「光先生、今日も麗しいわ」
「眼鏡姿も決まるわぁ」
「あぁ、私、光先生のパソコンになりたい」
「クソ分かる」
光香の研究室の前で、女学生たちが光香の一挙手一投足に黄色い歓声を上げている。
「真面目なお顔が素敵」
「あっ、光先生がスマホを見たわ! だれかからメッセージかしら」
「やだ、もしかして彼氏?」
「うそ!」
女学生たちは食い入るように光香の様子を見守る。
そうとは知らず、光香は届いたメッセージを見て、くすりと笑う。
「やだっ! 笑ったわ! 光先生が笑ったわよ!?」
「可愛い可愛い死ぬ可愛い」
「神さまありがとう」
「あぁもう、相手はだれなのッ!」
※メッセージはモモからだった。
※大学にて。
「あっ、おはようございます、れい先生♡」
「安西先生、おはようございます。今日は早いんですね」
「そうなんですよ。なんか今日は早く目が覚めちゃって……」
「あれ? なんかいい香り……安西先生、もしかして香水変えました?」
「あ、いえ。実は最近いい香りのボディクリームを見つけて……シトラスなんですけどどうですか……?」
「すごくいい香りですね!」
「ぐはっ……」←光香の微笑みにやられたミコト。
「安西先生?」
「おかまいなく……(一生つけますこのボディクリーム)」
※その後、光香ファンクラブ内部ではシトラスの香りが大流行したという。
シトラスの香りに包まれながら、ミコトは光香と出会ったときのことを思い出していた。
『安西先生。もしかして、なにかありましたか?』
『えっ?』
それは、ミコトが以前香水を変えたときのことだ。当時ただの同僚でしかなかった光香が、ミコトに突然そう問うたのだ。
『なんで……』
『だって、女が香水を変えるのは、なにかあったときだから』
驚くミコトに、光香は柔らかく微笑んだ。
『……実は、恋人と別れるか悩んでて』
『…………』
『彼、私に隠れて女の子と浮気してたんです。もうしないからって言われたんですけど……』
『…………』
『……すみません、いきなりこんな話。迷惑ですよね……(ぜったい変に思われた……)』
『……あの、安西先生。私、今からとても無責任なことを言います』
『! (ドキリ)』
『私は安西先生に、その恋人とは別れてほしいと思います』
『えっ……どうしてですか?』
『私も昔、似たような失恋をしたことがあるから』
『れい先生が!? (マジで!? 相手何者やねん!!)』
『そのとき、あるひとに言われたんです。じぶんを大切にしてくれないひとを大切にする意味があるのかって。そのひと曰く、人生ってすごく短いんだそうです。短い人生のなかで、私はじぶんを大切にしてくれない人間を大切にする時間なんてないって、言っていました。私そのとき、たしかにそのとおりだなって思って。それで気付きました。じぶんを大切にしてくれないひとといっしょにいたって、ぜったい幸せにはなれないんだって』
『…………(い、イケメン……!)』
『だからね? 私は安西先生のことが大切だから、安西先生を心から大切にしてくれるひとと幸せになってほしいんです』
『……れい先生……(一生着いていきますっ……!)』
※ミコトが新しい扉を開いた瞬間であった。
某日。
「ううう。外出たくないよ〜」
「サイン会なんだから仕方ないでしょー! ほら、ファンのみなさん待ってるんですから、いつまでもわがまま言ってないで早く行きますよ!」
「歩く歩道が会場まで繋がってればいいのにな〜」
「それを言うなら動く歩道でしょ」
「おぉ。そうとも言う〜」
「そうとしか言いません(このひと、なんで作家になれたんだろ……)」
※モモは外出が超きらい。
理由:めんどくさいから。
***
「うわっ、見てみてあの子。めっちゃ美人」
「芸能人かな? お人形さんみたい!」
「あのとなりのひとだれだろ。お姉さんかな?」
「いや、似てないし単なる付き人とかじゃない?」
(モモ先生が美人の類だってこと、そういえばすっかり忘れてた……!)
※モモは黙っていると光香に負けず劣らず美人。
(納得いかねー!!)←スミィ。
(こうなったら、さっさとサイン会済ませて家に送り返してやる!)
「あっ! 猫だ!」
「ちょっ……モモ先生!? 会場はそっちじゃないですよ!?」
「ちょっとだけ〜」
「時間ないって言ってるでしょーがっ!」
※モモは基本、自由。
「まぁいいじゃん、スミィ。ほら見て! にゃんころ〜可愛いにゃん〜?」
にゃあ〜。
「ぐっ……(たしかに可愛い)」
「にゃんころ、ウチくる〜?」
にゃあ〜。
「はっ? ちょ、なに言ってんですか、モモ先生! 仔猫はいいから、早く会場行かないとですって!」
「よし決めた! 名前はおいもにしよう!」←無視です。
「おいも!? モモ先生、猫においもって付ける気ですか!?」
「え? うん」
※モモは以下略。
「もう! モモ先生〜っ! サイン会〜!!」
「あっ」
※あ、じゃない。
※結局、仔猫はモモんちで飼うことになった。
※もちろん世話は光香。
無事原稿が終わったモモを労い、光香とモモ、鷲見は、お茶会をしながら談笑していた。
「そういえばずっと気になってたんですけど、光香さんって恋人とかいないんですか?」
カボチャタルトをつつきながら、鷲見が光香に問いかける。
「なにいきなり。スミィキモいんだけど」←※モモ
光香はモモをこら、とたしなめつつ、
「いませんよ」
と答える。
「…………ずっと気になってたんですけど、光香さんはなんでモモ先生といっしょに住んでるんですか?」
「えっ、なんですか、急に」
「いやぁ……だってぶっちゃけ、モモ先生ってワガママだしぐーたらだし、今は小説家で成功したからいいものの、ついこのあいだまではガチのニートだったわけでしょ? いっしょに住んだって、良いことなんて一個もないと思うんですけど」
「失礼だな、おい」←※モモ。
「すみません(笑)」
「スミィのくせにムカつく〜」
「だってどーしても謎なんですよ。光香さんほどの美人なら、結婚して幸せな家庭を作っててもおかしくないのになーって」
「お前マジでそろそろ帰れ!」←※モモ
「いたっ! 痛いっ! モモ先生なにするんですか! ぎゃあ! 痛いっ!」
※スミィは常識人の面を被っているが、ハラスメント常習犯。
――光香ちゃんはとってもきれいな子だね。頭もいいし、将来が楽しみだ。
私は幼い頃から、いつもまわりにそう言われて生きてきた。
家のなかだけでなく、学校でも先生やクラスメイト、下級生たちにちやほやされるのが日常。
だから、まわりの期待に応えるのは当たり前で、そのためにじぶんを犠牲にすることなんて、なんてことないと思っていた。
大人になったら親が望んだ仕事について、そのうち私を好きって言ってくれる男性のひとりと結婚して家庭に入るんだろう。
それが私の人生なんだと、そう信じていた。
あの子に出会うまでは。
これは、大学生の頃、私が運命に出会った話。
***
藤城光香、大学三年。二十歳。
「見て〜光センパイ、めっちゃ美人!」
「脚長〜」
「あたし昨日ハンカチ拾ってもらっちゃったんだ。家宝にするの」
「えっ、なにそれずるーい! ぜったいわざとでしょ!」
「えへっ、バレた?」
「もー! サイテーじゃん! でもあたしもやりたい……」
※光香、ガッツリ聴こえてます。
私はひとよりきれいだ。
昔から羨ましがられてきたし、みんなちやほやしてくれるから、じぶんは恵まれているのだと自覚している。
私はじぶんの容姿が好きだし、感謝もしてる。……だけど、たまーに苦しくなる。
ひとよりきれいだと、どうしたって期待される。
少しでも期待はずれな面があると、幻滅される。
だからずっと、みんなの理想を演じなきゃいけない。
だけどこの気持ちを言ったら、それこそ贅沢だって笑われる。
私は笑顔を崩さないまま、現在は使われていない大学構内の外れにある研究室へ向かった。
鍵を開けてなかに入り、内側から鍵をかける。
ようやくひとりになれた、と息を吐いた瞬間、目の前にひとがいた。
「――!?」
驚きのあまり、思わず噎せ込む。
「だっ、だれ!?」
「いや、こっちのセリフでしょ。おねーさんこそ、だれ?」
よく見ると、そこにいたのは少女だった。それも、とびきり可愛らしい美少女だ。
ふわふわと柔らかそうなマロン色の髪に、目はぱっちりしていて、まるで人形だと言われたほうがしっくりくる。近くの公立中学校のセーラー服を着ているから、中学生だろうか。
ふつうならこの時間は学校にいるはずだけど……。
じっと彼女を見つめたまま考えていると、彼女が不意に瞬きをした。その瞬間、我に返る。
「あ……えっと、私は藤城光香。ここの大学に通ってる大学生だよ」
「ふぅん。私はモモ」
「モモちゃんか。可愛い名前だね」
「でしょ」
「……それでえっと、モモちゃんは中学生だよね?」
おそるおそる訊ねると、モモちゃんは素直にうん、と頷いた。少し安堵して、続けて訊ねる。
「そっか。モモちゃんは、こんなところでなにしてたの?」
「見て分かんない? サボってるの」
やっぱりか、と思いつつ、一応確かめる。
「学校を?」
「うんにゃ、受験を」
「ちょっと待って!?」
※その日は公立高校の受験日だったとさ。
「ダ、ダメじゃない! 学校とか保護者のかたに連絡はしたの!?」
「連絡したらサボりとは言わないよー」
「そりゃそうだけど!」
どうしよう、こういう場合はどうしたらいいのだろう。
軽くパニックになっていると、モモちゃんが私の肩に手を置いた。
「落ち着きなよ」
「逆になんであなたはそんなに落ち着いてるの……!?」
とりあえず深呼吸をして、私はモモちゃんのとなりに座った。
「……それで、モモちゃんはなんで受験をサボったの?」
「は? そんなの高校に行きたくないからに決まってるよね?」
「……(そんな呆れた顔されても……)」
「おねーさんは、なんで大学入ったの」
「……公務員になるためだけど」
「ふぅん。なんで公務員になりたいの?」
「それはもちろん、ひとの役に立ちたいからだよ」
「なんでひとの役に立ちたいの?」
「え……だって、ひとの役に立てたら、みんな喜ぶし」
「なんでみんなに喜んでほしーの?」
「……なんで……? じゃあモモちゃんはなんで高校に行きたくないの?」
「今んとこ気分!」
「き……気分!?」
※光香は衝撃が強すぎて目眩を起こした。
「高校なんか行きたくないって言ってんのに、賢一が行けってうるさくてさぁ」
「賢一?」
「パパのことだよ」
「あぁ……パパね(今どきの子は父親を呼び捨てにするのか)」←そんなことはない。
「賢一、しつこいし頭が固くてさー。いくら話しても理解してくんないの」
「そりゃ気分で高校に行きたくないって言われてもね……。きっとパパは、娘の将来が心配なんだよ」
「違うよぉ! 私、人生設計もちゃんと話したんだよ?」
「人生設計? なにか夢でもあるの?」
「うんっ! 私、小説家になる予定なの!」
※パパの心配の理由が明確に分かった瞬間であった。
「なんで私の人生を他人に決められなきゃいけないの? じぶんで決めてなにが悪いの?」
「他人って……賢一さんは家族でしょ?」
「家族だからって、決める権利ないよね?」
「それはそうだけど、一応保護者としての責任があるし、モモちゃんはまだ未成年なんだし……」
「……じゃあ、おねーさんは親に言われて決めたんだ?」
「え?」
「公務員になるって」
「…………」
咄嗟に私は、なにも言えずに黙り込んだ。
それをたぶん、肯定と受け取ったのだろう。彼女は興味を失くしたように、私から視線を外した。
「おねーさんってすごくきれいだけど、つまんないひとなんだね」
その言葉は、私の心臓を容赦なく貫いた。