太もものような柔らかさを感じる。
 凄くいい匂いがして、まるで母親に包まれているかのようだ。

 これは……膝枕だ。

 夢見心地だが、御崎で間違いないだろう。
 ああみえて優しいもんな。
 にしても太ももって、こんなぷにぷにしてるん……だな……。

「ぷいにゅー?」
「…………」

 目覚めた瞬間、田所が部分的に太ももに擬態していた。
 って、擬態する必要なくないか?

「……って、S級!」

 バッと起き上がると、そこは見慣れた場所。――自宅だった。

「うっ……うう……起きた、起きたよかっただあああああああああああ」

 そして俺の目の前で号泣しているは、雨流・セナ・メルエット。
 なんで、なんでこいつがここに?>

「おはよう。阿鳥、よく寝てたね」
「キュウキュウ~」

 そしてテレビを見ている御崎。あまり心配していなさそうだった。

「おっ、打った打った!」
「キュウ!」

「ごめんなざいいいいいいいいいいいいい……」

 逆だろ、普通……。

 ◇

「はい、セナちゃん、ハンカチ」
「あ、ありがとう……」

 雨流はずっと泣き続けていたが、御崎が優しくしてあげたりして、ようやく落ち着きはじめた
 記憶が少しあやふやだったが、おもちを奪おうとしたことだけは覚えている。

 正直怒鳴ってやろうと思ったが、ずっと泣き続けていたのだ。
 冷静に見るとただの子供だし、なんか可哀想になってくる。
 おもちも怒っていないらしく、なんだったら雨流に寄り添っていた。

「本当にごめんなさい……もっちゃんに似ていて、それで……」
「そういえば、もっちゃんって誰だ?」

 なんか言ってたな。そもそもUSMって絶対こいつだろ……。
 親はどうした、躾はどうした!? てか、なんか執事みたいな最後にいたような――。

「私から説明させていただけませんか? 山城様」
「へ? う、うわああああああああ!?」

 俺の真横に、いつのまにか執事のようなおじさんが立っていた。
 口に白いひげ、武骨な顔立ち、歴戦の勇士みたいなたたずまい。そういえば、最後に見たおじさんだ。

「な、なんでここにいるんだ!? ってか、誰だよ!?」
「申し遅れました。私《わたくし》、佐藤・ヴィル・エンヴァルトと申します」
「佐藤……?」

 何もかも頭に入らない状況で、佐藤という馴染みのある言葉だけはすんなりと入る。
 どうみても見た目は外人のおじさんなんだけど……。

「阿鳥、聞いてあげて」

 いつもは厳しい御崎がそう言ったので、俺はしぶしぶ二人の話を聞くことにしたのだった。

 ――――
 ――
 ―

「……なるほど」
「ぐすん……ごめんなさい……本当に悪いことをしたってわかってます……」
「私からも謝罪致します。大変申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げる二人。

 雨流は、幼い頃に『もっちゃん』という、鳥を飼っていた。といっても、厳密には魔物らしいが。
 何をするときもいつも一緒、二人はずっと仲良しだった。だが『もっちゃん』は、突然居なくなってしまった。
 たまたま動画で見つけたおもちがそっくりだったらしい。
 それから毎日配信を見て、気持ちが高ぶってどうしても会いたくてたまらなかったとのこと。
 ただカフェにいたのは本当に偶然で、奇跡だと思い我を忘れてしまったらしい。

「理由はわかった。だが、お前のやったことは一つ間違えれば犯罪だ」
「はい……」

 とはいえ俺も幼い頃、犬を飼っていた。いなくなった時の辛さはよくわかっているつもりだ。
 しかし、やっていい事と悪いこと、子供でも許されないことを雨流はしたのだ。
 そこはしっかりわかってもらわないといけない。
 普通なら、警察に突き出してもいいくらいだ。

 だが――。

「おでこをだせ」
「え?」
「ほら、だせ」
「は、はい……」

 俺は、それなりの強さでデコピンをした。雨流は「痛いっ」と声をあげて、額をすりすり。
 おもちは、雨流に駆け寄って羽根を寄せてすりすり。

「おもちが許してやると言ってるから今回だけは勘弁してやる。それに許したのはお前が子供だからだ。もう二度と悪さをするなよ」
「はい……わがりまぢだ……」

 人は失敗する生き物だ。最近は一度の失敗で全てを失わせたほうがいいという過激な世の中になってきているが、俺はそうは思わない。
 失敗を重ねて人は成長していく。
 最近まで真面目に会社員をやっていた俺でも、昔は悪いことをしたこともある。そんな俺でも何度も許してもらった。
 彼女にも、その権利はある。

 まあそれに、おもちが許してあげてるのが大きいけどな。

「じゃあ、仲直りだ。うどんパーティーでもするか」
「……うどん?」
「ああ、最高に美味しい食べものだ」

 ◇ ◆ ◇ ◆

 ダンジョンは未だ謎に包まれている。
 最下層にはボス、もしくは核というものが存在し、破壊することによって跡形もなく消えてなくなる。
 だが、需要のあるダンジョンはそのまま残されることが多い。
 グルメダンジョンなどはいい例だ。

 だが上級ダンジョンと呼ばれるものは、魔物も強く、討伐が追いつかないことがある。
 そうなると弱肉強食が加速、最悪の場合、凶悪な魔物が外に逃げ出してしまう。

 過去にダンジョンスタンビートと呼ばれる事件があって以来、明らかに異質なダンジョンは制覇だけを目的とされていた。

 そしてその役目は、S級やA級によって世界各地で行われている。

「――ってことはつまり、雨流はダンジョンの制覇の為に日本に来たってことか?」

 雨流の執事、佐藤・ヴィル・エンヴァルトこと、佐藤さん(そう呼ぶことにした)が丁寧に教えてくれた。

「左様でございます。ですが、セナ様のお転婆が過ぎまして……大変申し訳ありません。別の場所に出向いていたので、遅れてしまいました。心からお詫び申し上げます」
「お転婆ねえ……」

 御崎は昔から子供好きだったこともあり、今は雨流と一緒におもちや田所と遊んでいる。
 こうしてみればただの子供にしか見えない。

「雨流、おもちが好きか?」
「え? うん……」
「ただおもちは俺の家族なんだ。あげるとか、あげないとか、そういうのは違うが、会いたくなったらいつでも来ていいぞ。こんな家で良ければだけどな」
「ほんと? やったあああああああ!」
「キュウキュウ!」

 おもちを抱きしめてぐるぐると回転する雨流。
 S級っていっても、ただの少女だ。

「ふふふ、じゃあ視聴者さんもそれでいいかな?」
「はい?」
 
 よく見ると御崎はスマホをスキルで動かしていた。
 コメントが――流れている。

「って、配信!?」

『ようやく気づいたwwww』『アトリの大人なところを見てしまった』『こんな家で良ければ歓迎するぜ』
『多分ドラマとか好きなタイプ』『酔ってそう』『おもちは俺の家族なんだ』
『人は失敗する生き物、泣けた』『正直、めちゃくちゃ格好よかった』『主、お前が好きだ』

「いつから……」
「あなたがセナちゃんと公園で戦ってた時も撮影してたのよ。まあ、証拠というか、何かあった時の為だったけど、反響が凄くて……」
「反響?」

 アーカイブになっているのを別のスマホで見させてもらうと、視聴回数が飛んでもないことになっていた。
 以下、コメント抜粋。

『S級とおもちが戦ってる!?』『やべえ、おもちが奪取される』『セナちゃん可愛いよセナちゃん』
『アトリ強くなってない?』『ミサキが子供を泣かしている』『子供っていってもS級だがw』

 数えきれないほどだが、とにかく盛り上がっていた。
 てか、ニュースに乗ってるとも書いてある。

「ニュースって?」
「セナちゃんが来日したってテレビしてたでしょ? それでまあ結構話題になってるみたいで」
「そういえば……サウナのテレビで映像も見たな。S級はそれだけ凄いのか」
 
 こんな子供が? と雨流に視線を向けたが、おもちと田所と無邪気に遊んでいる。
 確かに見たこともないスキルを使っていた。手を翳すだけて引き寄せたり捕まえたり……。

 てか、もう流石に――

「今日は疲れたから何も考えたくない……」

 いつまでも考えるのは良そう。いい加減、スローライフがしたい。

 それからも雨流はおもちと遊んでいた。

 ずっと。

 ずっと。

 ずっとずっと。

 いや、いつ帰るんだよ!?

「おい雨流」
「おもちぃ~! へ?」

 雨流の頭を掴むと、不思議そうに首を傾げた。

「そろそろ帰りなさい」
「泊まっていこうかと……」
「ダメだ。布団がないし、なにより俺もおもちと田所と遊びたいんだ」
「えー、そんな意地悪な……」
「そうよそうよ、阿鳥はケチなんだら」

『ケチ』『夜中も配信してくれ』『アトリが外で寝ればよくないか?』

 コメントも言いたい放題だ。

 ヴィルさんはテーブルに座ってコーヒーを飲んでいる。そのお洒落なカップティー、うちに置いてないんだけど、どこで買ってきたの?

「今日はもう疲れたから解散! おじさんは寝るの!」

 ありとあらゆるところからのブーイング、そしてカップティーのカチャカチャ音が鳴り響いていた。

 ◇

「それでは失礼します。山城様、セナ様と遊んで頂き、ありがとうございました」

 結局、それから数時間も粘られてしまった。生放送は今までで一番の盛り上がりだったのは少し気に食わない。

「おもち、田所、またね。また会いに来るからね!」
「キュウ!」「ぷいいいいいいい」
「抱き合って感動の別れみたいにするな。今日会ったばかりだろ」

 ちなみに御崎は酔って潰れているので、俺の布団でぐーすかぐーすか。

「そういえばどこに帰るんだ? アメリカからってことは家とかないんじゃないのか?」

 もしかして……だから、泊まりたかったのか?
 気を遣って、俺にそれを言えないんじゃ――。

「ブルルルル」

 しかし突然現れる長い車。くっっっそでかいリムジンだった。
 見た事もないほどツヤツヤしている。

「あ、お迎えがきたわ」
「『あ、お迎えがきたわ』、じゃねえ。何だこの車」
「私の車だけど、どうかしたの?」
「どうかしすぎてるだろ」

 俺は自転車しかないのに!
 執事なんていることからすぐに考えればよかった。雨流《こいつ》金持ちだ……。

「それでは失礼します」

 佐藤さんがドア開けて、雨流が中に入るのを待っている。振り回されて佐藤さんも大変そうだな。
 今度ゆっくり話でも聞かせてもらう。

「あ」

 去り際、雨流が声をあげて固まる。そして振り返る。

「……あーくん、ありがとね。何時でも来ていいって言われて嬉しかった。また遊ぼ」
「あーくん……?」

 頬をぽっと赤らめながらサッと車に入って行く。
 阿鳥だから、あーくん?

「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。今後、何かありましたらいつでお申しつけください。」
「ありがとう。まあでも、雨流の躾を頼んだぜ」
「痛み入ります。それでは」

 そうして嵐のように去っていった。おもちと田所は泣いていたが、絶対悲しくないだろうと疑いの目で見てしまった。

 まあでも雨流も性根は悪いやつではなさそうだ。
 S級は狂ってると聞いたことはあるが、あんな子供でもなれるなら俺もなれるかもしれない。

 しかし翌日、朝一のニュースで俺は思い知った。

「まじかよ……」

 テレビに映っていたのは、見たこともないほど大きなダンジョンだった。
 俺でも知ってる、小さな子供でも知ってるだろう最強最悪の『死のダンジョン』。
 そこにいるモンスターは浅瀬ですら狂暴凶悪で、過去に死者が数百名いると聞いたことがある。
 なんとA級でもパーティーを組んでやっと入場が認められるとか。

「モンスターが活発化し、危険だと言われていた死のダンジョンですが、今! なんと制覇された模様です! それもほんの数時間で! なんと、たったの数時間です!」

 レポーターの男性は興奮気味で叫んでいた。テレビのテロップがピピピと鳴り響き、速報でS級の”二人”が死のダンジョンを制覇をしたと流れていた。
 そして崩れ落ちるダンジョンから現れたのは――。

「つかれたーっ、おもちと田所に会いたい……」
「そんなすぐに会いに行っては怒られますよ」

 魔物の返り血を浴びた雨流と、スーツに皺一つ、返り血一つない佐藤さんだった。