【#4】


少しずつ夏から秋へ変わり始めた9月。

早くも鈴原さんの新曲リリースとクリスマス・コンサートが決まり、ミーティングが行われることになった。

開始時刻よりも早めに会議室に向かうと、鈴原さんは既に席について真剣な表情でノートを広げていた。

「何してるの?」と声をかけると、鈴原さんは慌てて顔を上げた。

「新曲の詞を考えてるんですけど……」

「ああ、年明けにリリース予定の曲?」

「はい。でも、なかなかいいものが浮かばなくて……」

話している途中でスタッフさん達も部屋に入ってきて、そのままミーティングが始まった。

さっきの雰囲気からすると、鈴原さんはかなり悩んでいた感じがする。

もしかしたら、一度きちんと話を聞いてあげた方がいいかもしれない。

ミーティング終了後、珍しく悩んでいる様子の結音に声をかけて話を聞いたら、彼女もまだデビュー2年目なんだと改めて感じた。

いつも礼儀正しくしっかりとしていて、自分の世界観をしっかり持った歌を歌っているけれど、自分より売れている同年代の子と比べて落ち込むこともあるんだ。

この世界にも慣れてきて、自分の方向性や音楽性が固まってくる一方で、事務所の意向とのギャップを感じて戸惑ってしまうことも多いだろう。

ある程度続けていれば、キャリアもあるし、自分のやりたい音楽を自由にやれる環境を自分で作るという決断もできるけれど、まだそこまでの経験もない。

一番自分の立ち位置に悩む時だということは、よくわかる。

“私は他人と競うより、私にしか歌えない歌で想いを伝えたいの”

結音の話を聞きながら、ふと夏音がそう言って悩んでいた時のことを思い出して。

あの時の夏音と結音が重なって見えて放っておけなかったんだ。


* * *


それから約1週間後。

「由弦に仕事のことで大事な話がある。今から車で家に迎えに行くから、準備して。あ、服装はスーツで頼むよ」

突然、マネージャーの一色さんからそんな電話が来た。

“仕事のことで大事な話”って一体なんだ?

しかも、わざわざ服装までスーツにしろなんて。

わけがわからないまま、言われた通りスーツに着替えた。

そして電話がきてから1時間後、一色さんの車がマンションに到着した。

「大事な話って何?」

車に乗り込むなり、俺は一色さんに尋ねた。

「由弦に、QUEEN MUSICから正式にオファーが来たんだ」

QUEEN MUSICって、もしかして……。

「琴吹さんが所属してる大手事務所だよ」

やっぱり。

QUEEN MUSICは、人気アーティストが数多く所属している大手事務所だ。

毎年大々的なオーディションも開催していて、新人育成にも力を入れている。

琴吹さんもデビュー当時から所属していて、新人とは思えないほど派手に宣伝されていた。

「今日、急遽QUEEN MUSICの社長が時間とれたから会ってほしいって連絡が来たんだ」

「社長が?」

「ああ。社長が由弦に会って話したいって言ってるらしくてさ。さすがに断れなかったんだよ」

だから、スーツ姿でなんて言ったのか。

やっと状況が理解できた。

「さ、着いたぞ」

家を出てから30分ほどして着いたのは、都内にある高級レストランだった。

完全個室制で、芸能人もよく訪れている有名な場所だ。

「いらっしゃいませ。遠坂様ですね。お待ちしておりました」

事前に予約をしていたらしく、店員がすぐに場所を案内してくれた。

案内された個室に着くと、すでにスーツ姿の男性が待っていた。

「お待たせしてすみませんでした」

一色さんがそう言うと、

「いやいや、こちらこそ急で申し訳ない。どうぞ、座って下さい」

スーツ姿の男性がそう言って穏やかに微笑んだ。

見たところ、40代前半くらいでまだ若い。

この人がQUEEN MUSICの社長なのだろうか。

「申し遅れました。私、QUEEN MUSIC代表取締役の柴田と申します」

疑問に思っていたら、男性がそう言って名刺を差し出した。

名刺にも、【QUEEN MUSIC代表取締役 】という肩書が書いてある。

大手事務所の社長が想像以上に若いことに驚きつつ、

「初めまして。遠坂 由弦です。よろしくお願いします」

まずは自己紹介と挨拶をした。

「さぁ、それじゃ乾杯しましょうか」

柴田社長の一言で、すでにテーブルに用意されていたビールをグラスに注ぎ、乾杯をした。

注がれたビールを飲んで一息ついたところで、柴田社長が口を開いた。

「実は、今日は遠坂さんにぜひお願いしたいことがありまして」

「はい」

「秋から始まる琴吹 愛歌の全国アリーナツアーに、サポートギタリストとして参加してほしいんです。遠坂さんはサポートミュージシャンとしてのキャリアも実力もあるし、愛歌からも、どうしても遠坂さんにお願いしたいという強い希望があったものですから」

「そう、ですか」

相槌を打ちながら一色さんの方を見ると、すでにこの話を知っていたような感じだ。

超人気歌姫が所属する大手事務所からのオファー。

しかも、事務所の社長からこうして直々に言われることは、とても光栄なことだとわかっている。

だけど、やっぱり琴吹さんと一緒に仕事をする気にはなれない。

「あの……「すみません、遅くなりました~」

言いかけたところで、聞き覚えのある声が聞こえて、一人の女性が部屋に入って来た。

「愛歌、お疲れ様」

部屋に入って来たのは、今まさに話題にしていた琴吹さん本人だった。

「今、遠坂さんにライブのことを話していたところだよ」

「ありがとうございます」

琴吹さんはそのまま柴田社長の隣に座った。

「それじゃ、全員揃ったところで改めて乾杯!」

柴田社長がそう言って、今度は4人で乾杯をした。

琴吹さんも一緒に食事するなんて聞いてない、という視線を一瞬隣にいる一色さんに向けると、一色さんはかすかに首を横に振った。

どうやら、一色さんも琴吹さんが来ることを知らなかったらしい。

それから、柴田社長は11月から始まる琴吹さんのツアーの構想や、彼女がいかに俺のファンでサポートを熱望しているかを語り始めた。

琴吹さんは、ハイペースでお酒を飲みながら社長の話に頷いている。

そして、1時間近く経った頃。

「じゃあ、あとはせっかくだからふたりでごゆっくりどうぞ。帰りはタクシーを呼んであるから、遠坂さん、愛歌を頼みます。うちにとって今一番大事な歌姫なので」

柴田社長は笑顔でそう言うと、席を立った。

一色さんも、複雑な表情をしながらも一緒に席を立って、帰り支度を始めた。

本当はきっと、俺と琴吹さんをふたりきりにはしたくないはずだ。

俺だって、琴吹さんとふたりきりで食事なんて、正直言って困る。

でも、社長がいる前で拒否することなんてできるわけもなく…。

「はい、わかりました」

これも仕事だと割り切ることにした。

「ライブ参加の件、考えてくれました?」

さっきからハイペースで飲んでいた琴吹さんは、酔いが回ってきているようだ。

顔は赤く、呂律がまわらなくなってきている。

「悪いけど、きみと一緒に仕事する気はないから」

早く帰りたい一心で、すぐ話を終わらせようときっぱりと断った。

けれど、琴吹さんは諦めの色を見せずに言った。

「え~なんでですか?大手事務所からの仕事受けた方が、今の弱小事務所でサポートミュージシャン続けるより金銭的にも絶対いいと思いますけど」

「金の問題じゃない。それに、弱小なんて言い方は失礼だ。そういう考え方をする時点で、俺はきみとは一緒に仕事をしたくない」

「………」

さすがに諦めがついたのか、琴吹さんは無言でうつむいた。

そして、少しの沈黙の後、ぽつりと呟いた。

「鈴原さんって、そんなに魅力ある子なんですか?」

「え?」

なんでそんな話になるんだ?

「だって、鈴原さんとの仕事はいつも受けてるでしょ? もしかして遠坂さんって鈴原さんのこと好きなんですか?」

「……は?」

いきなり何を言い出すのかと思えば……。

一緒に仕事する=好きという幼稚な発想に、内心呆れてしまった。

「好きは好きだけど、琴吹さんが思っているような好きじゃないよ」

「でも、鈴原さんって水沢 夏音さんに似てますよね?」

……!

「なんで夏音のことを……」

「事務所の人に遠坂さんと同じ高校出身の人がいて、聞いたんです。8年前あんなことがなければ今頃ふたりで音楽活動をしてたはずだって」

不意に甦る。

ふたりで過ごした日々のこと。

これからもずっと一緒にいられると信じて疑わなかったあの頃。

そして、突然訪れた別れ。

一生忘れることのできない記憶。

「亡くなった恋人に似ている人がそばにいたら、好きになるかもしれない」

琴吹さんが、小さな声でそうつぶやいた。

まただ。一色さんも前に同じようなことを言っていた。

なぜ、似ているから好きになると思うんだろう。

必ずしもそうとは限らないのに。

これ以上、この話を続けたくない。

そう思ったその時、ポケットに入れていたスマホが震えた。

確認すると、一色さんからのメールだった。

『まだ琴吹さんと食事中? 社長が23時にタクシー予約してるらしい』

23時ってことは、ちょうどそろそろ来る時間だ。

「そろそろ店にタクシー来るみたいだから、出ようか」

「……はい」

琴吹さんが返事して立ちあがった。

でも、足元がふらついている。

最初から、かなりハイペースで飲んでたからな。

店を出るとすでにタクシーが待っていた。

「琴吹さん、家はどの辺?」

「緑山ヒルズです」

緑山ヒルズは、ここから車で15分ほどのところにある高級マンションだ。

運転手に行き先を告げると、タクシーは夜の街を走りだした。

窓から見える街の景色は、夜でもネオンの光で明るい。

ぼんやりと窓から見える景色を眺めていると、突然肩に重みを感じた。

振り向くと、眠りに落ちてしまったらしい琴吹さんが、俺の肩に寄りかかっていた。

車に乗ってわずか数分で眠れるなんてすごいな…。

「―着いたよ」

タクシーは順調に走って、店を出てからちょうど10分ほどで緑山ヒルズに到着した。

琴吹さんは、結局マンションに着くまでタクシーの中で爆睡していた。

「ん~…眠い~」

起こしてもまだ眠気が抜けないらしく、すぐに降りようとしない。

「もう着いたから、早く自分の部屋で寝なよ」

「は~い…」

まだねぼけているような声で返事をしながらタクシーを降りたものの、眠気と酔いのせいで足元がおぼつかない。

これじゃ、ひとりで部屋まで行けるかどうか心配だ。

“愛歌を頼みます。うちにとって今一番大事な歌姫なので”

社長に言われた言葉を思い出す。

「すみません、少し待っててもらえますか」

タクシーの運転手に声をかけて、車を降りた。

ホントはこんなことまでしたくはないけど、万が一何かあったら俺の責任になるわけで…。

とりあえず、部屋まで送ることにした。

時々ふらつく体を支えながら、なんとか部屋の前まで着いた。

さすがに部屋の中にまで入るのには抵抗があったけど、この様子だときちんと部屋の中に入るまで見届けた方が良いだろうと思い、部屋のドアを開けて中に入った。

時代の歌姫を介抱して部屋の中に入るなんて、ある意味貴重な経験だ。

「ちゃんと鍵かけなよ」

そう言って、すぐに部屋を出ようとしたその時。

「…やだ…帰らないで…」

琴吹さんがそう言って俺の腕をつかんだ。

潤んだ瞳。甘い香水の匂い。甘えた声。

人気歌姫の無防備で甘えた姿に、誘われるままに落ちた男はきっとたくさんいるだろう。

「私が夏音さんを忘れさせてあげる」

耳元で囁かれた言葉が甘く響く。

夏音がいなくなってから、世界はいつも闇に包まれて。

足元の道も行く先も見えない。

そんな毎日を過ごしてきた。

いっそこのまま闇に堕ちてしまいたい―

いつかこの暗闇を照らす光は射すのだろうか。

光となって見えない道を照らしてくれる人は現れるのだろうか。

揺らぐ視界の中、ふと心に浮かんだのは…。

目の前にいる歌姫でもなく、亡くなった恋人でもなかった。