「なあ柚、植村先輩って?」
 理科室で黙々と学園祭の準備を進めているとカッシーが何やら話しかけてきた。
「ああ、幼なじみ」
「そりゃわかる。わははっ。――結構、かわいいよな」
 臆面もなく言う。ある意味、尊敬する。
 目線の先には、何やら柊先輩と話しながら楽しそうに作業する心葉が見えた。
「そう……そうかもね」
 正直、よく分からない。猫に小判、豚に真珠、俺に心葉、だ。
「いや、なんていうか、姉ちゃんみたいなもんだから。なくし物を一緒に探してくれたり、迷子になりゃ俺の手を引いて必死に親を探してくれたりさ。アハハハ」
 夏休みの間、心葉は地学部の活動を手伝ってくれることになった。いつか会えなくなるのではと心配だったけれど、ここのところ毎日のように顔を見られて、少しほっとしている。
「勉強でもスポーツでも、ぜんぶ心葉が先に上手くなってさ。教えてくれるわけ」
「ふうん」
「どうせ2年後に俺も行くのに、修学旅行のお土産までくれてよ」
 わはははっ、とカッシーは大口を開いて笑い、それから急に真顔に戻った。
「で、つきあってんの?」
「バカ言え。幼なじみだって。しかも、こないだ戻ったばかり」
「は? 意味ワカンネ」
「いいだろ別に。文句あんのかよ」
「お前、今日だってかなり長いこと目で追ってたよね」
「追ってない」
「さっきからずっと顔ニヤけてんぞ」
「んなわけねー」
 俺はハッとして自分の頬をさわった。
「わはははっ。お前な。小学生じゃねんだ。素直になれよ」
 カッシーは作業で使ってたハンマーを俺の鼻先に突き出して言った。
「だって、彼氏がいるとかじゃないんだろ?」
 心葉に彼氏? そういや俺が中2の頃に一度、そんな噂を聞いたことがあったかもしれない。でもさすがに今はいないんじゃないか。
「俺みたいに『縁切りたい』なんて言われてるわけじゃないんだろ? わはははは」
「そりゃそうだけど――いや、そうじゃなくて」
 十人十色。人生いろいろ。幼なじみだって、いろいろな形があっていい。
 そもそも俺のような人間が、心葉みたいなちゃんとした人を好きになってはいけない気がしている。なんというか、不釣り合い? 
「いいだろ、別に」
 いつも自制心のような気持ちが働いてしまう。
 友達以上、恋人未満。心葉との関係はその数直線のどこにもない気がした。
 チラッとむこうを見ると、俺の視線に気づいたのか、心葉がおおきく手を振った。
「おーい、捗ってるー?」
 木洩れ陽みたいな優しい笑顔。俺の気持ちも知らないで。
 
 部活が終わり「ちょっとツラ貸して」と柊先輩に言われ、ふたりで駅前のカフェに入った。心葉には鍵を渡して先に家に帰ってもらい、店の中にまでついてきたカッシーを先輩が「しっし」と追い払う。丸いテーブルを挟んで座ると、早速先輩が口を開いた。
「椎名くん。心葉、何かあった?」
 ただならぬ形相。
「えっ、いや……」
 流石に本当のことは言えない。
「最近、様子が変じゃないか? なんかフワフワして別のこと考えてるというか」
 心配そうな顔の先輩。流れてくる黒髪をさらりと手で払った。
「えっ? えーと、ああ、アレじゃないすか」
「なんだ。もったいぶらずに言え」
 心葉の怒りは、甘んじて俺が引き受けよう。だいたい、先輩はすぐ「何故そんな大事なこと隠してた」なんて心葉を問い詰めるにきまってる。
「――恋、じゃないですかね」
 アイスコーヒーを持つ先輩の手が止まる。
「コイ?」
「好きな人ができて、それで上の空……とか」
「うーん――――――――??」
「あ……いや。やっぱ、なんでもな」
「ありえる!」
 ありえるのかっっ!
「は!?」
 先輩に詰め寄られ、俺の心の叫びは声に漏れていたと気づく。
「冗談、真に受けないでくださいよ。もう! ツッコミ入れちゃったじゃないすか」
「でも、そういうものなんだろ?」
「え?」
「――人を好きになるってのは」
 珍しく自信なさそうな顔。先輩は、はむっ、とミルフィーユを頬張った。
「先輩、人を好きになったこと無いんですか?」
「何をいうか。あるよ私だって。メアリー・アニングとか、好きだなって思うよ」
「誰? ――いや、そうじゃなくて。なんかこう、あるでしょう?」
「話が見えないぞ」
 先輩は不満げに眉を下げた。
「だいたいキミはいつでも本能的にすぎる」
「先輩は理詰めで硬すぎます。それじゃ石ですよ」
「悪くない比喩だ。私は化石になりたい」
「だぁあ、そうじゃなくて」
 どうやら俺とこの人とは、見ている世界も向いている方向も正反対のようだ。
 直感とか雰囲気とか、もう少しそういうのを信じてほしい。
「じゃあ、質問変えますよ」
 先輩は口をもぐもぐさせながら「よし、こい」と目で言った。化粧っ気のない薄い唇。口元に残るクリームを子供みたいにぺろりとやった。
「実はですね――好きな人を確かめる理論、あるんですよ」
「ほう。興味深いな」
 目には目を、歯には歯を、柊先輩には理論を、だ。
「晴れた日曜日。2人で海の見える公園に出かけます。特に目的はなし。飾らない服、なんでもない話。海を前に、ただ空を眺め、風を聴く」
「ふむ。いいな」
「目を閉じると潮の匂い。まぶたの裏にキラキラとした陽の光。木洩れ陽に抱かれてうたた寝しているみたい。そんなありふれた1日でも楽しい――そう思えたとき、隣でふふふと笑っている人が『好きな人』らしいすよ」
 じっと目をとじ俺の話に耳を澄ます柊先輩。マジメに想像してくれているところが彼女らしい。俺は静かに返事を待った。
「――――――耕太郎だが」
「えっ……それじゃあ」
「は?」
「だからっ、そうなんでしょ!」
 きょとんとする柊先輩。
 しばらく宙を見上げ考え込んでいたかと思うと、あるとき急に納得した。
「なるほど」
 ぽむっと丸めた拳で左のてのひらを打つと、頬を赤くしてはにかんだ。先輩でもこんな表情をするんだ。俺は珍しい化石を見るように彼女を見守った。
 先輩は残ったアイスコーヒーを飲み干して、トンッとグラスを置く。
「で、キミは心葉が好きなんだろう」
 かららん、氷が崩れる冷たい音。
 どんな切り返しですかっ、と思わずツッコミたくなる気持ちをぐっと堪える。
「それは、ないです」
「言葉を返す。それは、ないだろ」
「いや待ってくださいって」
「論理的に、そうとしか考えられないが」
 出たよ論理。
「今日も、ずいぶんと心葉を見てたろ」
「いや、あれは、まぁその、ちょっと心配だったからで……」
「ふん。私が心葉って言うと、かなりの確率でニヤけてるぞ」
「こういう顔なんですっ」
「心葉心葉心葉――どうだ?」
「だぁあああ、もう、小学生ですか!?」
「統計は嘘をつかない。嘘をつくのはいつも人間だ。認めてしまえ」
 やけにこだわる先輩。しかし、頑固さなら俺も負けない。
「ダメなんです!」
 先輩はもうそれ以上「なぜ」とは聞かなかった。
 いつものように、聞いてくれてもよかったのに。
 俺の中に「本当に好きになってしまったらどうしよう」なんていう気持ちが芽生えはじめていた。むず痒いことこの上なし。
 問い詰められるのをどこか期待していた俺は、自らこう加えた。
「俺なんかとじゃ、ダメなんです」
「卑下しすぎだろう」
「幼なじみで十分。そもそも恋愛対象に見られてないですし」
「理由になってないぞ」
 先輩は石のようにその場から一歩も引く気配を見せない。この話を始めた俺のせいでもあるのだが。
「あいつ、変なんです」
「それは分かる。心葉はなかなか個性的だ」
「いや、そうじゃなくて」
「私は好きだぞ」
「あいつ、去年、交通事故で――。だから、もう居るはずがないんです。こんなところに」
「何だと? じゃあ、あの心葉は何なんだ?」
「俺が知りたいです。お盆だから……とか?」
「ちょ、ちょっと待て。じゃあ幽霊か何かだというのか?」
 みるみるうちに柊先輩の目から色が失われていく。俺は彼女の目を見てゆっくりと頷いた。
「少なくとも彼女は物理的に存在していた。影もあったし、触ることもできた」
「ですよね……よかった」
 俺が肩の力を抜くと、いままで険しかった先輩の表情をが和らいだ。
「私は幽霊という現象自体はあっていいと思う。ドッペルゲンガーとかタイムスリップとか、いくらでも科学的に説明がつくはずだ」
「どのくらい心葉は居られるでしょう? お盆が明けたら、帰ってしまう、とか?」
「わからん。ただ……」
「ただ?」
「私、オーストラリア誘ったの、まずかったかな」
 珍しく自信なさそうに眉を下げる柊先輩。
「どうでしょうね」
 誰にも分からなかった。
「とにかく、遠征は部活だ」
「家出、でしょう?」
 俺が言うと先輩はコホンと咳払い。
「地学部は恋愛禁止。この旅、色恋沙汰はご法度だぞ。いいな」
 帰りがけに先輩が人差し指を俺の鼻先に突き出して、こう叫んだ。先輩だって、カッシーとの仲、解決してから行きますよね? なんて言い返せる訳もなく、ただただ「ないない、ないですって」とヘラヘラ答えるしかなかった。
 出発が迫っていた。
 俺は1人図書館に通っては、幽霊について調べた。先輩の言っていた通りだ。心葉の正体を説明する理論は無数にありそうだ。たまたま目にとまった相対性理論と一卵性双生児の本は、ぱらぱらめくっただけで借りずに帰った。