【#4】

 
イベントから1週間後。

私は今後の活動ミーティングのため事務所の会議室へ向かった。

部屋に入ると、すでにマネージャーの篠崎さんが席に着いて待っていた。

「結音ちゃんの次のシングルの発売が決まったよ」

「え、もう?」

「『虹色の歌』が関係者の間でも評判良くて、新作を期待してる声が多いの。年明けリリース予定だけど、今回は条件があるのよ」

「……条件?」

条件ってなんだろう?

その時、ドアをノックする音が聞こえて、レコーディングスタッフと社長が入って来た。

社長がミーティングに出席するなんて、また何か大きな話?

「篠崎さん、新曲リリースの条件についてはもう話したかな?」

「いえ。今ちょうど話そうとしたところです」

「そうか。じゃあ、私から話そう」

社長は席に着くと、私に視線を向けて言った。

「次のシングルは、ラブソングを書いてほしいんだ」

「ラブソング?」

「そう。ぜひチャレンジしてみてほしい」

いきなりそんなこと言われても……。

「来月末までに候補曲を準備してほしい」

 戸惑う私を気にせず、話は続けられる。

「みんな楽しみにしてるからね」

篠崎さんの言葉に、レコーディングスタッフも私に期待の眼差しを向けて頷いている。

「わかりました」

……とは言ったものの。

「……書けない」

あれから数週間が経った、9月のある日。

今年は例年よりが夏の終わりが早くて、窓の外は本降りの雨。

自分の部屋で、作詞をしているところなんだけど。

“ラブソング”ということを考えると、どうしても曲が浮かんでこない。

好きな人や彼氏がいれば、こんなに悩むこともなく実体験で曲が書けるのかもしれないけど、残念ながら現在の私には彼氏どころか好きな人さえいない。

そんな私にラブソングを書けなんて、かなり無理な話だと思うんだけど……。

「はぁ…」

思わずため息をついたその時、近くに置いてあったスマホの着信音が鳴った。

「もしもし?」

「あ、結音ちゃん? 曲作りの方は進んでる?」

電話をかけてきたのは、マネージャーの篠崎さんだった。

「全然ダメです」

「そっか。突然だけど明日事務所に来てくれる?」

「明日、ですか?」


「そう。実はクリスマスコンサートが決まったの。だから、そのミーティングってことで」

「わかりました」

「じゃあ、明日午後1時からでよろしくね」

電話を切ったあと、もう一度ため息をついた。

こんな時に限ってどんどん次のスケジュールが決まっていくんだ。

今月中には詞を完成させないといけないのに…間に合うのかな…。

翌日、事務所の会議室でクリスマスコンサートについてのミーティングが行われた。

公演日は12月24日のクリスマスイブ。

会場は都内にある教会で、テーマは“聖夜に響く天使の歌声”。

衣装は天使をイメージしたものにしようという意見が出た。

どんどんクリスマスコンサートの構想が決まっていく。

「では、また来週もよろしくお願いします。お疲れ様でした」

 篠崎さんの言葉を合図にミーティングが終了した。

「結音ちゃん、新曲の作詞もよろしくね」

帰り際、篠崎さんに声をかけられて、今一番やらなければいけない仕事を思い出す。

正直にスランプ中だとは言い出せなくて、

「頑張ります」

苦笑しながら答えた。

それから、次のミーティングまでひたすら作詞を続けた。

いくつか候補はあるけれど、“これ!”と思える言葉が浮かばない。

自分で納得できるものが浮かばずに、書いては消し、書いては消しの繰り返し。

結局、詞が完成しないまま次のミーティングの日を迎えてしまった。

少し早めに会議室に着いた私は、鞄に入れていたノートを取り出して詞を考えていた。

リリースは冬だから、切ない恋の詞がいいかな。

なんてひとりで色々考えていたら、

「何してるの?」

不意に声をかけられた。

ビックリして顔を上げると、遠坂さんが部屋に入ってきていた。

「新曲の詞を考えてるんですけど……」

「ああ、年明けにリリース予定の曲?」

「はい。でも、なかなかいいものが浮かばなくて」

話している途中でドアをノックする音が聞こえて、舞台監督さんなどコンサートスタッフ数名と篠崎さんが入って来た。

そしてそのままミーティングが始まり、ステージセットや衣装、セットリストなどの構想が話し合われた。

ミーティング終了後。

「鈴原さん、このあと少し時間ある?」

遠坂さんに声をかけられた。

「ありますけど…」

今日はミーティング以外の予定はないから、帰って作詞をしようと思っていた。

「じゃあ、ちょっといいかな?」

不思議に思いつつ遠坂さんのあとについていくと、事務所のすぐ裏にある喫茶店に着いた。

中に入ると、店員さんが笑顔で迎えてくれた。

個人でやっているような小さな喫茶店だけど、アットホームな感じで落ち着いてゆっくり話が出来そうなお店だ。

「どうぞ」

奥の窓際の席に案内されて、遠坂さんと向かい合わせの席に着いた。

「何がいい?」

差し出されたメニューを見ながら考える。

コーヒーより紅茶派な私は、こういう時はいつもミルクティーを頼んでいる。

「ミルクティーで……」

「じゃあ、コーヒーとミルクティーひとつずつでお願いします」

遠坂さんが注文してくれた。

「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」

店員さんがいなくなって、ふたりきりになった。

店内には他にお客さんがいない。

突然声を掛けられてここに来たのはいいけど、考えてみれば遠坂さんとふたりきりでお店に入るなんて初めてで、何を話したらいいかわからない。

というより、そもそも私、男の人とふたりでお店に入ったことなんてないし。

慣れないシチュエーションに緊張して黙り込んでいると、

「急に声かけてごめんね。なんか、悩んでるみたいだったから」

沈黙を破って遠坂さんが言った。

「……え?」

なんで悩んでるってわかったんだろう……。

「ミーティング始まる前、いい詞が浮かばないって言ってただろ?」

「……あ」

その一言で悩んでるって察して、ここに連れて来てくれたの…?

「今、スランプ中ってことなのかな」

「はい」

話していいのかどうか迷いつつも、私はゆっくり話し始めた。

「ラブソングを書いてほしいって言われても、恋愛経験がないからいいものが浮かばなくて……。でも、琴吹さんみたいに同年代に共感してもらえるような売れ線の詞を書かないといけないのかなって思うと、なかなか納得いくものが書けなくて」

こんなことで悩むなんて恥ずかしいことかもしれない。

遠坂さん、呆れてるかな。

“そんなくだらないことで悩んでたのか”って思われたかな。

「……それは、プロとしてデビューしたアーティストが一度は持つ悩みだよね」

……え?

予想外の言葉に驚いて思わず顔を上げると、遠坂さんが穏やかな表情で私を見ていた。

「事務所の方針に従ってヒットを狙った売れ線でいくか、自分のやりたい音楽を貫き通すか。それで関係者と揉めて活動休止という選択をしたアーティストもたくさんいるから」

売れ線で行くか、自分のやりたい音楽を貫き通すか。

それはまさに今私が迷っていることを的確に表現した言葉。

プロとしてデビューした以上、ビジネスとしてヒットするような曲も作らなきゃいけない。

そのことを考えると、私はどうしたらいいのかわからなくなって、曲作りが止まってしまっていたんだ。

「誰かみたいな曲を作らなくちゃいけないって思うことはないよ。鈴原さんはもう自分の世界観や音楽観をしっかり確立できているから、自分なりのラブソングでいいと思う」

「私なりのラブソング?」

「うん。逆にヒットソングと似たような曲はみんな聴いてて飽きてるから、系統の違う曲の方が新鮮でリスナーも興味を持ってくれると思う」

確かにそれも一理あるのかもしれない。

私は私らしい曲でぶつかってみていいのかな。

遠坂さんの言葉を聞いて、少しずつそんな前向きな気持ちが芽生え始めた。

「前作があれだけヒットしたんだから、自信持ちなよ」

そう言って、遠坂さんが微笑んだ。

不思議。遠坂さんの笑顔と言葉は、なぜかとても安心できる。

それに、こんなに親身に話を聞いてもらえるなんて思ってなかった。

「ありがとうございます。遠坂さんにそう言ってもらえて、ちょっと自信戻ったかも」

「それは良かった。あ、そうだ。前から言おうと思ってたんだけど、遠坂さんって呼び方、変えない?」

「え?」

「 みんな由弦って下の名前で呼んでるから、名前で呼んでくれていいよ。僕も、結音って呼ばせてもらうから」

「でも、失礼じゃないですか?」

「全然気にしないから大丈夫」

「じゃあ、由弦さんって呼ばせてもらいます」

まだ呼び慣れなくてぎこちないけど。

「うん。さあ、少しは書けそうな感じかな?」

「はい。ありがとうございます」

それから、私たちは喫茶店を出て別れた。

当然のように私の分まで会計を済ませて、「また何か悩みあったら聞くから」と言ってくれた由弦さんを、改めて大人だと感じた。

家までの帰り道は、心も足取りも軽くなっていた。

今なら、いい詞が書けるかもしれない。

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 歌うことは生きること
 生きることは歌うこと
 これからも歌い続ける
 君がいる虹色の世界で
 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「いいね、これでいこう」

「ありがとうございます」

あれから、やっと作詞が進んで、なんとか締め切りに間に合った。

かなり難産ではあったけれど。

「レコーディングは遠坂さんも参加してくれるからね」

「はい」

良かった。今回も由弦さんが参加してくれるんだ。

こうして無事に曲が完成したのは、あの時アドバイスしてくれた由弦さんのおかげだからレコーディングの時に改めてお礼を言おう。