写真展の会場は、浅草にある近代美術館だ。浅草の改札をくぐって外に出ると、駅前広場には多くの人が集まり賑わいを見せていた。
「今日も暑いね~……」
改札内のコンビニ前で合流した半袖のセーラー服の若葉は、手で顔を仰ぎながら小さく息をつく。頭上を見上げると抜けるほどの青空が広がっていて、太陽の光が容赦なく降り注いでいた。
今日の若葉は美術部の活動に支障がないようにか、長い髪を高い位置でひとつに括っており、ポニーテールの毛先が時折風に揺れているのが見える。そのうなじには汗が滲んでおり、それが妙に艶めかしく見えた。そんな邪な考えを振り払うように、俺は小さく首を振る。
「明日の昼から雨っつー予報だったな」
「あ、そうなの? じゃあ明日の部活は傘持っていかなきゃ」
「だな」
会場までの道のりを二人で肩を並べて歩きながら、そんな他愛もない話をしていく。スカイツリー方面へ向かう人波に流されながら少し斜め前を見上げると、目の前のビルに大きなネオン看板があり、次々と広告が流れていく。その横を通り抜けて少し歩くと、目の前に会場とされていた大きな建物が見えてきた。
「スランプ、ちょっとは抜けられたのか?」
午前中は部活に行っていたとのことだから、少しは前進したのだろうか。ふと疑問に思い俺がそう問いかけると、彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべたものの、すぐにその意図に思い至ったようで苦笑を浮かべる。
「ん~……前よりは。今日は文化祭で中庭に飾る美術部の合同作品を作ってたけど、個人作品は全然」
彼女の横顔に影が落ちる。その表情はどこか憂いを帯びていて、俺はかける言葉を探したものの、いい言葉が見つからずそのまま呑み込んでしまった。
「今年は文化祭に出すやつだけじゃなくて、美大への入試に使う作品も頑張らなきゃいけなくって……あっ、でも今日はね、色使いの感覚がちょっと戻った気がするなって思ったの」
「そっか、良かったじゃん」
「うん!」
俺の反応に気を良くしたのか、若葉は嬉しそうに微笑んだ。その表情を見てほっとする反面、なんとも言えない息苦しさに襲われる。俺はそれを誤魔化すように視線を逸らした。
本当は、もっと踏み込んで声をかけたいと思う。彼女の笑顔にいつも救われているから、力になってあげたい、と。でも、それを言葉にする勇気が俺にはない。
俺が余計な一言を放つことで――若葉の笑顔を曇らせたくないとも、思ってしまう。だから俺は今日もまた、彼女との距離を測りかねている。
「あ! あれじゃない?」
そう言って彼女が指差した先にあったのは、『空の旅』という文字が大きく書かれている看板だった。
「お、ホントだ」
二人で看板を見上げながらゆっくりと近づいていくと、看板の真下にある自動ドアが開く。中に入ると冷房が効いていて、涼しい風が全身を包み込んだ。入り口にある受付で入場チケットを購入すると名札パスが手渡された。それを受け取りそれぞれ首にかけ、会場へと足を向ける。
会場内は、天井が高く広々とした空間だった。壁一面に空を映した写真が展示されていて、まるで自分が空の上に立っているような感覚に陥る。絵の具をそのまま塗り広げたような鮮やかさだ。
その他にも、海と混じるような青い地平線を切り取った一枚だったり、雲や太陽が浮かぶ雄大な一枚だったり、飛行機雲の軌跡を映した一枚だったりと、様々な構図の写真が並んでいた。夕焼けを反射するオフィスビルの窓を映した写真もあり、その美しい景色に視線が吸い寄せられてしまう。
「わ~~……すごい」
隣で目を輝かせている若葉の声も、心なしか普段より弾んでいるように聞こえた。やはり絵画だけなくこうした写真も好きなのか、熱心に一つ一つの作品を眺めては目を輝かせている。
「あ」
いくつかの作品を観覧し、次の部屋へ向かおうとした時、若葉が不意に声を上げた。その声につられて視線の先を追うと、それは湖面に浮かぶ三日月の写真で、それを取り囲むように満天の星が広がっている景色が広がっていた。どの写真も撮影者が込めた想いや美意識が伝わってきて、圧倒されるほどに美しいものばかりだった。
「私もこんなふうに描けるように頑張りたいな……」
ぽつ、と呟くようにそう零した若葉の声を聞いて、俺はそっと彼女の横顔を見つめた。その横顔は真剣で、どこか切実な思いを感じさせるものだった。
「お前なら……できるよ。絶対」
自分でも意識しないうちに口から零れ落ちた言葉は、紛れもない本心だった。彼女がいつだって自分と向き合ってひたむきに努力を重ねてきたのだということは、言葉の端々から感じることができた。感性を磨き、技術を身につけて、自分の想いを形にしていく。そうやって若葉は孤独を埋め、自分らしさを表現し続けてきたのだ。俺には無い感性を持っている彼女だからこそ、こんなにも惹かれてしまうのかもしれないとも思う。
だから、俺は信じている。彼女がこれからも自分の力で多くの色を作り出していけることを。彼女ならきっと、苦難の向こうにある景色を自分の色に染め上げることができるはずだから。
「え……」
俺の言葉に驚いたのか、若葉は目を見開いてこちらを見つめ返してくる。その驚いた表情に、俺もまた自分の発言を思い返し、急に気恥ずかしさに襲われる。
「いや……なんか、こう……そう思っただけ」
気まずさを誤魔化すように、俺は彼女から視線を逸らし唇を噛んだ。少し軽率すぎる言葉だっただろうか。不快な思いをさせてしまったかもしれないと後悔していると、若葉は照れくさそうに笑って小さく頷いた。
「……ありがと」
若葉の目元が少し赤みがかって見えたのは、気のせいだっただろうか。なんとなく、じっくりと彼女の表情を確認することはできそうになくて、俺はまた視線を目の前の夜空の写真に向けた。
その後は特に会話らしい会話もなく館内を見て回ったのだが、時々視界に入る若葉の横顔からは活力のようななにかを感じ取ることができた。
「今日も暑いね~……」
改札内のコンビニ前で合流した半袖のセーラー服の若葉は、手で顔を仰ぎながら小さく息をつく。頭上を見上げると抜けるほどの青空が広がっていて、太陽の光が容赦なく降り注いでいた。
今日の若葉は美術部の活動に支障がないようにか、長い髪を高い位置でひとつに括っており、ポニーテールの毛先が時折風に揺れているのが見える。そのうなじには汗が滲んでおり、それが妙に艶めかしく見えた。そんな邪な考えを振り払うように、俺は小さく首を振る。
「明日の昼から雨っつー予報だったな」
「あ、そうなの? じゃあ明日の部活は傘持っていかなきゃ」
「だな」
会場までの道のりを二人で肩を並べて歩きながら、そんな他愛もない話をしていく。スカイツリー方面へ向かう人波に流されながら少し斜め前を見上げると、目の前のビルに大きなネオン看板があり、次々と広告が流れていく。その横を通り抜けて少し歩くと、目の前に会場とされていた大きな建物が見えてきた。
「スランプ、ちょっとは抜けられたのか?」
午前中は部活に行っていたとのことだから、少しは前進したのだろうか。ふと疑問に思い俺がそう問いかけると、彼女は一瞬きょとんとした表情を浮かべたものの、すぐにその意図に思い至ったようで苦笑を浮かべる。
「ん~……前よりは。今日は文化祭で中庭に飾る美術部の合同作品を作ってたけど、個人作品は全然」
彼女の横顔に影が落ちる。その表情はどこか憂いを帯びていて、俺はかける言葉を探したものの、いい言葉が見つからずそのまま呑み込んでしまった。
「今年は文化祭に出すやつだけじゃなくて、美大への入試に使う作品も頑張らなきゃいけなくって……あっ、でも今日はね、色使いの感覚がちょっと戻った気がするなって思ったの」
「そっか、良かったじゃん」
「うん!」
俺の反応に気を良くしたのか、若葉は嬉しそうに微笑んだ。その表情を見てほっとする反面、なんとも言えない息苦しさに襲われる。俺はそれを誤魔化すように視線を逸らした。
本当は、もっと踏み込んで声をかけたいと思う。彼女の笑顔にいつも救われているから、力になってあげたい、と。でも、それを言葉にする勇気が俺にはない。
俺が余計な一言を放つことで――若葉の笑顔を曇らせたくないとも、思ってしまう。だから俺は今日もまた、彼女との距離を測りかねている。
「あ! あれじゃない?」
そう言って彼女が指差した先にあったのは、『空の旅』という文字が大きく書かれている看板だった。
「お、ホントだ」
二人で看板を見上げながらゆっくりと近づいていくと、看板の真下にある自動ドアが開く。中に入ると冷房が効いていて、涼しい風が全身を包み込んだ。入り口にある受付で入場チケットを購入すると名札パスが手渡された。それを受け取りそれぞれ首にかけ、会場へと足を向ける。
会場内は、天井が高く広々とした空間だった。壁一面に空を映した写真が展示されていて、まるで自分が空の上に立っているような感覚に陥る。絵の具をそのまま塗り広げたような鮮やかさだ。
その他にも、海と混じるような青い地平線を切り取った一枚だったり、雲や太陽が浮かぶ雄大な一枚だったり、飛行機雲の軌跡を映した一枚だったりと、様々な構図の写真が並んでいた。夕焼けを反射するオフィスビルの窓を映した写真もあり、その美しい景色に視線が吸い寄せられてしまう。
「わ~~……すごい」
隣で目を輝かせている若葉の声も、心なしか普段より弾んでいるように聞こえた。やはり絵画だけなくこうした写真も好きなのか、熱心に一つ一つの作品を眺めては目を輝かせている。
「あ」
いくつかの作品を観覧し、次の部屋へ向かおうとした時、若葉が不意に声を上げた。その声につられて視線の先を追うと、それは湖面に浮かぶ三日月の写真で、それを取り囲むように満天の星が広がっている景色が広がっていた。どの写真も撮影者が込めた想いや美意識が伝わってきて、圧倒されるほどに美しいものばかりだった。
「私もこんなふうに描けるように頑張りたいな……」
ぽつ、と呟くようにそう零した若葉の声を聞いて、俺はそっと彼女の横顔を見つめた。その横顔は真剣で、どこか切実な思いを感じさせるものだった。
「お前なら……できるよ。絶対」
自分でも意識しないうちに口から零れ落ちた言葉は、紛れもない本心だった。彼女がいつだって自分と向き合ってひたむきに努力を重ねてきたのだということは、言葉の端々から感じることができた。感性を磨き、技術を身につけて、自分の想いを形にしていく。そうやって若葉は孤独を埋め、自分らしさを表現し続けてきたのだ。俺には無い感性を持っている彼女だからこそ、こんなにも惹かれてしまうのかもしれないとも思う。
だから、俺は信じている。彼女がこれからも自分の力で多くの色を作り出していけることを。彼女ならきっと、苦難の向こうにある景色を自分の色に染め上げることができるはずだから。
「え……」
俺の言葉に驚いたのか、若葉は目を見開いてこちらを見つめ返してくる。その驚いた表情に、俺もまた自分の発言を思い返し、急に気恥ずかしさに襲われる。
「いや……なんか、こう……そう思っただけ」
気まずさを誤魔化すように、俺は彼女から視線を逸らし唇を噛んだ。少し軽率すぎる言葉だっただろうか。不快な思いをさせてしまったかもしれないと後悔していると、若葉は照れくさそうに笑って小さく頷いた。
「……ありがと」
若葉の目元が少し赤みがかって見えたのは、気のせいだっただろうか。なんとなく、じっくりと彼女の表情を確認することはできそうになくて、俺はまた視線を目の前の夜空の写真に向けた。
その後は特に会話らしい会話もなく館内を見て回ったのだが、時々視界に入る若葉の横顔からは活力のようななにかを感じ取ることができた。