「あー、腹いっぱいになった……」

 バーベキューも終わり、片付けも終わって部屋に戻ってくると、早速六堂が畳の上に寝転がった。

「マジで食べすぎて苦しい……」
「篤は限度を知らなすぎ」
「だってぇ……」

 美味しかったんだもん、と六堂が言う。残念ながら男が拗ねたところで、あまり可愛さはない。

「このあとどうする? みんなで風呂行く?」
「ンでお前はみんなで風呂行きたがんだよ……。つーか、お前等さっきも入ったじゃねーか」
「大浴場だぜ? しかも温泉! 行くしかねぇじゃん」
「気持ちは分からなくもないけどね」

 大浴場かつ温泉に入る機会など滅多にない。此処に泊まると聞いたとき、俺も密かに楽しみにしていた。

「大浴場、深夜二時までだって」
「そんな遅くまでやってるの?」
「マジ!? じゃあ、天体観測終わってからも行けるじゃん!」
「オメェはどんだけ行くんだよ……」

 三島くんが呆れている。どうやら六堂は風呂好きなようだ。

「俺は少し食休みしてから行く」
「えー、じゃあ俺も」
「俺は早めに行こうかな」
「俺もさっさと行っとく」

 六堂と坂木は後ほど行くとのことで、俺と三島くんで大浴場に行くことになった。
 大浴場は建物の一番上だ。ネットで見た情報だが、風景が見えるようにガラス張りになっており、そこから星も観察できるらしい。それが、この宿のポイントであるとも書かれていた。

「お風呂、楽しみだね」
「ん」

 友だちと旅行なんて、修学旅行を除いたら久しぶりだ。孝晃とは家族ぐるみで仲が良いから、昔はよくキャンプに行っていたが、中学に上がってからは部活などが忙しくなり、そもそも遊びに行くことすら難しくなった。だから、こうして友だちと泊まり、風呂に入ること自体が久しぶりで楽しみな反面、緊張もする。

「夜鷹くんはよく旅行とか行く?」
「いや。家族ではあんま行かねぇな。俺んちがバーベキュー会場になることはよくあったけど」
「あー……お庭、広いもんね」

 先ほどの、やけに手際のいい三島くんのことを思い出す。一度は俺の勧めで席に座ったものの、三島くんはまた網まで戻ってきて肉や野菜などを焼いていた。どうもじっとしているのが落ち着かないらしい。それに、女子に絡まれるのも困るとも言っていた。
 女子に絡まれているときの三島くんを思い出して、胸の奥にざわりと波風が立つ。
 どうも最近、自分でも制御の効かない感情が頭をもたげるときがある。三島くんと一緒にいると、今まで知らなかった感情を強制的にインストールされるような、そんな不思議な感覚があるのだ。
 少なくとも、こんなのは知らない。
 友人に向けるにしてはひどくざらついて、じめっとした感情なんて。

「紘、通り過ぎてる」
「あっ……」

 気付いたら大浴場入口と書かれた看板を通り過ぎていた。慌てて引き返し、大浴場の中へ入る。脱衣所はそれなりに混み合っていた。

「端っこの方しか空いてないね」

 なんとか二人分のカゴを確保し、空いたスペースで着替えを済ませる。
 男同士だし、気にすることでもないのに、服を脱ぐ段階になって急にドキドキしてきた。純粋に裸を見られる恥ずかしさもあるが、相手が三島くんだと思うとより恥ずかしくなる。俺は三島くんの方に背を向け、なるべく見ないようにしながら、気持ちゆっくりと服を脱いだ。

「早くしろ、紘。先に行っちまうぞ」

 できれば今は待っててほしくないかなー……という言葉を飲み込み、勢いで服を脱ぎ、タオルを腰に巻く。三島くんはイメージ通り、いっそ清々しいぐらいに堂々と立っていた。

「せめて前! 隠そうよ!!」
「めんどくせぇ」
「さいですか……」

 三島くんの後に続いて浴場に入る。中は広々としており、湯気が立ち込めていた。シャワースペースを二人分確保して、それぞれお湯で汗や汚れを流す。その間も平静を装うのに必死だった。

「……紘」
「……」
「紘!」
「は、はい!」
「さっきからどうした? ボーっとしすぎじゃね?」
「ごめん。ちょっと疲れたのかも……」
「それならいいけどよ」

 ダメだ。このままだと三島くんに心配をかけてしまう。でも、どうしても気を張っていないと視線が三島くんの方に向いてしまう。
 三島くんは俺の貧相な体とは違い、がっしりしている。もしかしたら、中学では何かスポーツをしていたのかもしれない。それか筋トレが趣味とか。
 とにかく、ほどよく筋肉もつき、綺麗な体をしていた。あと何処がとは言わないが、立派な物をお持ちだった。
 それと比べると俺なんて……と一気に虚しくなる。それぐらい体格差があって、俺は悔しくなったり、照れたりと大忙しだった。

「なぁ、紘。あとで背中洗って」
「背中!?」
「自分だと洗いにくいだろ」
「それは、そうだけど……」
「俺もやるし」

 三島くんがシャンプーで髪をもこもこと泡立てながら言う。
 そんな、さも当然だと言わんばかりのことを言われましても、俺にはハードルが高すぎる……! と、今から心臓がはち切れそうになった。

「あ、いたいた! 三島ー! ヒロー!」
「ゲッ」

 大きな声で名前を呼ばれて振り返る。三島くんが六堂を見るなり嫌な顔をした。後から合流するとは言っていたが、もう来てしまうとは俺としても予想外だ。
 三島くんの顔にはありありと来るなと書かれているのだが、当然、空気を読むはずもない六堂が俺たちの横に座った。

「良かった! 間に合った」
「来なくてよかったっつの……」
「三島ァ〜、そんな酷いこと言うなよ。あっ、ヒロ。こっちシャンプーないから貸して」

 やいのやいのと言いながら四人で頭を洗う。みんな水で髪の毛がぺたんと垂れて、普段見ている姿よりも幼く見えた。
 頭を洗ったあとは、ボディソープで体を洗う。部屋に用意されていた体を洗うためのタオルで洗っていると、横から視線を感じた。六堂たちの乱入でさっきの背中を洗う話は流れるかと思ったが、そうではないらしい。

「紘」

 名前を呼ばれて、タオルを手渡される。三島くんがくるりと背中をこちらに向けた。ただ、友人の背中を流すだけ。友だちと銭湯に行くシチュエーションがなかったから、これが一般的なことなのかは分からないが、少なくとも家族となら普通のことだろう。だから、親しければ問題ないはず。

「痛かったら、言ってね」
「ん」

 広い背中にタオルを滑らせる。自分のよりも広い背中は綺麗だ。丁寧に背中を洗い、タオルを返す。それを見ていた六堂が、俺もやるわ! と言い出した。

「みんなでやるのいいじゃん」
「お前はひとりで洗っとけ」
「ひどっ」
「ほら、紘」

 やっぱり俺は大丈夫とも言えず、どぎまぎしながら三島くんにタオルを渡して後ろを向く。
 三島くんの背中を洗うときも息が止まりそうなぐらい緊張したが、洗ってもらうのも同じぐらい息が止まりそうだ。
 自分で背中を洗うときよりも強い力で背中を洗われる。人にやってもらうのは確かに気持ちがいいけれど、心臓が持ちそうにない。

「ヒロ、顔真っ赤ー!」
「うるさい! あんまり洗ってもらってこなかったから緊張してるだけ!」

 三島くんの方に背中を向けると、自ずと六堂の方を見ることになる。当然、俺の反応を見逃してくれるはずもなく、六堂に笑われた。

「そういうことにしとくわ」
「だから、本当にちょっと緊張しただけ! ……夜鷹くん、ありがと」
「ん」

 ただ身体を洗うだけの行為にぎゃあぎゃあと騒ぎ、やっと全てを終えて大きな浴槽に身を沈める。六堂曰く外にも行けるらしいが、内湯でも十分だった。
 此処からでも十分に景色が見える。天井も一部ガラス張りになっているため、上を見上げると一足先に星が見えた。

「天体観測、楽しみだね」
「ここからでも十分だけど」
「悠人はロマンがなさすぎ。外で見たらもっとすごいだろ」

 六堂たちは露天に行くと言って、さっさと内湯から上がってしまった。俺も一緒に行くか迷って、もう少し内湯を堪能することにする。湯の温度はちょうどよく、いつまでも此処にいられそうだ。

「やっと静かになった……」

 六堂たちが居なくなってすぐ、三島くんがハァとため息をつく。口ではそう言うものの、三島くんはいつも六堂たちがいると楽しそうだ。

「でも、六堂の五月蝿さも嫌いじゃないけどね。人がたくさんいる方が楽しいし」
「その言葉、あとで後悔すんぞ。寝る前、絶対騒ぐに一票」
「あはは……」

 それはそうかもしれない。でも、それはそれで楽しみだった。

「ね、外行ってみる?」
「……行くか」

 内湯を出て、外へと繋がる扉を開く。
 外は風が吹いていた。火照った身体にはちょうどよく、熱気をさらっていく風が冷たくて気持ちいい。

「あ、やっと来た」
「俺たちは内湯に戻る」

 六堂たちと入れ替わる形で露天風呂に浸かる。こちらは内湯よりも湯の設定温度が高かった。すぐに逆上せそうだ。

「お前、大丈夫か? 顔赤いけど」

 三島くんから至近距離で顔を覗き込まれてびっくりする。心配してくれての行動なのだろうが、それでもヒッと喉奥で潰れたような声が出た。
 湯に濡れてぺたんとした髪、同じように温まって上気した肌、そして整った顔。リラックス状態なのか、三島くんの表情はいつも以上に穏やかで、ただただ金髪のイケメンだ。俺が女の子だったら、たぶん落ちている。不器用で愛想はないものの、自分にだけは心を許してくれている男のことを、無視できるはずがない。

「紘? お前、本当に大丈夫か?」
「う、うん。大丈夫! でも、もう上がろうかな」

 彼に心配はかけまいと慌てて立ち上がる。そのとき、ぐらりと身体が揺れた。

「うわっ」
「紘!」

 倒れる……! と目をつぶったにも関わらず、強い衝撃は一向に訪れなかった。後ろから三島くんが抱きとめてくれたからだ。
 三島くんは安堵の息を吐き出すと、だから言わんこっちゃない、と俺を叱った。

「急に立ち上がんな」
「ごめん……」
「倒れたら心配するし、周りにも迷惑かかるだろ」
「うん……」

 三島くんの言う通り、周りにはそこそこ人がいる。転倒したとき、誰かにぶつかる可能性もあったから、三島くんに抱きとめてもらえて助かった。
 そう、助かりは、したんだけど。

「もう大丈夫、だから」

 するりと三島くんの身体から抜ける。今度は別の意味でぶっ倒れそうだった。

「無理すんなよ」
「ありがとう」

 まだまだ温泉を楽しんでいる六堂たちを置いて、俺たちは先に風呂から上がる。
 さっきは一瞬、立ち眩んだだけで湯当たりしたわけではないため、今は元気だ。それでも三島くんは心配そうに何度も俺の顔を覗き込んだ。

「本当に大丈夫だから、その、見られてると着替えづらい……かな」
「ワリィ、けど、マジでなんかあったらすぐ言え」

 一応は納得してくれたらしい三島くんが先に洗面所で髪を乾かしに行く。俺はバスタオルで顔を隠しながら、大きく息を吐いた。
 叫びだしたい。この得体のしれない気持ちをぜんぶ吐き出してしまいたい。
 うまく言語化できるか分からないけれど、とにかく吐き出したくてたまらなかった。
 今まで生きてきて、心臓そのものに重さを感じたことなどないのに、ここのところ胸のあたりが重く感じる。たくさんの気持ちを知って、質量が増している気がする。

「俺、おかしいのかな……」

 弱々しく呟いて、ついにはしゃがみ込む。三島くんはずっと俺のことを気にかけてくれていたのか、髪を乾かしていたはずなのに、すぐ飛んできてくれた。ただ気持ちがいっぱいなだけで大して苦しいわけでもないのに、三島くんは優しく俺の背中を撫でてくれる。

「大丈夫か?」
「ごめん、ちょっと立ってるのが辛くなっただけ。でも目眩とかはないから」
「だとしてもだろ。ほら、髪乾かしてやるから来いよ」
「そこまでは大丈夫だよ……!」

 三島くんは世話焼きだ。そう、ただの世話焼き。なんだけど。
 俺は三島くんの優しさに甘えてしまう。このままだとダメにされてしまう。そして俺は、そういう三島くんの優しいところに――

「どした?」
「ううん。なんでもないよ」

 心配させないよう笑顔を浮かべて大丈夫だとアピールする。
 俺はすっかり、彼の優しさの虜になってしまっていた。