【#7】


篠崎さんから話を聞いたあと、私の足は自然とある場所へ向かっていた。

目的の場所へ着くと、私は鞄からスマホを取り出した。

画面に表示された名前を見て、一度深呼吸をしてから発信ボタンを押す。

数回のコール音のあと、「……はい?」とためらいがちに電話に出る由弦さんの声が聞こえた。

「突然すみません、鈴原 結音です」

「うん。どうした?」

「話したいことがあって……。今、由弦さんのマンションの前まで来てるんですけど」

「……え?」

由弦さんが、かなり驚いているのが電話越しでもわかった。

今までお互い番号を知っていても電話すらしなかったうえに、マンションの前にいるなんて言われたら、驚くのも無理はないと思う。

「マンションの前ってエントランスの前?」

「はい」

「わかった。今行くから、待ってて」

そう言われて数分後、由弦さんがエントランスに来て、自室まで案内してくれた。

「ごめんなさい。突然マンションに押し掛けて、迷惑ですよね……」

勢いでここまで来てしまったけど、やっぱり迷惑だったかもしれない。

「いや、確かに突然で驚いたけど……」

由弦さんは、怒ってはいないものの、突然の私の訪問に戸惑っているみたいだ。

ここまで来たんだから、ちゃんと聞かなくちゃ。

「由弦さん、音楽活動休止するって本当ですか?」

改めて本人の前で口にしたら、緊張と不安のせいか声がかすかに震えた。

「え?」

まさか私が知っていると思っていなかったのか、由弦さんが“なんで知ってるんだ?”と言いたそうな表情で私を見た。

「篠崎さんから聞いたんです」

私の言葉に、由弦さんは納得したような表情を浮かべて。

「……本当だよ。琴吹さんとの件でたくさんの人達に迷惑をかけてしまったし。結音にも、嫌な思いをさせてしまったし。少し音楽から離れて、自分の人生を見つめ直そうと思ったんだ」

静かにそう言った。

やっぱり、本当なんだ……。

「辞めないでください。由弦さんは本当に才能があるし、憧れの存在なんです。これからも音楽活動を続けてほしいです……」

言いながら、思わず泣きそうになってしまった。

「ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいよ」

由弦さんが、穏やかな笑顔でそう言った後、

「……結音に聞いてほしい話があるんだ」

真剣な表情で言葉を続けた。

その表情から、聞いてほしい話がなんなのかすぐにわかった。

“音楽活動を休止する”

その言葉を聞いた時、はっきりと自分がどうするべきか見えた。

今の私は、由弦さんと一緒に音楽ができないなんて考えられない。

由弦さんに音楽活動を辞めてほしくない。

それなら、私がしっかり由弦さんの過去を聞いて受け止めなくちゃいけない。

私自身が、前に進むために。

そして、由弦さんに前に進んでもらうために。

これからもふたりで音楽を続けていくために。

「少し長い話になるけど……聞いてほしい」

その言葉に、私は「その時が来たんだ」と覚悟を決めて頷いた。

それから、由弦さんは夏音さんとの出会いから亡くなるまでのことを話してくれた。

愛しそうに夏音さんのことを話す由弦さんの表情から、由弦さんがどれだけ夏音さんのことを愛しているかが伝わってきた。

そして、夏音さんとよく似ている私に出会って、複雑な気持ちだったことも正直に話してくれた。

やっぱり由弦さんの中で夏音さんはずっと生き続けていて、夏音さんのことを忘れて私を見てほしいなんて、そんな残酷なことは絶対に言えないと思った。

手を伸ばせばすぐに触れられる距離。

こんなに近くにいても、由弦さんの心は遠い。

5年という年の差は、やっぱり大きい。

たった5年、されど5年。

その間に、由弦さんは夏音さんとたくさんの思い出を作って生きていたんだ。

その生きてきた時間の差は、私がどんなに願っても埋められない。

だけど、それでも私は、由弦さんのそばにいたい。

一緒に音楽を続けたい。

いつの間にか、自分でも驚くほどこんなにも強く由弦さんに惹かれていたんだ。

だから――

「ひとつ、訊いてもいいですか? 由弦さんは、私のこと……どう思ってますか?」

「……え……?」

私の質問に、由弦さんは動揺したように視線を下に落とした。

突然そんなこと訊かれたって、困るよね。

でも、私はこの気持ちを伝えるって決めたから。

「由弦さんが夏音さんのことを忘れられないなら、夏音さんのかわりでもいいです。それでも私は由弦さんのそばにいたいんです。私は由弦さんのことが……」

“好きです”

突然、最後に言おうとした言葉が遮られた。

一瞬、何が起きたのかわからなくて。

由弦さんに抱きしめられているんだと気づくのに、数秒かかった。

「…由弦さん…?」

驚いて名前を呼ぶと、

「…“かわりでいい”なんて言うな…」

耳元に、低く掠れた声で切なそうにつぶやく由弦さんの言葉が聞こえた。

そして―

「仕事のパートナーとしてじゃなくて、ひとりの女の子として…結音のことが好きなんだ」

今度はそっと優しく囁くように言葉が降ってきて、もう一度、強く抱きしめられた。

温もりを感じながら、私も由弦さんも今、確かに生きていることを感じた。

初めて知った、想いが叶う幸せ。

それは、私にとって何よりも大きな奇跡。