ただの、ちょっとしたミス。
そこから全ては始まった。
ルカは年齢不詳、顔出しをしないアーティストとして世に出た。
そしてルカは、心に響く綺麗な歌詞と、一人の夜にそっと寄り添ってくれるようなメロディで知名度を獲得した。
低くて、心地よくて、聴いているだけで安心するような歌声でファンを獲得した。
そして、よく笑って、だけど怖がりなところとか、少し意地悪なところとか、けれど曲に対しては人一倍熱いところとか、その人柄で人気を獲得した。
楽しそうに、幸せそうに、曲を綴っては紡いでいた。
あの路上で笑っていたルカは、いつの間にか僕の指の間をすり抜けて、遥か遠くへで歩いていた。
そんなルカが誇らしかったり、寂しかったり……。
それでも、毎日ルカの歌に救われる日々だった。
自己嫌悪に苛まれる日は、流夏のプレイリストを開いた。そして涙を流すと、残るのは孤独なんかじゃなくて、温かい光だった。
そんなルカは、これから更に大きくなって、もっと遠くへ。そうやって離れていくんだろうな、と覚悟はしていた。
けれど、あんな形でいなくなるなんて。
ルカのSNSに投稿された一言だった。
『一度でいいから会いたい。字丸くて可愛い。イベントで会いに来て。話したい』
初めは誰の目にも留まらない投稿だった。
恋愛ソングを多く書いていたルカだから、これも歌詞の一種なのかもしれないと思っていた。普段は告知ばかりのSNSでその投稿は目立っていたけれど。
けれど、それが誤投稿されたと判明したのはすぐあとだった。
『これって、誤投稿?』
『イベントで会いに来て、とか、ファンに対して?』
『待って、ルカって好きな人いるの?』
『それも、ファン?』
だんだんと、じわじわと、蝕んでいくコメントたち。
そして次の瞬間には、炎上していた。
アーティストがファンに恋をしている。
アーティストの自覚も持たないで、恋にうつつを抜かして、こんな馬鹿なミスまでしている、と。
ルカが大好きだった僕に、その一件は衝撃を与えた。
けれど……それだけだったらまだ良かっただろう。
ルカの曲のミュージックビデオにも、曲とは無関係なコメントがつくようになった。
『ファンが好きだって、誤爆した人?』
『全部、その人のための歌詞なんじゃね?』
『待って、最悪』
『ルカの曲、全部キモくなってきた』
あの一件とは全く関係ないところで、どんどん書き込まれていく心無いコメントたち。いつしかルカの曲まで批判されるようになった。
壊れ物のように繊細で、でも綺麗で、美しいルカの曲が。
僕はそのコメントに、煮えたぎるような怒りを抱えていた。
あの寒さの中で凍えていた少年がようやく大きくなって、温かい広場で歌えるようになったのに。
ようやく居場所を見つけて、そこで輝いているのに。
どうして、人が努力してきたことを平気で罵れるのだろう。
僕だって、あの投稿には驚いた。
ルカに大切な人がいることは、正直心にきた。鈍器で殴られたような痛みや、喪失感が覆ったことは否定できない。
でも、それでも、ルカが、ルカの曲が大好きなんだ。
だから僕はこの騒ぎが落ち着くのをじっと待っていた。
拳を強く握りながら、下唇を噛みながら。
けれど、その勢いは留まることがなかった。
新曲を出す度に、誹謗中傷のコメントは止まなかった。
そんな心無いコメントは事務所が削除していたはずなのに、それを上回るスピードで書き込まれていく。
あんなに小さな火種だったのに、いつしか炎へと移り変わったのだ。
そして、ルカの覇気はどんどん失われていった。
配信をする度に、朗らかな声で笑わなくなって、抑揚がなくなって、弾き語りをすることも無くなった。
ただそんな様子のルカを見る度、僕はそれ以上に辛かった。

「ルカのこと、なにも知らないくせに!」
「ルカの歌を愛したこともない人が、ルカを決めつけるな!」

叫んだ僕の思いは、誰に届くこともなく、かき消されていく。
けれど、僕はずっと叫び続けた。
ルカへの想いを吐き出したファンレターをずっと、ずっと送り続けた。
この世界に、ちゃんとルカのことを好きな人がいるんだと知って欲しかった。
けれど、僕にはルカの心を動かす力なんてない。
泣きながら綴ったファンレターだって、ルカに届いたかすら分からない。
そして、配信の回数も日に日に減っていき、ルカの歌声は聴けなくなった。ギターを持つ度に、苦しそうに、喉に何かが刺さるようにつっかえるルカが忘れられない。
そして、あの日。
ルカのSNSにあの言葉が投稿された。
『歌えなくなりました』

「……っ!」

その言葉の意味を認識した途端、僕は崩れ落ちた。
心に穴が空いたように、気がつけば、涙が溢れていた。悔しさなのか、大切な人を救うことすら出来なかった自分への腹立たしさなのか。
今ではよく分からない。
けれど、悔しくて、悲しくて、まるで世界が黒く染まったみたいだった。
ルカが発信したそのコメントは、あの投稿よりも広まった。
『ルカの歌好きだったのに……』
『批判してたやつ、最低』
そんなコメントまで浮上してくる世界。
ルカが苦しんでいた時に、何もしなかった奴が、批判していた奴が。
どうして手のひら返しのように、簡単にそんなことを言えるのだろう。
人間は醜くて、あまりにも汚かった。
あの真っ直ぐで、綺麗な瞳をしたルカが息を吸うのには、あまりにも濁っていたのかもしれない。
そして、僕はルカの亡霊へと化した。
黒く、平凡な世界へと逆戻りだ。
ただ色づくことがあるならば、ルカの歌を聴いている時だけだった。
けれど……君は現れたんだ。
もう一度、まるで天が巡り合わせたように、奇跡のように、僕の前へ現れた。
きっと沢山心に傷を作って、その顔は、あの時のように輝いていない。怖がりなルカにとって、今は誰かと話すことだって怖いんだろう。
ルカの笑顔を奪った奴らは、決して許せない。
けれど、それでも嬉しいんだ。
ぶっきらぼうだっていい。だって、それだけ傷つけられてきたんだから。また会えたことが、その姿を感じられることが、ただただ嬉しい。
そして……今度は、絶対に君を失わない。