【#5】
秋も深まってきた10月のある日。
目覚めて何気なくテレビをつけると、いきなり目に飛び込んできたのは『人気歌姫 ・琴吹 愛歌 熱愛発覚』という新聞記事。
さすが人気絶頂の歌姫だけあって、一面記事になっている。
琴吹さん、恋人いるんだ。
なんて思いながらぼんやりそのままニュースを観ていると、信じられない言葉が耳に飛び込んできた。
「お相手は、人気サポートミュージシャンの遠坂 由弦さんだそうです」
……え……?
一気に眠気が覚めた私は、ニュースに釘付けになった。
「遠坂さんが琴吹さんのマンションの部屋に入って行く様子が目撃されていて、お泊まり愛発覚ということなんですね~」
……うそ……どういうこと?
『琴吹さんとは一緒に仕事をしたくない』
『個人的に苦手なタイプだ』
そう言っていたのに。
それはウソだったってこと?
それともそのあと気が変わったの?
わからない。
どうしてこんなことになっているのか。
呆然とニュースを見ていると、テーブルに置いてあったスマホが震えた。
「結音ちゃん、ニュース観た!?」
通話ボタンをタップした瞬間、耳に飛び込んできたのは興奮した様子のマネージャーの篠崎さんの声。
「今、観てます」
「そう。まさかこんな騒ぎになるなんてビックリよね。今、遠坂さんはマスコミの対応に追われてるから。とりあえず、騒ぎが落ち着くまで待ってほしいって」
「……はい」
相手があの人気歌姫の琴吹さんだけに、しばらくの間はマスコミの取材が殺到するだろうな……。
ほとぼりが冷めるまでは静かに見守っている方が良さそう。
それから1週間、毎日芸能ニュースで遠坂さんの熱愛報道が続いた。
琴吹さん側も由弦さん側も、「熱愛ではなく、仕事の打ち合わせのため一緒に食事をしていただけ」というコメントを発表した。
でも、そんな双方のコメントを無視して、ワイドショーは騒ぎ立てていた。
私はただこの騒ぎをテレビ越しに見守るだけの毎日だった。
この半年一緒に仕事をするようになってお互いの連絡先は知っているけれど、由弦さんから連絡はなく、私からも連絡はしなかった。
前に相談に乗ってもらったり、名前で呼ぶようになったりして、親しくなれたような気がしていたけれど。
それはただ仕事のパートナーとして。
個人的に親しくなれたわけじゃないんだ。
そのことを思い知らされた気がして、なぜかとても寂しい気持ちになった。
そしてようやくマスコミの騒ぎも落ち着いてきた頃、久しぶりに篠崎さんから連絡が来て、深夜に放送している30分間の音楽番組の収録の仕事が決まったとのことだった。
収録日当日は、朝から雨が降っていた。
テレビ局に入って収録スタジオへ向かう途中、向こう側から見覚えのある人が歩いてきた。
遠くからでもわかる華やかなオーラと甘い香水の匂い。
「お疲れ様です」
笑顔で近づいてきた琴吹さん。
「……お疲れ様です」
声をかけられるとは思っていなくて、戸惑いながら言葉を返した。
「今日って遠坂さんも来てる?」
「え? はい」
「良かった~。あとで会いに行こう!遠坂さんって、やっぱり魅力ある人だよね。年上だと頼りになるし。でも、一晩過ごしただけであんなに騒がれるとは思わなかったけど」
「……え……?」
どういうこと?
仕事の打ち合わせで食事しただけなんじゃないの?
「事務所のコメントでは食事しただけってことになってるけど、ホントは違うの。食事の後いい感じになって、遠坂さんがあたしのマンションに来てくれて……」
いやだ。これ以上聞きたくない。
耳を塞ぎたい衝動を必死に抑えていると、
「あれ、愛歌ちゃん?そろそろ移動しないと間に合わないんじゃない?」
通りかかったスタッフらしき人が琴吹さんに声をかけた。
「は~い、今行きます!」
琴吹さんは笑顔でそう言って、スタジオへ向かっていった。
その後ろ姿をぼんやり見つめていると、
「鈴原さん、Bスタジオにお願いします」
今度は私がスタッフに声を掛けられて、我に返った。
これから仕事なんだから、集中しなくちゃ。
「おはようございます。よろしくお願いします」
収録スタジオに入って挨拶をすると、すでに由弦さんの姿があって、スタッフと打ち合わせをしていた。
私が入って来たことに気づいて、一瞬こちらに視線を向けて、会釈してくれた。
「久しぶりだね」
打ち合わせが終わって、由弦さんが声をかけてくれた。
「……そうですね」
「今回は個人的なことで迷惑かけて本当にごめん」
「……いえ……」
“本当に琴吹さんとつきあってるんですか?”
訊きたいけど、訊けない。
さっきの琴吹さんの言葉が、答えかもしれないから。
「それでは、スタンバイお願いします」
スタッフから声がかかり収録が始まったけれど、収録は最悪だった。
集中しなくちゃと思えば思うほど、琴吹さんの言葉が頭から離れなくて。
由弦さんは、本当は私より琴吹さんと仕事したいのかな……なんて思ってしまって。
声が思う様に出なくて、歌詞も間違えて、歌い直し。
3回撮り直しをしたけど、全然納得できる歌が歌えなかった。
「お疲れ様でした~」
収録終了後。
「結音、どうした? もしかして今日体調悪かった?」
由弦さんが心配そうな表情で私に声をかけてくれた。
でも、その優しさが今は苦しい。
黙ったままの私を見て、
「顔色悪いけど、大丈夫?」
そう言って、由弦さんが私の肩に触れようと手を伸ばした瞬間。
胸の奥で何かが弾けて、私は咄嗟に由弦さんの手を振り払ってしまった。
「……ごめんなさい。大丈夫です」
力なくそう呟いて、私はその場から駆け出していた。
楽屋に戻ると、堪えきれずに涙が溢れた。
琴吹さんを想っているなら…私に優しくしないで。
琴吹さんを抱きしめた手で触れないで。
息が苦しい。息もできないくらいの醜い感情が、今私を支配してる。
私にもこんなに激しい感情があることを初めて知った。
* * *
楽屋でひとしきり泣いたあと、少し気持ちが落ち着いた私は化粧直しをしようとお手洗いへ向かった。
廊下を歩いていると、控室から誰かの話し声が聞こえた。
聞き覚えがある声の様な気がして立ち止まったその時、少し開いていたドアから聞こえてきたのは信じられない言葉だった。
「……あの熱愛騒動、ヤラセだったの」
――!
思い切り動揺した私は手に持っていたポーチを落としてしまって、誰もいない静かな廊下に思っていた以上に音が響いてしまった。
「……結音!?」
ドアを開けて私がいることに驚いた声を上げたのは…由弦さんだった。
「今の話、どういうことですか……?」
かすれた声でそう尋ねた私に、由弦さんは黙ったまま視線を床に落とした。
「あ~あ、鈴原さんに聞かれてたんだ」
由弦さんの後ろから聞こえてきたのは、琴吹さんの声だった。
「とりあえず中で話そう」と言って由弦さんが私を控室に入れてくれた。
ドアを閉めると、
「さっきの話、結音にもちゃんと説明してほしい」
由弦さんがそう言ってくれて、琴吹さんは諦めたような表情で話し始めた。
両親が人気アーティスト同士だから売れて当たり前という声にずっと苦しんでいたこと。
そんな中で私のことを知って、業界内でも人気の高い由弦さんが私のことを気に入っていることを妬ましく感じていたこと。
そして、由弦さんとの熱愛報道は、社長と一緒に仕組んだものだったこと。
突然知った色々なことに衝撃が大きくて何も言えずにいると、
「結音、大丈夫?」
由弦さんがためらいがちに声をかけてくれた。
無言で頷くと、琴吹さんがゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。
「言っておくけど、鈴原さんの本当のライバルは私じゃないからね」
そして私にだけ聞こえるように耳元でそう囁くと、控室を出て行った。
「……?」
“本当のライバル”ってどういうこと?
「結音、帰ろう」
由弦さんに声をかけられて、お互いそのままテレビ局を出て帰路に着いた。
でも、私は琴吹さんが口にした言葉がずっと頭から離れずにいた。