「ブラン! 散歩に行くわよ!」
「? うん、姉様」

 思い立ったが吉日。リオラさんにこってり絞られた翌々日、私はブランを連れてリムリアを見て回ることに決めました。前回はブランの件で結局回れませんでしたし、ここ最近はずっとブランに稽古をつけていました。
 もちろんそのことに何の不満もありません。他でもないブランのことですから、あるはずがありません。
 訓練がひと段落し、昨日の依頼で他に必要な知識も伝えました。最低限ですが、昇格試験には何の問題もありません。
 ということで、私はこの観光、もとい散歩を考えたわけです。


「まずは中央広場にでも行きましょう」
「うん!」


◆◇◆
「なかなか賑わってるわね。ここからならどの区画にも移動できるけど、どこか気になるところはあるかしら?」
「……あっち?」

 ブランが指したのは商業区です。

「商業区ね。行きましょうか。服が見たいわ」

 もちろんブランの。

「わかった。楽しみ」

 ふふふ。ルンルンですね。ここ最近のブランは、出会った頃のような落ち着きはありません。あれは諦観から感情の起伏が小さくなっていただけですから。物静かなのは変わりませんが、年相応に好奇心は強いようです。良い事ですね。見た目は高校生ですが、実際は小学六年生の歳ですから。


 それにしても、今日は人が多い気がします。何故でしょうね?

 ブランと手を繋ぎ、商店街を冷やかします。居住区と隣接する形であるこの区画は、大小問わず様々な商会や個人の店舗が軒を連ねます。日常の買い物以外にも休日のデートで利用する人もおり、貴族や豪商が居を構える上層区にある高級商業区とはまた違った賑わいをみせます。

 ああ、そうか。今日は白の日、多くの人にとって休日です。いけませんね、冒険者には関係ないので忘れていました。
 ちなみにこの世界、一週間は赤、青、黄、緑、月、陽、白の七日です。日本と異なり週始めは休みではありません。
 それぞれは魔法の基礎属性を表しており、赤から順に火水土風闇光です。白は創造神たる副王『オウ=タイトゥース』の色なんだとか。

 あっちこっちを見る子狼の眼はキラキラしています。
 本当に良かった……。今の彼女には“自分”があります。好奇心はその証。もう、あの様な事にはならないはず、いえ、させません。

「あ、あの服可愛い……」
「さあ、ブラン! あの店に入るわよ!」

 私の天使(ブラン)のお眼鏡に叶う服を扱っているとは、なかなかやりますね! 褒めて差し上げましょう!
 さあ! お金はあります! ありったけの服を持って来なさーい!

◆◇◆
 私たちはホクホク顔で通りを歩きます。いやー、いい買い物でした。
 買ったのはブランの普段着上下十着と私の普段着三着です。下着は買っていません。他国は知りませんが、少なくともこのリベルティア王国にはドロワーズしかなく、上は着けないのが一般的なようです。むしろよくドロワーズがありましたね。発明されたのは18世紀かつ当時は貴族のファッション用だったはずなので、一般市民にまで普及しているのが意外でした。あ、時々混同されているので言っておきますが、かぼちゃパンツとは別物ですよ? アレはズボンです。
 そういうわけで、ピッタリした装備もする冒険者には不向きですし履き心地も良くないので下着は自作する事にします。今までブランがノーパンノーブラだった事を初めて知りました……。
 実は私、[洗浄(クリーン)]を駆使して最初からあった二セットを使いまわしてたんです。そろそろ痛んで来たのでちょうどいいですね。ちなみにこのドレス、スカートを膨らませる用のドロワーズも固定具も無いのに何故か膨らんだ状態で固定されてるファンタジー仕様です。動きやすいのでいいのですが。

 ブランとおしゃべりしながら歩いていると、何やら聖堂らしきものが見えて来ました。豪奢というわけではなく、質素でありながらも美しい建物です。

「こんな所に聖堂なんてあったのね」
「聖堂?」
「神さまを祀る所よ」
「えっ……」
「安心しなさい。『ディアス教』ではないわ。装飾からして『タイトゥース』様を祀っているのでしょう」

 『ディアス教』とは以前話した人族至上主義の宗教国家、『グロスフィルデ神聖王国』を総本山とする宗教です。祀っているのは光の神『ディアス』。創造主たる副王よりこの世界の管理を任されたと彼の教義には記されているとのこと。この東大陸でも広く信仰される管理者さんとは別物です。

「タイトゥース様?」
「ええ、寄っていく?」
「うん。姉様に会えた事のお礼、言いたい」

 くはっ! 私もこんな天使に会えて感謝しますよ。管理者さん。

 中に入ると、私たちを迎えるのは一柱の女神の像。どことなく管理者さんに似ている気がします。その後ろから差し込む光に美しく彩られ、神の姿をより神々しくみせています。
 この世界では一部の国を除き、貴族や王族の家、そして神を祀る神殿や聖堂くらいにしかないガラスです。ここにあるようなステンドグラスは大きな街でも珍しいですね。一応、加工技術は地球よりも進んでいるらしいのですが。

 静謐な聖堂内に人の気配は感じられず、まるで別の世界に来たかのような錯覚を受けます。
 ステンドグラスを通過した光は、開けた聖堂の床にもう一柱の女神を顕現させ、私たちの目を奪いました。

「お若い方々、ようこそいらっしゃいました」

 突然かけられたハーフリングの老神官の声に驚き、意識を戻します。

「いたのね。挨拶もなしに入ってごめんなさい。気づかなかったの」
「いえ、私も先ほど外から戻ったばかりです。それに聖堂は全ての民に開かれております。副王さまが貴女を咎めることなどありませんよ」

 聖堂関係者はその名を呼ぶ事を避け、副王と呼びます。

「ありがと。私、お祈りの作法とか知らないのだけど、どうすればいいのかしら?」
「ご自由になさいませ。大事なのは心でございます」
「わかったわ」

 私は神道だったのでいつもは柏手(かしわで)をうち手を合わせるのですが、この空気には合いません。物語の中でシスターがやるよう膝をつき、手を組みます。となりではブランが真似をしています。

 ――管理者さん、この世界へ送ってくれてありがとう。未練はあるけれど、とっても幸せよ。また、千年後、私の寿命が尽きた時に会いましょう。その時は名前を教えてちょうだいね。


 どこかからか、あの女性の声が聞こえた気がしました。

◆◇◆
 このままいけば街の西門ですが、ちょっと路地裏に入ってみる事にしました。

 閑散としたそこは、ブランと再会したスラムの路地裏と異なり柔らかな光に照らされています。不規則に連なる家々。光に影を落とすのはそれらの庭から伸びる木々。大通りとは比べられないほど狭い道を、私たちはゆったり歩きます。

 やがて、客を呼ぶ賑わいが『吸血族』の耳にも聞こえなくなったころ、辿り着いたのは小さな広場。空き地と言うべきそこには、各方面から続く道が見えます。見えた人影は、子供達のもの。住人たちの遊び場であるようです。

「こんな所があったのね」
「いいところ。あの樹の下でお昼寝したら気持ち良さそう」
「それはいいわね。……あら? あの家。看板が出てるわ?」

 近づけば、どうやら本屋のようでした。

「姉様、入ってみたい」
「私も気になるわね。こう言うところには掘り出し物もありそうだし」

 中に人影はありません。奥の方にも〈気配察知〉は反応していないので、留守なのでしょう。無防備なお店ですね。

 この世界、印刷技術はまだまだ発展していません。基本は手書きです。私の持っている図鑑は印刷されたもののようですから、普及していないだけかもしれません。魔導書――魔法の込められた本――のように手書きでしか意味をなさないものもありますし。よって本は高額になってしまうことが多いです。
 それをこんな人気のないところで扱っているのは何故でしょうか? いくつか手にとってみれば、納得してしまうものでした。

 目につく所の多くにあるのは一般的と言っていい魔術教本や物語、自伝でした。
 しかし、さらに奥、隠されるように陳列されていたものは禁書やそれに近しいものばかり。といってもその大半を禁書としているのは神聖王国です。気にする必要はないのですが。

「おや、お客さんかい?」
「ええ、散歩してたらたまたま見つけてね」
「ほぉ……」

 帰ってきた店主と思しき老婆は、気になることでもあるのか私をじっと見つめてきます。

「な、何かしら?」
「ふむ、なるほどなるほど。おぬしなら儂の隠蔽と幻覚を見破ったとしても不思議はないのぅ」

 えっと、私、そもそも気づいてなかったんですが? 一定未満の隠蔽は〈鑑定眼〉で自動的にに無効化されることはわかっていますが……あ、これですね。〈魔力視〉です。
幻覚は魔力を擬似的な物体として認識させるので、魔力そのものをみる〈魔力視〉だと魔力の塊にしか見えないようです。暗がりに隠してあると思ったのは、幻覚を形作る魔力で黒っぽく見えてただけみたいですね。
 こういうこともあると今後留意しておく必要がありそうです。

「それで、なにか気になる本はあったかの?」

 そうですね、そこにあるものの多くは魔導書か、その研究本です。最近魔力が上がって〈鑑定眼〉で見えるようになったのですが、基本属性の魔導スキルは“属性の本質”を操るスキルであったようです。つまりそれらの本は私にはあまり意味のないものになります。
ん? これは……。

「これ、見せてもらっていいかしら?」
「それはよいが、お主にはあまり役に立たんものじゃろうて」
「いいのよ。ただの興味本位だから。あと、これとこれも買うわ。ブランは、何か欲しい本があるかしら?」
「いいの?」
「えぇもちろん」
「それじゃあこれ」
「ふむ、四冊で80万L(ルル)じゃな」
「はい。ありがと」
「うむ、確かに。またくるといい」
「ええ。それじゃあね」

 帰ったら早速読みましょうかね。