「わぁ~! なつかしい~」
 心葉を連れてきたのは水族館。小さい頃によく来た場所だ。
 朝早くに家を出て、電車とバスでやってきた。ちょっとした遠足気分。彼女の背負うリュックには、たぶんお菓子が入ってる。この水族館は県内屈指のメジャーな観光地なのだが、俺らみたいな地元民もわりと行く。
「ふふーん。いいね」
 館内は優しい青い光で溢れていた。
 心葉に手を引かれ、ひとつずつゆっくりと水槽をまわった。相変わらず俺は恥ずかしい。心葉の柔らかい手にずっと触れていたいんだけど、心がそうさせない。ずっと腹のあたりがムズムズくすぐったくて、意識を集中させていないと手を離しそう。
 そんな不自然な俺の様子を見て、心葉は鼻にかかる声で「ふふ」と小さく笑った。
「どうした? 具合悪い?」
 いかにもお姉さん気取り。余裕の表情で上目遣い気味に俺の顔を覗き込む心葉。
「いっ、いや……大丈夫」
 俺は余計に顔を赤くしてしまう。顔から火が出るとはこのことか。
「んんー、どうした? 熱ある?」
 お前が原因だ。顔、近いってば……。
「ふふ。柚くん、緊張してる? 手に汗握ってるよ」
「うおっ、ごっ、ごめん」
 慌てて離そうとする俺の手を、彼女の手が強く握った。
「ふふふー。いいよ。大丈夫」
「えっ」
「私も、ドキドキしてるからさっ。ふふふっ」
 そうやっていたずらっぽく小声でつぶやく彼女。俺が頑張って彼女の様子を伺うと「次は何かな」なんて照れ隠しなのか思わせぶりに視線をそらし、先に行こうとする。俺は引かれる手についていくのが精一杯。いつになったらこの距離感に慣れるんだろうか――。ひょっとすると、一生そんなことはないのかもしれない。
「なんだか不思議。前は心葉と手を繋いでもさぁ、こんなふうに感じなかった」
「ははっ。それはね、柚くんが成長した証拠だよ」
「成長? なんだよ成長って。俺ら大して変わらないじゃん」
 それを聞いて彼女は「まあそうだね」なんてとぼけて口元を緩ませた。
「俺さぁ、告ったんだよね……心葉に。覚えてない?」
「――ごめん」
「あ、いや。あれ俺が中3の時だから、2年前の君が知らなくて当然か。ごめん、変なこと言った。わ、忘れて。アハハハ……」
 心葉は2年以上前のことは微に入り細に入りよく覚えているくせに、やはりここ最近のことは全く知らないようだった。2年前からのタイムスリップなんてにわかには信じがたいけれど、母さんの言う通り、それが一番辻褄の合う説明だと認めるしかなかった。
「ねえ、あそこに魚が隠れてるのわかる?」
 どぎまぎし続ける俺にはお構いなしに、彼女は顔を寄せながら水槽を指差した。 
「えっ、どこ? どこ?」
「あそこだよ。んー分からないかなー」
 視線を揃えるように、ぐぃと頬を寄せてくる心葉。図らずも頬が触れる。
 だぁあああ。わざとやってる?
 俺は横顔を見つめたい欲望をぐっとこらえ、細い指が差す方向に目をこらす。
「んんー? やっぱ、わからないな」
「あーっ、いま岩の後ろに隠れた!」
「なんだったの? エビ?」
「魚。保護色っていうのかな。こういうの見破るの、私けっこう得意」
「昔からそうだよね。前にも言ってたっけ? メガネの時?」
「そうそう。青と緑は得意っ!」
 彼女は胸をはって鼻をこすった。
 この後も度々心葉の特殊能力を垣間見ることになる。岩に隠れる小さなエビ、砂に紛れる大きなカレイ。水中だけではなく水面側からでも目が利いた。
 渓流を模したビオトープ仕立ての清流エリア。上から覗き込んで水槽内を観察できるようになっていて、そこで彼女は岩場に隠れるヤマメやニジマスをどんどん見つけていった。ああ、この能力に俺のメガネは救われたのだった。
「私、漁師にでもなろうかなー」
「はははっ。いいね。かっこいい」
 イルカショーも見にいった。すり鉢状の大きな会場は、沢山の人で賑わっていた。コミカルなアシカの演技に続いてイルカが登場。モンキーマイアでも見たバンドウイルカ。飼育員の笛やジェスチャーに合わせ、ジャンプしたりおどけてみたり。すごく良く訓練されている。
「そういえば、イルカって色見えてるのかな?」と心葉。確かに――。
「不思議だな……」
「でしょでしょ。色が見えてなきゃ、あんなすごい芸はできないと思うんだけど」
 うん。一理ある。
 いつか先輩から教えてもらったんだけど、もともと俺たちの祖先の哺乳類の色覚は2色型だったらしい。
「霊長類以外の哺乳類は2色型の色覚らしいよ。柊先輩情報」
「それって、色がわからない、ってこと?」
「うーん。色味にはあんまり頼らず、濃淡で判断して暮らしていたとかじゃない?」
 恐竜が闊歩していた時代、小型の哺乳類は夜の生活に適応した2色型しか生き残れなかった。それが恐竜が絶滅してからしばらく経つと昼の森で暮らすようになり、緑の葉に紛れている熟れた実を見分けるための3色型の色覚をもつ霊長類が生き残ったらしい。これもちょっと前に先輩から教えてもらった。
「だから、イルカも2色型なんじゃないかな」
「そっかー。まぁ、そうだよね。赤が見えても、しかたないもんね」
 心葉が遠くのイルカに手をふった。
「まぁ、モノクロの世界ってこともないとは思うけど」
 結局のところ色が見えるかどうかは、イルカに聞いてみないとわからない。
「今度、先輩に聞いてみようよ」
 イルカショーが終わると、俺たちは大きな水槽の前に戻ってきた。沢山の種類の青がアクリルガラスの大窓から溢れ出し、床にゆらゆらと木洩れ陽模様を描いていた。
「そういえば、柚くんが迷子になったのこの辺だっけ?」
 振り返って笑う心葉の後を、大きな魚がのそーっと通り過ぎた。向こうの世界は、まるで重力なんてないみたいだ。
「ああ、そうかも。あの時もイルカショーのあとだったような……」
「ふふふ。言われてみると、そんな気がするね」
 彼女はあたりをキョロキョロした。
「でもさ。ショー会場から出る時、私、ちゃんと柚くんの手、繋いでたよね?」
「そうだよ。心葉が『迷子になるよ』ってひいてくれてた」
「ふふふー。なんで、離しちゃったんだろうね」
 大きな水槽の真ん中。彼女は何かを訴えかけるみたいな上目遣いで、はにかんだ顔をした。「――なんでだろうね」俺は繋いだままの手をじっと見つめた。
「心葉、あのさ。あのとき、見せたいものがあったんだ」
 俺は心葉の手を引いた。
「ねぇ、こっち来て!」
 彼女は「えっなになに?」と不思議そうに目を丸くした。
「一緒に、迷子になろうぜ」
 俺が目を見て言うと彼女は「うん」と小さくうなずいた。そうして、にっと白い歯をこぼして笑って、その手をぐっと握って返事した。
 走った。
 人の流れに逆らい、誰も通らないような細い通路を抜けて、走った。
 大水槽の脇、少し奥まったところに小さなトンネルの入口があった。子供用なのか、四つん這いでないと進めない。「こっち、こっち」と膝をついてはしゃぐ俺に、心葉は嫌な顔ひとつせずついてきた。2人並んでは通れない。俺が先に入り、心葉が後から続いた。心配になって振り返ると
「いーねー、秘密基地みたい」
 なんて言って彼女はワクワクした笑顔を振りまいていた。
 トンネルを抜けた先は膝立ちできるくらいの小部屋になっていて、床に青白い光が揺らめいていた。少し窮屈だったけれど、そこに2人で座って上を見た。ドーム型の天窓が大水槽の中にせり出していて、
「うわわー」
 俺たちは思わず息を呑んだ。
「すごい……まるで、海の底にいるみたい」
 うっとりとした目で眺める心葉。空のような海。
 ゆらゆらとゆれる水面から幾筋もの光芒が射し込み、なんとも幻想的だった。
「こんなところがあったんだ。ぜんぜん知らなかった!」
 彼女の瞳に、その青の世界がぎゅっと閉じ込められていた。まるで宇宙から見た地球みたいに、きれいだ。行儀よく隊列をくんで泳ぐイワシの群れ。間を通り抜けるようにゆうゆうと泳ぐ大きなエイも映る。俺もその目に飛び込みたい。
「だろ。ふつー気づかない。あははは」
「ここはなんだか落ち着くね。不思議」
 心葉がゆっくりと首を傾け、そのまま俺の肩に頭をのせた。
 静かだ。彼女の心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい。
「柚くんあの時、迷子になったわけじゃなかったんだね」
 いや、ずっと迷子だったよ。
 今までずっと。心葉の手を離してからずっと。
「私、決めた」
「えっ?」
「事故のこと、教えて。きっと、何かいい方法があると思う」
 彼女の強い視線に根負けした俺は、ゆっくりと昔の話を始めた。

 ――去年のクリスマス。
 俺は駅からほど近い市民広場で心葉と待ち合わせをしていた。大理石と御影石で造られた、白が基調の中世西洋風の広場。小さい頃は、夏の噴水が楽しかった記憶がある。広場に入ると綺羅びやかなイルミネーションと大きなクリスマスツリーが俺を出迎えた。
 昨日からの雪で、街はすっかり雪化粧。
 心葉はどんな格好で来るかな、何話そうかな。そんなことを考えながら、俺はそわそわと彼女を待っていた。
 なけなしの小遣いでプレゼントも買った。ちょっとおしゃれなデザインの腕時計。俺は小さな紙袋にちょこんと収まる青い小箱を見つめた。
「や」
 はにかんだ顔の彼女が現れた。
 白のダッフルコートに少し長めのフレアスカート。首元のチェック柄のマフラーがアクセント。
「どうかな?」
「うん。似合ってるよ」
「ふふふ。なんだか、照れくさいなァ……」
 白くなった息をはぁはぁ手にふきかける姿が、なんとも可愛い。
「あ、手袋、する?」
「うん。片方だけでいいよ」
「は?」
 俺は少し不思議に思いながらも、言われたとおり右の手袋だけを渡した。青と白のボーダー柄。彼女はニンマリと嬉しそうに受け取って右手に着けた。それから、
「こっちは――こうだよ」
 照れくさそうに笑って左手で俺の手を引いた。
 あー、そういうことか。
「だって、このほうがいいんだもん」
 心葉の冷たい手が俺の右手の中でもぞもぞと動いた。素手でつなぎたかったのか。ふふふ。気づかなかった。
 俺たちはぎこちなく互いの指をからませた。俺の指の間に、心葉の指がゆっくりと入ってくる。2人の指が交互に折り重なると不思議な安心感が生まれた。
「恋人繋ぎって言うんでしょ」
 彼女が上目遣いで俺に尋ねた。俺も知ってたけど、口にするのはどうも照れくさい。
「幼なじみ繋ぎ、ってのはないのかな」
「ふふふー。そだね」
 俺は彼女の手を引いて、クリスマスツリーを目指した。
 オシャレな店でウィンドウショッピングしたり、眺めのいいレストランで夕食をとったりなんてできなかったけど、それでもいい。2人で過ごせばそれだけで楽しい。
 温かい光で広場を包み込む桜の花のかたちのライトアップ。地元の小学生が作ったという。それぞれ工夫が凝らされていて、かわいらしい。心葉に聞いて初めて知ったのだけど、桜は市の花だそうだ。春になったらお花見をしようねと約束した。公園にレジャーシートを持っていって、2人でお弁当を食べようって。俺たちにそんな未来が待ってるのかな。俺にはなんだか違う世界のことのように思えて仕方がなかった。
「こういうの得意っ」
 と心葉が言うので、クイズラリーに挑戦してみた。イルミネーションの影や植え込みの中に隠れているサンタクロースを探すんだって。赤青緑。広場のどこかに全部で3人。
 俺たちは手をつないだまま、キャーキャー言って広場を駆け回った。
 心葉はいつものように青と緑は大得意。「視野が狭い」とか自分の目にぶつぶつ不満をもらしながらも、あっという間にサンタのオブジェ2つを見つけ出した。青帽子のサンタは青色LEDで彩られた街路樹の影に、緑帽子のは光の絨毯に佇むトナカイの後にいた。
「ふふふーん。簡単かんたんっ」
 心葉は得意げに笑っていたけど、俺には相当難しかった。水族館よりムズい。
 サンタの背中にはQRコードが貼ってあり、3つ集めると抽選に応募できる。1等の景品は海外航空券。
「オーストラリアは近いぞぅ」
 心葉は当てる気満々だけど、赤サンタが見つからないことには、応募もできない。俺たちはキョロキョロしながら広場をぐるりともう一周してみた。それでもやっぱり赤帽子は姿を見せなかった。
「まいったなァ」
 光り輝くツリーの前まで戻ってきて、俺は肩をすくめた。
「ふふふ。柚くん、もうギブ?」
「まさかっ。アハハハ」
 2人の白い息が重なった。あたりを見渡すと、けっこう沢山の人が赤サンタを探しあぐねているみたいだった。このまま見つからなくてもいいか。ずっと心葉とこうして手をつないでいるのも悪くない――。俺はそんなことを思い始めていた。
 ふと、ツリーの後ろ側の暗闇の中にある、小さなログハウスが目に留まった。
「あれっ?」
 イルミネーションを賑わすための単なるハリボテかと思っていたら、どうも違う。子供サイズだけどノブのついたドアが設えてあって、窓も本物っぽい。目を凝らすと奥行きだって本当にあるように見えた。半開きのドアからはオレンジ色の灯りがもれていた。
「心葉、こっちだ!」
 俺はすぐに彼女の手を引き、ツリーの裏に回り込んだ。心葉は「えっ、なになに? また迷子?」なんて言ってとびきり楽しそうにしていた。
「こっち、こっち。ほら、これ見て!」
 ひっそりと佇む小さなログハウスを前に、ハイテンションではしゃぐ俺。とても精巧にできたミニチュア。入口ドアは腰の高さほどだった。三角屋根には雪が積もっていた。
「もしかして」
「ああ。たぶん――」
 そう言って俺は静かに半開きのドアに手をかけた。
 ぐっっと力を入れて引くも、扉は動かない。おかしいな、そんなはずは。と思って足元を見ると、雪のせい。詰まってて開かないだけだ。「ちょっと待って」俺はしゃがみこんで必死に雪を払った。冷たいっ。でも、まだカチコチに凍ってしまう前でよかった。
 やがてきぃと甲高い音を響かせて、扉は開いた。ビンゴ! 飾りじゃなくて、ちゃんと入れる子供用のログハウスだ。その子供一人通れるかという小さな入口に、俺は腰をかがめて足を踏み入れた。
「ねぇねぇ、中、どうなってるの?」
 待ちきれない様子の心葉が、俺の背中をぐいぐいと押した。
「ちょっ、待って」
「わぁーっ。入れるっ! っと、わぁあ」
 バランスを崩した心葉が、室内になだれ込んでくる。俺は振り返って必死で彼女を受け止めようとするも、靴底についた雪のせいで踏ん張りが効かない。そのまま、心葉を抱きかかえ、俺は尻もちをつくようにして後ろ向きに倒れてしまった。
 ドシンッ――。
 鈍い音とともに、ログハウス全体がギシッと軋んで揺れた。「ってえ」と俺が目を開けると、心葉が俺の胸に顔をうずめて笑っていた。
「あはは。やった、やったね、柚くん」
「ふぇっ?」
「ほら見て!」
 彼女の指差すほうを見た。
 赤い帽子のサンタ! 小窓のそばにある、ままごと用の小さなテーブルの上にちょこんと座っていた。
「やった! マジか!」
 俺は思わず心葉の背中をポンポンと叩いた。
「ふふふふふーん」
 雪で埋もれていたせいなのか、ほんとうに見つけにくい場所だからなのか。俺たちの他に、ここ訪れる人は居なかった。
 天井がひくく、立ち上がることもままならない小さなログハウス。両手を伸ばせば左右の壁にとどくほどだ。テーブルの他には、木で作られた暖炉のオブジェと、クリスマスツリー。あとは俺たち2人でもう満員だ。
「もう何もいらないね」
 小さな窓に切り取られたイルミネーションを眺めながら、彼女が言った。
 ほんとだ。心葉の言うとおりだ。もう何もいらないと思った。
 事故が起こったのは、その帰り道だった。
 俺は赤信号の横断歩道を渡ろうとする盲目の少女に気が付き、車道に飛び出した。突っ込んできたトラックは幸いにも寸前で止まり、俺も少女も無事だった。ほっとひと安心。油断しきっていていた俺は、トラックの影になっていたせいで、追い抜いてくるバイクが見えていなかった。心葉はそれに気がついて、俺を力いっぱい突き飛ばして、自らはバイクの前に。俺は骨折さえせず助かって、心葉は、心葉は――。
 
「……私、死ぬんだね」
 心葉は少し震えながら、じっと俺の目を見つめていた。
「あ、」
 そこで、俺はようやく事の重大さに気がついた。あの日、彼女はバイクが見えていたわけじゃなかったんだ。2年後の俺からこうして話を聞いて、知っていたんだ。
 きっと、俺が今日これを説明してしまったから、心葉は事故で俺を助けたんだ。ややこしいけれど、これなら全て辻褄が合う。時間の流れにできてしまったしこりのような渦が溶けていくのが分かる。
「俺のこと、助けなくていいよ」
「ううん。私が助けるよ」
「そんなことしたら、心葉、お前が――」
 俺は繋いだ手を離すのが惜しくて仕方がない。今日が永遠に続けばいいのに――。そう思うのはもう何度目だろう。
「なあ、心葉。ここにいろよ」
「私……いいこと思いついちゃった」
「は? またそれかよ」
「うん。柚くんが私のためにいろいろしてくれたから。私も柚くんみたいに、他の人のためにできることないかな、ってずっと考えてたんだ」
「なんで今なんだよ。そ、そんなのさ、後回しでいいだろ」
「そうはいかないよ。帰らなきゃ」
「帰るったって、どうやって? 行くなよ! 行かなくていいよ! だってお前、帰ったらさあ」
「わかってる!、わかってるってば!!」
「ならさ、もうこっちの世界でこのまま暮らそうよ」
「駄目だよ。それじゃ駄目なんだよ。……できないよ。だって私が帰らなかったら、柚くんはどうなっちゃうの!? 去年のクリスマスの、柚くんは……」
 俺が目を瞑ると、心葉が優しい力で俺の両頬をきゅううと引っ張った。
「柚くんは、笑ってて」
 そう心葉が呟いたと思って目を開けたときには、もう俺一人になっていた。閉館時間を告げる曲がやけに悲しく響いていた。
 迷子になったこの場所で、皮肉にもまた彼女とはぐれることになった。
 心葉に会いたい。
 会いたい。
 会いたい。
 俺は、無我夢中で走った。