【#10】
4月。満開の桜が街中を淡い桃色に染めている。
そよぐ風が花の甘い香りを連れてくる。
パステルカラーで彩られた優しい世界。
大好きな春がやってきた。
由弦さんと出会って歌手活動を始めてから、約1年。
これからもきっと、こうして春が来る度にあの始まりの瞬間を思い出すんだろう。
* * *
コンサート当日。
朝から気持ちのいい天気で、春らしい淡い水色の空が広がっている。
最後のリハーサルを終えたあとも、私は楽屋で発声練習を続けていた。
特に今日は、もともとのファン以外に、CMをきっかけに私の歌を聴き始めて初めて私のコンサートに来る人達が多いとスタッフから聞いている。
初めて来てくれた人が、また次のコンサートにも来たいと思ってくれるような最高の歌を歌いたい。
「結音ちゃん、そろそろスタンバイお願いします」
スタッフに呼ばれて、ステージへ向かう。
先にステージ裏にいた由弦さんが、
「今日の会場、満員御礼だよ。頑張ろうね」
笑顔でそう言ってくれた。
「はい、よろしくお願いします」
私がそう返した時、場内から拍手が起こった。
定刻通り客電が落ちて、SEが始まる。
小鳥のさえずりと、川のせせらぎの音が流れる。
スタッフの合図で、まずはサポートミュージシャンのみんながステージの定位置にスタンバイして、会場から拍手が起こった。
続いて私がステージの中央へ歩いていくと、会場から一際大きな拍手が起こった。
会場内を見渡すと、場内は満員。
こんなにたくさんの人達の前で歌うのは初めてだ。
拍手が響く中、由弦さんがアコースティックギターで1曲目のイントロを弾き始める。
春の空気のように柔らかくて爽やかな音色が、静かな会場に響く。
由弦さんのギターに合わせて、ハミングする。
私の声と由弦さんが奏でる音が重なって、綺麗なハーモニーになる。
途中から手拍子をしながら歌うと、客席からも少しずつ手拍子が起きて、だんだん会場中に広がっていく。
私の歌はバラード系が多くて、最初から最後まで総立ちでノリノリというコンサートではなく、座ってじっくり聴いてもらうスタイル。
だから、ポップ系の曲はこうして自分からノリを作って会場の雰囲気を盛り上げていく。
歌の終盤には会場の手拍子が綺麗に揃っていた。
歌い終わると、最初のMC。
「こんにちは、鈴原 結音です。今日はスプリング・ガーデンへようこそ。春の雰囲気をたっぷり感じてもらって、ふんわり心が癒されるような時間にしていきたいと思います。最後まで楽しんでください」
私の言葉に、会場から拍手が起こった。
曲が進むにつれて、私の歌の世界に入り込んでくれているのが表情から伝わってくる。
歌いながら客席を見ると、みんなが笑顔で聴いてくれているのがわかって嬉しくなった。
温かい空気に包まれて、コンサートは進んでいく。
時間はあっという間に流れて、気がつけば次の曲が本編ラストの歌。
感動してくれているのか、涙ぐんでいる人が見えて、思わず胸が熱くなる。
歌い終わると、一瞬の静寂の後に今日一番大きくて長い拍手が響いた。
それは、みんなが感動してくれたことや共感してくれたことの証。
「今日はありがとうございました」
そう言って深く礼をしてステージを去ると、拍手が徐々に手拍子に変わった。
手拍子はあっというまに綺麗に揃って、会場中に響く。
鳴り止まない手拍子はバックステージにいてもよく聞こえる。
これは、客席からのアンコールの手拍子。
「結音ちゃん、アンコール行ける?」
バックステージのスタッフに訊かれて、
「もちろんです」
笑顔で頷く。
まずは、サポートメンバーが再びステージに向かう。
そのあとに続いて、私もステージに立つ。
「アンコールありがとうございます!」
私がそう言うと、会場中から大きな拍手が起きた。
「今日は私にとって今までで一番大きな会場でのコンサートだったので、不安な気持ちもありましたが、こうしてたくさんの方に来て頂けてとても嬉しいです。感謝の気持ちを込めて、最後にこの曲を歌いたいと思います。聴いてください。『虹色の歌』」
曲紹介をすると、大きな拍手と歓声が起きた。
イントロから大きな手拍子が起こる。
ピアノとギターに加えてヴァイオリンとチェロの演奏も入ったスペシャルバージョン。
今日一番の一体感と客席の盛り上がりを感じながら、歌い出す。
この曲がなければ、今日こうしてこんなにたくさんの人の前で歌うことはなかったかもしれない。
「今日は来てくれて本当にありがとうございました!」
もう一度心を込めてそう言って、サポートメンバーと一緒に深く礼をすると、会場に大きな拍手が響いた。
名残惜しい気持ちを感じながら、ステージを降りる。
初めての千人規模のコンサートは大成功だった。
会場の雰囲気も良かったし、自分らしい良い歌が歌えたと思う。
みんなと言葉じゃなく音楽でわかりあえてることにすごく感動した。
きっと、それが音楽の魅力なんだ。
「結音、お疲れ様。最後までよく頑張ったな」
まだ余韻に浸っていたくて楽屋に戻らずにステージ袖にいた私に、由弦さんが声をかけてくれた。
その優しい笑顔と言葉に目頭が熱くなって、涙が溢れる。
「なんで泣いてるんだよ」
「だって、すごく感動して……」
涙が止まらなくなった私を、由弦さんが抱きしめてくれた。
優しい温もりにそれだけで心が安心する。
「俺も結音の歌にすごく感動したよ。これからもずっと結音の歌を聴いていたいって思った」
「これからもずっとそばにいてくれますか?」
「もちろん」
笑顔で即答してくれた由弦さんの顔がゆっくり近づいてきて、目を閉じる。
そっと唇に触れる優しい温もりに、心が虹色に染まった気がした。