あれから1ヶ月が過ぎた。

鏡を見てショートヘアの自分を見ると、ふとユリさんのことを思い出すときもあるが、だからといって会いたいとかそういうのではなかった。


陽太に散々な振られ方をした私だったけど、忙しいくらいに仕事が詰まっていて落ち込んでいる暇すらない。

というか、陽太のことなんてもうどうでよくて、ユリさん以上に忘れかかっていた。


そして、休日の今日。

私は、あるところにきていた。


最近、休日でもアポが入って仕事になったり、ようやく休めたとしてもなにかしら予定が入っていて、“ココ”にくるのは久々だ。


「いらっしゃいませ〜」


柔らかく微笑む店員さんに軽くお辞儀し、指定の場所で靴を脱ぎ、アルコール消毒のスプレーを手のひらにかけて、私はそっとドアノブを握った。


ドアを開けた先にいたのは、自由気ままにのんびりと過ごす猫、猫、猫!

ここは、保護猫カフェ。


猫好きの私は、癒しを求めて数年前からここに通っていた。

猫と戯れているとき、仕事中では見せない顔をしているから、私が保護猫カフェに通い詰めているというのは職場の人には絶対に知られるわけにはいかない。


ちなみに私の推しは、黄色っぽい色をした茶トラの『きなこ』。

2歳のオスの猫だ。


店員さんいわく、きなこはあまりお客さんに懐かずいつもキャットウォークの上のほうで寝ているんだそう。

それが、私がくると自ら歩み寄ってきてくれるのだ。


そんな私だけに見せてくれる素顔がかわいくて、それにたぶんきなこは猫の中でもイケメンの分類に入ると思う。

目力があって、凛々しくて。


母がああ言ってくるからとりあえずマッチングアプリに登録して陽太と出会って付き合ったけど、よくよく考えればやっぱり私に彼氏なんて必要なかった。

だって、きなこが私の彼氏なんだから。


しかし、なぜか今日はきなこがいなかった。


「あの…、すみません。今日ってきなこは?」

「きなこでしたら、本日はお休みさせてもらっているんです」

「…お休み!?もしかして、どこか体調が悪いとかっ…」

「そうじゃないので安心してください。実は、里親希望者さんところへトライアルとしてお泊りに行っているんです」

「里親…」


店員さんの言葉に私は絶望した。

おそらく、陽太に振られたときよりも。


保護猫カフェは、里親としてお気に入りの猫を迎え入れることもできる。


現に、あの猫ちゃん最近見かけないなと思って店員さんに聞いてみたら、新しいお家に迎え入れられたという話は何度か耳にした。


だから、いつかはきなこもそういうときがあるのも覚悟していた。

でも、きなこは他のお客さんには懐いていないようだし、いい意味でずっとここにいてくれると思っていたのに――。


私も何度もきなこを引き取りたいと思ったことがあった。

でも、今の仕事だと出張が多いし、トラブルがあったら急遽その日に飛行機に乗って取引先まで行くことだってある。


そんな状況では、とてもペットなんて飼えない。

だから、こうしてきなこに会いにここにきていたのに。


もうすぐ…きなこがいなくなる。


他の猫たちも十分かわいいのだけれど、きなこのことを考えたら今日は楽しくは遊べなかった。

さっききたところだけど、もう帰ることにした。


靴箱から靴を出し、しゃがんではいていると――。


「ありがとうございました〜」

「こちらこそ、ありがとうございました」


受付のほうから、女性と店員さんのそんな会話が聞こえてきた。


「いかがでしたか?」

「とってもお利口でした。ね〜、きなこ」


…“きなこ”!?


私の耳がすぐに反応した。

急いで靴をはいて角から顔を出すと、受付にケージに入ったきなこがいた。


どうやら、ちょうどトライアルから戻ってきたみたいだ。


「じゃあね、きなこ」


商品棚でちょうど里親さんの姿は見えなかったが、里親さんが帰っていったのを見て私はきなこに近づいた。


「きなこ〜、久しぶり」

「ニャ〜」


ケージ越しだけど、きなこは私を見て返事をしてくれた。


「あの…、さっきこられてた方がきなこの新しい――」

「はい、里親さんですね」


…そっか。

やっぱりそうなんだね。


きなこ、キミもお嫁に行っちゃうんだね。

オスだけど。


「もう、きなこが引き取られるのは決定なんですか…?」

「そうですね。次回が最終トライアルになるので、そこで問題がなければほぼ決定だと思います」


本当に、きなこがいなくなるんだ。


…寂しい。

それに、大好きなきなこが私だけのきなこじゃなくなってしまうのが…悲しい。


でも…仕方ない。

顔は見てないけど、声からだとやさしそうな女性だったし。


その人といっしょなら、きなこも幸せに暮らせるはず――。


「すみません!さっきここにスマホを忘れていませんでしたか…!?」


するとそのとき、受付そばの入口のドアが勢いよく開いた。

慌てて入ってきたのは、ゆるふわボブの小柄な女性。


「「あっ」」


そして、私たちは目が合った瞬間同時に声を漏らした。


「りっちゃん!」


なんとそれは、ユリさんだったから。

まさか、こんなところで再会するなんて。


「お客さま。もしかして、そこの角にあるスマホのことでしょうか?」

「え?あっ、ほんとだ!こんなところに〜。ありがとうございます」


どうやらユリさんは受付の台の角にスマホを置き忘れていて、それに気づいて戻ってきたようだった。


「まさか、りっちゃんとこんなところで会えるなんて!久しぶりだね、よくここくるの?」

「うん…、まあ」


陽太という彼氏がいたことも周りには言っていなくて、私が大の猫好きで保護猫カフェに通い詰めているというのも私だけの秘密だったのに――。

またしても、ユリさんに知られてしまった。


「りっちゃん、このあと時間ある?この前は全然話せなかったけど、せっかくだしいっしょにお茶しない?」


私がユリさんと…お茶?

そんなめちゃくちゃ仲がいいわけでもないのに、正直なにを話したらいいのかわからない。


「もし予定があるなら構わないんだけどね」


そう言って、ユリさんは私からケージの中にいるきなこに視線を向けた。


「またね〜、きなこ。次のお泊りも楽しみにしてるよ」

「…“お泊り”!?」


とっさに食いついてしまった。

まさかとは思ったけど、きなこの里親って――。


「ユリさん…、もしかしてきなこを?」

「りっちゃん、“ユリさん”じゃないよ」


クスッと笑うユリさんを見て、わたしははっとした。


「あっ…、ごめん。ゆめさん」

「“さん”はいらないよ〜。うん、きなこをうちで引き取ろうと思って、今いろいろと準備してるんだ」


それを聞いてしまったら、この場を何事もなかったかのように帰るなんてことできなかった。


そうして、私はゆめちゃんといっしょに近くのカフェへ。


「店員さんから、わたしの他にもう1人きなこが懐いてる人がいるとは聞いてたけど、りっちゃんのことだったんだ」


私もまさかこんなかたちでまたゆめちゃんと会って、再び同じ男(猫)を取り合う運命にあったとは思いもしなかった。


…いや、取り合うというか。

きなこはもうすぐゆめちゃんの家族になるのか。


「きなこって、周りのお客さんから無愛想って言われてるとこ見たことあるんだけど、みんなわかってないんだよね。あれがきなこのいいところなのに」

「わ…わかる!」

「もちろん人懐っこい猫も好きだけど、きなこみたいに好き嫌いがはっきり別れてるほうがわたしは好きだな」

「わかる!わかる!」


ゆめちゃんとカフェにきたとしても、なにを話したらいいのかわからないなんて言っていたけど――。

きなこの話となると話題が尽きなかった。


「なんだか、わたしがりっちゃんからきなこを奪っちゃうみたいでごめんね」

「ううん、そんなことない…!私は急遽出張が入ったりするから、そもそもきなこは飼えなかったし」


きなこが引き取られると知ってショックだったけど、それが知っている人でよかった。

もしかしたら、またきなこに会えるかもしれないし。


でも私、そもそもゆめちゃんの連絡先知らないや。


「きなこに会いたいから、お家遊び行かせて。だから、連絡先交換しよう」

なんて言ったら、さすがに失礼だよね。


思わず出かかった言葉をコーヒーとともに流し込む。


――すると。


「りっちゃん、よかったら連絡先教えて。いつでもきなこに会いにきてよ」


なんと、まさかのゆめちゃんがそう提案してくれた。

私には断る理由などなく、その場でゆめちゃんと連絡先を交換した。


「でも…。ごめん、りっちゃん」


お互いのスマホにお互いの連絡先が登録されてすぐ、なぜかゆめちゃんが私に謝ってきた。


「いつでもきなこに会いにきてよって言ったんだけど、実は…実家に帰らなきゃいけないかもなんだよね」

「…えっ、実家?」


実家となると、私たちの地元。

とても、いつでも会いに行ける距離ではない。


聞くと、上京してから最近まで、ゆめちゃんは大学の友達と2人でルームシェアをしていたらしい。

しかし、その友達が近々結婚することになり、先々週に部屋を出ていったのだと。


今月分の家賃は置いていったそうだが、来月からはこれまで2人で折半していた家賃をゆめちゃん1人が負担することに。

出ていった友達分の部屋も無駄に余っていることだし、1人でそこに住み続けるにはデメリットのほうが大きかった。


そんな話をぽろっと田舎の両親に話したところ、じゃあこっちに帰ってきたらいいじゃないという話になって。


「でも、仕事は?辞めて大丈夫なの?」

「わたしWebデザイナーだから、パソコンさえあればどこでも仕事はできるんだよね。だから、田舎に帰るからっていっても辞める必要もなくて」


だから、普段はずっと家で仕事をしているらしく、1人も寂しいからきなこを受け入れようと思ったんだそう。


「だからさ、もし可能であればなんだけど…」


そう言って、なぜか猫なで声で向かい座るゆめちゃんが私の顔を覗き込んでくる。

それを見て、なんとなく察した。


「もしよかったら、わたしといっしょにルームシェアしない?」


思っていたことが的中した。

この流れからすると、そう提案されるのも当たり前か。


「むっ…無理無理!私、だれかといっしょに住めるような人間じゃないし…!」

「わたしだって、どちらかと言うとそうだよ」

「それに、部屋の更新だって――」

「もしかして、もう最近しちゃったとか?」


ゆめちゃんにそう言われてふと考えてみたけど――。


「…違う。更新月は再来月だった」

「えっ、ちょうどいいじゃん!」

「それに、たしか…次回更新から家賃が値上がりするとも書いてあった」


ゆめちゃんの話を聞くと、各々の寝室は今の私の寝室と同じ大きさだけど、リビングは今よりも広い。

なのに、2人で折半したら家賃は今よりも安くなる。


しかも、会社までの通勤時間も今よりも短くなる。


となると、私のほうこそ今のマンションに住み続ける意味がなくなる――?


「りっちゃん、来週の土曜日空いてる?」

「…うん、その日は休みだから。アポとかが入らなければだけど」

「だったらさ、お試しでうちに泊まりにおいでよ!」

「…え!?」

「その日、きなこの最終トライアルの日なの。だから、りっちゃんもトライアルしにおいでよ。お試しで3人で暮らしてみない?」


いつの間にか、話の流れでそんな展開になってしまったものだから――。

次の土曜日、私は1泊分の荷物を持ってゆめちゃんの住むマンションにきていた。


「…お邪魔します。本日はお世話になります」

「どうぞー!ちょっと散らかってるけど、入って入って〜」


ゆめちゃんに招き入れられ、私は緊張した面持ちで部屋の中へと入った。


フェミニンゆめちゃんのことだから、家具はオフホワイトやベビーピンクで統一されて、生活感を感じさせないような収納で――。

と勝手に思い込んでいたから、リビングに案内されて驚いた。


小物が乱雑に並べられた棚、窓のフレームにハンガーでかけられたコート。

出し忘れたのだろうか、キッチンの隅に置かれたパンパンに空きペットボトルが詰め込まれたゴミ袋。


『ちょっと散らかってるけど』とは言っていたけど、…たしかに散らかっている。

お世辞にも、きれいとは言い難い。


だけど、不思議となんだか落ち着いた。

私も収納や片付けは苦手なほうだから、少し散らかってるくらいのほうが安心する。


それに、女子力高そうなゆめちゃんだからこそ、私と真逆な生活感を勝手にイメージしてたけど、共通点を見つけたような気がして。


すると、私の足元を温かいなにかがまとわりついてきた。


「ニャ〜」


下を見ると、きなこがわたしの足にすり寄ってきていた。


「きなこ〜!」


私はさっそくきなこを抱き寄せて頰をすりすりする。


は〜、幸せ。


「りっちゃん、夜ご飯はピザを頼んだけどいいよね?」

「うん、ありがとう」


こうして、その夜はゆめちゃん家でパーティーをした。


家で飲むといっても、いつもは1人。

だから、だれかと家飲みするのはこれが初めてだった。


しかも、どちらも酒好きでグビグビ飲み干していく。


途中、近くのスーパーまで急遽買い出しにいって、私はゆめちゃん家のキッチンを借りて、酒のつまみを追加で作った。


揚げ焼きにしてカリカリにした鶏皮せんべい。

アボカドとマヨと卵がたっぷりのポテサラ。

ヤンニョムソースでじっくり焼いた豚バラチャーシュー。

ミートソースとチーズを大量にかけて焼いたスライストマト。


「お待たせ〜、葉加瀬居酒屋の開店だよ〜」

「すごーい!これ、全部りっちゃんが作ったの?」

「まあねー」


ほろ酔い気分の私はいつになく上機嫌。


私は料理が嫌い。

毎日の献立を考えるのは面倒だから、ほとんど外食で済ませている。


だけど、酒のつまみなら作れる。

いつもは自分で作って自分で食べるだけだけど、こうして喜んでもらえるとうれしい。


「葉加瀬居酒屋、サイコー!毎晩でも通いたくなっちゃう」

「じゃあ、ここの空きテナントに入っちゃおうかな?」

「きてきて〜!大家はいつでもウェルカムだよ〜」


普段は静かに飲むのだけれど、今日は饒舌だ。

楽しすぎて、次から次へとお酒が進む。


こんなにバカ騒ぎをしたのはいつぶりだろうか。

…もしかしたら、初めてかもしれない。


きなこもいて、気の合う友達と毎日を楽しく暮らして。

ここに住んでみるのも――アリなのかもしれない。



「…ん〜………」


気持ちよく眠っていたはずが、ぐわんぐわんという頭痛の波によって起こされた。


「どこ…、ここ……」


顔を上げると知らない部屋だった。

…いや、ここはゆめちゃんの部屋だ。


私は、ビールやチューハイの空き缶が転がるテーブルの上に突っ伏して寝ていたようだった。

テレビ横に置かれているデジタル時計には【6:57】と表示されていた。


私…昨日そのまま酔い潰れて、朝までここで寝てしまったのか。

今気づいたけど、肩にはふわふわのブランケットがかけられていた。


「頭…イッタ」


小言をつぶやきながら頭痛のする頭を押さえていると、リビングのドアが開く音がした。

目を向けると、ルームウェア姿のゆめちゃんだった。


「ごめん、起こした?」

「…ううん、ちょうど今起きたところ」


ゆめちゃんは私のそばに水の入ったグラスを置いてくれた。


「ありがと…」


その水を飲み干して、またテーブルに突っ伏す。


久々のひどい二日酔いで、起き上がる気力すらわかない。

今日が休みで本当によかった。


それに、私以外に部屋にだれかいるってこうもありがたいものなんだ。

本来なら、こんな体調ならキッチンにコップ1杯の水を飲みにいくことすら困難だというのに。


「ゆめちゃんはいつから起きてたの?…二日酔いは?」

「わたしは意外と平気で、ちょうどさっき起きたところだよ」

「…そっか」


テーブルから動けない私のところへきなこがやってきてくれた。

そんなきなこの頭を力なく撫でる。


「りっちゃんは休みの日、いつも何時に起きてるの?」

「7時だよ。だから、今日と変わりない時間かな。休日はその時間にアラームが鳴るようにセットしてて――」


と言いかけた瞬間、私の額から冷や汗が流れ落ちた。

これは、二日酔いによる体調不良の汗ではない。


私は、とんでもないことを思い出してしまったのだ。


瞬時にさっきのデジタル時計に目をやると、時刻は【6:59】に変わっていて、その隣の秒数が【58】を記していた。


それを見て、気持ち悪くて立てないはずだったのに、なにかに取り憑かれたかのように私は突然と立ち上がる。

びっくりしてきなこが逃げていくくらい。


きなこ、ごめん…!

でも、あと2秒で私はスマホを探し出さなければならない。


なぜなら――。


〈おい、もう朝だぞ。いつまで寝てるつもりだ?それとも、またオレに襲ってほしくて寝たフリしてるのか?〉


リビングにイケボが響き渡る。


〈おい、もう朝だぞ。いつまで寝てるつもりだ?それとも、またオレに襲ってほしくて寝たフリしてるのか?〉


しかも2回も。


これは、私がハマっている乙女ゲームのキャラの声。

超ハードイベントを課金してなんとかクリアして手に入れた推しキャラのボイスをこうして休日のアラームに設定していたのだった。


ようやくスマホを見つけた私は、ビーチフラッグの選手かのように目一杯手を伸ばしてスマホを握った。


〈おい、もう朝だぞ。いつまで寝てるつも――〉

…ピッ!!


な、なんとか消せた…。


しかし、時すでに遅し。


嫌な視線を感じておそるおそる振り返ると――。

口をあんぐりと開けて、私のことを呆然として見つめるゆめちゃんが立っていた。


…知られてしまった。

私の最後の秘密。


こんなTL要素満載の乙女ゲームが好きだなんて、言えば絶対に引かれることは確実だから、一番だれにも知られたくなかったのに。


昨日の夜がすごく楽しくて、ゆめちゃんときなことここで暮らしてみるのもアリだなと思い始めてたけど…。

今ので…完全にドン引きされた。