「おはよう、三島くん。昨日はありがとう」
「おう」

 今日も三島くんは相変わらず無愛想だった。でも、これは彼のデフォルトなのでもう気にしない。
 席に着くと、三島くんは何かと睨めっこしていた。

「なに見てるの?」

 三島くんの横から手元を覗き込む。彼が見ていたのは入部届だった。

「あっ……」

 すっかり忘れていた。少し前、三島くんと部活のことについて話していたのに。
 もう五月になる。あと一ヶ月は入部までに猶予があるものの、そろそろ行き先を決めなければならない。運動部に至っては既に本格的な練習が始まっており、実質締め切りに近いところもある。今から入ってもチームに馴染めなかったり、地区大会に向けた部内対抗試合に参加できなかったりする可能性がある。

「鷲宮は天文部に入るんだよな?」
「そのつもり……だけど、まだ出してない」
「ふーん」

 三島くんは希望欄のところに天文部と書いた。

「ほら、お前も早く書け」
「い、今!? てか、三島くんも入るの?」
「別に同じとこ入ってもいいだろ」
「そうだけど、見学とか……しなくて大丈夫?」
「あ? 星見るだけに見学いるか?」
「それはそうだけど……」

 まさか、三島くんが星に興味を持つとは。星を見るよりも、漫画や雑誌を読んでいる方がイメージには合っているのだが、三島くんと一緒に星を見られるのは楽しいかもしれないと俺は想像を膨らませた。
 
「ほら、早くしろ。さっさと出しに行こうぜ」
「うん」

 俺も入部届を出し、希望欄に天文部と書く。忘れないうちに提出しようと二人で職員室に行ったら、顧問の先生が目を丸くした。

「そうか、そうか! 二人も入ってくれるとはなぁ」

 眼鏡を掛けた優しそうな先生が三島くんの腕を軽く叩く。日野先生と言って、緑桜高校の教師陣の中でもかなり年配の先生だ。
 怖いもの知らずだなぁ、とその様子を見ていたが、日野先生からすれば三島くんのようなヤンキースタイルの生徒なんて、過去にたくさん見てきているのかもしれない。三島くんも三島くんで特に嫌がりはしなかった。

「今年は豊作だ。夏に三年生が卒業するから、部の存続が危うくてな……」
「二年生はいないんですか?」
「あぁ。部として存続するには最低五人は必要なんだが……。君たちが来てくれて助かったよ」
「それでもまだ足りなくねぇ?」
「兼部ってことで、他に新入生を二人、捕まえている。だが、兼部だからなんとも言えないなぁ……」

 両立できないと判断されたら退部する可能性もある。だから正式な部員として二人来てくれたのはよかったと日野先生が笑った。

「部室は西校舎の三階。毎日、部室は空けているから、いつでもおいで。普段は天体の本を読んで、知識を深めたり……というのは建前で、大体みんな課題をしたりお喋りしたりしている。合宿は年に数回。希望制だから、無理に来なくても大丈夫。要はまぁ、好きなときに好きな過ごし方をしてほしい」

 そんな緩い感じでいいのだろうか……と心配になるが、見学に行ったときすら緩くしか活動していないと言っていた。数ある部活の中でも、帰宅部に近い位置づけだ。でも、部室の中は天体に関する本でいっぱいだったし、合宿はちょっと楽しみでもある。

「今日、部員たちにはミーティングするように声をかけておくから、ぜひ来てくれて」
「分かりました」

 日野先生から一通り説明を受け、職員室を出た頃には登校してきた生徒たちで廊下が賑やかだった。

「思った以上に緩いな、天文部」
「だね。でも、文化祭のときは部屋を暗くして小さなプラネタリウムキットで星を見たりしながら、ご飯が食べられるカフェをやるんだって。その天体喫茶が地味に人気らしいよ」
「それ、俺たちが部員になったら給仕する側になんじゃねぇか」
「……確かに」

 三島くんが星の光のもと、給仕をするのはちょっといいかもしれない。
 見た目こそ派手でヤンキーっぽいからと嫌煙されている三島くんだが、エプロンをつけて給仕する姿は様になりそうだ。それを自分が楽しめないのは素直に悔しかった。

「まぁ、でも、毎日活動しなくてもいいし、緩く楽しめたらよくない? それに、他の新入部員も気になるし……」
「それはまぁ、そう、だけど」
「ほら、俺たちにも念願の友だちができるかも!」
「……は?」

 三島くんの足がピタリと止まる。穏やかな空気から一変、三島くんは不快感をあらわにした。
 三島くんの刺すような冷たい視線に晒されて、ごくりと息を呑む。

「……俺はカウントされてねぇのかよ」
「へ?」
「だから! 俺たち、もう、友だちだろ……」

 珍しく彼の言葉に覇気がないというか、歯切れが悪いというか。三島くんの声が萎んでいく。

 ――そっか、友だちなのか、俺たちは。

 幼稚園の頃から孝晃とは幼馴染で、その流れで中学まで一緒で、孝晃の友だちの輪に混ぜてもらう形で少しずつ交流を深めてきた俺にとって、友だちの定義がよく分からない。でも、三島くんが友だちだとそう言ってくれるのなら、迷うことなく友だちだと思える。
 俺は柄にもなく目を輝かせて、三島くんの手を握った。

「そうだね! うん、友だちだ!」
「お、おう……」

 俺の勢いに気圧されたのか、三島くんが引き気味に体を捻る。
 三島くんは俺の顔と手を交互に見るなり、うわああああと叫んだ。ブンブンと手を振り払われる。

「ごめん……」
「いや、こっちも悪い……」

 急に掴まれてびっくりした、と三島くんが呟く。
 照れくさそうに顔を背けるから、こっちにまで三島くんの照れがうつった。
 生徒の往来がある廊下で男二人、無言のまま俯き合っているのは異様に映っただろう。予鈴が鳴って、やっと俺たちは弾かれたように顔を上げた。

「戻ろっか」
「ん」

 急いで職員室前の廊下から自分たちのクラスまで走る。
 朝一番に登校してきたはずなのに、気付いたら俺たちが最後だった。そそくさと席につき、一時間目の用意をする。

「……鷲宮」
「なに?」
「放課後、部室行くから逃げんなよ」
「あはは、逃げるって」

 物騒だなぁ、三島くんは。
 天文部に入ると決めたのだ。今更、反故にするつもりはないし、どうせ行くなら三島くんと一緒に行きたいと思っている。

「三島くんも、忘れないでね」
「忘れねーわ」

 三島くんがニカッと笑う。
 常にそうしていたらクラスの人気者になったりして、と俺は三島くんがクラスメイトたちに囲まれるところを想像した。





 ◇◇◇

 放課後、俺と三島くんは掃除を終えると、早速顧問の日野先生に案内された天文部へ行くことにした。
 俺は一度だけ、見学で天文部の部室を訪れている。そのときは日野先生しかいなかった。そのため今日が実質、部員との初顔合わせの日だ。早くも俺は人見知りを発揮し、部室まで行く足が重かった。

「歩くの遅くね?」
「だって! 緊張するじゃん!」
「緊張ったって、先輩二人だろ?」
「新入部員もいるって言ってたよ?」
「兼部だろ。そんな都合よく全員揃ってねぇだろ」
「三島くんは怖いもの知らずだね……」

 若干緊張している俺をよそに、三島くんはズンズンと豪快に進んでいく。
 こういうところは頼もしいなと見ていると、三島くんは躊躇うことなく部室のドアを開けた。

「ちわーっす」

 いきなり開けちゃうの!? 心の準備をしてからにしようよ、という言葉はついぞ出てこなかった。いくつもの視線がこちらに突き刺さったからだ。
 三島くんを見ては顔を青ざめ、俺を見てはホッと胸を撫で下ろし、また三島くんを見ては驚くという過程を何度か繰り返したのちに、部員の一人が話しかけてきた。

「えっと、新入生……かな?」
「はい。そうです……。今朝、日野先生に入部届を出してきました」
「……そうか! 新入部員か! ようこそ、天文部へ!」

 眼鏡を掛けた男子生徒が嬉しそうに顔を綻ばせる。上履きの色を見るに彼は三年生だ。
 緑桜は上履きに入ったラインの色で学年を判別する。今年は緑が三年生で赤が二年生、青が一年生だ。押し出し式で学年が回るため、三年生が卒業すれば、来年から入ってくる新入生はまた緑色になる。

「今年は新入生が多くて嬉しいねぇ」

 もうひとり、三年の女子の先輩が言う。ということは、後ろに控える残り二人は同じ一年のようだ。

「あー、アンタが三島?」
「……あ? 誰だ、テメェ」
「ちょっとそんな怖い顔しないでよ。俺、橋本洋二(はしもとようじ)の幼馴染でさ。よっちゃんから、アンタのこと聞いてんの」
「よっちゃんから……?」
「そ。だからよろしく!」

 見た目は普通っぽいが、ノリは軽そうな感じの生徒が三島くんに話しかける。自分を置いてきぼりに話が進みそうでおずおずしていると、まずはお互いに自己紹介をしようという流れになった。
 部屋の中央にある机を取り囲むようにして配置されたパイプ椅子に各々座る。

「まずは部長の俺から。三年の林恭平(はやしきょうへい)です。部長やってます」

 部室に入ってすぐ、声を掛けてくれたのは林先輩だった。眼鏡を掛けていて、真面目かつしっかりしてそうな雰囲気がある。イメージ通り、天文部の部長をしていた。

「私は佐藤みなみです。三年が二人しかいないから、繰り上がりで副部長になりました。本当は他にも部員がいたんだけど、みんな幽霊部員になっちゃって……」

 佐藤先輩は黒髪ロングのかなり美人な先輩だった。口元のホクロに自然と視線が行く。今のところ紅一点でありながら、男子の輪に入っても物怖じすることがない。むしろ、ここにいる誰よりも快闊で、ハキハキしていた。

「俺は一年の六堂篤(ろくどうあつし)っス。軽音楽部と兼部してます。ここに来たのは日野先生に誘われたのと、悠人が興味あるって言うから入りました」
「俺がその坂木悠人(さかきゆうと)です。水泳部との兼部です」

 兼部組二人が挨拶をする。
 三島くんに声を掛けたのは六堂篤の方だった。三島くんの友人と幼馴染らしいが、見た目は普通だ。髪は茶髪であるものの、それ以外に目立った特徴はない。実はピアスがいっぱいとか……とも思ったが、ちらりと見えた耳は綺麗だった。
 一方の坂木は黒髪で、水泳部らしく短く刈り上げられている。
 二人共兼部で大変なのではと思ったが、軽音楽部は週に三回の活動らしい。土日にスタジオなどを借りて本格的に練習したり、ライブハウスを借りてイベントをしたりする関係上、平日の二日は空くそうだ。
 水泳部の方は部活として存在しているものの、学校のプールは使用せず、各人が通っているスイミングスクールで活動を行うらしい。そちらも毎日ではないらしく、土日に集中して行う関係で、平日は時間に余裕があるそうだ。大会前は通う頻度が上がるそうだが、それ以外は比較的暇らしい。
 最後に、俺たち二人の挨拶が残った。

「一年、三島夜鷹」

 相変わらず、三島くんらしい素っ気ない挨拶だ。俺は三島くんの挨拶に被せる形で挨拶をした。

「一年の鷲宮紘です。よろしくお願いいたします」
「あ、猛獣使いとか言われてる人?」
「へ?」
「ヤンキーくんのパシリかと思いきや実は手綱握ってる方ってもっぱら噂されてるけど?」
「こら、篤。変なこと言わない」
「だってー」

 六堂はかなり素直かつストレートに物を言うタイプのようだ。三島くんが隣で青筋を浮かべている。そんなパシリみたいなダセェことするかよ、とご立腹だ。手綱を握られていることの方には怒ってないらしい。
 っていうか、握っているつもりもないけれど。

「みんなよろしくな。あと二人、一年の女子で入部希望者がいるらしい。まだ決めかねてるらしいけど」
「そうなの? 女子、私しか居ないから来て欲しいわ」
「まだ決まりじゃないけどな」

 三年が抜ければ、実質一年だけになる。このままだと男四人だ。確かに華が欲しいところではある。
 それに、部の存続には部員が四名以上必要だとも言っていた。すぐに解散させられるわけではないだろうが、このままだと来年には天文部がなくなる可能性もある。
 せっかく入ったのにすぐ解散になるのは寂しいため、俺としてもせめてもうひとり入って欲しいところだった。

「さて、部の活動について少し話しておきたいんだけど」

 佐藤先輩が立ち上がり、窓際にあったホワイトボードの前に移動する。
 サラサラと流れるようにペンを動かして書かれた字は顔に似合わず、独特な癖のある形をしていた。

「日野先生から聞いているかもしれないけど、部室は毎日空いてます。っていうか、鍵とかないので」
「部屋にある資料も好きに見ていいぞ」

 天文部の部室は教室の半分ほどの広さを有しておきながら、片側の壁には棚がびっしりと隙間なく配置されている。専門書が並んでおり、見るからに古そうな書物もあった。
 反対側には星座が描かれたポスターなどが貼られており、天体観測に使うための機材が鞄に入って置かれている。中央には部屋の広さに見合わない大きすぎる机があるせいで、部屋は狭かった。パイプ椅子に座ったら、もう背後はポスターや本棚がある状態である。

「活動は自由! 私たちはたまーにここにある本読んだり、課題とかしたりしてるかな。あと年に数回、天体観測を目的とした合宿があるけど、人数が二人になってからはしてないです。でも、今年はやるかもね」
「……一応、合宿をするつもりでいてほしい」

 ここに居ないはずの人の声がして、全員がドアの方を振り返る。気付いたら日野先生が立っていた。

「夏と冬に一回ずつ。あと、今年は新入生歓迎会も含めて、中間考査が終わったあたりの五月末にやろうかと考えている」
「日野先生! マジっスか!?」
「マジのマジです。で、一応部費からも出るが、ひとり宿泊代や交通費、食費に一万円ずつぐらいは必要だから、任意参加にする予定だよ」
「一万かぁ。出せっかなぁ」
「まぁ、よく考えて。人数がそれなりに集まりそうならやるからね。それじゃあ、あとは任せたよ」

 日野先生は必要なことだけを伝えると、あとは生徒たちでと言わんばかりに部室から出ていってしまった。
 三島くんが軽く、俺の腕を小突く。

「お前は? 行く?」
「うーん、行きたいけどお金が出るかなぁ」

 バイトはしていない。お小遣いから捻出できなくもないが、ちょっと苦しい。

「単発バイトでも入れれば? 先輩の店とか手伝い募ってるし」
「なに三島、単発バイトのあてがあんの?」
「あ?」

 三島くんの言葉に反応したのは六堂だ。六堂は身を乗り出して、三島くんに迫った。

「俺も紹介して!」
「無理」
「じゃあ、よっちゃんに聞くわ……」
「つーか、お前、本当に洋二と仲良いわけ?」

 三島くんが胡乱な目を六堂に向ける。

「そんなに疑うなら、よっちゃんに今ここで電話掛けようか?」
「いや、そこまではしなくていーけど。ただ、もしそうなら、とっくの昔にお前のこと知ってただろうなって思っただけだ」
「あーそれね。俺、引っ越したからさぁ。だからだと思う」

 よっちゃんこと高橋洋二とは、以降連絡だけは取り合う仲だったらしい。たまに予定が合うと遊びに行くと六堂が言った。

「ま、そんな警戒しないでよ。で、そのバイトっていうのは?」
「まだお前に教えるなんて言ってねーだろ!」
「いいじゃん、教えてよ! ケチ!」

 ギャンギャン、ワンワン。三島くんと六堂はあまり馬が合わないようだ。いや、同じ熱量で言い合えるということは、逆に馬が合うのかもしれない。
 二人のやり取りを見ていた坂木が、まるで小動物同士の喧嘩だよね、と耳打ちしてきた。
 三島くんを含め、小動物だと言い切れる坂木の担力に少し驚くも、概ねそんなふうに思っていたのでクスッと笑ってしまう。

「なに笑ってんだよ」
「ううん。なんでもないよ」
「ほら、そこ! 喧嘩しない! 今日はこれで終わりにするから、あとは自由に! 解散!」

 部長が音頭を取るも、六堂は三島くんに突っかかるのをやめない。ついぞ三島くんがキレて、本当の意味でお開きになった。