よく晴れた春の日。真新しい制服に身を包んだおれは、入学式を終えて、一年二組の教室でこれからの学校生活の簡単な説明を聞いていた。
HRが終わるまで、あと一分。担任から「それじゃあ、今日は解散!」の声が聞こえたと同時に、配布されたばかりの教科書やプリント類を詰めたリュックを背負って、教室を飛び出す。
普通だったら、これから学校生活を共に過ごすクラスメイト達と交流を深めるべく「どこ中出身?」なんて話から会話を広げたりして、盛り上がるのだろう。
でもおれには、そんなことよりも大切な用事がある。会いたい人がいる。
その人がいるから、偏差値ギリギリのこの高校に入学することを決めたんだ。

階段を駆け上がって三階までやってきた。端の方に設置されている真っ赤な消火器や白いボックスの中に入っているAED、各教室前に取り付けられている個人用ロッカー。
パッと見は一階と変わりないように見えるけど、やっぱり、雰囲気がどことなく違うように感じる。上級生が過ごしている空間。……“あの人”も、ここにいるんだ。

きょろきょろしていれば、HRが終わった教室から、ちらほらと生徒が出てくる。だけどその中に探し人の姿は見えない。

(確か、二組って言ってたよな)

新入生のおれが三年生のフロアにいることが物珍しいのだろう。先輩たちからの視線を感じるけど、気にせずに“3-2”と記されたプレートを目指して進んでいく。
開いている教室の扉から中を覗いてみれば、お目当ての人物は直ぐに見つけることができた。

(かなめ)くん!」

名前を呼べば、綺麗に染められた金色の髪がふわりと揺れた。飴色の目は、おれを視界にとらえると、柔らかく細められる。

瑠衣(るい)

数人のクラスメイトたちと談笑していたらしい要くんは、クラスメイトに断りを入れると、バッグを持って直ぐにおれのもとまで来てくれた。要くんの近くにいた女の先輩が、名残惜しそうに要くんを見つめている。話の邪魔をしてしまった申しわけなさはあるけど、今日は入学式というお祝いの日でもあるので、要くんとの時間を少しくらい譲ってほしい。
……ほんの少しでもいいから、校内で要くんと話したかったんだ。要くんと同じ高校に入学できたんだって、実感したかったから。

「まさか瑠衣の方から来てくれるとは思ってなかったから、びっくりしたよ」
「へへ、念願叶ってやっと入学できたわけだしさ。どうしても要くんに会いたくて」
「……うん、俺も会いたいと思ってた。改めて、入学おめでとう」

要くんは優しい顔で笑うと、おれの頭を撫でてくれる。温かくて安心する手。それが嬉しくて、ほわほわとした気持ちで要くんを見上げていれば、その後ろから、いくつもの好奇の目がおれたちに向けられていることに気づいた。

「え、誰々? もしかして要の弟? にしては似てねーよな」
「えー、一年生だよね?」

興味津々といった様子の要くんのクラスメイトたち。おれが小さく頭を下げれば、女の先輩方が「きゃー、可愛い~!」と黄色い声を上げる。

「要くんとはどういう関係なの?」
「俺の幼馴染なんだ。可愛い弟みたいな存在だよ」

おれが言葉を返す前に、要くんの口から放たれた“弟”というワードに、心臓がぎゅっと締め付けられたように痛みだす。だけどそんな感情を顔には出さないように愛想笑いを浮かべて、同意するように小さく頷いた。

「あー、確かに弟属性って感じするよね。すっごい可愛い顔してるし」
「ねぇねぇ、名前は何ていうの?」
「よかったら連絡先交換しない? 学校のこと、色々教えてあげるよ?」
「え、っと、あの……」

女の先輩たちに囲まれてたじたじになっていれば、要くんがおれと先輩たちとの間に割って入ってくれる。振り向いた要くんは、おれの肩をそっと引き寄せた。ふわりと感じる要くんの匂いにドキドキする。心臓がすっげーうるさい。……あー、要くんに聞こえてないかな。

「はいはい、そこまで。学校のことは俺がみっちり教えるので大丈夫です。あと、瑠衣に話がある時には、俺を通してください」
「って、お前はその子の保護者か!」

ムードメーカーって雰囲気の男の先輩が突っ込めば、この場にはクスクスと楽しげな笑い声が響く。皆気の良さそう人たちだし、仲の良いクラスなんだろう。――おれも要くんと同い年だったらなぁ、なんて。そんな叶いもしない欲が生まれてしまう。

「瑠衣、それじゃあ帰ろっか」
「え? でも……いいの?」

要くんは人気者だ。クールで格好いいし、頭も良ければ運動神経もいい。冷たいように見えて、実はすごく面倒見も良いから、男女関係なく好かれる。だからそんな要くんの周りには、いつだって人が集まってくる。

幼馴染であるおれは、要くんがどれだけ人に好かれる人間かってことを、よく知っている。
小さい頃なんかは、要くんが誰かにとられちゃうんじゃないか、おれのことを置いてどこかに行っちゃうんじゃないかってすごく不安で、どこに行くにも要くんの後を付いて回っていた。
だけどそんなおれを、要くんは鬱陶しがることもなく受け入れてくれた。要くんは先陣を切って前を歩いて行くようなタイプではなかったけど、いつだって手を繋いで、泣き虫なおれの隣を歩いてくれたんだ。

ヒーローのように、兄のように慕っていた憧憬が、いつ間にか恋慕に変わったのは――いつのことだっただろう。

はっきりとは覚えていないけど、とりあえず、おれにとっての要くんがトクベツな人であると同時に、同じように要くんに思いを寄せている人だって大勢いるだろう。

だから、おれなんかが要くんと一緒に帰っていいのかなって、思わず聞き返してしまった。普段はクラスメイトと帰宅しているんじゃないかなって、そう思ったから。
もしかしたら、目の前にいる綺麗な女の先輩たちと帰る約束をしていたかもしれない。それなのに、おれと一緒に帰ってくれるの? おれ、要くんの邪魔になってないかな……。

一緒に帰ろうって誘ってもらえて嬉しいのに、不安な気持ちが膨らんでいく。好きな人の一言で喜んだり、勝手な想像で落ち込んだり――恋って本当に厄介なやつだ。

だけど要くんは優しい顔のまま、おれを安心させるように頷いてくれた。

「いいんだよ。だって今日は、瑠衣が入学したおめでたい日だからね。もとから一緒に帰ろうって誘おうと思ってたんだよ。寄り道して、瑠衣の好きな甘いものでも食べて帰ろっか」
「……うん!」

――ほら、要くんの言葉を聞いただけで、空も飛べちゃうんじゃないかってくらい嬉しくなってる。今なら苦手なピーマンの肉詰めも、百個くらいぺろりと平らげられそうだ。
厄介であることに変わりはないけど、好きな人のことを思えば何でも出来ちゃいそうって本気で思えるんだから……恋する力って、やっぱりすげー。


***

要くんのクラスメイト達と別れて、二人で学校を出た。
夢にまで見た、要くんと並んで歩く帰り道。家はお隣さんだから、途中で手を振って別れることもない。しかも今日は、一緒に寄り道までできる。あー、幸せだ。この時間がずっと続いてほしい。……わざと歩く速度をゆっくりにしていること、要くんにバレてないといいけど。いや、要くんは恋愛ごとに関しては殊更に鈍感だから、絶対に気づいてないだろうな。

「要くんは二組でしょ? 実はね、おれも二組だったんだ!」
「お揃いじゃん。それじゃあ体育祭は瑠衣と同じ軍になるね」
「え、そうなの?」
「うん。縦割りで同じクラス同士がチームになるんだよ」
「本当に? やった!」

要くんは運動神経がいいから、体育祭でも大活躍すること間違いなしだろう。

正直、おれの成績は平均より少し良いくらいだったから、頭のいい要くんの通う高校に入学できるかはギリギリのところだった。だけど要くんが勉強を教えてくれた甲斐もあって、無事に入学することができたんだ。

――体育祭に、文化祭、球技大会。修学旅行なんかは学年が違うから難しいけど、校内でおこなわれる行事だったら、要くんと関わるチャンスはいくらでもある。

学ランなんか着て応援団長を務める要くんとか、執事喫茶で執事服を着てる要くんとか、まさかのメイドさんの格好をしてる要くんとか、バスケの試合でダンクシュートを決めちゃう要くんとか!(注:これは全て瑠衣の妄想です)
要くんの色々な姿を、この目で見ることができるってことだろ? ……何それ最高過ぎないか? 本当、勉強頑張ってきてよかった……!

これからの要くんとの学校生活を想像して心の中でガッツポーズを決めていれば、背後から聞き慣れない女性の声が聞こえてきた。要くんの名前を呼ぶその声は、バニラアイスみたいにどろりと甘い響きをはらんでいる。

「要! ふふ、偶然だね。要も今帰りなの?」

肩下まであるハニーブラウンの髪は、毛先が綺麗に巻いてある。ぱっちりした大きな瞳に、桃色に淡く色づいた頬。赤くてぷっくりした唇。純粋に綺麗な女の人だなって、そう思う。
少しだけ着崩された制服や話す雰囲気からして、要くんと同学年だろう。そして、この先輩は、きっと要くんが好きなんだろうなって――気づきたくなくても、分かってしまう。
表情や口調、仕草すべてから、要くんへの好意をひしひしと感じるから。恋愛事には鈍感な要くんは、絶っっ対に気づいてないだろうけどね! 何年も一緒に過ごしてきて、それとなくアプローチしているつもりなのに、気持ちに一切気づいてもらえないおれが言うんだから、間違いない。

「うん。美和ちゃんは、今日は一人なの?」
「咲とカラオケ行く約束してたんだけど、彼氏に呼ばれたからってドタキャンされてさぁ。ひどくない?」
「それは残念だったね」
「可哀そうな私を、要が慰めてくれてもいいんだけどなぁ?」
「んー、悪いけど、俺は先約があるから」

そこで初めて、要くんに“美和ちゃん”と呼ばれている先輩の目が、おれに向けられた。

「え、要の……弟とか? めちゃ可愛い子じゃん」
「俺に弟はいないよ。まぁ、弟がいたらこんな感じなのかなぁって思ったことはあるけど」

要くんが、俺の頭をぽんと撫でる。

――まただ。子ども扱いならぬ、弟扱いをされている。二個しか変わらないんだからやめてよって、文句を言ってやりたい。だけど要くんの方から触れてくれるのは嬉しいから、結局はいつだってその手を受け入れてしまう。
弟扱いは嫌だけど、頭はもっと撫でてほしい。相反する気持ちは、やっぱり厄介で面倒くさい。

「えー、そうだったんだ。邪魔しちゃってごめんね?」
「いえ、全然……大丈夫です」
「それじゃあ私は先に帰るね。要、また明日!」
「うん、また明日」
「あ、それから、私と付き合ってみないって話! ちゃんと考えておいてよね!」

――What? 付き合ってみないって話? 誰が? どこへ? え、そういうことじゃない? じゃあ付き合うっていうのは、恋人同士になるっていうあれ、だよな……?

美和先輩は最後に、聞き捨てならな過ぎる爆弾発言を落として行ってしまった。おれはスンッて真顔を貫いてはいるけど、頭の中はパニック状態でてんやわんやしている。

――よし。とりあえず、要くんに探りを入れるべく、平静を装って口火を切ることにします。

「綺麗な人だったね。要くんと同じクラスなの?」
「ううん、今は隣のクラス。昨年一緒のクラスで、席も隣だったんだよ」
「……へぇ、そうなんだ。仲が良いんだね」
「まあ、結構話す方ではあるかな」

――同じクラスで、隣の席。
おれがどれだけ頑張っても、絶対に手に入れることのできない場所だ。

要くんが一足先に高校に入学してしまってからの二年間、正直、不安で仕方なかった。
おれの知らないところで、要くんに好きな人ができたらどうしよう。恋人ができていたら嫌だなって。
勝手に心配してやきもちを妬いて、でも要くんに自分の思いを伝える勇気もないおれは、時々要くんの気持ちに探りを入れては、まだ要くんに想い人がいないことに安心していた。
そして、やっと同じ高校に入学することができた。これからは、一緒に過ごせる時間だって増える。また、要くんの隣を歩くことができるんだって。そう思ってた。

だけど――分かっていたことだけど、年齢差が追い付くことは永遠にない。要くんと仲が良さそうな、綺麗な先輩たちを実際に目にしてしまえば、また別の不安が生まれてしまう。

もしかしたら要くんは、さっきの美和先輩と付き合うのかもしれない。そうしたら、要くんが誰かと仲睦まじくしている姿を、間近で見なくちゃならないんだ。
もう、こんな風に要くんの隣を歩くことだって難しくなるかもしれない。話すことだってできなくなるかも。だって、好きな人から好きな人の話を聞くなんて、辛いに決まってるから。おれは絶対、耐えられそうにない。

……あー、ヤバい。想像するだけで、また胸がズキズキと痛みだす。
要くんが誰かに愛おしそうな目を向けている姿なんて、見たくない。それだったら、同じ高校に入学なんてしなかった。離れているままの方がよかったな、なんて。――そんなことを思ってしまう。

「瑠衣? 立ち止まって、どうかした?」

急に足を止めたおれを不審に思ったらしい。要くんは気遣わしげな顔をして、俯いた俺の顔を覗き込んでくる。

「……ねぇ、要くん。おれね、要くんのことが好きだよ」
「ん? もちろん、俺も瑠衣のことが好きだよ」

――うん。やっぱり、好きな人に好きって言ってもらえるのは嬉しい。
だけど、要くんの言う“好き”と、俺の言う“好き”が違うってことくらい分かってる。だから、ちょっとだけ寂しくもなる。切なくなる。
言葉にしたら同じはずなのに、おれと要くんの想いが重なり合うことはないんだなって。

「……うん。へへ、嬉しい」
「……何その顔」
「え? おれ、今どんな顔してる?」
「んー、何か、めしょって顔してる」

嬉しいと寂しいの気持ちが混ざった顔は、要くんから見たら“めしょっ”てして見えるらしい。“めしょっ”て何だそれって思うけど、要くんの言い方が可愛いかったから、何だか顔が綻んでしまう。

「ふふ。めしょって、どんな顔なのかよく分からないよ」
「んー、そうだなぁ……幸せそうなのに、泣きそうな顔してた。……俺、瑠衣がイヤになるようなことしちゃった?」

おれが“めしょっ”なら、今の要くんは“しゅん”って顔をしている。
要くんはポーカーフェイスが上手だから、分かりにくいけど……多分、自分のせいでおれが嫌な思いをしたと勘違いして、悔いているんだろう。要くんは優しいから。

――好きな人にこんな顔をさせたいわけじゃない。
だけど今の要くんは、おれのことだけを考えてくれているんだって、そう思うと、心がそわそわして嬉しくなる。要くんが愛しいって気持ちが、むくむく膨らんでいく。

「ううん、違うよ。要くんが何かしたとかじゃないんだ。ただ……要くんの好きと俺の好きは、全然違うから。それを実感して、その……めしょってしちゃっただけ」

要くん、おれの気持ちに気づいてくれないかな。でも気づかれて、幼馴染というこの関係が壊れてしまうことを想像すれば、気づいてほしくないとも思ってしまう。

「……まぁ確かに、俺の好きと瑠衣の好きは、違うよね」

――あ、ヤバい。多分、気づかれた。

「……うん」

要くんの顔色を窺ってみる。だけど要くんの表情はいつも通りで、何を考えているのか全然分からない。怒ってる? それとも呆れてる? ……駄目だ、さっぱり分からない。
でも驚いた素振りもないってことは、おれが要くんのことを恋愛対象として好きって、前から気づいていたのかな。

「あのさ、要く…「だって俺、瑠衣のことを弟みたいに思ったことなんて一度もないからね」
「……え?」
「っていうか、瑠衣の方からそんなこと言われちゃうとはね。いつから俺の気持ちに気づいてたの?」

目を細めた要くんは、寂しそうに笑う。何かを諦めたみたいな、痛くて苦しそうな顔で。

「俺がさ、瑠衣のことをそういう目で見てたって気づいて、嫌だなって思った?」
「え? 嫌っていうか……」
「そうだよね。兄みたいに慕ってた男が、こんな邪な感情を抱いてたって知って、不快に思うのも当然だよね。……ごめんね」
「……ま、待って待って! え、要くんって、おれのことが……好き、なんだよね? その、それは、恋愛感情で……?」

心臓がバクバクうるさいくらいに鳴っている。だって、おれの勘違いなんかじゃなければ――要くんとおれの気持ちは、同じだっていうことになる。

「うん。そうだよ」
「……」
「瑠衣? ……本当にごめん。泣くほど嫌だった?」

突然泣き出したおれに驚いた要くんは、長い指先で頬を伝う涙を拭ってくれる。だけど、ハッとした様子で直ぐにその手を引っ込めようとした。おれが、触れられるのを拒むと思ったんだろう。だから、要くんの手が離れていく前に、慌てて掴む。
嫌じゃない。むしろ要くんが触れてくれることが嬉しくて堪らないんだよって。――早く伝えなくちゃ。

「お、おれも、要くんと同じ気持ちで、要くんのことが好きだよ」
「……瑠衣のそれは、家族愛とか友愛とか、そういう感情でしょ?」
「じゃなくて! その……おれも、恋愛感情で、要くんのことが好きってこと!」
「……本当に? 無理しなくていいんだよ?」
「なっ、無理なんてしてないよ! おれはずっと要くんのことが好きで……! だけど要くんが、いつもおれのことを子ども扱いするから……要くんはおれのことなんてちっとも意識してないんだろうなって、諦めてたけど」

――家族愛とか友愛の感情を抱いているのは、むしろ要くんの方なんじゃないの? だって、今までの要くんの態度を振り返ってみても、恋愛対象として好意を向けられた覚えなんてないしさ。

いじけた時みたいに、むっと下唇を突き出してしまう。だけどこういうところが、子どもっぽさを助長しているのかもしれないなぁって気づいたので、口を真一文字に結んだ。

「……俺さ、瑠衣は女の子が好きなんだって、ずっと思ってたんだ。この前も、アイドルグループの誰々が可愛いとか話してたし」
「それは、要くんがアイドル好きだって知ったからだよ!」
「俺が? 俺、アイドルなんて一ミリも興味ないけど」
「え? だって勉強教えてもらいに行った時、要くんの部屋にアイドルの雑誌とかライブのDVDが置いてあるの、見たよ?」
「ライブのDVD? ……あー、多分それ、友達が置いてったやつだよ。本当に興味ないから、何も観ないで返しちゃったけど」

――趣味が同じだったら、推しの話で盛り上がったり、ライブに行ったりなんかして、一緒に過ごせる時間も増えるかなって思ってたんだ。ただの下心でしかない。
だから自分から「要くんは誰が推しなの?(これで要くんの好みのタイプも分かるかも)」とか、「おれはこの子なんか可愛いと思う(金髪とか切れ長の目とか、どことなく要くんの面影を感じる美人な顔立ちだったから)」とか、そんな話をしたことは覚えてる。
でも、要くんの反応がやけに薄いから、おかしいとは思ってたんだよな。――そっか、おれの勘違いだったんだ。

「要くん、さっき、おれが女の子が好きだと思ってたって言ったでしょ? でも別におれ、男の子が好きなわけじゃないよ。……要くんだから、好きになったんだよ」

――男とか女とか、関係ない。
要くんは、幼い頃からずっとずっと、優しくて格好いい、おれにとってのヒーローで。
困っている時にはいつも手を差し伸べてくれた。世話焼きだけど、どこか抜けているところもあって、そんなところを見ると、おれが守ってあげたいって思う。一緒にいると楽しくて、でも同じくらいドキドキするし、安心もする。要くんが笑っていると嬉しいし、悲しそうな時は、おれも悲しくなる。
要くんの存在は、いつだっておれの心を引っ掻き回す。でもそれが、堪らなく幸せなんだ。……要くんが要くんだから、おれは好きになったんだよ。

おれの気持ちを黙って聞いてくれた要くんは、何か考え込むように瞳を伏せていたけど、顔を上げて、覚悟を決めたような目でおれを真っ直ぐに見つめる。

「……俺はさ、瑠衣に触りたいとか、キスしたいとか、可愛すぎて食べちゃいたいとか、そういうことばっかり常日頃考えてたわけ」
「た、食べ……!?」
「そう。瑠衣もそういう目で俺を見てくれてたって思っていいんだよね?」
「……うん」

恥ずかしいけど、要くんの目を見て頷き返す。
おれの好きが本気だってことが、伝わりますようにって。

「それじゃあ――いいよね?」

要くんの大きな手が、おれの頬に添えられる。撫でる指先がくすぐったくて、ビクリと肩を揺らしてしまった。そんなおれの反応を見て、優しく微笑んだ要くんの顔が、ゆっくりと近づいてくる。おれはゴクリと生唾を飲み込んで、ぎゅっと目を閉じた。そして――。

「って、いったぁ!」

感じたのは、期待した唇への感触ではなかった。左頬っぺたが痛い。ちょっとだけひりひりする。――どうやら、頬っぺたを甘噛みされたみたいだ。

「な、何で噛んだの!?」
「だって、林檎みたいで美味しそうだったから」
「だ、だからって……!」
「ん? もしかして、ちゅーしてほしかったの?」

要くんが、意地悪な顔をして笑う。
言葉に詰まったおれは、小さく息を吐き出して――。

「……っ、してほしかったよ‼」

声を大にして、正直な気持ちを吐き出した。

「ははっ、瑠衣ってほんとに素直だよね」

おれの本音を聞いて可笑しそうに笑った要くんは、薄っすら噛み痕が付いているであろう、おれの頬をするりと撫でた。間近で見る妖艶な笑みは視界の暴力でしかなくて、くらりと眩暈がする。

「そんなところも可愛くて、大好きだよ」
「……あのさ、ちょっと待って。タイム。まだ心の整理がついてないっていうか、状況を理解できてないっていうか、色々いっぱいいっぱいなんだよ。ちょっと落ち着きたいんだけど」
「うん。照れてる瑠衣も可愛いね。好きだよ」
「うん、だからね……あれ、もしかしておれ、立ったまま寝てたりする? これ本当に現実? ちょっと町内一周走ってこようかな。そしたら目も覚める気がする」
「大丈夫、これは現実だよ。瑠衣のそういうちょっとおバカなところも、可愛くて好きだよ」
「っ、だから! 要くんは好き好き言い過ぎ! 今のおれの心臓ヤバいからね!? このままじゃ大爆発するか、心停止して死んじゃうかも!」
「そしたら、俺が人工呼吸して助けるから大丈夫だよ」
「それはむしろ、おれの心臓を傷めつけるだけの行為なので! AEDを希望します!」

道の往来でバカ騒ぎをしてしまっているという自覚はあるけど、まさか要くんと両想いだったなんて夢にも思っていなかったから……驚きと嬉しさで脳がショートして、テンションがおかしなことになってるんだ。ちょっと冷静になるための時間がほしい。
だけど要くんは余裕綽々って感じだ。それがちょっぴり悔しい。おれもあと二年経ったら、こんな風に落ち着いた男子高校生になれるんだろうか。

「それじゃあ、行こっか」
「……あの、要くん? 行くってどちらに? 今日は甘いものでも食べて寄り道する予定だったよね?」

おれの左手をさらりと握った要くんは、進路を変更して歩き出す。だけどそっちは住宅街だ。甘いものが売っているお店なんて一軒もない。

「俺さ、ずっとずっと、ずーっと我慢してたんだよ。(よう)は腹ペコなの。だからさ、まずは瑠衣を美味しく頂きたいな。そしたら、甘いものでも何でも、いくらでも買ってきてあげるからさ」
「い、……いやいや! おれたち、お付き合いしてまだ三分くらいしか経ってないよね!? まだ早すぎるんじゃ……あれ、っていうかおれたち、お付き合いしたことになってるの!?」
「うん、好き同士なんだから、当然だよね?」
「あ、当然なんだね!?」
「それにさ……瑠衣もしてほしかったんでしょ?」

要くんの親指が、おれの下唇にふにっと触れた。図星を突かれて息をのむ。
数秒の沈黙の末に無言で頷けば「はは、本当に瑠衣って素直だよね」と笑った要くんからの、まさかの不意打ち攻撃に――おれの心臓は、確実に一瞬止まっていたと思う。

「キス、しちゃったね」
「……」
「あ、言っておくけど、ドキドキしてるのは俺も一緒だから。俺の心臓がヤバくなった時は、瑠衣が人工呼吸して助けてね」
「……それが本当なら、むしろ二人とも、心停止一択コースだと思います……」
「そっか。瑠衣と一緒だったら、それも悪くないかもね」
「要くん、怖いです……」
「ふふ、半分は冗談だよ」
「え、あとの半分は本気なの? ……ねぇ、どうして無言?」
「それじゃあ、続きは俺の家でしよっか」

おれの疑問の声は、要くんのにっこり笑顔で黙殺されてしまった。

そして要くんの部屋に連れ込まれたその後は、蕩けちゃいそうなくらいのキスから始まり、散々身体に触れられて、甘い言葉を囁かれて――おれの心臓は、一週間分くらいの働きをしていたんじゃないかって思う。いやマジで。……AEDの購入を、本気で検討した方がいいかもしれないと思いました。