昔からおかしいと思っていた。
友達と会話を繰り広げる中で、どこか自分だけが違うような気がしていた。
小学生の時、好きな人の話になった。
一人の机を囲み、女の子の名前を挙げて笑う同級生たち。けれど好きな人、と言われて真っ先に思い浮かんだのは、一つ後ろの男の子だった。
プリントを回す時。優しく笑って受け取る様子に、子供ながらに尊敬していた。プリントが足りない時は、後ろの子に渡してから、先生に報告へ行く。
いつも真面目で、休み時間はクラスの明るい集団に混じることもなく、ただ本を読んでいる。その大人っぽい姿に憧れていた。
笑いかけられると、心臓が飛び跳ねた。

「佐倉は? お前、好きなやつとかいねぇの?」

そしてとうとう順番が回ってくる。
僕は少し考えたのち、あの子の名前を言った。
その場の空気が凍る音がした。みんな僕から距離をとって、白い目で見てくる始末。

「なんで男?」
「キモいよ、それ。フツウじゃない」

咄嗟に出たんであろうこの言葉が、ずっと心の奥に刺さっている。
深く深く、抜けることがないように。
笑っているのに、目が笑っていない。僕を避けるような、人外を見た時のような目が忘れられない。
そしてこの時、僕は意識し始めた。自分はどこかおかしいのかもしれないと。一度そう思ってしまうと、それは僕の目にも映るほど、鮮明になっていった。
フツウになりたい。
そう思うようになった。
そして僕が中学生の頃。
あの時の季節は冬だっただろう。
僕に告白してくれた女の子がいた。クラスの中でも人気を集めていた女の子だった。けれど、嬉しいなんて感情は微塵も湧かなかった。
けれど、僕は思ってしまったんだ。
この子と付き合って、僕も女の子が好きになればフツウになれる、と。

「いいよ」

そう言った。
フツウになれるはずの日々が待ち遠しかった。
けれどそんな日々は、いつまで経っても訪れない。笑顔で話しかけられるだけなら、まだ良かった。一人の友達として、ただ楽しかったから。
そして、とうとうクリスマスを迎えた。
あの日、僕はあの子と待ち合わせをしていた。
特に身なりに気を使うこともなく、防寒第一の服装と、あの子のキラキラと輝いたパールの服装の温度差は忘れられない。
それでも、クリスマスという日を楽しんだように思う。
あの時までは。
イルミネーションが輝く中、あの子の体が近づいてくる。人一人分離れていた僕たちの距離は、いつの間にか数センチになっていた。
そして次の瞬間、僕の体に小さな温もりが宿った。
驚いて見ると、あの子が僕を抱きしめていた。
その時、僕は最低なことを感じてしまったんだ。
嫌いな食べ物を懸命に咀嚼する時のような、気持ち悪さを。
気がつけば、僕はあの子の体を押していた。反射的に、小さな体を押し除けた。

「どうして……?」

あの子の瞳から涙が溢れ出る。寒さで赤くなった頬に伝ってゆく。

「どうして、佐倉くんはいつもそうなの! 私たち、付き合ってるでしょ? 恋人でしょ? 私のこと、好きなんだから付き合ってくれたんでしょ? なのに、佐倉くんは私のこと好きじゃないみたい。私と話してる時も、少しも楽しそうじゃないし、ずっと我慢してたんだよ? 好きの一言も言わない。手を繋ぐことも出来ない。おかしいよ! どうしていつもそうなの!」

鼓膜に鳴り響く、泣き叫ぶ声。
ただただ、申し訳なかった。
フツウになりたくて、利用したんだ、僕は。けれど、フツウになることも出来なくて、人を傷つけてしまった。
女の子を泣かせて、傷つけて、それでも僕はこの言葉に対する返事をあげられない。

「……好きになれなかった。ごめん、本当にごめん」

僕は崩れるように体を折り曲げた。
加害者のくせに涙が溢れて、この寒さのせいなのか、それとも別の理由なのか分からないけれど、仕切りに伝っていく。
そして、次の瞬間、燃えるように熱い衝撃が降ってきた。
その衝撃が神経に伝い、僕はようやく頬を叩かれたことを知った。

「さいってい」

涙を溜めた瞳で、その一言を吐き捨てる。
次の瞬間には、僕の隣には誰もいなくて、ただ独りとなった。胸が苦しくて、息が出来なかった。
次々と溢れては消えていった。
僕はフツウになれなかった。
いつまで経っても、おかしくて、他人を傷つけてばかりいる。そんな自分が許せなかった。許せなくて、嫌悪感に苛まれて、太ももに爪痕を深く残した。
この世界にポツンと取り残された僕は、ただその街を彷徨い続けた。フツウになれない僕は生きてる価値なんかない。僕が生きていることによって、たくさんに人を傷つけてしまう。
……死にたい。
ふとそう思った。
パッと浮かんできた欲望だった。
けれど、その時に飛び込んできたんだ。
流夏の声が。僕と同じように独りで、その孤独と戦うように愛の歌を歌う流夏が、本当に眩しかった。
こんな自分を肯定してくれているようで。
だから、僕は生きている。
そして奇跡を経て、僕は流夏と違う世界で知り合った。触れることが出来た。言葉を交わすことが出来た。
僕は、次第に恋に落ちた。
漠然と、この恋は僕の心の内で眠り続けていくものなんだろうと思った。消えることもなく、かといって実ることもなく。
けれど、今、消えようとしている。
男が男を好きになる。
それが、どんなに苦しいか、僕は身をもって痛感した。
流夏の恋愛対象は女の子で、僕は男。
二人が描いた線は、交わることなく、平行を描く。
そして今、僕は再び思う。
どうしてフツウになれなかったんだって。
あの時、フツウになれたなら。僕は今頃、ただ幸せな日々を過ごしていたのに。
行き場のない恋心だけが、僕の中で残り続けている。