「夜川さぁ、最近ずっとどこ行ってんの? 先生に呼ばれてるとか嘘だろ」
 瀬田たちに嘘がバレた。当たり前だ。
 もう赤祢とお昼を過ごすようになって一カ月を過ぎていた。期末試験も終わったし、あかねさんにはメッセージを送って試験の頑張りを褒めてもらったし、赤祢にも直接褒めてもらった。もう夏休みも目前に迫っている。
 それだけ長い期間、何も言われなかったことの方が不思議なくらいだ。
 けれどそれは嘘を許されているわけではない。
 今日も今日とて弁当を持って席を立とうとした俺に、瀬田は睨みを聞かせながら言った。
「俺らと昼食うの嫌になったわけ?」
「そんなんじゃないけど……」
「だったらなんで嘘ついてまでどっか行くんだよ」
 瀬田が怒っているのは俺が嘘をついてたことにだろう。
 だけどこれは俺の独占欲だから。赤祢を取られたくなくて、赤祢と屋上で昼を食べると言えないせいだ。そして、話せる関係性もないせいだ。
「俺らといるのが嫌なんだったら、好きにしろよ。べつに引き留めたりしないからさ」
「せぇたっ。まぁまぁ落ち着けって」
 そこに、昼ご飯を持って俺たちの席にやってきた柳が、俺と瀬田の顔の前に腕を挟んだ。
 その様子を常盤がおろおろしながら窺っている。
「俺は……嫌になったとかじゃなくて……」
 俺はまた間違えるんだろうな。
 こういう関係が疲れるんだ。ずっと決まった人と一緒にいることがしんどくて、俺はまた居場所を失くす……。
「だったら友達に嘘ついてまで、何がしてぇの?」
 瀬田の言いたいことは分かる。
 でも……。
「瀬田」
 柳が咎めるように瀬田を呼ぶ。
 常盤も瀬田を宥めるように背後から制服を控えめに引っ張る。
 それでも瀬田の苛立ちは収まらず、瀬田は立ち上がって柳の腕を強引に掴んで下ろした。
「それとも何? 友達って思ってたの俺らだけ?」
 痛いところを突かれる。
 正直図星だ。だって、俺は瀬田たちとは違うタイプの人間だから。
 本当は交友関係を持つことに向いていないタイプの人間だから。
「何も言わないって、そういうこと? だったらいいよ。もうお前に構ったりしないから」
 瀬田は吐き捨てるように言うと、俺に興味を失くしたように背を向けた。
「柳、常盤。早く飯食お」
 常盤が困ったように俺たちの顔を順番に見る。瀬田と俺には喧嘩はやめてと言いたそうな視線を向け、柳にどうにかしてと縋るような視線を向ける。
 柳は黙っている俺に反論を期待するような目で見ていたが、俺は何も言えなかった。
 俺は柳と常盤の視線から逃げるように弁当を持って教室を出た。

 逃げるように走って屋上まで来た俺を、いつもの日陰に座っていた赤祢は見上げた。
 驚いているようでもあるし、すべてを知っているようでもある。
 その顔にマスクはないが、目が隠れているだけでこんなにも表情が分からない。
「今日は早かったね」
 赤祢は落ち着いた声でそう言った。彼の声を聴いただけで涙が出そうになった。
 教室であったことをすべて見ていたんじゃないか。そのうえで何も知らないふりをしてくれているんじゃないかという気になる。
 赤祢はいつも俺が伏せたい話題には触れてこない。
「夜川? え、泣いてる?」
「……ごめん。っごめん」
 情けない。
 中学からどころか、小学生のころから俺は何も変わってない。あかねさんの言葉があって、変わるって決意して、結局超ダサいまま変われていない。
「なんで泣くの」
 その場にしゃがみこんで膝に顔を埋める俺の背中を撫でてくれる赤祢は、優しい声音にちょっと戸惑ったような色を滲ませていた。
「俺、ほんとは根明なんかじゃないよ。そんなんじゃない。本当は根暗で、ひとりが好きで。でもひとりは怖いから誰かと一緒にいたくて明るい人を演じてるだけだ。表面上の付き合いばっか。瀬田たちとも。友達って言えるほど深く付き合えない。そのうち誰かと一緒じゃ笑えなくなる」
 俺は地面に向かって誰にもぶつけられない感情を投げつける。
 赤祢は黙って俺の背中をさすっている。
「そんな俺に祖父ちゃんがラジオを教えてくれたけど、誰もラジオを聴く人なんていなくて、地味だとか渋いとか言われて笑われて。興味なさそうで。こんなにいい番組いっぱいあるのに。誰とも話し合わないし。結局また表面上の付き合い続けてみんなの趣味にヘラヘラ笑って相槌打って、また疲れる。もうしんどいって……」
 最後の声は自分でも情けないくらいに震えていた。それでも言葉は止まらない。
「祖父ちゃんが死んだときも、俺は笑えなくなって、周りの奴らが離れていってもラジオはずっとそこにあって。あの時だってラジオに救われたんだよ。あかねさんに救われたんだよ。なのに俺、あかねさんのこと憧れて尊敬してるのに、合わせる顔がない。俺……変わりたいって思ったのに。高校に来ても同じことしてる……俺また瀬田たちと表面上の付き合いしてる。俺、こんな自分なんか大っ嫌いだ……こんなんじゃ、あかねさんに胸張れない」
「大っ嫌いだ……」と掠れた声で繰り返す。
 俺、好きな人の前で何やってんだろ。赤祢は今どんな顔してるだろう。
 情けない所見せて、醜い感情吐き出して、かっこ悪い。
「だっせ……俺。ごめん、赤祢」
 ズビッと鼻をすすって溢れた涙を腕で乱暴に拭う。背中をさすってくれていた赤祢に謝る。
「ダサくないよ、夜川は。ちゃんと自分のこと分かってる。人が変わるって大変だし、難しいことだよ。それをしようとしてる。自分の悪いところをちゃんと分かって、変わろうとしてる。すごいことじゃん」
 赤祢がぽんぽんと宥めるように俺の背中を叩きながら言ってくれた。
 なんでそんな温かい声で優しい言葉をかけてくれるんだよ。俺、あかねさんに合わせる顔ないんだよ。赤祢に合わせる顔、ないんだよ。
 なんでそんなに優しいんだよ……。
「夜川はダサくない」
 赤祢が繰り返し言った。
 途端に赤祢の手が触れている背中に意識が向いた。
 好きな人の手が俺の背中に触れている。そう思うと顔が熱くなった。
 くすぐったくて恥ずかして、結局照れが勝った。
「あり、がと。背中、もう大丈夫だから」
「あ、うん」
 俺はやんわりと赤祢の手から距離を取る。
 赤祢は少し気まずそうに俺の背中から手を放した。
 赤祢に慰められるのは嬉しいようで、やっぱり情けなくて自分が許せなかった。
 どうして赤祢はそんな風に言ってくれたんだろう。自分の好きな自分でいられることが、赤祢が望むことじゃないんだろうか。そりゃあ、価値観を人に押し付けるのは違うかもしれないけど、まさか慰めの言葉を掛けられるとは思っていなかったから……。
 あまりの情けなさを哀れに思って、ダサくないなんて言ってくれたんだろうか。
「夜川、あんまり自分を責めないでね」
「……責めるって言うか、情けないから。俺が」
「おれは好きだよ、頑張り屋な夜川のこと」
 
 甘く囁くような声。まるで告白のように聞こえた言葉に心臓が止まりそうになる。
 数秒の沈黙。
 それを破るように俺は笑った。
「ふはっ」
 冗談だよ、冗談に決まってる。赤祢が俺にそんなこと言うはずない。これも、慰めようとして言ってくれただけ。
 でも、今の声は本当にドキッとした。
「なんで笑うの」


「ごめん。あかねさんの声、ほんと好きだなぁって思って」


「え……」


 時間が止まったかと思った。
 周りの音が全て消えた気がした。
 この世界に俺と赤祢しかいないかのような錯覚に陥った。
 そして、しまった、と遅ればせながら思った。

「あ、その……」
 先に時間が動いたのは俺の方だった。
 俺は慌てて言い訳の言葉を探す。
 赤祢はまだ固まったままでいる。
「えっと、だから……」
 何がだから、だよ。だからも何もない。
 何も言葉が出てこない俺の心に焦りばかりが募っていく。
 赤祢はまだ固まっている。最近は俺の前では普通にマスクと眼鏡をはずしてくれるようになったけれど、前髪だけはそのままだから目は見えない。だけど口はぽかんと開いたままだ。
 きっとこっちを見たまま呆然としているのだろう。
「あの……えっ……と……」
 赤祢から視線を逸らす。
 目が泳ぐ。
 頭が真っ白で全然取り繕う言葉が浮かばない。
 どうしよう。俺、この人に顔を合わせられないって考えてたところなのに、とんでもない爆弾発言をしてしまった。
「ご……」
 これ以上の醜態を晒すのは勘弁願いたい。
「ごめん……!」
 だからと言ってその場から逃げ出したのも、十分醜態を晒したと思う。
 俺は弁当を手にしたまま屋上を飛び出した。
 階段を駆け下り、教室がある階すらすっ飛ばして1階まで下りる。誰もいない中庭まで来たところで足を止めた。
 逃げてきた俺を歓迎するように噴水が吹き上がった。
「はぁ、はぁ……」
 肩で息をする。
 なんで逃げたんだろう。赤祢の声が好きって言いたかったとか、誤魔化しようはあったはずなのに。
「はぁ……違うか」
 誤魔化せなかった。
 本当のことだから。
 誤魔化したくなかった。
 あかねさんの声が好き。
 赤祢と話すようになって、彼自身のことももっともっと好きになっていた。
 あかねさんを好きになって、赤祢と接点を持つようになったことを後悔はしていない。彼に合わせる顔がないのも、あくまで自分自身を嫌っているだけだ。
 恋心は否定したくない。それが、一番胸を張れることだから。ラジオが好きで、あかねさんの声に恋に落ちて、彼に助けられたことを否定したくない。
 たとえ赤祢に嫌われても、気持ち悪がられても、この恋心を誤魔化さなかったことだけは自分を褒めてもいいんじゃないかとさえ思った。
 最後の最後で逃亡という醜態は晒したけれど……。
「はぁぁ~~……」
 俺は声を出さずに深く深く息を吐き出した。
 弁当の袋を持ったままその場にしゃがみ頭を抱えた。
「俺、どんどん最低な自分になってく気がする」
 最低度が増すのはこんなにあっけないのに、いい方に変わるというのは本当に難しい。
 俺、今度こそ赤祢に合わせる顔がない。
 取り繕えもしない。
 愛想笑いすら浮かべられる気がしない。
 あんなの、あかねさんって気づいていて赤祢に近づいたって暴露したようなものじゃん。
「……何やってんだろ」
 やっぱり俺はダサいよ。