【#誘月】
━━━☆・‥…━━━☆・‥…
求めるほどに堕ちていく
背徳の快楽に溺れていく
空には赤く光る誘い月
━━━☆・‥…━━━☆・‥…
「お疲れ様でした。本番もよろしくお願いします」
テレビ局のスタジオに、ディレクターの声が響く。
その言葉を合図に、出演者たちがそれぞれスタジオを出て、自分達の楽屋へと戻っていく。
「琴吹さん、今日はよろしくね」
後ろから声をかけられて振り向くと、そこにいたのはNeo Moonの4人。
声をかけてきたのは、ギタリスト兼リーダーの銀河さんだった。
「はい、よろしくお願いします」
笑顔でそう答えて、さりげなく涼夜の方へ視線を向ける。
一瞬だけ目が合ったけれど、彼はすぐに視線を逸らした。
ここでは私達は人気アーティスト同士。
誰にも私達の関係を悟られてはいけない。
たとえそれがNeo Moonのメンバーであっても。
親しい素振りを見せれば、気づかれるかもしれない。
だから私もそのまま自分の楽屋へと向かった。
楽屋に戻って、備え付けのテレビをつけて一息つく。
本番まであと約1時間半。
何気なくテレビを観ていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「琴吹さん、メイク入ります」
その言葉と同時に、担当ヘアメイクさんが楽屋に入ってきた。
化粧台の椅子に座ってメイクをしてもらっていると、テレビからある歌が聴こえてきた。
透明感のある綺麗な声が、耳に心地よく響く。
最近よく流れている音楽アプリのCMだ。
「このCM、最近よく流れてるよね」
ヘアメイクさんも私と同じことを思っていたらしい。
「アーティスト名が出てないけど、誰が歌ってるんだろう」
私が疑問を口にすると、
「確か、鈴原 結音さんっていう子よ」
ヘアメイクさんがあっさりと答えた。
「鈴原 結音?」
聞いたことのない名前に、思わず聞き返してしまった。
「業界の中では実力派新人歌手として注目されているらしいわ」
「そうなんだ」
確かに、たった数十秒のCMで聴いただけでも耳に残る声だし、歌が上手いっていうのもわかる。
「でも、ずいぶん詳しいですね?」
「この前、偶然仕事の時に聞いたのよ。人気サポートギタリストの遠坂 由弦さんがレコーディングに参加してるって」
「え!? そうなの?」
遠坂さんと言えば、有名な人気サポートミュージシャンだ。
数々の大物アーティストと共演をしている実力派。
そしてかなりのイケメンということもあって、多くの女性アーティストが彼との共演を夢見ている。
もちろん私もその中のひとりだ。
「なんでも遠坂さんが歌声をとても気に入って、ぜひ参加したいって話になったんだって」
「へぇ…」
人気ミュージシャンがそこまで気に入った歌声の人って…どんな人なんだろう?
「はい、終わり。本番頑張ってね」
そんなことを考えていたらいつの間にかメイクは終わっていて、鏡に映る私は人気歌姫・琴吹 愛歌の顔をしていた。
本番まであと約30分。
ヴォイトレルームで発声練習をしようと席を立った時、スマホに新着メッセージが届いていることに気づいた。
【番組終了後、LUNAの駐車場で待ってる】
確認すると、涼夜からのメッセージだった。
LUNAはここから少し離れた裏通りにあるバーだ。
雑居ビルの地下でひっそりと営業しているから、お店だと気づく人はほとんどいない。
だから、最近涼夜と会う時の待ち合わせ場所に使っている。
お互いのマンションだとマスコミに気づかれてしまう可能性が高いから。
私は『了解』と返信して、ヴォイトレルームへ向かった。
声出しのために発声練習をしていたら、あっという間に本番の時間。
マネージャーに声をかけられてスタジオへ移動する。
午後8時、生放送の歌番組ミュージック・パラダイスの本番がスタートした。
「続いてはNeo Moonの皆さんです」
司会役のアナウンサーが紹介し、Neo Moonのメンバーが一番前のひな壇に座る。
「今回の新曲の聴きどころを教えてください」
「今回はズバリ涼夜のセクシーボイスと歌詞です」
アナウンサーからの質問に、リーダーの銀河さんが答える。
「今日も思い切りセクシーに歌いますので、ご期待下さい」
涼夜が笑顔でそう言うと、観客からキャーという黄色い歓声があがった。
「それでは、歌って頂きましょう。Neo Moonで『花蝶誘月』です」
曲紹介のあとにピアノとギターのイントロが流れ、演奏が始まる。
和風なアレンジとメロディーは、桜吹雪を連想させる。
そして涼夜が目を閉じて歌い始めた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
白い肌に咲く赤い薔薇
甘い花の香りに誘われた
蝶のように夢中に舞う
月の光に照らされて
今夜も君に溺れていく
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
宣言通りいつも以上に色気のある歌い方。
甘く囁くような歌声にきっとスタジオにいる女性、テレビを観ているファンの人達、誰もが酔いしれている。
この曲は誰とのことを歌っているの?
私?それとも……
「続いては琴吹 愛歌さんです」
そんなことを考えていたら、いつの間にか私の出番になっていた。
「今日歌って頂くのは、大ヒット中の『SECRET MOON』です。この曲は琴吹さんにとって自身最高のヒット曲になっているんですよね」
「はい。たくさんの方に聴いて頂けて私も嬉しいです」
「特に同世代の女の子達から“歌詞がいい”と評判のようですけど、どうですか?」
「…そうですね。やっぱり自分で詞を書いているので、共感したっていう感想は一番嬉しいです」
「それでは、歌って頂きましょう。琴吹 愛歌さんで、『SECRET MOON』」
曲紹介の後、イントロが流れて歌い始める。
今目の前にいる人のことを歌っているなんて―言えるわけない。
知られてはいけない人との関係を歌った歌が一番ヒットするなんて、皮肉なものだ。
歌い終えた後そっと涼夜の方を見てみたけれど、相変わらずクールな表情のまま。
気づいているのか、いないのか。
その表情からはわからなかった。
そしてあっという間に1時間の番組は終了し、それぞれが楽屋へと戻って行った。
「愛歌ちゃん、このあと出演者と番組スタッフで打ち上げあるらしいけど、どうする?」
楽屋に戻ると、マネージャーの古賀さんに訊かれた。
「ごめんなさい、今日はパスします」
このあと涼夜と会う約束があるとは絶対に言えないけど。
「そう? じゃあ、車で送るわ」
「あ、大丈夫です。今日は寄りたいところがあるから、タクシーで帰ります」
「寄りたいところ? それなら言ってくれれば私もつきあうわよ?」
「あ、あの。友達が今日スタジオに来てくれてて。このあと、久しぶりにその子の家で女子会やろうって話になってて……」
送っていくと言って引かない古賀さんに、私はとっさにウソをついた。
「そっか。じゃあ、それなら私がいない方がいいよね。でも、愛歌ちゃんは今や日本を代表する歌姫なんだからね。どこでマスコミが見ているかわからないから、充分気をつけて」
古賀さんの言葉が、小さな棘のように胸の奥にチクリと刺さる。
「……はい。わかりました」
平静を装って、私は頷いた。
「本当に気をつけてね」
古賀さんに見送られて、私はタクシーに乗り込んだ。
もちろん琴吹 愛歌だと気づかれないようサングラスとマスクで顔がわからないようにして。
涼夜との待ち合わせ場所であるLUNAの駐車場へ向かう。
15分ほど待っていたところで、車の音が近づいてきた。
もしかして…と思っていると、1台の車が駐車場に入ってきて、私の前に停まった。
ドアを開けて、そのまま助手席に座る。
「遅かったね」
「悪い。打ち上げ参加断るのに時間かかった」
「そっか」
やっぱり涼夜も引き留められてたんだ。
シートベルトをすると、車は駐車場を出て夜の街を走り出す。
カーステレオから、さっき聴いたばかりのNeo Moonの新曲『花蝶誘月』が流れている。
「運転中も自分の歌聴くとか、どんだけ自分大好きなわけ?」
からかうように言うと、
「違うって。最近テレビとかで歌う機会多いから、覚えるために聴いてるんだよ」
涼夜が少し照れたようにそう言ってカーステレオのボリュームを下げようとした。
「別にイヤって意味じゃないから。私、この歌好きだし」
そう言いながら慌てて涼夜の手を止めると、
「やっぱりこっちの方がいいか」
涼夜がそう言って、選曲ボタンを押した。
聴こえてきたのは、私の声。
さっき歌ったばかりの『SECRET MOON』だ。
「ちょっ、恥ずかしいからやめてよ~」
慌てて選曲ボタンを押そうとしたけど、涼夜に手を掴まれる。
「なんで? 俺、この曲好きだし」
今度は涼夜がからかうように言う。
……形勢逆転。
「しょうがないな。聴かせてあげてもいいよ」
「なんだよ、その上から目線」
私の言葉に、涼夜が笑った。
その笑顔は、歌番組で見せていたクールなNeo Moonの涼夜じゃない。
今はもう、ひとりの男性だ。
「ねぇ、どこまで行くの?」
「さぁ。どこだろうな」
私の質問に、言葉を濁して意地悪な笑みを浮かべる涼夜。
どこへ行くつもりなのかわからないけど。
いっそこのままどこでもいいからどこか遠くへ連れ去ってほしいと思ってしまう。
車はいつの間にか高速を走っていた。
涼夜がアクセルを全開にして一気にスピードを上げていく。
どんどん流れて行く景色。
カーステレオからは、Neo Moonの疾走感あるロックナンバー。
ボリュームを上げて、涼夜が口ずさむ。
その歌にハモるように、私も口ずさむ。
私は、こうして涼夜が運転する車で夜のドライブをする時間が好きだ。
まるで世界に二人だけしかいないような感じがするから。
そして…この瞬間は、彼は私だけのものだから。
高速を降りて、市街地へと向かう途中。
信号待ちの間に、曲が途切れた瞬間。
「愛歌」
数秒の沈黙を消すように涼夜が私の名前を呼んだ。
甘く囁くような声に胸の奥がくすぐったくなる。
ふと顔を上げた時には、もう視界が遮られていて。
唇に熱を感じて、そのまま目を閉じた。
一瞬で離れた温もりに物足りなさを感じていると、
「続きはまたあとでのお楽しみ」
私の気持ちを見透かしたように涼夜が妖しげな笑み浮かべて言った。
その表情があまりにも艶やかで、それだけで熱くなっていく体。
早く触れて欲しい。
こんなにも求めてしまうのは、深みに嵌っている証拠。
一度堕ちたら、もう抜け出せない。
「この辺がいいかな」
不意に、涼夜がそう言って車を停めた。
市街地を抜けた、静かな場所。
周りは木々に囲まれていて、街灯も車の通りもほとんどない。
「どうしたの?」
シートベルトを外しながら尋ねると、
「さっきの続き」
耳元で囁かれた。
「…え…?」
戸惑う私の顔を覗きこんで、
「早く愛歌を感じたい」
華奢な指で私の髪を梳きながら囁く。
その声に囁かれたら、
その瞳に見つめられたら、
その指に触れられたら、
もう逃げられない。抗えない。
甘く、深く、溶けるようなキス。
体中に感じる熱に、眩暈がする。
ぼんやりと霞んでいく意識の中。
フロントガラスから、赤く光る朧月が見えた。