翌朝、俺は制服に着替えてスマホとイヤホンだけを持って学校へ急いだ。
立ち漕ぎでペダルを回す。
いつもは気にならない赤信号が煩わしい。
早く会いたい。
会ったらまず、逃げてごめんって謝らなくちゃ。
だけどその前に、俺は彼らに言うべきことがある。
ーー
校門の前で腕を組んで壁にもたれている3人の私服男子を見つけた。
「……おはよう」
俺を視界に移した瀬田がぶっきらぼうに言う。柳は何を考えているのか分からない無表情で俺を見ている。常盤は不安そうに俺たちの顔を見回していた。
「おはよう。時間、くれてありがとう」
昨日の夜、俺は3人にSNSアプリでメッセージを送っていた。話があるから明日学校の前に来て欲しいと送って、分かったと返事をくれたのは柳と常盤だけだったけど。瀬田も来てくれてよかった。
「……場所、変えるか」
「あ、うん」
自転車から下りた俺は、前を歩きだした瀬田たちの後ろを自転車を押してついて行く。
学校近くの公園は、夏休みだというのに誰もいなかった。
ブランコと滑り台とベンチだけという小さな公園だから、小さな子どもたちが遊ぶには物足りないのかもしれない。
ベンチに3人が座る。その正面に自転車のスタンドを立てた俺は真っ先に頭を下げた。
「ごめん! ずっと嘘ついてたこと、ごめんなさい」
3人は何も言わない。どんな顔をしているかも分からなくて不安になる。
「昼休みは屋上にいた。赤祢と。黙っててごめん」
しばしの沈黙。常盤は通常運転として、瀬田と柳も何も言わない。
「……なんでずっと嘘ついてた」
やっと反応してくれたと思ったら、瀬田から低い声で問われた。
「俺……。本当はラジオが好きだ。最近のバラエティとかよく知らないし、テレビもあんまり見ない。たまにドラマ見るくらいで。休みの日も出かけるより家でラジオ聴いてる方が好き。……でも、本当のこと話しても、興味持たれないと思った、から」
「赤祢って同じクラスの地味眼鏡だろ。で、赤祢とは趣味の話が合って話しやすかったって?」
瀬田が攻撃的な声音で言う。視界に映る常盤の足が動き、体が傾くのが分かった。たぶん、瀬田を宥めようとしているのだろう。
「……そう」
「とりあえず、顔上げなよ夜川」
瀬田と違って責める口調ではない柳の声。俺は言われた通りに、だけどぎこちなく体を戻す。
瀬田は俺を睨みつけ、柳は困ったように笑い、常盤はハラハラしながらも成り行きを見守る姿勢になっていた。
「なんで言わなかった? 本当にオレらに興味持たれないって思ってただけ? 他に理由あるんじゃない?」
柳が見透かしたように問う。
「……俺本当はこんな明るい性格じゃない。けど、ひとりが嫌で誰かと一緒にいるために笑って。そうやって一緒にいる人には、ラジオは地味で渋くて笑う対象のものらしかったから……」
「何それ、心外なんだけど。俺らがお前の、友達の趣味笑うと思われてたってことだろ」
「……瀬田が前に言ったとおりだよ。俺、自分が1人にならないために3人といた。友達って、思ってなかった」
瀬田の眉間の皺が深くなった。
柳も息をのんで黙り込む。
常盤は泣きそうな顔で俺を見上げている。
「でも、瀬田は俺を友達って言ってくれて、それが嬉しかったから。ちゃんと話そうと思った」
今のダサいままの俺であかねさんに会いたくなかったから。
ちゃんと、腹をくくって3人と話そうと思った。自分の本音を話さなきゃいけないと思った。
「俺、本当は根暗な奴なんだよ。ネガティブ思考で、マイナスな方にばっかり考える。ひとりが好きだけど、ずっとひとりなのは怖くて、そうやって表面上の付き合いをしてたら笑えなくなる時があって。ひとりになりたくて、でもやっぱりその勇気がなくてヘラヘラ笑ってるような奴。人付き合いが苦手で、目立つのも好きじゃなくて……」
自嘲気味に笑う。きっと3人が思っているような明るい俺じゃない。ノリがいいような俺じゃない。
そんな奴でも、友達って呼んでくれるか?
一緒にいてくれるか?
「そんなもんでしょ、みんな」
久しぶりに少し高いアニメ声を発した常盤に視線が集まる。
「自分の時間だって大事だし、誰かといることも悪くない。趣味がラジオって話、もっと聞きたいし、夜川のこともっと知りたいよ。ボクはそんな夜川を友達って思ってる。瀬田も、柳も」
本人はアニメ声なことを気にして普段は無口でいる。
俺たちはそれを気にしていないけど、本人は嫌がっている。
その声でちゃんと伝えてくれたのは、きっと常盤にとって俺もそんな風に見えているってことなんだろう。
本人が気にしていることを、周りはそれほど気にしていない。でも本人が気にしていることを周りはちゃんと分かっている。
みんな、自分の見られたくない部分を持っている。それも含めて受け入れてくれる友達という存在は、すごい。
「はぁ、本当にな。常盤の言う通りだわ。俺がショックだったのは信用されてなかったってことだし」
「ごめん」
「まぁまぁ、今話してくれたんだしいぃじゃん。瀬田さ、ずっとショック受けてたんだよ~、マジで! ずっとしょげた顔してブツブツブツブツ……」
「おい! 柳!」
柳の口を塞ごうを身を乗り出す瀬田。柳はそれを笑ってかわし、常盤は緩んだ空気にほっとしたように微笑んでいた。
瀬田から逃げる柳に場所を奪われた常盤は、そっと俺の隣に並んで2人のやり取りを眺める。
「大丈夫だよ、夜川。笑いたい時だけ笑ってたらいいよ。一緒にいたくなったら、ボクたちのところに来たらいい。ずっと一緒にいなくても、友達じゃなくなったりしないから」
「大丈夫だよ」と囁くその声に、俺は胸のつかえが取れた気がした。
「ありがとう、常盤。瀬田も柳も、ありがとう」
俺を友達だと言ってくれて、受け入れてくれてありがとう。
きっと、もうこの3人の前で無理して笑わなくても大丈夫だ。
「チッ……こっぱずかしい」
「ふはっ、それはそう。あ、俺この後行かなきゃいけないとこあるからもう行くな」
すっきりした笑みを浮かべた俺は、スタンドを蹴り上げた。
「は? どこ行くんだよ」
「んー。いつものとこ?」
「……おい夜川、お前まだ隠し事あるな?」
瀬田が細めた目で睨んでくる。だけどそこにさっきまでの苛立ちはない。
「あるけど、もう嘘はないって」
「おいその隠し事も吐いてけ!」
「それはやだ。じゃあまたな!」
俺は片足でペダルを踏み、反対の足で地面を蹴る。スピードに乗ったところでサドルにまたがって学校へ急いだ。
後ろから「待て夜川!」と叫ぶ瀬田の声が聞こえたが、俺は振り返らないまま手を振った。
駐輪場に自転車を止めた俺は、屋上を目指して廊下を走り、階段を駆け上がる。
ドアを開けて屋上に出たが、人の姿はない。
「……本当に来た」
声が聞こえて振り返ると、入り口下の日陰に壁にもたれて座る赤祢が俺を見上げていた。
マスクと眼鏡を外した赤祢の前髪を、一陣の風が飛ばす。本当に来るとは思わなかったと書いてある顔で俺を見ている。
「……あなたの番組のリスナーですから」
そう答えれば、赤祢はハッと我に返って恥ずかしそうに視線を泳がせながら俯いた。
「やっぱり、聴いてた?」
「ばっちり聴いていた。あかねさんに……好きな人がいる話」
言ってから、これを自分だと言い切るのは自意識過剰だったかと今更ながらに怖気づいた。
「待ってる人、違った?」
「違わない!」
勢いよく顔を上げて食い気味に答える赤祢は、ほんのり顔が赤かった。夏の暑さのせいだけではなさそうだ。
赤祢の勢いにふはっと噴き出した俺は、彼の前にしゃがんだ。
「俺、自分に嘘つくのやめた。ラジオを好きって言える自分の方が断然いいし、クラスメイトと表面上の付き合いするのもやめたいから、俺って実は根暗な人間ですって暴露してきた」
ははっと笑い飛ばす。
あかねさんに面と向かって報告したくて、でも今までずっとできなかったこと。
「でもさ、関係、壊れなかった。俺はそう思ってなかったのに、それでも友達だって言ってくれた。俺も、ちゃんと友達でいたいって思った」
「うん、そっか。夜川、頑張ったんだね。おれに胸張って報告するために」
「……そう、だよ」
面と向かって言われると照れる。俺って結構恥ずかしいこと言ってる気がする。
「頑張ったね、夜川。かっこいい」
こっちに身を乗り出して言った赤祢の声は、少し低くて柔らかくて、とても甘い声だった。
ふわっと微笑んだその表情と相まって俺の心臓が早鐘を打つ。
顔が熱いのは夏の暑さのせいだけじゃない。
「あかねさん、好きです」
考えるよりも先にするっと出てきた告白。
「『あかねさんの声』が?」
赤祢は意地悪な顔をして俺の顔を覗き込んできた。
「赤祢の声も。顔も、話しやすいところも、ラジオが好きなところも、DJのあかねさんも、『あははっ』って笑うところも、から揚げを美味しそうに食べるところも、あと……」
「ま、待って待って、おれから聞いといてなんだけどすごく恥ずかしい」
身を引いたあかねは真っ赤になった顔を手であおっている。
「その顔も、好き。あ、もちろん顔目当てとかじゃなくて。全部、好き」
顔目当ての恋に嫌気がさしたという話を思い出した俺は、すぐさまフォローを入れる。
「あははっ。慌てすぎ、分かってるよ」
生で聴くのは初めてのその笑い方。
イヤホン越しに聞くだけじゃなくて、その笑顔を見られる距離にいることが嬉しい。
鼓動が早くなるだけじゃなくて、背中がゾクゾクして、あまりの多幸感に泣きそうになった。
「赤祢、俺……」
「おれも好きだよ、夜川」
ゆっくりと顔を近づけながら、至近距離で聴く赤祢の声に心臓が暴れる。
恥ずかしさに目を閉じれば、そっと唇が重なった。
まさかキスをされると思っていなくて、俺は過去一熱い顔であかねを見る。
「……あははっ! 夜川かわいい」
そんな不意打ち、心臓に悪すぎる。
「俺が早死にしたら赤祢のせいだ……」
不貞腐れて赤い顔のまま呟けば、「そうかも。でもお互い様ね」と言われてドクンと心臓が脈打った。
ーー
『みなさんおれの恋路が気になるようで、たくさんメッセージくれてますね、あははっ。メッセージありがとうございまっす。もう、特別ですよ? 恋人が恥ずかしがっちゃいますから。へへ、そうなんですよ。みなさんの応援のおかげで思いが通じ合いまして、この度交際することになりました!』
恋の成就を祝うようにレゲエホーンが連続で鳴った。
「あ、あんまり言わないでくださいよ……」
今日の出来事を思い出すだけで恥ずかしさがよみがえる。
『恋が叶うってこんなに幸せなんですね。もうニヤニヤが止まりません。あははっ! 昨日ここでメッセージ言えばってアドバイスをくれた方、ありがとうございます。あなたのおかげと言っても過言ではありません』
「本当に恥ずかしいな」
顔どころか耳まで熱い。
だけど、浮かれているのは俺も一緒だ。
今日の晩ご飯はから揚げにコロッケにエビフライに……と作りすぎてしまった。
『あ、お祝いメッセージありがとうございます。空の上の雲さん「おめでとうございまっす! これから大変なこともあるかもですが、末永くお幸せに!」ありがとうございます、ありがとうございます。カプチノさん「おめでとうございます! 惚気とかないんですか?」惚気? そんなことしたらもう放送枠ギリギリまで惚気ちゃいますよ? 海の底さん「おめでとうございます! どんな人なんですか? 女性? 男性?」ひ、み、つ。あははっ!』
この人浮かれすぎだって……。
さすがに苦笑を零した俺は、さっき交換したばかりのSNSのトーク画面を開く。
「まったく……。『あんまりラジオでデレデレするな!』と」
金棒を持ったうさぎのスタンプと一緒に送り付けてやった。
だけど、本気で怒っていないことはあっさり見抜かれるだろう。
『あんまり調子乗ってると恋人に怒られそうですね。さてさて、この幸せを噛みしめながら今日のリクエストに答えていきましょうかね。もしかしておれのお祝いですか? 恋愛ソングのリクエスト多い気がします。あははっ。通路の妨げさんから。メッセージありがとうございまっす。「あかねさんこんばんちはっす!」こんばんちはっす!「恋の成就おめでとうございまっす!」ありがとうございまっす!「恋バナ聴いてたらラブソングが聴きたくなりました。僕も恋したいです。ちゃんと幸せになってくださいね!」幸せになります、相手さんも幸せにします。ということで! こちらのラブナンバー!』
あかねさんの曲紹介とともにイントロが流れ始める。最近話題のポップなラブソング。恋が叶ってちょっと浮かれている少女を描いた歌詞が、今の俺たちに合っている気がする。
『幸せになります、相手さんも幸せにします』と言ったあかねさんのキリッとしたイケボに耳が幸せになりながら、これからもっとラジオでは聴けない声も直接聴けたりするんだろうな、なんて考える。
そんなお花畑な思考に自分で呆れ笑いを零しながら箸を取った。
俺も赤祢と同じくらいに幸せをかみしめながら手を合わせた。
「いただきまっす」
立ち漕ぎでペダルを回す。
いつもは気にならない赤信号が煩わしい。
早く会いたい。
会ったらまず、逃げてごめんって謝らなくちゃ。
だけどその前に、俺は彼らに言うべきことがある。
ーー
校門の前で腕を組んで壁にもたれている3人の私服男子を見つけた。
「……おはよう」
俺を視界に移した瀬田がぶっきらぼうに言う。柳は何を考えているのか分からない無表情で俺を見ている。常盤は不安そうに俺たちの顔を見回していた。
「おはよう。時間、くれてありがとう」
昨日の夜、俺は3人にSNSアプリでメッセージを送っていた。話があるから明日学校の前に来て欲しいと送って、分かったと返事をくれたのは柳と常盤だけだったけど。瀬田も来てくれてよかった。
「……場所、変えるか」
「あ、うん」
自転車から下りた俺は、前を歩きだした瀬田たちの後ろを自転車を押してついて行く。
学校近くの公園は、夏休みだというのに誰もいなかった。
ブランコと滑り台とベンチだけという小さな公園だから、小さな子どもたちが遊ぶには物足りないのかもしれない。
ベンチに3人が座る。その正面に自転車のスタンドを立てた俺は真っ先に頭を下げた。
「ごめん! ずっと嘘ついてたこと、ごめんなさい」
3人は何も言わない。どんな顔をしているかも分からなくて不安になる。
「昼休みは屋上にいた。赤祢と。黙っててごめん」
しばしの沈黙。常盤は通常運転として、瀬田と柳も何も言わない。
「……なんでずっと嘘ついてた」
やっと反応してくれたと思ったら、瀬田から低い声で問われた。
「俺……。本当はラジオが好きだ。最近のバラエティとかよく知らないし、テレビもあんまり見ない。たまにドラマ見るくらいで。休みの日も出かけるより家でラジオ聴いてる方が好き。……でも、本当のこと話しても、興味持たれないと思った、から」
「赤祢って同じクラスの地味眼鏡だろ。で、赤祢とは趣味の話が合って話しやすかったって?」
瀬田が攻撃的な声音で言う。視界に映る常盤の足が動き、体が傾くのが分かった。たぶん、瀬田を宥めようとしているのだろう。
「……そう」
「とりあえず、顔上げなよ夜川」
瀬田と違って責める口調ではない柳の声。俺は言われた通りに、だけどぎこちなく体を戻す。
瀬田は俺を睨みつけ、柳は困ったように笑い、常盤はハラハラしながらも成り行きを見守る姿勢になっていた。
「なんで言わなかった? 本当にオレらに興味持たれないって思ってただけ? 他に理由あるんじゃない?」
柳が見透かしたように問う。
「……俺本当はこんな明るい性格じゃない。けど、ひとりが嫌で誰かと一緒にいるために笑って。そうやって一緒にいる人には、ラジオは地味で渋くて笑う対象のものらしかったから……」
「何それ、心外なんだけど。俺らがお前の、友達の趣味笑うと思われてたってことだろ」
「……瀬田が前に言ったとおりだよ。俺、自分が1人にならないために3人といた。友達って、思ってなかった」
瀬田の眉間の皺が深くなった。
柳も息をのんで黙り込む。
常盤は泣きそうな顔で俺を見上げている。
「でも、瀬田は俺を友達って言ってくれて、それが嬉しかったから。ちゃんと話そうと思った」
今のダサいままの俺であかねさんに会いたくなかったから。
ちゃんと、腹をくくって3人と話そうと思った。自分の本音を話さなきゃいけないと思った。
「俺、本当は根暗な奴なんだよ。ネガティブ思考で、マイナスな方にばっかり考える。ひとりが好きだけど、ずっとひとりなのは怖くて、そうやって表面上の付き合いをしてたら笑えなくなる時があって。ひとりになりたくて、でもやっぱりその勇気がなくてヘラヘラ笑ってるような奴。人付き合いが苦手で、目立つのも好きじゃなくて……」
自嘲気味に笑う。きっと3人が思っているような明るい俺じゃない。ノリがいいような俺じゃない。
そんな奴でも、友達って呼んでくれるか?
一緒にいてくれるか?
「そんなもんでしょ、みんな」
久しぶりに少し高いアニメ声を発した常盤に視線が集まる。
「自分の時間だって大事だし、誰かといることも悪くない。趣味がラジオって話、もっと聞きたいし、夜川のこともっと知りたいよ。ボクはそんな夜川を友達って思ってる。瀬田も、柳も」
本人はアニメ声なことを気にして普段は無口でいる。
俺たちはそれを気にしていないけど、本人は嫌がっている。
その声でちゃんと伝えてくれたのは、きっと常盤にとって俺もそんな風に見えているってことなんだろう。
本人が気にしていることを、周りはそれほど気にしていない。でも本人が気にしていることを周りはちゃんと分かっている。
みんな、自分の見られたくない部分を持っている。それも含めて受け入れてくれる友達という存在は、すごい。
「はぁ、本当にな。常盤の言う通りだわ。俺がショックだったのは信用されてなかったってことだし」
「ごめん」
「まぁまぁ、今話してくれたんだしいぃじゃん。瀬田さ、ずっとショック受けてたんだよ~、マジで! ずっとしょげた顔してブツブツブツブツ……」
「おい! 柳!」
柳の口を塞ごうを身を乗り出す瀬田。柳はそれを笑ってかわし、常盤は緩んだ空気にほっとしたように微笑んでいた。
瀬田から逃げる柳に場所を奪われた常盤は、そっと俺の隣に並んで2人のやり取りを眺める。
「大丈夫だよ、夜川。笑いたい時だけ笑ってたらいいよ。一緒にいたくなったら、ボクたちのところに来たらいい。ずっと一緒にいなくても、友達じゃなくなったりしないから」
「大丈夫だよ」と囁くその声に、俺は胸のつかえが取れた気がした。
「ありがとう、常盤。瀬田も柳も、ありがとう」
俺を友達だと言ってくれて、受け入れてくれてありがとう。
きっと、もうこの3人の前で無理して笑わなくても大丈夫だ。
「チッ……こっぱずかしい」
「ふはっ、それはそう。あ、俺この後行かなきゃいけないとこあるからもう行くな」
すっきりした笑みを浮かべた俺は、スタンドを蹴り上げた。
「は? どこ行くんだよ」
「んー。いつものとこ?」
「……おい夜川、お前まだ隠し事あるな?」
瀬田が細めた目で睨んでくる。だけどそこにさっきまでの苛立ちはない。
「あるけど、もう嘘はないって」
「おいその隠し事も吐いてけ!」
「それはやだ。じゃあまたな!」
俺は片足でペダルを踏み、反対の足で地面を蹴る。スピードに乗ったところでサドルにまたがって学校へ急いだ。
後ろから「待て夜川!」と叫ぶ瀬田の声が聞こえたが、俺は振り返らないまま手を振った。
駐輪場に自転車を止めた俺は、屋上を目指して廊下を走り、階段を駆け上がる。
ドアを開けて屋上に出たが、人の姿はない。
「……本当に来た」
声が聞こえて振り返ると、入り口下の日陰に壁にもたれて座る赤祢が俺を見上げていた。
マスクと眼鏡を外した赤祢の前髪を、一陣の風が飛ばす。本当に来るとは思わなかったと書いてある顔で俺を見ている。
「……あなたの番組のリスナーですから」
そう答えれば、赤祢はハッと我に返って恥ずかしそうに視線を泳がせながら俯いた。
「やっぱり、聴いてた?」
「ばっちり聴いていた。あかねさんに……好きな人がいる話」
言ってから、これを自分だと言い切るのは自意識過剰だったかと今更ながらに怖気づいた。
「待ってる人、違った?」
「違わない!」
勢いよく顔を上げて食い気味に答える赤祢は、ほんのり顔が赤かった。夏の暑さのせいだけではなさそうだ。
赤祢の勢いにふはっと噴き出した俺は、彼の前にしゃがんだ。
「俺、自分に嘘つくのやめた。ラジオを好きって言える自分の方が断然いいし、クラスメイトと表面上の付き合いするのもやめたいから、俺って実は根暗な人間ですって暴露してきた」
ははっと笑い飛ばす。
あかねさんに面と向かって報告したくて、でも今までずっとできなかったこと。
「でもさ、関係、壊れなかった。俺はそう思ってなかったのに、それでも友達だって言ってくれた。俺も、ちゃんと友達でいたいって思った」
「うん、そっか。夜川、頑張ったんだね。おれに胸張って報告するために」
「……そう、だよ」
面と向かって言われると照れる。俺って結構恥ずかしいこと言ってる気がする。
「頑張ったね、夜川。かっこいい」
こっちに身を乗り出して言った赤祢の声は、少し低くて柔らかくて、とても甘い声だった。
ふわっと微笑んだその表情と相まって俺の心臓が早鐘を打つ。
顔が熱いのは夏の暑さのせいだけじゃない。
「あかねさん、好きです」
考えるよりも先にするっと出てきた告白。
「『あかねさんの声』が?」
赤祢は意地悪な顔をして俺の顔を覗き込んできた。
「赤祢の声も。顔も、話しやすいところも、ラジオが好きなところも、DJのあかねさんも、『あははっ』って笑うところも、から揚げを美味しそうに食べるところも、あと……」
「ま、待って待って、おれから聞いといてなんだけどすごく恥ずかしい」
身を引いたあかねは真っ赤になった顔を手であおっている。
「その顔も、好き。あ、もちろん顔目当てとかじゃなくて。全部、好き」
顔目当ての恋に嫌気がさしたという話を思い出した俺は、すぐさまフォローを入れる。
「あははっ。慌てすぎ、分かってるよ」
生で聴くのは初めてのその笑い方。
イヤホン越しに聞くだけじゃなくて、その笑顔を見られる距離にいることが嬉しい。
鼓動が早くなるだけじゃなくて、背中がゾクゾクして、あまりの多幸感に泣きそうになった。
「赤祢、俺……」
「おれも好きだよ、夜川」
ゆっくりと顔を近づけながら、至近距離で聴く赤祢の声に心臓が暴れる。
恥ずかしさに目を閉じれば、そっと唇が重なった。
まさかキスをされると思っていなくて、俺は過去一熱い顔であかねを見る。
「……あははっ! 夜川かわいい」
そんな不意打ち、心臓に悪すぎる。
「俺が早死にしたら赤祢のせいだ……」
不貞腐れて赤い顔のまま呟けば、「そうかも。でもお互い様ね」と言われてドクンと心臓が脈打った。
ーー
『みなさんおれの恋路が気になるようで、たくさんメッセージくれてますね、あははっ。メッセージありがとうございまっす。もう、特別ですよ? 恋人が恥ずかしがっちゃいますから。へへ、そうなんですよ。みなさんの応援のおかげで思いが通じ合いまして、この度交際することになりました!』
恋の成就を祝うようにレゲエホーンが連続で鳴った。
「あ、あんまり言わないでくださいよ……」
今日の出来事を思い出すだけで恥ずかしさがよみがえる。
『恋が叶うってこんなに幸せなんですね。もうニヤニヤが止まりません。あははっ! 昨日ここでメッセージ言えばってアドバイスをくれた方、ありがとうございます。あなたのおかげと言っても過言ではありません』
「本当に恥ずかしいな」
顔どころか耳まで熱い。
だけど、浮かれているのは俺も一緒だ。
今日の晩ご飯はから揚げにコロッケにエビフライに……と作りすぎてしまった。
『あ、お祝いメッセージありがとうございます。空の上の雲さん「おめでとうございまっす! これから大変なこともあるかもですが、末永くお幸せに!」ありがとうございます、ありがとうございます。カプチノさん「おめでとうございます! 惚気とかないんですか?」惚気? そんなことしたらもう放送枠ギリギリまで惚気ちゃいますよ? 海の底さん「おめでとうございます! どんな人なんですか? 女性? 男性?」ひ、み、つ。あははっ!』
この人浮かれすぎだって……。
さすがに苦笑を零した俺は、さっき交換したばかりのSNSのトーク画面を開く。
「まったく……。『あんまりラジオでデレデレするな!』と」
金棒を持ったうさぎのスタンプと一緒に送り付けてやった。
だけど、本気で怒っていないことはあっさり見抜かれるだろう。
『あんまり調子乗ってると恋人に怒られそうですね。さてさて、この幸せを噛みしめながら今日のリクエストに答えていきましょうかね。もしかしておれのお祝いですか? 恋愛ソングのリクエスト多い気がします。あははっ。通路の妨げさんから。メッセージありがとうございまっす。「あかねさんこんばんちはっす!」こんばんちはっす!「恋の成就おめでとうございまっす!」ありがとうございまっす!「恋バナ聴いてたらラブソングが聴きたくなりました。僕も恋したいです。ちゃんと幸せになってくださいね!」幸せになります、相手さんも幸せにします。ということで! こちらのラブナンバー!』
あかねさんの曲紹介とともにイントロが流れ始める。最近話題のポップなラブソング。恋が叶ってちょっと浮かれている少女を描いた歌詞が、今の俺たちに合っている気がする。
『幸せになります、相手さんも幸せにします』と言ったあかねさんのキリッとしたイケボに耳が幸せになりながら、これからもっとラジオでは聴けない声も直接聴けたりするんだろうな、なんて考える。
そんなお花畑な思考に自分で呆れ笑いを零しながら箸を取った。
俺も赤祢と同じくらいに幸せをかみしめながら手を合わせた。
「いただきまっす」