果穂の葬式には、それなりに多くの人が参加していた。白い木蓮の花びらが舞う境内に、黒い服を着た人々が集まっていた。果穂の親戚を初め、学校の先生や中学生の頃の友達とやらまでいた。
僕のことを知っているであろう人々は、一体どんな繋がりがあったのだろう、と興味の視線を向けていたが、僕は無表情を保っていた。
果穂の事情を知りもしない癖に、大袈裟なほど涙を流す彼らを見て、僕は泣けなかった。みんな気持ちは同じなんだ、なんて浅はかな勘違いをされたくなかった。代わりに、胸の中で果穂の言葉を一つずつ思い出していた。
「本当に、月乃に似てるわね」
僕の隣で、遺影を見た母さんが、ハンカチを目元に当てながらそう言った。それを聞いて今頃、無性に喪失感に襲われて胸が苦しくなった。春の訪れと共に、大切な人を失ったという現実を改めて突きつけられたようだった。
「実は、果穂から君に渡してほしいと言われていたものがあるんだ」
式が終わった時、そう言って、果穂の父が見慣れたスケッチブックとメモ帳を僕に差し出した。
「私達は中身を見ていないから、安心して欲しい。形見、というと湿っぽくなってしまうかもしれないが、涼くんにとって関りが深いものだから、だそうだ。渡すのが遅くなって申し訳なかったね」
「とんでもないです」と僕は頭を下げた。どれも昨日のことのように思い出せる。僕の中で思い出となるには、まだ鮮明すぎるほどに果穂の記憶が残っていた。
「私達家族は、本当に坂口くんに感謝してるんだ。結局、最後まで頼り切ってしまった」果穂の父は不甲斐なさ気に顔を歪めた。
だが、僕はその頑張りを知っている。家族のため、板挟みになりながらも果穂のことを第一に考え続けた父を僕は尊敬していた。
果穂の告げられる余命はどんどんと短くなり、最終的には当初の半分以下になっていった。結局、安楽死制度を選んでも間に合わなかったのだ。果穂は自分の死期を悟って、何度も心が折れそうになったがその度に僕や家族が支え続け、限界まで抗った。
「感謝しているのは僕のほうです。色々とご迷惑をおかけしました」
「またいつでも遊びに来て欲しい。果穂も喜ぶと思う」
果穂の父はそう言って温かな笑顔を浮かべた。その笑顔が果穂にどことなく似ていて、僕はまた少し感傷的になってしまった。
果穂が決心を変えたことで家族に流れていた不和は解消され、果穂の両親は、今もあの家で暮らしているらしい。関係が変わらなかったと知れば、果穂は喜んでくれるだろうか、と思った。
不謹慎に記念写真を撮ろうとしている学生を横目に、帰ろうと振り向いた時、視界の隅にある人が見えた。桜の木の下に立つその姿は、どこか寂しげに見えた。
「お久しぶりです、椎名さん」
椎名さんは僕に声を掛けられたことに、多少面食らったようだったがすぐにいつもの仏頂面に戻り、丁寧に頭を下げた。
「覚えてくださってたんですね」
「人の名前を覚えるのは、正直、あまり得意ではないんですけどね。それだけ衝撃的な出会いでしたから」
早咲きの桜が薄桃色の花びらを散らし始めていた。果穂が安楽死を希望しなくなったことによって、椎名さんと会うのは随分と久し振りだった。
「椎名さんにとって、この結末はどうだったんですか?」
どうやら安楽死制度は未だ世間からの風当たりが強く、実行に至るまで行った例は多くないらしい。大抵が途中で怖気づいてしまうのだ。出世という面だけで見れば、実績を残すことがアピールになるだろうと思った。
「良い悪いで表すのは難しいです。私達倫理委員会も結局は人間であり、神ではないですから。どんな選択であれ、病魔に蝕まれての最期は、手放しに祝福できるものなんてないと私は考えています」そこまで言って、椎名さんは目を伏せた。「ですが、あくまで私個人の感想として。本人にとって悔いのない選択ができたのであればそれに勝るものはないんじゃないでしょうか」
案外、果穂のことを一番考えていたのは椎名さんなのではないかとも思った。僕はそれが聞けただけで充分だった。
「僕の出禁を病院に抗議してくれたの椎名さんですよね。どうしてそこまでしてくれたんですか?」
「……何のことでしょうか」
「ずっと不思議だったんです。取り返しのつかないことをしたのに、何故この場にいられるんだろうって。柏木先生に聞いたら教えてくれました」
椎名さんのため息が、冷たい春の空気の中で白く霞んだ。
「私は、見ての通り仕事のために生きているような人間です。真面目に振舞えば慇懃だと煙たがられ、親しく接すれば、私情を挟むなと反感を買う。坂口さんの行動は、本当は私や国がしなければならないことだった。私なりの感謝の証です。溜まっていた鬱憤を晴らしてくれてありがとうございました」
僕は思わず笑顔が零れた。
「僕は椎名さんのこと、嫌いじゃないです」
「そんなことを言っていると果穂さんに怒られますよ」
椎名さんは、呆れたような笑顔で、仰々しくお辞儀をして去っていった。その背中が桜の木々の間に消えていく様子を見送りながら、相変わらず、姿勢の綺麗な人だなと僕は思った。
*
家に帰って、僕は貰ったメモ帳を覗いてみることにした。そこには、彼女の人生の未練が数ページに渡って続いていた。僕の覚えがあるものから、全く知らないものまで、綺麗な字で様々な願いが綴られていた。
流行りのスイーツの写真を撮るや、ライブを観に行くなど、僕が代行したものを含め、叶えられたものには可愛らしい花丸がつけられていた。だが、思いの外、何の印もついていないものも目立った。何か思い残したことがあったのだろうかと思ったが、全財産を使って行けるとこまで行く、であったり、カジノで一発逆転をするだとか。大抵は、現実的に難しいもののようだった。
そんな中に、『日の出を見に行く』という項目が目に留まった。これなら僕が行けばさほど難しくもなかっただろうし、やっておけば良かったと後悔が浮かんだ。
しかし、改めて考えてみると果穂は本当にこれらを実現したかった訳ではなかったんだろう。自分の人生をベストセラーにするのだと意気込んでいた果穂の願いは、どれも普通の、女子高生らしいものだった。自分は幸せだったんだと信じさせるために、思いつく限りの幸せを詰め込んでいるような気がした。
ページをめくると、『彼氏を作る』、という項目に一際大きな丸が付けられているのを見て、僕は思わず微笑んでしまった。そして、『自分の作品を残す』、という項目にも丸がついているのを見て首を傾げた。
果穂は、僕の知らぬ間に何か作品を完成させていたのだろうか。体の自由が利かなくなってからは、何かを制作している様子はなかったはずだ。
ふと思い当って、果穂のスケッチブックを開いた。最初のページには、僕と一緒に描いた病室のガーベラの絵があった。それから、海や風景、僕や看護師さん、椎名さんらしき人の絵と続いていた。ページをめくるたびに上達していき、果穂の努力を物語っているようだった。
思わず目頭が熱くなったが、果穂が最後に見せてくれた窓の外の風景を最後に、それ以降は空白のページが続いていた。果穂の手が動かなくなったタイミングを思い出し、途端に胸が苦しくなった。
これで終わりかと閉じようとした時、最終ページに何かが描かれているのを見つけた。不思議に思って確認すると、僕は一瞬で察した。果穂が残した作品というのは、きっとこの絵のことなのだと。
描かれていたのは、露店の立ち並ぶ河川敷と鮮やかな花火だった。手が震えているのか、線はところどころ掠れている。しかし、細部までの描き込みや、絵に込められた熱量は他の絵と比較にならなかった。
僕は、この絵を見れば、嫌でも果穂を思い出してしまう。僕にとって、大きな意味を持つあの日の景色は、果穂にとっても変えの利かないものになっていたんだと知った。
『私のこと忘れないでくださいね』
頭の中で、果穂がそう言っているのが聞こえてきた。
この絵があれば、果穂と共に過ごした日々の思い出を大切に抱えたまま、これからも前を向いて歩んでいけると思った。
果穂との思い出に浸っていると、いつの間にか部屋は暗くなっていて、テレビだけが不自然なほど明るく光っていた。
『安楽死制度なんて、結局は体のいい言い換え。逃げ道と言って差し支えないんじゃないか?』
評論家らしき男性が、攻めた発言でスタジオの顰蹙を買っているのが聞こえた。しかし、キャスターはそれに明確な意思を示さず、のらりくらりと周囲の反応を繰り返していた。
自分の立場を表明してしまえば、周囲からの目が厳しくなるのを理解しているのだろう。僕は、どちらも間違いだとは思わなかった。
果穂は自分の人生を、最後まで自分らしく生き抜くことを選んだ。でも、それが唯一の正解だとは思わない。僕は自分の選択に、何の後悔もなかったけれど。あの時、果穂が死にたいと言っていたら、結局はそれを受け入れていただろうと思う。要するに、正解なんてなく三者三様の答えがあるのだ。
そのうえで、あえて僕が言うのであれば。果穂の選択はとてもセンスがあると思った。
僕のことを知っているであろう人々は、一体どんな繋がりがあったのだろう、と興味の視線を向けていたが、僕は無表情を保っていた。
果穂の事情を知りもしない癖に、大袈裟なほど涙を流す彼らを見て、僕は泣けなかった。みんな気持ちは同じなんだ、なんて浅はかな勘違いをされたくなかった。代わりに、胸の中で果穂の言葉を一つずつ思い出していた。
「本当に、月乃に似てるわね」
僕の隣で、遺影を見た母さんが、ハンカチを目元に当てながらそう言った。それを聞いて今頃、無性に喪失感に襲われて胸が苦しくなった。春の訪れと共に、大切な人を失ったという現実を改めて突きつけられたようだった。
「実は、果穂から君に渡してほしいと言われていたものがあるんだ」
式が終わった時、そう言って、果穂の父が見慣れたスケッチブックとメモ帳を僕に差し出した。
「私達は中身を見ていないから、安心して欲しい。形見、というと湿っぽくなってしまうかもしれないが、涼くんにとって関りが深いものだから、だそうだ。渡すのが遅くなって申し訳なかったね」
「とんでもないです」と僕は頭を下げた。どれも昨日のことのように思い出せる。僕の中で思い出となるには、まだ鮮明すぎるほどに果穂の記憶が残っていた。
「私達家族は、本当に坂口くんに感謝してるんだ。結局、最後まで頼り切ってしまった」果穂の父は不甲斐なさ気に顔を歪めた。
だが、僕はその頑張りを知っている。家族のため、板挟みになりながらも果穂のことを第一に考え続けた父を僕は尊敬していた。
果穂の告げられる余命はどんどんと短くなり、最終的には当初の半分以下になっていった。結局、安楽死制度を選んでも間に合わなかったのだ。果穂は自分の死期を悟って、何度も心が折れそうになったがその度に僕や家族が支え続け、限界まで抗った。
「感謝しているのは僕のほうです。色々とご迷惑をおかけしました」
「またいつでも遊びに来て欲しい。果穂も喜ぶと思う」
果穂の父はそう言って温かな笑顔を浮かべた。その笑顔が果穂にどことなく似ていて、僕はまた少し感傷的になってしまった。
果穂が決心を変えたことで家族に流れていた不和は解消され、果穂の両親は、今もあの家で暮らしているらしい。関係が変わらなかったと知れば、果穂は喜んでくれるだろうか、と思った。
不謹慎に記念写真を撮ろうとしている学生を横目に、帰ろうと振り向いた時、視界の隅にある人が見えた。桜の木の下に立つその姿は、どこか寂しげに見えた。
「お久しぶりです、椎名さん」
椎名さんは僕に声を掛けられたことに、多少面食らったようだったがすぐにいつもの仏頂面に戻り、丁寧に頭を下げた。
「覚えてくださってたんですね」
「人の名前を覚えるのは、正直、あまり得意ではないんですけどね。それだけ衝撃的な出会いでしたから」
早咲きの桜が薄桃色の花びらを散らし始めていた。果穂が安楽死を希望しなくなったことによって、椎名さんと会うのは随分と久し振りだった。
「椎名さんにとって、この結末はどうだったんですか?」
どうやら安楽死制度は未だ世間からの風当たりが強く、実行に至るまで行った例は多くないらしい。大抵が途中で怖気づいてしまうのだ。出世という面だけで見れば、実績を残すことがアピールになるだろうと思った。
「良い悪いで表すのは難しいです。私達倫理委員会も結局は人間であり、神ではないですから。どんな選択であれ、病魔に蝕まれての最期は、手放しに祝福できるものなんてないと私は考えています」そこまで言って、椎名さんは目を伏せた。「ですが、あくまで私個人の感想として。本人にとって悔いのない選択ができたのであればそれに勝るものはないんじゃないでしょうか」
案外、果穂のことを一番考えていたのは椎名さんなのではないかとも思った。僕はそれが聞けただけで充分だった。
「僕の出禁を病院に抗議してくれたの椎名さんですよね。どうしてそこまでしてくれたんですか?」
「……何のことでしょうか」
「ずっと不思議だったんです。取り返しのつかないことをしたのに、何故この場にいられるんだろうって。柏木先生に聞いたら教えてくれました」
椎名さんのため息が、冷たい春の空気の中で白く霞んだ。
「私は、見ての通り仕事のために生きているような人間です。真面目に振舞えば慇懃だと煙たがられ、親しく接すれば、私情を挟むなと反感を買う。坂口さんの行動は、本当は私や国がしなければならないことだった。私なりの感謝の証です。溜まっていた鬱憤を晴らしてくれてありがとうございました」
僕は思わず笑顔が零れた。
「僕は椎名さんのこと、嫌いじゃないです」
「そんなことを言っていると果穂さんに怒られますよ」
椎名さんは、呆れたような笑顔で、仰々しくお辞儀をして去っていった。その背中が桜の木々の間に消えていく様子を見送りながら、相変わらず、姿勢の綺麗な人だなと僕は思った。
*
家に帰って、僕は貰ったメモ帳を覗いてみることにした。そこには、彼女の人生の未練が数ページに渡って続いていた。僕の覚えがあるものから、全く知らないものまで、綺麗な字で様々な願いが綴られていた。
流行りのスイーツの写真を撮るや、ライブを観に行くなど、僕が代行したものを含め、叶えられたものには可愛らしい花丸がつけられていた。だが、思いの外、何の印もついていないものも目立った。何か思い残したことがあったのだろうかと思ったが、全財産を使って行けるとこまで行く、であったり、カジノで一発逆転をするだとか。大抵は、現実的に難しいもののようだった。
そんな中に、『日の出を見に行く』という項目が目に留まった。これなら僕が行けばさほど難しくもなかっただろうし、やっておけば良かったと後悔が浮かんだ。
しかし、改めて考えてみると果穂は本当にこれらを実現したかった訳ではなかったんだろう。自分の人生をベストセラーにするのだと意気込んでいた果穂の願いは、どれも普通の、女子高生らしいものだった。自分は幸せだったんだと信じさせるために、思いつく限りの幸せを詰め込んでいるような気がした。
ページをめくると、『彼氏を作る』、という項目に一際大きな丸が付けられているのを見て、僕は思わず微笑んでしまった。そして、『自分の作品を残す』、という項目にも丸がついているのを見て首を傾げた。
果穂は、僕の知らぬ間に何か作品を完成させていたのだろうか。体の自由が利かなくなってからは、何かを制作している様子はなかったはずだ。
ふと思い当って、果穂のスケッチブックを開いた。最初のページには、僕と一緒に描いた病室のガーベラの絵があった。それから、海や風景、僕や看護師さん、椎名さんらしき人の絵と続いていた。ページをめくるたびに上達していき、果穂の努力を物語っているようだった。
思わず目頭が熱くなったが、果穂が最後に見せてくれた窓の外の風景を最後に、それ以降は空白のページが続いていた。果穂の手が動かなくなったタイミングを思い出し、途端に胸が苦しくなった。
これで終わりかと閉じようとした時、最終ページに何かが描かれているのを見つけた。不思議に思って確認すると、僕は一瞬で察した。果穂が残した作品というのは、きっとこの絵のことなのだと。
描かれていたのは、露店の立ち並ぶ河川敷と鮮やかな花火だった。手が震えているのか、線はところどころ掠れている。しかし、細部までの描き込みや、絵に込められた熱量は他の絵と比較にならなかった。
僕は、この絵を見れば、嫌でも果穂を思い出してしまう。僕にとって、大きな意味を持つあの日の景色は、果穂にとっても変えの利かないものになっていたんだと知った。
『私のこと忘れないでくださいね』
頭の中で、果穂がそう言っているのが聞こえてきた。
この絵があれば、果穂と共に過ごした日々の思い出を大切に抱えたまま、これからも前を向いて歩んでいけると思った。
果穂との思い出に浸っていると、いつの間にか部屋は暗くなっていて、テレビだけが不自然なほど明るく光っていた。
『安楽死制度なんて、結局は体のいい言い換え。逃げ道と言って差し支えないんじゃないか?』
評論家らしき男性が、攻めた発言でスタジオの顰蹙を買っているのが聞こえた。しかし、キャスターはそれに明確な意思を示さず、のらりくらりと周囲の反応を繰り返していた。
自分の立場を表明してしまえば、周囲からの目が厳しくなるのを理解しているのだろう。僕は、どちらも間違いだとは思わなかった。
果穂は自分の人生を、最後まで自分らしく生き抜くことを選んだ。でも、それが唯一の正解だとは思わない。僕は自分の選択に、何の後悔もなかったけれど。あの時、果穂が死にたいと言っていたら、結局はそれを受け入れていただろうと思う。要するに、正解なんてなく三者三様の答えがあるのだ。
そのうえで、あえて僕が言うのであれば。果穂の選択はとてもセンスがあると思った。