【#6】
数日後、私はミーティングのため事務所の会議室に向かった。
結局、遠坂さんのあの言葉の意味はわからないまま。
会議室に向かうと、すでに一色さんやコンサートスタッフ、由弦さんがいた。
今日は、クリスマスコンサートのミーティングだ。
「では、今月末からリハ開始ということで、よろしくお願いします」
リハーサルの日程など一通り打ち合わせが終わると、由弦さんはこのあと別の仕事があるということで、一色さんと一緒に会議室を出ていった。
他のスタッフもみんな「お疲れ様でした」と言いながら部屋を出ていく。
部屋を出ようとした時、何気なく足元に視線を向けると、テーブルの下に何かが落ちているのが見えた。
みんな先に部屋を出ていて、残っているのは私ひとり。
さっき部屋にいた誰かが落としたのかな?
気になって拾ってみると、それは1枚の写真だった。
なんでこんなところに落ちてるんだろう?
不思議に思いつつ写真を見ると、そこに写っていたのは穏やかに微笑む可愛い女の子。
制服を着ているから、中学生か高校生かな?
顔立ちや雰囲気が、なんとなく私に似ている。
髪は肩に少しかかるくらいの長さだけど、私がもう少し髪を短くしたら、こんな感じになるかもしれない。
写真の裏を見ると、綺麗な字で筆記体の文字が書かれていた。
“Kanon mizusawa”――カノン・ミズサワ?
もしかして、写真の女の子の名前?
しかも“カノン”ってどこかで聞いたことがあるような気がする。
どこで聞いたんだろう。
少し考えて、ふっと記憶が甦った。
イベントのリハーサルの時、休憩中に眠ってしまった由弦さんが口にしていた名前だ。
ということは、もしかしてこの写真は由弦さんが落としたもの?
でも、由弦さんの口から、カノンさんの話を聞いたことは一度もない。
カノンさんって…一体誰なんだろう?
* * *
翌日、カノンさんのことが頭から離れないまま、私はまた事務所へ向かっていた。
今日もコンサートスタッフとクリスマス・コンサートのミーティングだ。
開始時間より早く事務所に着いて飲み物を買おうと休憩室へ入ると、意外な人が中にいた。
「一色さん?」
一色さんは今日のミーティングには出席しないと聞いていたのに、なんでここにいるんだろう?
「今日は、急遽今後のスケジュール調整で呼び出されたんだ」
私の疑問を察したらしく、一色さんが説明してくれた。
「そうだ、言うのが遅くなったけど、この前は琴吹さんとのことで結音ちゃんまで巻き込んでしまって本当に申し訳なかったね」
「……いえ」
「あいつに、琴吹さんには気をつけろって言ってたんだけどね…」
「…え…?」
「琴吹さんは業界でもダークな噂が多かったから。まさか事務所の社長まで使ってくるとはね……。由弦も色々あったから…心の隙につけこまれたのかもな」
心の隙って、それってカノンさんのことと関係がある?
もしかして一色さんなら何か知ってる……?
カノンさんのことを聞くなら、今かもしれない。
「あの……お聞きしたいことがあるんですけど……」
「聞きたいこと?」
「これって由弦さんが持っていたものですか?」
鞄に入れていた写真を出すと、一色さんは「どうして結音ちゃんがこれを……」と呟いた。
「昨日、ミーティングのあと床に落ちていたのに気づいて拾ったんです。カノンさんって誰なんですか?」
「そっか……。やっぱり由弦は君にカノンちゃんのことは何も話してないんだね。と言うより、話せなかったのかな」
どういうこと?
「その写真の女の子……水沢 夏音ちゃんは、由弦の幼なじみで初恋の女の子だったんだ」
なんとなく予想はしていたけど、改めて事実だと知って、胸の奥が痛んだ。
「ふたりはいつか一緒にプロのアーティストとしてステージに立つことを夢見ていた。でも叶わなかった」
「……どうして……」
「夏音ちゃんは……もういないんだ」
いないってまさか……。
一瞬、嫌な予感が頭をよぎる。
「8年前、17歳の時に持病の心臓病が悪化して病気で亡くなった。本当なら、ふたりで夢を叶えて幸せになるはずだった。それなのに……」
一色さんも、話しながら辛そうだ。
――知らなかった。由弦さんがそんなに深い悲しみを抱えていたなんて……。
「初めて結音ちゃんに会った時、雰囲気が夏音ちゃんに良く似ていて、驚いたんだ。だから、由弦も最初は内心かなり複雑な気持ちだったと思う」
「………」
確かに、写真を見て私も自分に似ていると思ったけど……。
「由弦は、夏音ちゃん以外の人を好きになれないと、頑ななまでに 新しい恋人を作らなかった。8年経った今も、夏音ちゃんのことを忘れられずにいるんだ」
だからこれをいつも持ち歩いているんだ。
由弦さんは、私と会う度に夏音さんのことを想っていたの?
今まで一緒に仕事をしてくれていたのは、私が夏音さんに似ているから?
「………」
そう考えたら、急に胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。
「由弦は夏音ちゃんのことを話せば君を傷つけると思って、ずっと話さずにいたんだと思う。これは、俺が拾ったことにして俺から返しておくよ。だから、この話は聞かなかったことにして、由弦には今まで通り接してほしい。気持ちの整理がついたら、由弦もちゃんと君に話すと思うから」
「……わかりました」
本当は、ここまで聞いて、今まで通りに接する自信なんてないけど……。
一色さんに夏音さんの話を聞いてから、私はずっと上の空だった。
ミーティング中にスタッフにも心配されるほど、自分でも驚くくらい動揺してる。
今までプライベートなことを何も聞いていなかっただけに、全てのことがショックで。
私に似ているという夏音さんは、どんな人だったんだろう?
8年経った今も忘れられないくらい、由弦さんが大切に想っている人。
私はずっと夏音さんのかわりとして見られていたのかな……。
そう思うほど、胸が苦しくて、泣きたくなる。
どうしてこんな気持ちになるのかわからなくて。
混乱する気持ちを落ち着けようと、家に帰るとひたすらピアノを弾いた。
ピアノを弾きながら、思いつくままに言葉をメロディ―に乗せる。
歌いながら、涙が頬を伝う。
気づいてしまった。
“本当のライバルは私じゃない”と言った琴吹さんの言葉の意味に。
そして、叶うことのない想いに……。
* * *
12月に入り、クリスマスコンサートのリハーサルが始まった。
でも夏音さんのことを知って、自分の気持ちに気づいてしまった以上、やっぱり今まで通りにはできなくて。
普通に接しなきゃと思うほど、どうしたらいいかわからなくなる。
音楽を通して近づけたと思っていた心の距離が、一気に遠くなった気がして。
この気持ちに気づいたからと言って、私自身、自分がどうしたいのか、まだはっきりわからないんだ。
今まで通りにもできないけど、行動を起こす勇気もない。
そんな中途半端な自分が自分で嫌になる。
「結音ちゃん、ちょっといい?」
リハーサルが終了したあと、篠崎さんに声を掛けられた。
篠崎さんに促されて、会議室に入る。
もしかして、私の様子がおかしいから怒られたりするのかな。
「本当は、まだ結音ちゃんに言わないでほしいって言われてたんだけど……」
篠崎さんが、少し言いづらそうに声のトーンを落として話を続けた。
「遠坂さんが、しばらく音楽活動を休止したいって言っているの」
「――え……?」
音楽活動休止?
うそでしょ? どうして?
「結音ちゃんも悩んでるとは思うけど、大事なのは本当の気持ちよ。過去や周りのことなんて変えたくても変えられるものじゃないし、今、結音ちゃんがどうしたいかを考えれば、きっと答えは見えてくると思う」
「私は……」
大事なのは私の気持ち。
そして、今、私がどうしたいか。
篠崎さんの言葉をもう一度心の中で繰り返して、考える。
私は、これからも由弦さんに音楽活動を続けてほしい。
由弦さんと一緒に音楽活動をしていきたい。
たとえ由弦さんが他の誰かを想っていても、私は由弦さんのそばにいたい。
数日後、私はミーティングのため事務所の会議室に向かった。
結局、遠坂さんのあの言葉の意味はわからないまま。
会議室に向かうと、すでに一色さんやコンサートスタッフ、由弦さんがいた。
今日は、クリスマスコンサートのミーティングだ。
「では、今月末からリハ開始ということで、よろしくお願いします」
リハーサルの日程など一通り打ち合わせが終わると、由弦さんはこのあと別の仕事があるということで、一色さんと一緒に会議室を出ていった。
他のスタッフもみんな「お疲れ様でした」と言いながら部屋を出ていく。
部屋を出ようとした時、何気なく足元に視線を向けると、テーブルの下に何かが落ちているのが見えた。
みんな先に部屋を出ていて、残っているのは私ひとり。
さっき部屋にいた誰かが落としたのかな?
気になって拾ってみると、それは1枚の写真だった。
なんでこんなところに落ちてるんだろう?
不思議に思いつつ写真を見ると、そこに写っていたのは穏やかに微笑む可愛い女の子。
制服を着ているから、中学生か高校生かな?
顔立ちや雰囲気が、なんとなく私に似ている。
髪は肩に少しかかるくらいの長さだけど、私がもう少し髪を短くしたら、こんな感じになるかもしれない。
写真の裏を見ると、綺麗な字で筆記体の文字が書かれていた。
“Kanon mizusawa”――カノン・ミズサワ?
もしかして、写真の女の子の名前?
しかも“カノン”ってどこかで聞いたことがあるような気がする。
どこで聞いたんだろう。
少し考えて、ふっと記憶が甦った。
イベントのリハーサルの時、休憩中に眠ってしまった由弦さんが口にしていた名前だ。
ということは、もしかしてこの写真は由弦さんが落としたもの?
でも、由弦さんの口から、カノンさんの話を聞いたことは一度もない。
カノンさんって…一体誰なんだろう?
* * *
翌日、カノンさんのことが頭から離れないまま、私はまた事務所へ向かっていた。
今日もコンサートスタッフとクリスマス・コンサートのミーティングだ。
開始時間より早く事務所に着いて飲み物を買おうと休憩室へ入ると、意外な人が中にいた。
「一色さん?」
一色さんは今日のミーティングには出席しないと聞いていたのに、なんでここにいるんだろう?
「今日は、急遽今後のスケジュール調整で呼び出されたんだ」
私の疑問を察したらしく、一色さんが説明してくれた。
「そうだ、言うのが遅くなったけど、この前は琴吹さんとのことで結音ちゃんまで巻き込んでしまって本当に申し訳なかったね」
「……いえ」
「あいつに、琴吹さんには気をつけろって言ってたんだけどね…」
「…え…?」
「琴吹さんは業界でもダークな噂が多かったから。まさか事務所の社長まで使ってくるとはね……。由弦も色々あったから…心の隙につけこまれたのかもな」
心の隙って、それってカノンさんのことと関係がある?
もしかして一色さんなら何か知ってる……?
カノンさんのことを聞くなら、今かもしれない。
「あの……お聞きしたいことがあるんですけど……」
「聞きたいこと?」
「これって由弦さんが持っていたものですか?」
鞄に入れていた写真を出すと、一色さんは「どうして結音ちゃんがこれを……」と呟いた。
「昨日、ミーティングのあと床に落ちていたのに気づいて拾ったんです。カノンさんって誰なんですか?」
「そっか……。やっぱり由弦は君にカノンちゃんのことは何も話してないんだね。と言うより、話せなかったのかな」
どういうこと?
「その写真の女の子……水沢 夏音ちゃんは、由弦の幼なじみで初恋の女の子だったんだ」
なんとなく予想はしていたけど、改めて事実だと知って、胸の奥が痛んだ。
「ふたりはいつか一緒にプロのアーティストとしてステージに立つことを夢見ていた。でも叶わなかった」
「……どうして……」
「夏音ちゃんは……もういないんだ」
いないってまさか……。
一瞬、嫌な予感が頭をよぎる。
「8年前、17歳の時に持病の心臓病が悪化して病気で亡くなった。本当なら、ふたりで夢を叶えて幸せになるはずだった。それなのに……」
一色さんも、話しながら辛そうだ。
――知らなかった。由弦さんがそんなに深い悲しみを抱えていたなんて……。
「初めて結音ちゃんに会った時、雰囲気が夏音ちゃんに良く似ていて、驚いたんだ。だから、由弦も最初は内心かなり複雑な気持ちだったと思う」
「………」
確かに、写真を見て私も自分に似ていると思ったけど……。
「由弦は、夏音ちゃん以外の人を好きになれないと、頑ななまでに 新しい恋人を作らなかった。8年経った今も、夏音ちゃんのことを忘れられずにいるんだ」
だからこれをいつも持ち歩いているんだ。
由弦さんは、私と会う度に夏音さんのことを想っていたの?
今まで一緒に仕事をしてくれていたのは、私が夏音さんに似ているから?
「………」
そう考えたら、急に胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。
「由弦は夏音ちゃんのことを話せば君を傷つけると思って、ずっと話さずにいたんだと思う。これは、俺が拾ったことにして俺から返しておくよ。だから、この話は聞かなかったことにして、由弦には今まで通り接してほしい。気持ちの整理がついたら、由弦もちゃんと君に話すと思うから」
「……わかりました」
本当は、ここまで聞いて、今まで通りに接する自信なんてないけど……。
一色さんに夏音さんの話を聞いてから、私はずっと上の空だった。
ミーティング中にスタッフにも心配されるほど、自分でも驚くくらい動揺してる。
今までプライベートなことを何も聞いていなかっただけに、全てのことがショックで。
私に似ているという夏音さんは、どんな人だったんだろう?
8年経った今も忘れられないくらい、由弦さんが大切に想っている人。
私はずっと夏音さんのかわりとして見られていたのかな……。
そう思うほど、胸が苦しくて、泣きたくなる。
どうしてこんな気持ちになるのかわからなくて。
混乱する気持ちを落ち着けようと、家に帰るとひたすらピアノを弾いた。
ピアノを弾きながら、思いつくままに言葉をメロディ―に乗せる。
歌いながら、涙が頬を伝う。
気づいてしまった。
“本当のライバルは私じゃない”と言った琴吹さんの言葉の意味に。
そして、叶うことのない想いに……。
* * *
12月に入り、クリスマスコンサートのリハーサルが始まった。
でも夏音さんのことを知って、自分の気持ちに気づいてしまった以上、やっぱり今まで通りにはできなくて。
普通に接しなきゃと思うほど、どうしたらいいかわからなくなる。
音楽を通して近づけたと思っていた心の距離が、一気に遠くなった気がして。
この気持ちに気づいたからと言って、私自身、自分がどうしたいのか、まだはっきりわからないんだ。
今まで通りにもできないけど、行動を起こす勇気もない。
そんな中途半端な自分が自分で嫌になる。
「結音ちゃん、ちょっといい?」
リハーサルが終了したあと、篠崎さんに声を掛けられた。
篠崎さんに促されて、会議室に入る。
もしかして、私の様子がおかしいから怒られたりするのかな。
「本当は、まだ結音ちゃんに言わないでほしいって言われてたんだけど……」
篠崎さんが、少し言いづらそうに声のトーンを落として話を続けた。
「遠坂さんが、しばらく音楽活動を休止したいって言っているの」
「――え……?」
音楽活動休止?
うそでしょ? どうして?
「結音ちゃんも悩んでるとは思うけど、大事なのは本当の気持ちよ。過去や周りのことなんて変えたくても変えられるものじゃないし、今、結音ちゃんがどうしたいかを考えれば、きっと答えは見えてくると思う」
「私は……」
大事なのは私の気持ち。
そして、今、私がどうしたいか。
篠崎さんの言葉をもう一度心の中で繰り返して、考える。
私は、これからも由弦さんに音楽活動を続けてほしい。
由弦さんと一緒に音楽活動をしていきたい。
たとえ由弦さんが他の誰かを想っていても、私は由弦さんのそばにいたい。