そして、僕たちは音楽室で一緒に、机を囲んだ。
暖房の効いていない音楽室の空気は寒くて、僕たちはセーターに身を捩る。
その机にはお弁当が小さく乗せられていた。僕たちは、会話をし合って距離を縮めた……なんてことはなかった。
音楽室が静寂に包まれると、僕は乱雑に置かれたお弁当箱を拾い上げた。
熱のほとぼりが冷めない中で、僕はゆっくりとお弁当箱を開けた。
そんな僕を見て、ルカも菓子パンを頬張る。
僕たちは窓の外を見て、この空気に酔いしれた。
ルカと一緒にご飯を食べている、と言う事実が僕の鼓動を早くして、ご飯を呑み込むのも一苦労だった。
そしてそんな時間もいつかは終わる。
昼休みの終わりを知らせる鐘が、音楽室の扉を経て、廊下から聞こえ出す。
僕たちは徐に席から立ち上がって、同じ歩幅で教室を目指した。
その時だった。
ずっと黙っていたルカが僕の方を振り返ったのだ。先ほどまで涙を流していた人とは思えないような、綺麗な顔で。
「なあ、佐倉」
「う、うん」
妙に肩に力が入って、ぎこちない返答だった。
けれどルカはそんなものはお構いなしに続けた。
「あの日。佐倉が話しかけてきた時……」
言うことが憚れるかのように、言葉に詰まるルカ。そして、僕から視線を外したあと、ぶっきらぼうに放ったんだ。
「その……不快って言って悪かった。でも、そうじゃなくて。別に不快なことなんてねぇ。むしろ、いいっていうか」
「え? なんて?」
「……だから! 話しかけても別に、いい」
そう言い放つと、ルカは僕の返事も聞かず、大きな足音を立てて颯爽と去っていく。その白い頬に、僅かな赤色を残して。
僕は廊下で立ち尽くした。
高鳴り出す心臓を、両手で抑えつけた。
そうでないと、この鼓動が聞こえてしまいそうな気がして。
もしかして……ルカは、不快だって言ったことを、ずっと気に留めていたのだろうか。
たったそれだけのことを考えていたのだろうか。
まるで、ルカの魔法で石化されたように、僕は固まった。
あの日のように、周りの声なんか一切聞こえなくて、ただルカのその後ろ姿を眺めた。
鼓動が早くなって、世界が眩しくなった。
ルカは僕が知っていた何倍も、魅惑だった。
そして、そんなルカに僕は勝てっこなかった。
僕はそんなルカの魅力に、これ以上ないほど深く浸かっているらしい。ルカのことが、そして、成瀬流夏のことが、本当に、大好きらしい。
紅潮して、熱く切り取られた頬を手の甲で冷やしながら、僕は呟いた。
僕は、勝負に負けた。
でも、こんな勝負に勝てる奴なんて、きっといない。
僕は、流夏が好きになった。
それから僕たちは、不定期に音楽室に集まるようになった。
教室の中ではいつものように、僕が話しかけて、流夏が返答をする。
ただそれだけ。特別なやり取りなんてなくて、その表情は相変わらず無愛想だった。
けれど、音楽室に行けば、その笑顔が垣間見える。
僕だけの、特権。
僕だけが知っている、僕だけの流夏。
あの日から、流夏が歌おうとしている様子を見ることはなくなった。僕たちは、ファンとアーティストという関係から、少しづつ友達へと変化していった。
流夏の口調は少しづつ和らいで、ルカとして活動してた時の香りが漂う日もあった。
それは雨の強い日だった。
窓に何も映らないくらいに曇っていて、天候は荒れいて、時折雷が轟いていた日。いつものように音楽室に来た僕たちは、いつものように電気をつけようとした。
音楽室はあまり光が入らない設計なのか、その日は何かが出る予兆のような、重々しい空気が漂っていた。
そして、僕はスイッチに手をかけた。
パチン
けれど、電気が付かない。
「あれ? 停電?」
僕がポロリとついた言葉に、流夏の肩が跳ね上がる。
「は? 本当につかねぇの?」
「う、うん。ほら」
そう僕の方へ寄って来た流夏の指先は、僅かに震えていた。
流夏は怖がりな性格で知られていた。
けれど、それを必死に取り繕うように、平生でいようとする流夏に、僕はほんの少しのいたずら心が湧いた。
そして次の瞬間。
「……わ!」
音楽室の周りに人が少ないことを利用して、僕は大きな声を発した。それはもちろん、流夏を驚かすために。
「っ!」
そして案の定、流夏は大きく肩を跳ね上がらせた。けれど、それだけには留まらない。何かに怯えるように、僕の背中にその頬を寄せたのだ。
まるで僕を盾にするように。
その背中に感じる温もりに、心臓が飛び跳ねた。
けれど、それ以上に流夏が可愛く見えた。
口元がだらしなく緩んで、止まることはなかった。
身長も高くて、顔も、声も、全部素晴らしい人なのに、僕の声に驚いている流夏が、僕を盾に隠れる流夏が、可愛かった。
「お、驚かせるなよ!」
「……ふっ、ごめん」
「何笑ってんだよ。次やったら許さねぇから」
そして流夏は、僕の腕をぺちんと叩いた。
触れられたところがこんなにも熱くなっているなんて、流夏は少しも思ってないだろう。けれど、そんな毎日は目が眩むほど輝いていた。
ただ流夏と居れることが楽しくて、嬉しくて、幸せで、少し前の日常とは逸脱した日々を送っている。
けれど、その笑顔を見る度に感じる、胸の痛み。
その胸の痛みは、日に日に大きくなっている。
流夏の笑顔を見る度に、呼吸が浅くなって、息が出来なくなって、ただ心臓の音だけが響き続けている。何かに感電したかのような衝撃が走るのだ。
けれど、僕はその正体を知っている。
……恋なんだ。
どうしようもなく流夏に恋焦がれて、その顔を見るだけで、心臓を握られたように苦しくなる。誤魔化しが効かないくらいに、この気持ちはいつの間にか肥大化していた。
けれど、流夏には言えない。
友達として、接してくれている流夏に恋愛感情があるだなんて。気持ち悪がられるに決まっている。
フツウは女の子を好きになるはずなのだから。
僕のように恋愛対象が男なんて、流夏にも理解してもらえるかどうか。
それに、流夏には好きな人がいる。
思わず発信せずにはいられなかった、ルカのファンだという人。羨ましくて、なれるものなら入れ替わりたくて仕方がない人。
あの呟きには、その人を愛おしいと思う気持ちが溢れていたのだから。
流夏の気持ちを遮ってまで、なんて、そこまで非情になれない。流夏が幸せになれるのなら、その人と結ばれてほしいと思うから。
だから、僕は隠している。
溢れ出さんとする恋心に蓋をしている。
その笑顔に胸が高鳴ることを。
流夏を近くで感じて、触れたいって思うことを。
けれど、そんな僕の煩悩に気がつくこともない流夏は、今日も僕の目の前で無防備に笑う。
綺麗な瞳の中に空模様が反射して、ふわりと靡く髪の毛は綺麗で。
それでも、僕は幸せだ。
このままずっと、流夏と一緒に過ごしたい。
けれど、そんな日々はいつまでも続くわけがなかった。
ずっと嫌な予感はしていた。
そう。流夏の正体が、バレたのだ。
暖房の効いていない音楽室の空気は寒くて、僕たちはセーターに身を捩る。
その机にはお弁当が小さく乗せられていた。僕たちは、会話をし合って距離を縮めた……なんてことはなかった。
音楽室が静寂に包まれると、僕は乱雑に置かれたお弁当箱を拾い上げた。
熱のほとぼりが冷めない中で、僕はゆっくりとお弁当箱を開けた。
そんな僕を見て、ルカも菓子パンを頬張る。
僕たちは窓の外を見て、この空気に酔いしれた。
ルカと一緒にご飯を食べている、と言う事実が僕の鼓動を早くして、ご飯を呑み込むのも一苦労だった。
そしてそんな時間もいつかは終わる。
昼休みの終わりを知らせる鐘が、音楽室の扉を経て、廊下から聞こえ出す。
僕たちは徐に席から立ち上がって、同じ歩幅で教室を目指した。
その時だった。
ずっと黙っていたルカが僕の方を振り返ったのだ。先ほどまで涙を流していた人とは思えないような、綺麗な顔で。
「なあ、佐倉」
「う、うん」
妙に肩に力が入って、ぎこちない返答だった。
けれどルカはそんなものはお構いなしに続けた。
「あの日。佐倉が話しかけてきた時……」
言うことが憚れるかのように、言葉に詰まるルカ。そして、僕から視線を外したあと、ぶっきらぼうに放ったんだ。
「その……不快って言って悪かった。でも、そうじゃなくて。別に不快なことなんてねぇ。むしろ、いいっていうか」
「え? なんて?」
「……だから! 話しかけても別に、いい」
そう言い放つと、ルカは僕の返事も聞かず、大きな足音を立てて颯爽と去っていく。その白い頬に、僅かな赤色を残して。
僕は廊下で立ち尽くした。
高鳴り出す心臓を、両手で抑えつけた。
そうでないと、この鼓動が聞こえてしまいそうな気がして。
もしかして……ルカは、不快だって言ったことを、ずっと気に留めていたのだろうか。
たったそれだけのことを考えていたのだろうか。
まるで、ルカの魔法で石化されたように、僕は固まった。
あの日のように、周りの声なんか一切聞こえなくて、ただルカのその後ろ姿を眺めた。
鼓動が早くなって、世界が眩しくなった。
ルカは僕が知っていた何倍も、魅惑だった。
そして、そんなルカに僕は勝てっこなかった。
僕はそんなルカの魅力に、これ以上ないほど深く浸かっているらしい。ルカのことが、そして、成瀬流夏のことが、本当に、大好きらしい。
紅潮して、熱く切り取られた頬を手の甲で冷やしながら、僕は呟いた。
僕は、勝負に負けた。
でも、こんな勝負に勝てる奴なんて、きっといない。
僕は、流夏が好きになった。
それから僕たちは、不定期に音楽室に集まるようになった。
教室の中ではいつものように、僕が話しかけて、流夏が返答をする。
ただそれだけ。特別なやり取りなんてなくて、その表情は相変わらず無愛想だった。
けれど、音楽室に行けば、その笑顔が垣間見える。
僕だけの、特権。
僕だけが知っている、僕だけの流夏。
あの日から、流夏が歌おうとしている様子を見ることはなくなった。僕たちは、ファンとアーティストという関係から、少しづつ友達へと変化していった。
流夏の口調は少しづつ和らいで、ルカとして活動してた時の香りが漂う日もあった。
それは雨の強い日だった。
窓に何も映らないくらいに曇っていて、天候は荒れいて、時折雷が轟いていた日。いつものように音楽室に来た僕たちは、いつものように電気をつけようとした。
音楽室はあまり光が入らない設計なのか、その日は何かが出る予兆のような、重々しい空気が漂っていた。
そして、僕はスイッチに手をかけた。
パチン
けれど、電気が付かない。
「あれ? 停電?」
僕がポロリとついた言葉に、流夏の肩が跳ね上がる。
「は? 本当につかねぇの?」
「う、うん。ほら」
そう僕の方へ寄って来た流夏の指先は、僅かに震えていた。
流夏は怖がりな性格で知られていた。
けれど、それを必死に取り繕うように、平生でいようとする流夏に、僕はほんの少しのいたずら心が湧いた。
そして次の瞬間。
「……わ!」
音楽室の周りに人が少ないことを利用して、僕は大きな声を発した。それはもちろん、流夏を驚かすために。
「っ!」
そして案の定、流夏は大きく肩を跳ね上がらせた。けれど、それだけには留まらない。何かに怯えるように、僕の背中にその頬を寄せたのだ。
まるで僕を盾にするように。
その背中に感じる温もりに、心臓が飛び跳ねた。
けれど、それ以上に流夏が可愛く見えた。
口元がだらしなく緩んで、止まることはなかった。
身長も高くて、顔も、声も、全部素晴らしい人なのに、僕の声に驚いている流夏が、僕を盾に隠れる流夏が、可愛かった。
「お、驚かせるなよ!」
「……ふっ、ごめん」
「何笑ってんだよ。次やったら許さねぇから」
そして流夏は、僕の腕をぺちんと叩いた。
触れられたところがこんなにも熱くなっているなんて、流夏は少しも思ってないだろう。けれど、そんな毎日は目が眩むほど輝いていた。
ただ流夏と居れることが楽しくて、嬉しくて、幸せで、少し前の日常とは逸脱した日々を送っている。
けれど、その笑顔を見る度に感じる、胸の痛み。
その胸の痛みは、日に日に大きくなっている。
流夏の笑顔を見る度に、呼吸が浅くなって、息が出来なくなって、ただ心臓の音だけが響き続けている。何かに感電したかのような衝撃が走るのだ。
けれど、僕はその正体を知っている。
……恋なんだ。
どうしようもなく流夏に恋焦がれて、その顔を見るだけで、心臓を握られたように苦しくなる。誤魔化しが効かないくらいに、この気持ちはいつの間にか肥大化していた。
けれど、流夏には言えない。
友達として、接してくれている流夏に恋愛感情があるだなんて。気持ち悪がられるに決まっている。
フツウは女の子を好きになるはずなのだから。
僕のように恋愛対象が男なんて、流夏にも理解してもらえるかどうか。
それに、流夏には好きな人がいる。
思わず発信せずにはいられなかった、ルカのファンだという人。羨ましくて、なれるものなら入れ替わりたくて仕方がない人。
あの呟きには、その人を愛おしいと思う気持ちが溢れていたのだから。
流夏の気持ちを遮ってまで、なんて、そこまで非情になれない。流夏が幸せになれるのなら、その人と結ばれてほしいと思うから。
だから、僕は隠している。
溢れ出さんとする恋心に蓋をしている。
その笑顔に胸が高鳴ることを。
流夏を近くで感じて、触れたいって思うことを。
けれど、そんな僕の煩悩に気がつくこともない流夏は、今日も僕の目の前で無防備に笑う。
綺麗な瞳の中に空模様が反射して、ふわりと靡く髪の毛は綺麗で。
それでも、僕は幸せだ。
このままずっと、流夏と一緒に過ごしたい。
けれど、そんな日々はいつまでも続くわけがなかった。
ずっと嫌な予感はしていた。
そう。流夏の正体が、バレたのだ。