三島くんと初めたバイトは順調だった。残り二回もつつがなく終わり、また夏休みになったら来てほしいと店長からは言われた。
 お金が貯まったことは素直に嬉しい。だけど、問題はもうひとつ――

「テスト勉強! してない!!」

 一週間後に始まる中間テストを前に、俺は絶賛頭を抱えていた。今日も今日とて隣の席で睨みを利かせていた三島くんが、あ゛? と低い声を出す。

「うるせぇぞ、紘」
「だって……」

 三島くんは机に体を預けながら携帯でゲームをしている。朝の時間、俺は課題、三島くんは携帯を弄っていることが多く、勉強をしている素振りはない。
 でも、中間テストと聞いて焦らないあたり、彼に不安はないのだろう。その証拠に、小テストで三島くんと答案用紙を交換すると、九割以上が満点だった。三島くんは見た目に反して勉強がかなりできる。

「夜鷹くん……勉強教えてくれない?」
「は?」
「だって、小テスト満点じゃん!」
「それ、英単語のテストだけな。覚えるだけだから楽勝だろ」

 覚えるだけとは言うが、覚えるものが多くなればそれだけ忘れていくものだ。俺の知る限り、三島くんはどの教科も完璧だった。

「紘も別に成績悪くないだろ」
「いや……真ん中も真ん中だよ……」

 入学早々に受けた実力テストの結果を思い出してため息をつく。中間テストではもっと成績が下がるだろう。授業についていけないわけではないが、かなり取り零しがある。その自覚がある。

「そんなに不安なら勉強すっか?」
「いいの?」
「あんま教えられることねぇけど」
「ううん! 一緒に勉強をするという約束があれば逃げないで頑張れそう……」

 家に帰るとついだらけてしまう。テレビを見たり、漫画を読んだり。課題に手を付けず、今日みたいに朝に回すことも往々にしてあるほどだ。最近では朝に課題をこなすことが身に沁みてしまい、家では教科書を開かない日すらある。

「じゃあ、今日俺んち来いよ」
「うん! ……っていうか、今度は俺んち来る?」

 前回、雨宿りをさせてもらうため、三島くんの家にお邪魔した。今度は自分の家に呼ぶのが筋だろう。

「いいのかよ?」
「うん。ちゃんと部屋も綺麗にしてるし……」

 いつか、三島くんを呼ぶかもしれないと思って、あの日から片付けだけはしてある。それに今日は我が家も母親がパートに出ている日で誰もいない。初めて家にあげるのなら、誰もいない日の方がいいだろう。その方が、三島くんも緊張しないはず。

「どうかな?」
「行く」

 若干、食い気味に返事をされて気圧される。そうと決まれば、勉強も頑張れそうだ。
 三島くんと勉強会の約束を取り付け、その後は真面目に授業を受ける。

 そして放課後。俺と三島くんは、高校から離れた自宅を目指して歩いていた。

「ごめんね。夜鷹くんの家を通り過ぎちゃった……」

 彼の家は高校に近い。そのため、いつも徒歩通学をしている。一方、俺の家は歩くにしては距離があった。
 駐輪場から自転車を探したくないというのと、孝晃との朝の時間を少しでも作りたくて徒歩にしているのだが、自分だけ歩くならいざ知らず、他人にもこの距離を強要することに罪悪感を覚える。
 それでも三島くんは気にすることなく付いてきた。

「ここが紘んち?」
「そう。夜鷹くんの家よりは広くないけど」
「同じじゃね?」
「そうかな……?」

 以前、雨宿りさせてもらったときのことを思い出し、頭の中で広さを比較する。
 どう考えても、三島くんの家の方が広い。うちには庭でバーベキューをするほどの余裕はないし、家の中もごちゃごちゃしている。

「どうぞ。今日は誰も居ないから、緊張しなくていいからね」
「お邪魔します」

 きっちりと挨拶をし、おまけに靴もしっかり揃えて三島くんが家に上がる。
 見た目がヤンキーなだけで、礼儀とかそういうところはしっかりしてるんだよなぁ……と、俺は感心した。

「俺の部屋、二階だから上がってて。階段上がってすぐの部屋だから。俺は、お茶とかお菓子とか持って行くね」
「おう」

 先に三島くんを部屋に上げ、俺は冷蔵庫や棚から適当に飲み物や菓子を引っ張り出す。
 部屋に入ると、三島くんはちょこんとコタツ机に座っていた。

「なんか……変な感じ」
「何が?」
「いや、タカちゃん以外の友だち、呼んだことなかったし……」

 孝晃を通じて出来た友だちが何人かいたけれど、その誰もを上げたためしがない。
 純粋に誰も来たがらなかったのと、俺自身、あまり上げたいと思えなかったからだ。
 誰とでも分け隔てなく仲良くできれば理想的だが、生憎とそういう性格をしていない。向こうから見えない薄膜の壁を築かれると、途端に動けなくなる。壁を壊してまで懐に入るだけの度胸がない。

「お前、すぐアイツの話するけど、そんなにアイツと仲良いわけ?」
「そりゃあ、幼馴染だしね。家も道路を挟んで隣だよ」
「マジ?」
「うん。だから、窓開けて会話もできる」
「そこの窓から?」
「うん。でもあっちは廊下に面してて、夜とか話してると五月蝿いって怒られてたなぁ」

 飲み物やお菓子をテーブルに置き、いつもの定位置に座り込む。
 三島くんは、ふーんと興味なさそうに相槌を打った。

「……じゃあ、テスト勉強すんのに、俺、いらねぇじゃん」
「へ?」
「それだけ近けりゃ、幼馴染に教えてもらえんだろ」
「タカちゃんに?」
「……」

 彼が黙り込む。頬杖をついてそっぽを向いてる様はまるで嫉妬しているみたいだ。でも、それ以上に。

「アハハ! タカちゃんに? それは無理だよ」
「ンでだよ?」
「だって、タカちゃん、そんなに勉強できないし……」

 あー、おかしっ! とひとしきり笑う。
 孝晃も世間一般的に見ればできない方ではない。だが、緑桜高校に入学するための最低レベルの学力しか備わっていなかった。
 孝晃は足りない学力をスポーツで補っている。いわば、スポーツ推薦枠での入学だ。

「だから、教えてもらうなら最初から夜鷹くんがいいなって思ってたよ?」

 そう告げたら、彼のモチベーションが戻ったようだ。得意げに鼻を鳴らし、そういうことなら、と早速教科書を開く。
 分かりやすく機嫌を直した三島くんを見て、俺はフッと笑った。

「なんだよ、早くやるぞ!」
「はーい」

 二人で膝を突き合わせて、中間テストに向けた勉強を始める。
 三島くんは思った以上に教え方が丁寧で、あっという間に時間が過ぎていった。