気がつけばもう、文化祭の二日前だった。
僕たちのクラスの出し物は、演劇となっている。
演じるのは、『白雪姫』。
そしてそれが決定したのは、たった二週間前ほどだった。それからずっと僕たちは、準備に追われていた。
僕は衣装作りを任されている。
流夏は『王子様』役が似合いそうなのに、僕と同じ衣装作りの係となっていた。
僕の隣にはいつも流夏がいて、そんな日常が日常と化しつつある。
今日は、夜遅くまで学校に残って準備をする日だ。
今年は母さんが家に帰ってきてくれていて、僕も学校に残って作業をすると言うイベントを謳歌していた。
窓の外は闇に包まれていて、たった一つ灯った部屋の中で、クラスメイトが作業をする。その特別感が、ほんの少し苦手だった文化祭が、今は楽しい。

「流夏―。そっち終わった?」
「わかんねぇ。けど、もう少し」
「僕、終わったよ!」

危なっかしい手つきで、布に針を通す流夏に声をかける。
ちょうど、白雪姫の衣装作りを終えた僕は、流夏が腰掛ける椅子の方へ駆け寄った。相変わらず不器用なようで、ところどころが大きく歪んでいる。
けれど、そんな不器用な流夏が可愛くて、僕は笑みを落とした。

「流夏って、不器用だよね」
「は? ちゃんと出来てるだろ、ほら」

僕が揶揄うように笑うと、流夏はムキっぽくその布を見せる。流夏が担当してるのは、頭につける装飾物だから、多少のズレは問題ない。
けれど、多少のズレ、と言う範疇ではなかった。

「あはっ。出来てないってば! ほら、貸して」
「……ん」

不機嫌そうに眉を寄せた流夏が布を手渡す。
僕は家事全般なら出来る。
優や翔のトートバックを縫うことだってよくある。そのことを知っている流夏は、何も反論出来ないようだった。

「ここ、ガタガタだよ。直すね」
「ん」

そう言うと、流夏から針をもらう。そして、丁寧に丁寧に、糸を解いていく。
教室には、たくさんの生徒で溢れかえっているのに、僕たちの周りは静かなくらいだった。針を通してる様子を、流夏がじっと眺めている。
少しだけ背筋が伸びて、僕は手に汗を握る。
流夏は無自覚なのかもしれないけれど、僕はその視線一つ一つに、ドギマギする。
するとその時、その様子をじっと見ていた流夏がポツリと呟いた。

「佐倉って、文化祭どうすんの」

その言葉に、僕は頭を上げる。

「どうするのって?」
「文化祭って、校舎回るんだろ? 誰と一緒に回るんだよ」

少し小さな声に、僕は口元が緩む。
そうだった。流夏は文化祭が初めてなんだった。
少し前までは、流夏の笑った顔すら見れるか怪しいくらいだったのに。そんな心配は過ぎ去っていて、文化祭の話までしている。
流夏と出会ってからは、毎日が早く過ぎ去って、一日一日が濃い。

「……僕は、誰とも約束しないけど。多分、妹と弟が来るんじゃないかな? 小学校終わりに」
「あ、そう」
「なんで?」
「別に」

そう問うと、流夏はプイと窓の外を向く。
流夏が僕以外と親しくしている様子なんて見たことがない。
もしかして、僕と一緒に回りたいのかもしれない。
僕にいたずら心が宿る。
いつも、いつも、流夏に振り回されている僕は、この時だけ、仕返しがしたかった。
作業をしていた手を止め、流夏の顔を覗き込む。

「もしかして、僕と一緒に回りたい、とか?」
「っ」

流夏の驚く顔が、視界いっぱいに映し出された。
それだけで、僕は満足する。
けれど、流夏は僕よりも遥に上手だった。再び作業をしようと、伸ばした手を流夏に掴まれる。

「なに?」
「ああ。俺、佐倉と一緒に回る。兄弟が来るまでの間でいいから。一緒にいて」

僕に視線を合わせるようにして、覗き込む。
そう言った流夏は、あまりにも真剣で、僕の心臓は高鳴った。

「う、うん。いいよ」

そう言った声は、少しだけ裏返っていた。
だって、そんな真剣に返されるなんて思わないじゃないか。流夏にとって僕はただの友達でしかなくて、その関係性は変わることがない。
いくら僕が諦めようとしたって、流夏はいっつも僕を逃してはくれない。

「やったな」
「……うんっ」

まるで子供のような屈託のない、純粋な笑顔で流夏は笑う。
その笑顔に、僕はどうしようもないほどに胸が高鳴った。俯きながら、僕も首を縦に振る。
僕と回る約束をして、喜んでくれている流夏が、素直に嬉しかった。
そして僕たちは、一緒に文化祭を回ることになった。
漠然と一人で行動するものだと思っていた僕にとって、一大イベントだ。
まるで恋人同士の約束みたいで、変に意識してしまう。
流夏は僕のことなんて好きじゃないのに、もしかして、という期待が横切る。
嬉しいのに苦しくて、その苦しさがまた、流夏に恋をする。
もう、どうすればいいか分からなかった。
こんなに苦しくなるならいっそのこと、その『さくらさん』は僕なんだと告げてしまおうか、なんて思う。
けれど、告げられた流夏はどんな気分なのだろうか。
恋焦がれてきた人はただの偶像に過ぎなくて、友人だと思っていた人が自分のことを好いているなんて。
きっと、傷つける。
どうしようもないほどに傷つけてしまう。
流夏の傷ついた顔なんて、見たくない。他人を傷つける苦しさが、僕には痛いほどに分かってしまうから。
だから僕は、欲望に抗えないまま、きっと明日も、明後日も流夏を騙し続ける。