っていく。
(...ずっとこのままが良いな)
◇◆◇◆◇◆
静寂。
それすらも認識できない程、満足感が勝っていた。
「............めっちゃ良い」
紅葉の声でボーッとしていた脳が膨張する。
「めっちゃ良い...!!!」
急にガッと肩を掴まれた。
「めっちゃ!!良くない?!」
「...は、」
膨張し、鼓動が始まった脳が前後に揺さぶられる。
「こう!ブワーってさ!!ガーって!きた!」
わかる。まったく語彙力は無いが、分かる。
「...うん...初めてかも...。こんな気持ちよく弾いたの」
「...!」
紅葉の顔がパアァァっと効果音が付くくらい明るくなった。
「..._!......っ!」
酸素を乞う魚のように口をパクパクしている。
私と目が合い、口を閉じた。そして興奮気味に微笑み迷いなく口が開く。
「うちら、バンドやんない?!」
「...は?なんで」
「めっっちゃ楽しかったから!」
「ぃや......」
あまりにも内容が詰まっていない発言に呆れる。
(...でも楽しかったのは本当だしな...)
「...まぁ、...たしかに楽しかっ「あとうち仕事ないし!」
「...」
喉を滑った『たしかに』という言葉が逆流する。
「路上ライブとかやっちゃったりしてさ〜お金貰えるくらい有名んなって〜...__」
固まっている私を他所に、ペラペラと息継ぎせず語る。
「...」
「それで稼いだら就活せずに済む!さいこう!」
(こいつ...就活したくないだけじゃねぇか...)
「私を巻き込むなクソニート」
紅葉の額にデコピンをする。
「なー!ひどい!うちら2人で1つってやつじゃん!」
「はー?そんなん誰がいつ決めたんだよ」
「うちが!今!決めた!」
「...自己中」
「わー!うちに刺さる言葉言わないでよ!」
「ふはっ...!ごめんごめん」
口を塞ぐように私の口の前で手をパタパタしながらわざとらしく頬を膨らましている。
頬が萎んでいき、目を合わせるとギラギラとした眩しい眼差しで見つめられていた。
「なに...?」
「楓!もう一曲やろ!!」
◇◆◇◆◇◆
「もう一曲...!」
「...うん」
深夜5時。
窓を開けっぱなしで近所迷惑になるのも、枝豆が乾燥し始めたのも忘れ、かれこれ2時間くらい弾いていた。
__...〜♪
(あー...たのし...。でも......)
「...流石に疲れた」
「それね、うちも思い始めてたんだよね〜」
「だいぶ時間経ってんじゃね?」
伸びをしながら欠伸を零す。
「げ。外明るくなってきてる...」
中途半端な欠伸で不快感を覚えつつ、紅葉の発言で外に目をやる。
「マジじゃん...」
さっきまで真っ暗だった空が淡く青みがかっていた。
(...)
「...紅葉、締め曲やんない?」
「ほぇ?」
「もう一曲やんないかって聞いてんだよ」
紅葉は口をポカンと開き、瞬きを数回繰り返している。そして表情筋が唐突に動いた。
「え、!楓から言ってくれるなんて思ってなかった...!」
「...るせぇな。別に良いだろ」
数滴しか残っていない缶に口を付ける。
隣で『珍し...!』『楓も楽しくなっちゃった〜?』と騒いでいる声を黙らすために弦にピックを滑らした。
「はよ歌え。この曲知ってんだろ」
「わ...!急に弾かないでよ〜」
「「〜♪...__...〜♩」」
紅葉の声が自分の音に乗っかった瞬間、何度も味わったはずの高揚感が再び襲う。
「......あと、ムカつくくらい楽しいから」
小さく呟くと、紅葉の美声が変に転調した歓喜を含んだやかましい歌声に変わった。
「ふっ...うるさ」
昨日まで1人だった部屋に、2人の音色が充満し淡く色づけた。