三島くんと喧嘩をした。いや、これは喧嘩と呼べるようなものではない。対等な話し合いをした末に関係が拗れたわけではなく、全面的に俺が悪いだけだから、ただただ彼を失望させてしまったに過ぎない。

「ヒロ、なに死にそうな顔してんだよ」

 朝、いつも通り隣を歩く孝晃が俺の顔をひょこっと覗き込む。最近、顔色悪くね? と俺のことを心配してか、おでこに手を当てられた。熱はないなぁ、と言って孝晃が笑う。

「……タカちゃんなら、大丈夫なのに」
「は? なにが?」
「タカちゃんになら、触られても何も思わないのに……」

 孝晃に触られてもドキドキしない。だけど、三島くんに触れられると途端にダメになる。近付きたいのに遠ざけたいという相反する気持ちと板挟みになってしまうのだ。
 それを聞いた孝晃が、ああああっと唸り声を上げた。

「は? なにそれ。ヒロ、それってアイツのことが好きってこと?」
「…………」
「いや、無理。受け入れらんねぇ。あんな奴じゃなくて俺を選べよ!!」
「……へ?」
「俺だったらお前のことずっと大事にする! そもそもヤンキーの時点で論外だろ」
「そんなことないよ。それに、俺、」

 ――夜鷹くんを好きって思う気持ちが止められない。

「……いや、ほんと……マジかぁ……」
「タカちゃん?」

 孝晃が自転車を投げ捨てて、その場にしゃがみ込む。頭を抱えて、うんうんと唸っていた。

「俺の大事なヒロが……。いや、こうなる気はちょっとしていたし、何も行動を起こさなかった俺も悪いとは思うけどさぁ……。でも、アイツだけは許せねぇんだけど」
「タカちゃん。ここ、人も通るから自転車起こして」

 俺が見ている限り、何度も自転車を倒しているから、この新品の愛車がボロボロにならないか心配だった。落ち込む孝晃と共に自転車を起こし、またトボトボと歩いていく。孝晃は俺の顔を見ては、何度もため息をついた。

「あー、まぁ、こうなった以上は応援したくねぇけど、応援はするけどさ」
「それ、どっちなのさ……」
「で、なんでそんな落ち込んでるわけ?」
「それが、その……」

 どこまで話すべきか悩みつつ、三島くんにあらぬ誤解をされてしまったことを掻い摘んで話す。孝晃は相槌を打ちつつも、時折顔を曇らせた。

「ヒロにそこまで想ってもらえるだけで幸せな奴め」
「どうなんだろう……。迷惑に思ってるかもしれない……」
「それはないだろ。アイツ、独占欲丸出しで……って言ってる傍からこれかよ」

 ちょうど、登校時間が被ったのか前方に三島くんがいる。こちらの話し声が聞こえたのか、それとも気配を感じたのか、彼が振り返った。

「あっ……」

 三島くんはムッとした表情を浮かべ、掴み掛からん勢いで俺等の方に一歩足を踏み出した。だけどそれも一瞬で、すぐに思い直したかのようにふいっと顔を逸らす。それを見ていた孝晃がプッと吹き出した。

「アイツ、マジおもしれー」
「笑うとこじゃないよ……」
「だって、如何にもヒロのこと気にしてますって顔だったじゃん」
「そうかな……」
「つか、あそこまで徹底的に避けられてるなら、お前から行くしかねぇだろ。正直、まだ認めたくねぇし悔しいけど……、お前はアイツのこと好きなんだろ? だったら、変に気持ちを隠して弁明するより、洗いざらい言っちまったほうがいいって」

 な? と孝晃が同意を求めて笑う。
 でも、気持ちを言うということは、つまり……。

「……いやいやいや! 俺には無理!」
「じゃあ、他の方法で頑張るしかねーな」

 校門をくぐり、いつもの場所で孝晃とは解散する。

 俺には告白なんて無理だ。告白する勇気もなければ度胸もない。それに、三島くんにふられるどころか突き放されたら、友だちに戻ることさえも難しくなってしまう。それだけは避けたかった。

「でも、このままじゃダメだよね……」

 朝の澄んだ空気で満ちているはずなのに、廊下を歩いていく足が重い。
 このまま教室へ向かえば三島くんと鉢合わせてしまう。どうしようかと悩んでいると、俺が教室に辿り着く前に三島くんが教室から出ていくのが見えた。

「あっ……」
「…………」

 ダメだ。目が合っても、声を掛けられない。それに、三島くんの冷たい視線に晒されると、どうしていいか分からなくなる。

「俺の、いくじなし……」

 深いため息をついて、自席の机に突っ伏す。ぺたんと頬を机にくっつけ、三島くんがいつも座っている方を向いた。
 少し前は、おはよう、と言えば、おはようと返してくれて、お昼を一緒に食べて、帰りも一緒だったのに。自分で蒔いた種だとはいえ、三島くんと話せないのは寂しい。

「頑張らなくちゃ……」

 こんな日々を過ごしたいわけではないのだ。できることなら、また三島くんと二人で楽しい毎日を過ごしたい。
 身体を起こし、自分に喝を入れるようにぱちんと両手で頬を叩く。
 俺は絶対に彼のことを諦めないと静かに誓った。





 ◇◇◇


「ねぇ、夜鷹くん、ちょっと話が……」
「……ごめん、いま無理」

「あのさ、夜鷹くん。今日、一緒にご飯……」
「……ひとりで食う」

 そっけなく言葉を返されること数回。三島くんに声を掛けるも、のらりくらりと躱されて、結局放課後になってしまった。
 三島くんは淡々とスクールバッグに教科書を詰めている。俺もそれに倣って、スクールバッグに教科書やノートを詰めると、教室を出ていく彼の後に続いた。

「今日はこのまま帰るの?」
「別に鷲宮には関係ないだろ」
「そう、だけど……」

 冷たい返しに足が止まる。ここで引いてはいけないと分かってはいても、それ以上足が動かなかった。どんどん遠ざかっていく背中を見て、何もできずにただ立ち竦む。
 そうして廊下の往来で突っ立っていると、ドンと後ろから誰かにぶつかられた。

「ひーろ!」
「うわっ」

 ぶつかってきたのは六堂だった。ぶつかってきたというよりは、後ろから抱き着いてきたに近い。
 六堂は俺の肩を組むと、ニシシと明るく笑った。

「ありゃあ、ただの強がりだから気にすんなよ」
「強がり?」
「三島となんかあって、うまくいってねぇんだろ?」
「それはそう……なんだけど」

 六堂に肩を組まれながら、廊下の端を歩いていく。気付いたら、人気のない天文部の部室まで歩いてきていた。

「アイツ、盛大に勘違いしてた」
「だよね……ってなんでそのことを知ってるの?」
「この前、三島を見かけてさ。最近、ヒロと居ないからどうしたのかなーって思って声かけたらアイツ、ヒロから友だちじゃないみたいなこと言われたって」
「…………」
「でも、そういう意味で言ったんじゃないだろ?」

 六堂からの問いかけにこくりと首を振る。
 三島くんとは友だちになれない。でもそれはネガティブな意味ではない。
 三島くんのことが好きだから。友だちを越えた気持ちを彼に抱えてしまったから、前のように友だちとしては見れないだけであって。

「だったら、諦めずに追いかけろ」
「六堂……」
「絶対、うまくいくって」
「うん。ありがとう」

 六堂に背中を押されて、俺は走り出す。廊下は走んなよー! っと至極まっとうな指摘を背中に受けつつも、俺は逸る足を止められなかった。
 一分、一秒でも惜しい。早く、三島くんに追いつきたい。会って、話がしたい。

 廊下の突き当たりにある階段を降りる間際、ちらりと六堂の方を見る。六堂も頑張れよ! と大きな声で叫んだら、うるせぇ! と元気な声が返ってきた。



 昇降口、校門、先輩たちに連れられて行ったファミレス。見慣れた場所を、他の生徒たちの背中を抜かしながら俺は走っていく。
 きっとすぐ三島くんに追いつけるはずだ。そう思っていたのに、走っても走っても三島くんの背中に追いつけなかった。
 彼の家を行くときに通り過ぎる公園やポスト、コンビニを視界に収め、最後の交差点に差し掛かる。そこでも彼の姿を捉えることはなく、ついぞ三島くんの家の前まで来てしまった。

「まだ、帰って来てないのかな……。それとももう家に着いちゃったとか……?」

 ひとまずインターホンを押してみる。二度ほど押してみたが、中から返事はなかった。さすがに、インターホンを無視するような人ではないだろうから、純粋にまだ帰ってないのだろう。
 俺はどうすることもできず、門の横で三島くんを待つことにした。

「寄り道してるのかな……」

 いつも三島くんと一緒に帰っているから分かるけど、彼は普段から寄り道をするような人ではない。真っ直ぐ家に帰って、真面目に勉強するようなタイプだ。見かけによらず勉強もできるし、真面目で誠実なところがある。そういうところに俺は惹かれてしまうわけで。

「夜鷹くん、まだかなー……」

 ちらちらと周りの様子を伺いながら三島くんの帰りを待つ。
 寄り道していたとしてもすぐに戻ってくるだろうと踏んでいたが、三十分経っても戻ってくる気配がなかった。おまけに、何かが鼻先を叩く。

「雨だ……」

 朝は綺麗に晴れていたのに。
 どうやら朝のニュースで流れていた予報は外れたらしい。でも、この分ならそこまで酷くはならなそうだ。
 なるべく濡れる面積を減らそうと、門の横にしゃがみ込み、小さく身体を丸める。鞄を傘がわりにして頭を守るも、俺の予想すらも外れてしまった。すぐに激しい雨へと変わり、大粒の雨がアスファルトを叩く。
 ここまで濡れたら、雨宿りなど無意味だ。諦めて自宅へ帰ったとて、ずぶ濡れであることには変わりない。
 それならばここで三島くんを待っていたい。むしろ、待ちたい気持ちが強かった。たとえ、彼に拒絶されても、三島くんの顔を見てから帰りたい。

「まだかな、夜鷹くん……」

 スクールバッグを支える腕が怠くなる。雨で悴む手や身体を少しでも温めたくて、俺はスクールバッグを抱えながらぎゅっと自分の身体を抱き締めた。ひっきりなしに降る雨がアスファルトに染みていくのを見ながら、彼の帰りを待つ。



 それから、どれくらい経っただろうか。近くで砂利を踏む音がして、俺はハッと顔を上げた。

「ひ、ろ……?」
「夜鷹くん……?」

 傘を差した三島くんが立っている。三島くんは俺の姿を見るなり、傘を手放して駆け寄ってきた。

「バカじゃねぇのか、お前!」
「ごめん……」
「せめて、門の中入れよ。押せば入れるんだし! 玄関のところで待ってりゃあ、屋根もあるし濡れなかったのに」

 三島くんがしゃがみ込んでいた俺の身体を引っ張り上げる。数時間ぶりに見た三島くんの顔は、見たことがないぐらいに切羽詰まった顔をしていた。

「本当にごめんね。でも、夜鷹くんに話があって……」
「だからって、雨の中待ってんなよ、バカ!」
「…………」

 三島くんに強めに怒られて、俺は何も言い返せず下を向く。彼の言うことはもっともだ。勝手に突っ走って、話をしようなどと。迷惑にもほどがある。

「ったく、風邪引いたらどうすんだよ。心配、すんだろうが」
「心配、してくれるんだ」
「……チッ、とにかく中入れ」
「いいの?」
「こんな雨の中、返せねぇだろ」

 三島くんが手放した傘を拾い、門を開けてくれる。三島くんに促されるまま、俺は玄関に入った。

「ちょっと待ってろ、タオル持ってくる」
「待って!」

 靴を脱ぎ、部屋へ行こうとした彼のワイシャツを掴む。傘を手放したから、三島くんまでずぶ濡れだ。
 彼の、こういうところがズルいと思う。不器用で、優しくて、雨すらもいとわず必死になって駆け寄ってくれて、自分のことみたいに心配して叱ってくれる三島くんのことを、おれは。

「……このまま、聞いて」
「後からじゃダメなのかよ」
「できれば、今。顔を見たら、話せなくなるから」
「……それってなに? 顔が見たくないほど、俺のことが嫌いなわけ? 友だちだって思えねぇから?」

 三島くんの身体が強張ったのが分かる。俺は三島くんの背中に額を擦り付けた。

「ちがう。ちがうよ。夜鷹くんのことは大事な友だち。そう思いたかった。でもね、それだと、俺が満足、できなくて……」
「は?」
「俺……ね、夜鷹くんのことが、好き」
「……っ」
「だからもう、友だちって、思えなくて……うわっ!」

 三島くんがくるりと俺の方に振り返る。このまま聞いてって言ったのに、三島くんはあろうことか俺の頬を手で挟み込んだ。がっちりと顔を固定されて、目を逸らせない。

「それ、マジで言ってる?」
「本気……です」
「友だちの延長とかじゃねぇよな?」
「……ちがう。俺のは、夜鷹くんに触りたいって思うし、手を繋いだり、抱き締めたり、キ……ス……とかしたいってやつ、だから……」

 自分で言っていて恥ずかしくなる。もう勘弁してほしいと身を捩ったら、あっさりと解放された。だけど、三島くんは楽しそうに笑っている。

「手を繋いだり」
「わっ、」
「抱き締めたり?」

 するりと手を取られ、指先を絡めるように手を繋がれたと思ったら、今度は腕の中にぎゅっと閉じ込めるように抱き締められる。
 いきなりいろんなことをされて、俺の頭はパンクしそうだ。ジタバタと腕の中で暴れたら、暴れんなと優しく背中をぽんぽんとたたかれた。

「ダッセェな、俺」
「ださい……?」
「俺、お前に避けられて拗ねてた。紘のこと、たくさん傷つけちまったよな」
「そんなこと……むしろ、俺こそごめん」
「しかも、俺がお前に好きって言いたかったのに先越されるし……」
「それって、」

 腕の中で勢いよく顔を上げる。三島くんは照れているのか、ほんの少しだけ頬を赤く染めていた。こんな顔は、今まで見たことがない。

「俺も、紘のことが好きだ」
「……っ」

 真っ直ぐ目を見て好きだと言われて、俺の頬どころか身体が尋常じゃないぐらいに熱くなる。「顔、真っ赤」と揶揄われて、俺は苦し紛れに三島くんが困りそうなことを口にした。

「……それって、友だちの延長じゃないよね?」
「ハッ、いまさらかよ」

 三島くんが意地悪な顔で笑う。お互いに濡れた鼻先が擦れた。

「キスも含まれる方の好きに決まってんだろ」

 一瞬で距離が縮まって、三島くんに唇を奪われる。

 俺の高校生活で初めてできた友だちは、今日、俺の恋人になった。