あの日、僕は救われた。
ただただ寒くて、ぶたれた頬がヒリヒリ痛んで、一歩を踏み出す、それだけのことが怖くて、消えたくて、どうしようもない日だった。
普通になりたいだけなのに。
未だに女の子の泣き叫ぶ声が、脳裏で再生される。
どうして、自分は普通の恋が出来ないのだろう。見渡せばそこにある恋が、僕の手には届かない。
……今日はクリスマス当日。
ずっと前から用意されていたイルミネーションが夜の街を彩って、煌びやかで、あちこちで幸せそうな人々の笑い声が響いている。
僕以外、幸せそうだ。
俯いて、小さな一歩を踏み出す。
けれど、その時響いたんだ。
笑い声の間隙を縫って、僕の鼓膜に、心臓に飛び込んできた歌声。
とても低くて、ちょっぴり吐息混じりの歌声。
隣に寄り添ってくれるような、綺麗な、綺麗な歌声。
辺りは華やかで、目が眩むほど輝いているのに、そんなものよりも、どこよりも僕の心に飛び込んできた。
僕は寒さなんて忘れて、声をした方に視線を移した。
そして見つけたんだ、君を。
凍えるような寒さの中、ベンチに腰掛ける君を。
首には暖かそうなマフラーが巻かれていて、その目の前には白い息が浮いている。
僕と同じくらいの歳の少年だった。
少年は今にも泣き出しそうな顔で、震えるような声で、青いギターを片手に歌っていた。
これを、路上ライブというのだろう。
その少年は喉に何かが刺さっているかように、苦しみながら愛の言葉を唄っていた。

「君が好きだ
 君が好きだ
 だた、どうしようもなく、この世界が否定しても、君が好きだ」

小さく震える唇で、その歌詞を口にした。
僕の熱く腫れ上がった頬に、一筋の涙が溢れ出す。目の前がぼやけて、鼻がツンと痛くなって、止まらなかった。
この世は、生きづらい。
これが齢十四歳にして知った現実だった。
ただ自分の率直な心を伝えることが出来なくて、いつも他人の、大人の顔色を窺って生きている。そこには無数の嘘が存在し、裸の心がぶつかることなんて無いに等しいだろう。
だからだろうか。
何かで繕うわけでもなく、率直な歌詞が僕の心に飛び込んできたんだ。

「……っ」

稲妻に打たれたように、その場所から動けなくなった。
僕はたくさんの人が行き交う、その駅前で涙を流しながら、少年の演奏に耳を澄ましていた。それはこの街よりも……この世の何よりも、輝いて見えた。

「――ありがとうございました」

曲を歌い終わると、ゆっくりとギターから顔を離す少年。綺麗に整った顔が視界に映る。
寒さと衝撃により真っ赤になった手は、ぎゅっと握られていた。
その少年の言葉に耳を傾ける人なんていない。
少年は虚空に向かって、誰に語りかけるでもなく頭を下げ続けていた。
僕は流れ続ける涙を手の甲でグッと拭き取る。
パチパチパチッ
……手が痛い。
そりゃそうだ。こんな寒さの中なんだから。
でも僕は、拍手をせずにはいられなかった。ただ僕の心に真っ直ぐ響いて、冷たかった心臓を解きほぐしてくれた。
本当に素晴らしいものだった。

「……っ。ありがとうございますっ!」

少年はまさか傍聴者がいるなんて思ってなかったのだろう。僕の拍手に気がつくと、嬉しそうにふにゃりと顔を綻ばせた。
その泣きそうな、嬉しそうな笑顔が今でも忘れられない。
背丈は同じなのに、妙に大人っぽくて、その顔はこの世界中の誰よりも綺麗だと思った。美しく弧を描く真っ赤な唇。
あの時だったんだ。
僕が、君に恋をしたのは。
泣きそうな顔で、愛を叫ぶ、儚い君が忘れられない。

あの時から、ずっと、君に恋をしている。