【#涙月(なみだづき)


 ━━━☆・‥…━━━☆・‥…
 壊れそうな心で見上げた空に
 脆く消えそうな三日月
 ゆらゆらと滲んで光る涙月
 ━━━☆・‥…━━━☆・‥…


『人気歌姫・琴吹 愛歌、 イケメンサポートミュージシャンと熱愛発覚!!』

そんなニュースが大々的に報道されたのは、秋も深まってきた10月。

スポーツ新聞の一面に大きく取り上げられ、写真週刊誌にもスクープとして掲載され、テレビの芸能ニュースではトップニュースとして取り上げられている。

事務所には問い合わせが殺到し、私が住むマンションにもマスコミの取材が来てパニック状態になっている。

でも、これは全て最初から予想していたこと。

騒がれれば騒がれるほど、私にとっては好都合だ。

本当は交際宣言したいくらいだけど、さすがにそれは遠坂さん側が黙ってないだろう。

今回の報道に関して、遠坂さんが所属する事務所は「事務所の社長同席で仕事の打ち合わせのため食事をしていただけで、熱愛ではない」というコメントを発表した。

そして遠坂さん側のコメントを受けて、私が所属する事務所も、「熱愛ではない」という公式コメントを発表した。

事実はどうであれ、マスコミに私と遠坂さんのことを恋人同士として報道させることが目的だ。

思惑通り、芸能ニュースやワイドショーでは公式コメントを無視して私と遠坂さんを完全にカップル扱いして盛り上がっていた。

これでマスコミの目は完全に涼夜から遠坂さんに向いたはず。

涼夜は現在全国ツアー中で東京を離れていて、すぐに会うことはできない。

“しばらくは対応に追われて忙しいから、落ち着いたら連絡する”と私の方から事前に連絡しておいたこともあって、涼夜から連絡がくることはなかった。

それから1週間以上が過ぎて、騒ぎが落ち着いてきた頃。

歌番組の収録のため、私はテレビ局へ向かった。

楽屋でメイクを終えて、スタジオへ向かう途中。

見覚えのある人の姿が見えて、私は仕事用の笑顔で声をかけた。

「お疲れ様です」

「……お疲れ様です」

一瞬戸惑ったような表情を浮かべて、鈴原さんが言葉を返した。

私に対して警戒心を抱いているみたいだ。

「今日って遠坂さんも来てるよね?」

「え? はい」

やっぱりあれだけ騒がれても鈴原さんの仕事は受けるんだ。

そうよね。だってあの夜も―…

思い出しかけた記憶を途中で消して、

「良かった~。あとで会いに行こう!遠坂さんって、やっぱり魅力ある人だよね。年上だと頼りになるし。でも、一晩過ごしただけであんなに騒がれるとは思わなかったけど」

わざと明るい口調でそう言うと、

「……え……?」

私の言葉に、鈴原さんが思い切り動揺したのがわかった。

「事務所のコメントでは食事しただけってことになってるけど、ホントは違うの。食事の後いい感じになって…遠坂さんがあたしのマンションに来てくれて…」

そのまま話を続けたら、鈴原さんの表情がどんどん曇っていった。

こんなにあっさり人の話を信じるなんて、どこまで純粋なんだろう。

「あれ、愛歌ちゃん?そろそろ移動しないと間に合わないんじゃない?」

偶然通りかかったスタッフに声をかけられて、

「はい、今行きます~」

今にも泣きそうな表情の鈴原さんとは対照的に、笑顔で答えてスタジオへ向かう。

今頃、鈴原さんは私と遠坂さんが本当につきあっていると思ってショックを受けてるだろう。

どうせなら苦しめばいい。傷つけばいい。

歌手を夢見るごく普通の高校生として生きてきたあの子には、きっと私の気持ちなんてわからない。

だから、思い知らせてあげる。

この世界は鈴原さんが思っているような綺麗なものじゃないってこと―。

「琴吹さん入ります、よろしくお願いします」

「お願いしま~す」

私がスタジオに入った瞬間、空気が変わった気がした。

熱愛報道の件があったからか、みんなどう接したらいいか戸惑っているみたいだ。

腫れものに触るような態度の人もいれば、好奇の目で見てくる人もいる。

あれだけ大々的に騒がれた以上、こうなることも覚悟はしていた。

だけど。

「遠坂さんも見る目ないよね。琴吹さんって親の七光と事務所の力だけで売れてるだけなのに」

「どうせ琴吹さんが強引に迫ったんじゃないの?」

……!

聞こえてきた悪意を含んだ会話に、胸の奥が焼けるような怒りを感じた。

――ムカつく。

だけど、言われていることが本当のことだけに、心の中でさえ反論できない。

人気歌姫と持て囃(もてはや)される一方で、私が関係者の中で良く思われていないことは知っている。

陰で、“ワガママ歌姫”と言われていることも知っている。

だけど、それでも歌い続けているのは。

もう歌いたくない、と思っても結局辞められないのは……。


* * *


「お疲れ様でした」

収録を終えてスタジオを出た時、偶然にも出入り口の方へ向かって歩いていく遠坂さんの姿を見かけて、私は迷わず声をかけた。

「今日、私もここで仕事あったんですよ。さっき鈴原さんにも会って挨拶したんですけどあの子、ホントに素直っていうか…まだまだこの世界を知らないですよね」

さっきのスタジオでの出来事と、私の話を聞いた時の鈴原さんの動揺ぶりを思い出したら苛立ちが込み上げてきて、思わずそう口にしていた。

「…は…?」

私の言葉を聞いた瞬間、遠坂さんの表情が変わった。

「結音に何か余計なこと言ってないよな?」

明らかに鈴原さんのことを気にしている。

「別に。私はただ、遠坂さんが私のマンションに泊まったって言っただけですよ?」

「“だけ”って…」

平然とそう答えた私に、遠坂さんは呆れたようにつぶやいた。

そんなに私との関係を鈴原さんに誤解されるのがイヤ?

鈴原さんのこと、恋愛対象として好きなわけじゃないって言っていたのに。

「なんでそんなこと……」

「うざいから」

遠坂さんが言い終わらないうちに、私はそう吐き捨てるように口にした。

「なんでそんなに結音のことを嫌ってる?」

「この世界の厳しさを知らずにお気楽に歌っている人は嫌いなの」

一度口にした醜い感情は、どんどん膨れ上がっていく。

だけど遠坂さんは、軽蔑したような眼差しで私を見た。

いつも冷静で穏やかな遠坂さんだけど、今は明らかに怒っているのがわかる。

「それは琴吹さんの方じゃないのか?」

……!

その一言で、心の中の何かが弾けた気がした。

「遠坂さんには私の気持ちなんてわからない!」

気がついたら、大きな声で思わずそう口にしていた。

言いながら、泣きそうになっている自分に自分で腹が立った。

こんなことで動揺するなんて、私らしくない。

私は、そんなに弱くなんかない。

「ちょっと、場所変えよう」

取り乱した私を見て、遠坂さんが慌ててすぐ近くにある控室に入った。

「いいんですか? 私とふたりきりになって」

すぐに落ち着きを取り戻した私は、わざと挑戦的な口調で言った。

「テレビ局の控室でふたりきりなんて、見つかったらまたニュースで騒がれるかも」

笑いながら言った私を、遠坂さんは不思議そうな表情で見つめている。

何を考えているかわからない、と言いたそうな顔だ。

あの日…全て社長との計画通りに進んでいたはずだった。

ただひとつを除いては―

“鈴原さんのこと、好きなんですか?”

“好きは好きだけど、琴吹さんが思っているような好きじゃないよ”

……ウソつき。

だって、あの時、遠坂さんがかすかにつぶやいたのは……。

私の名前でも、水沢さんの名前でもなかった。

ためらいがちに、だけど優しく愛しそうに。

確かに、鈴原さんの名前を呼んでいた。

囁く声が、触れる指が、あまりにも優しくて。

あのまま鈴原さんのかわりになるなんて耐えられなかった。

あの計画にもう意味なんてない。

「その様子だと、遠坂さんもまだ気づいてないんですね?」

「……何に?」

怪訝そうに訊き返した彼に、私は衝撃の一言を告げた。

「あの熱愛報道、全部ヤラセだったの」

――カタン!

その時突然ドアの方から物音がして思わず視線を向けると、

「……今の、どういうことですか?」

ドアの前に、鈴原さんが立っていた。

「あ~あ。鈴原さんに聞かれてたんだ」

結局、遠坂さんに「結音にもきちんと説明してほしい」と言われた私は諦めて全てを話すことにした。

「ヤラセってことは、最初から全部計画してたってことだよな?」

「そう。社長との食事も、遠坂さんを私のマンションの部屋まで入るようにしたのも、全部最初から仕組んでたの」

「じゃあ、お酒に酔ってたのも……」

「わざと、酔ったフリしたんですよ」

「どうしてそこまで手の込んだことを……」

なんでそこまでする必要があるのか?

そんなこと、遠坂さんにも鈴原さんにもわかるはずがない。

「私は……今の立場を守り続けなくちゃ生きていけないの」

今まで必死に隠してきた気持ちを誰かに話すつもりなんてなかった。

だけど、計画通りにいかなかったという悔しさが、私の心のバランスを大きく崩していた。

どうして鈴原さんなの?

どうして私じゃダメなの?

どうして“私”を見てもらえないの?

どうして “私の歌” を聴いてもらえないの?

その理由を、本当はわかっているのに。

いつも目を逸らして、逃げて、私は悪くないって言い聞かせてた。


* * *


小さい頃から、私の周りは音楽で溢れていた。

それは、私の両親が日本の音楽界を代表するアーティストだから。

母は、人気歌手の律歌 。

父は人気シンガーソングライターの琴吹 響。

常に音楽ランキングで上位を獲得し、ドームやスタジアムなど大きな会場でのライブも超満員の人気アーティスト同士であるふたり。

そんなふたりの結婚はニュースでも大きな話題となった。

結婚を発表した時、すでに律歌は新しい命を授かっていて。

そして生まれたのが、私だ。

物心ついた時から、私は当たり前のように音楽に興味を持って、両親の歌を歌うようになって。

大きなステージでスポットをライトを浴びて、たくさんの人達の歓声と拍手に包まれて歌う両親の姿はとても眩しくて。

ふたりは私にとって憧れの存在で。

私もふたりみたいに日本を代表する歌手になりたいと思っていた。

だけど、大きくなるにつれて憧れの気持は少しずつプレッシャーへと変わっていった。
 
“愛歌ちゃんって律歌と琴吹 響の娘なんだって”

“じゃあ、歌上手くて当たり前だよね。音楽一家の娘なんだから”

“超豪邸に住んでるし、たくさん習いごともしてるんでしょ”

“いいよね、大物アーティスト夫婦の子供って。あたしたちとは住む世界が違うよね”

そんな言葉を周りから聞くたびに、両親の存在が憧れから疎ましいものへと変わっていった。

最初は好きで始めたはずの歌さえ、嫌いだと思うようになって。

心から楽しんで歌えなくなっていった。

だけど、高校3年の夏、両親が所属する超大手事務所“QUEEN MUSIC”のスタッフに声をかけられて。

小さな頃から歌手になることを夢見て今もそれは変わらないと思っている両親は大喜びで、あっという間にデビューが決まった。

“あの超人気アーティスト夫婦の娘が満を持してデビュー!”

そう謳われて大々的に宣伝された私は、デビュー曲からランキング入りをしてすぐにメディアに注目された。

自分でも信じられないくらいの早さで、私は人気歌姫の立場を手に入れた。

だけどその一方で、陰で酷いこともたくさん言われてきた。

両親が人気アーティストというだけで出て来た実力のないニセ歌姫、ワガママ歌姫。

華やかなステージに立って大歓声を浴びても、それは私の実力じゃない。

それは私が人気アーティストの娘だから。

そう思われるのは当然だとわかっていても、私は“琴吹 愛歌”として、私を見てほしかった。

だけどいつもそんな気持ちとは裏腹に、“人気アーティスト夫婦の娘”の立場を利用し続けて来た。

そうすることでしか、自分を見てもらえない。

それが、余計に私の心を虚しくさせた。

それでも歌手を辞めて人気歌姫の座を手放すことはできずにいた。

そんな時、鈴原さんと共演して彼女の歌を聴いて。

私が本当に望んでいた歌手としての姿に、衝撃を受けた。

ただ純粋に歌うことが好きで、まっすぐに自分の想いを歌にしている。

周りに流されず、自分の音楽性を貫いている。

あんな風にステージに立って歌えたら、どんなに幸せだろうって思った。

私も鈴原さんみたいに歌いたい。

そんな憧れはいつしか妬みになって、どんどん私の心を黒く染めていった。

そして何よりも、人気サポートミュージシャンである遠坂さんが、人気歌姫である私より鈴原さんを選んだ、その事実が悔しくて。

遠坂さんが鈴原さんにこだわるのは、水沢さんに似ているからという理由だけじゃない。

聴く人の心を一瞬で惹きつける歌が歌える、その才能に惚れ込んでいるから。

そして、誰にも流されず揺るがず自分の道を進む芯の強さを持っているから。

鈴原さんは、自分の力で光り輝ける人だから。

そんなこと、最初からわかっていた。

自分がどれだけ酷いことをしていたかなんて充分わかっている。

こんな醜い感情でしか動けないから、遠坂さんは私を嫌っているんだ。

私だって本当はこんな自分が大嫌いだ。

「私だって、両親のことは関係なく私自身の……“琴吹 愛歌”の歌を聴いてほしいのに」

それでもどうしたって両親と比べられてしまうのがイヤだ。

人気アーティストの娘としてじゃなくて、ひとりの歌手として私の歌を聴いてほしい。

誰か“私”を見て。

いつだって弱くて臆病な本当の私が泣きながらそう叫んでいた。

両親と比べられたくないと思いながら、誰よりも“人気アーティストの娘”という立場にとらわれていたのは私自身なんだ。

遠坂さんも鈴原さんもただ黙って私を見つめていた。

何て言ったらいいかわからない、そんな表情だ。

私は別に同情してほしいわけじゃない。

“かわいそう”だなんて思われたくなかったから、今まで誰にも言わなかったんだ。

だから、せめて最後に強がらせて。

「鈴原さんの本当のライバルは…私じゃないよ」

一言だけそう告げて私は控室をあとにした。

鈴原さんが水沢さんのことを知るのも、きっと時間の問題だ。


* * *


「愛歌ちゃん、ずいぶん遅かったわね。何度か連絡してたのよ」

テレビ局の駐車場で待ってくれていたマネージャーの古賀さんの車に乗り込むと、心配そうな表情で言われた。

慌ててスマホを見ると、確かに収録を終えたあとの時間に何件か古賀さんから着信が入っていた。

「ごめんなさい」

「何かあった?」

「なんでもないです。局内で帰り際に偶然知り合いに会ってつい話しこんじゃって」

「そう?それならいいけど」

古賀さんはそれ以上深く突っ込むことなく、車を出してくれた。

ぼんやりと窓から流れる景色を眺める。

いつの間にか朝から降り続いていた雨は上がっていて、雲の切れ間から細い三日月が見えた。

今にも消えそうな、触れたらすぐ壊れてしまいそうな三日月。

まるで今の私みたいだ。

そう思ったら、またじわりと瞳に涙が溢れて、窓の外に浮かぶ三日月が滲んで見えた。