池垣南高校の冬休みは25日からなので、今日は終業式があった。
 昼前に授業はすべて終わったので、クラスメイトたちはこのまま遊びにいくだとか、彼女や彼氏と過ごすだとかで盛り上がっている。僕も少しだけ蓮と雑談をしてから帰る準備を始めた。

「でさ、昨日のストーリーなのにめっちゃイイネついたんだよ。やっぱりJunと白雪効果すごかった」
「良かったじゃん」
「繋がっている同中のやつからめっちゃDMきたもん」
「それって嬉しいの?」
「当たり前じゃん!」

 蓮が嬉しいなら良かった。
 ふと、次に蓮と会うときはきっと新年を迎えているんだろうな、と思った。

「そろそろ帰るわ。用事とバイトがあるし」
「お、わかった。それじゃあまたな」
「うん。良いお年を」
「んだよ、今年もう会わないみたいにさ」
「わかんないけど、一応ね」
「はいはい、またな」

 蓮に手を振って教室を出る。蓮のことだから、クラスの一部の奴らが騒いでいた打ち上げ(なんの打ち上げなんだ?)に行くんだろう。僕は誘われなかったけど。

 でもいい。今日はバイトが始まるまえに動物病院に行きたいから。
 ダウンジャケットのチャックを一番上まで上げて、僕は自転車に乗る。
 今にも雪が降りそうな空気だ。自転車のハンドルを握る手が、みるみる内に赤くなっていく。

 こんな寒い日に、ポピーを家から出すのはどうなんだろう?と不安に思ったのは正解だった。
 朝に動物病院に電話で相談すると、ポピーを連れてこなくても動画や写真を見せて、話を聞かせてくれたらいいと言ってもらえたのだ。看護師さんから説明があったんだけど、寒さによる体のストレスで腎不全が進行することもあるらしい。相談せずに無理やり連れて行っていたら、危なかった。

 こういうとき、本当は車で連れていけたらいいんだけどなぁ。
 高校を卒業する前に、車の免許を取ったりできるんだろうか。技術的な問題じゃなくて、金銭的に。

 自転車のスピードを上げると鼻が冷たくなってきて痛い。「ホワイトクリスマスになったら最悪だな」とつい独り言を呟いてしまう。


 いけの動物病院でポピーの最近の様子を説明し、写真を見せる。前回受診したときに口内炎を診てもらったり血液検査もしてもらっていた。そのときの結果も踏まえて、先生は「ふむ……」となにか考えている様子だった。

「先生、どうなんでしょうか?」
「状態はだいぶ悪くなっていると考えられます。ステージ4に入っているでしょう」
「そんな……ど、どうすればいいんでしょうか!?」
「落ち着いて。まず、悪化したのは白國さんのせいじゃない。しっかり通院して、適切な治療を受けてくれた。それでも、病気に抗えないことはあるんだ」
「……はい」
「今後もすることは変わらない。できるだけ水分もとってほしいけど、難しくなるかもしれない。水分を多く含んだ猫のおやつとか、好きなら食べさせてあげて」
「わかりました」
「それと、その……」
 
 言い淀んでいる先生に看護師さんが「先生、ちゃんと伝えてあげて」と囁く。

「うん、そうだね。申し訳ない。看取りを覚悟してください。積極的な治療をしようにも、ポピーさんはもう耐えられないと思う。できることを、無理させないように、残りの時間を過ごしてあげてください」

「……はい、わかりました」

 ずん、とお腹の底になにかが圧し掛かるような感覚。
 いつかこの言葉が伝えられるのは知っていた。
 だからだろうか、自分が思うよりは冷静でいられた……気がする。

 
 クリスマスイブにりんご飴を買いに来る人なんているのだろうかと思っていたけど、想像以上にお客さんは多かった。僕は店長から渡されたトナカイの耳を着けて、レジの前に立つ。相変わらず〝白雪〟目当てで来てくれる人もいて、ありがたいやら恥ずかしいやら。たぶん、今日は一生分「可愛い」と言われたかもしれない。

 期間限定のフレーバー『ストロベリーショートケーキ』と『抹茶ベリーベリーツリー』もよく売れている。りんご飴なのにショートケーキってよくわからないし、抹茶ベリーベリーツリーは名前がだるい。店長が言うにはクリスマスツリーをイメージしているらしいけど。

 だるさは置いといて、試食した味はけっこうおいしかった。

 クリスマスパーティー用なのか、丸ごとでの提供とカット、それぞれひとつずつ買う人が目立つ。カットは食べやすいけど、映えを優先なら丸ごとのりんご飴もあった方がいいもんね。先輩と一緒に動画に出てるから、僕も少しは映えについて理解してきたってもんだ。 

 忙しくしてると、気が紛れる。本当はもっと色々考えないといけないのかもしれない。家のことも、ポピーのことも。気持ちが落ち込んでくるけど、僕の事情で暗い顔をしているわけにはいかない。そんなことくらい、僕もわかっていた。

 バイトが終わったのは21時半過ぎ。店長に挨拶をして店を出ると、外の気温に体がぶるっと震える。明日も忙しくなりそうだから、早く帰って休まないと。ポピーにも会いたい。そう思うのに、足取りはなぜだか重い。母さんにポピーのことを説明しないといけないからだろうか。

 寒さで震える手で自転車の鍵を外していると「おつかれ」と後ろから声がした。

「――先輩?」
「……悪い、先輩じゃない」

 なんで「先輩」なんて言ってしまったのだろう。
 僕の後ろに立っていたのは、困ったように笑っている蓮だった。

「蓮、なんでここに?」
「クラスの奴らと遊んで、気づいたらこの時間だったしさ。もうすぐ海斗もバイト終わるのかなぁって思って、きちゃった」
「きちゃったって、寒かっただろ。僕もう帰るとこだけど」
「うん、途中まで一緒に帰っていい?」
「そりゃあいいけど……」

 蓮は電車通学だ。りんご飴の白雪から最寄りの駅までは、徒歩15分くらい。
 僕は自転車を押して、一緒に歩くことにした。

「バイト、忙しかった?」
「うん、かなりね。期間限定フレーバーがめちゃ売れた。抹茶ベリーベリーツリーってどれだけ言わされたか」
「それすごい名前だな! 閉店前に買いに行けば良かった」

 蓮の白くなった吐息が電灯の光で浮かび上がる。
 蓮の笑顔を見ると暗くなっていた気持ちが、少しだけ穏やかになった。

「来てくれてありがとな。今日嫌なことあったから、なんか嬉しかった」

 そう伝えると、蓮が目を丸くして驚く。

「海斗がそんなこと言うなんて、大雪になるって」
「なんでだよ。本当に嬉しかっただけ」
「海斗さ、北条先輩と仲良くなってから変わったよな」

 蓮は少しだけ歩く速度を速めて、僕より先を歩いた。

「そう? それっていい意味?」
「いい意味……かな。いや、悪いかも」
「そこはいい意味って言っといてくれよ。自分では変わった自覚ないけどさ」

 はは、と蓮は笑う。顔は見えないけど、いつもの調子で笑っているのはわかった。

「でも、なんか遠くに行った気がしてた。有名人にもなったし。オレとなんか話してくれなくなるかもって、ちょっと寂しかった」
 
 蓮がそんな風に感じていたなんて想像もしていなかった。蓮は続けた。

「海斗ってさ、北条先輩のことどう思ってるの?」
「どうって、なにも」
「嘘」
「ただの先輩だし」
「そうは見えなかったけど」
「……あのさ、何か言いたいならはっきり言ってもらわないとわかんない」

 あまりにも蓮が食い下がらないので、ついキツイ言葉になってしまう。
 先輩との関係を聞かれることで、昨日の母さんとの会話が呼び起こされてしまう。
 蓮まで母さんと同じようなことを言ってくるのかと、苛ついてしまった。
 こんな態度、取りたくないのに。口が止まらない。
 母さんに言い返したかったことが、堰が外れるかのように溢れてしまう。

「母さんにも言われた。先輩と〝そういう関係〟なのかって。クロックロックのコメントでも時々あるけど、それを揶揄われるとムカつく。もし先輩とそんな関係になったら誰かに迷惑でもかけるわけ? みんな他人なのにさ、なんで人のプライベートをわざわざ知りたがるのかわかんない。ほっといてくれたいいのに!」

 蓮は歩くのを止め、こちらを振り向く。
 そこにはいつもの笑顔はない。真剣な表情で、僕をまっすぐ見ていた。

「ごめん、言葉足らずだったし、嫌な聞き方した。オレさ、この前三人でファミレス行って、海斗が先輩のこと好きなんじゃないかなって思ったの。それに、先輩もたぶん海斗のことが好きで。それをおかしいなんて言うつもりはないんだ。だけど、今日……ちゃんと確かめたかったんだ」

 蓮は深呼吸する。遠くの方に見える信号が点滅して、赤に変わった。それぐらい、次の言葉までの間があった。

「お母さんやファンの子たちがさ、海斗がどう思ってるかとか、ふたりがどんな関係なのか知りたいのはさ、海斗のことが好きだからじゃないかな」
「好き……だから?」
「好きだったら心配するだろ? 好きな人のことをもっと知りたいって思わない?」

 そう聞いて、先輩の顔が浮かんでくる。
 蓮の言葉が、腹にスッと落ちていった。

「……思う。そうだね。そればっかりじゃないかもだけど、そうだ。うん」
「だろ?」
「なんか感じ悪い返事しちゃってごめん」
「わかったならよろしい」

 蓮はいつもの笑顔に戻っていた。

「オレが知りたかったのも、好きだからだよ」
「――え?」

 蓮はスクールバッグからラッピングされた袋を取り出し、僕に渡す。

「海斗、自分の気持ちにもっと素直になった方がいいよ。応援してる。これからも、友達としてよろしくな」
「え、ちょ……蓮?」
「それじゃ、帰る! 先輩によろしくなー!」

 蓮は大きく手を振って、駅の方に走っていってしまった。
 自分でもわかってなかった。僕、先輩のことが好きになってるんだ。
 仕事相手としてじゃない、友達としてじゃない、それはたぶん、恋と呼ばれるもので。

 その気持ちを自覚すると、心臓がトクンと音を立てた。
 遠くに見えていた信号は、二度目の赤を迎えている。